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前夜の黙祷

作者: セルゲイ・メガネスキー

 夫はチョコパイを買って帰ってきた。

 外套を脱いで手洗い・うがいを入念に、夫はチョコパイの大袋を鞄から取り出した。恭しく包みを妻に捧げた。九個入りパックだった。

 夫妻は夕食をとって、一日のことや、人生のことを話した。

「明日、時間になったら黙祷しましょう、というメールが、職場で回っていたよ」

 と、妻が言った。

「ふむ」と夫が言った。

「黙祷というのは、とても大事だよね。出来事のことを心に浮かべ、一分という時間をとる」

 夫は、チョコパイの大袋を開け、妻にひとつ手渡し、自分のためにひとつ取った。

「でも、それは多分、その時刻ちょうどにするべきものということもないのだ、と思う。何分かズレても良いと思う。何時間でも。何なら、前夜の今晩やっても、いいんだよ」

 夫はチョコパイの包みを開けると、スマートスピーカーにタイマーを指示した。

「HAL9000、一分間計って」

「わかりました」

 そして夫は目を瞑り、黙祷を始めた。妻もあまりに急な夫の行動に異を唱える暇もなく、つられて黙祷を始めた。

 妻は無意識に、被災地の事、その復興、自分の当時の状況と現在、そして自分がどこにどう関わっていけるだろうかということが心に浮かんでくるのを感じていた。その日、仕事中に揺れを経験したこと、その後の混乱、といったことがよみがえってきた。

 目を閉じたままの妻の耳に、ふと、異音が入ってきた。それは、フィルムの包みが手にされて出る、かさかさという音であり、やわらかい菓子をほおばり咀嚼する口の音であった。妻はそれを坐禅の要領で放下し、禅の境地でさらに瞑目を続けた。

 スマートスピーカーが一分間の経過を告げると、夫妻は目を開けた。

 妻は口を開いた。

「黙祷は、祈りなんだよね。失われた命や物や残された人、そういうことに今できる積極的な心の姿勢」

「そうだと思う。多分祈りと言うのは、時間を純粋に消費することに価値と本質があるんだろう。ひとりの人間が手を止めて、何もせず、1分なら1分と言う時間を捧げるというのは、宗教的にも、どの宗教でも様々な形で現れるし、心理的・生理的にも共通のメカニズムがあるのかもしれない」

 妻は、残り七個のチョコパイを明日以後のために取っておこうと、大袋を手に取った。

 軽い。

 チョコパイはもう、1つも残っていなかった。

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