担任は、ほかの部活動について、妨げとなることについて、顧問の先生に承諾を得るだけです。部内における生徒同士の関係も考えて欲しいです。
「みんな、ゴムシートを敷き直して」
わたしより悲惨なグループは、奇麗に細巻寿司のように、シートを丸めた生徒たちです。しかも、丸めた重いシートを数人がかりで、丸太のように、立てています。後は収納場所を先生に聞くだけの状態です。
幸い、わたしのグループは、わたしが手巻きでしたよな、ぐちゃぐちゃな太巻き寿司のようになっていました。しかも、まだ、あと数メートルは、シーツが敷かれたままです。
〈体育館を選挙の投票所にするなよ〉
生徒の誰かが、わたしと同じ思いを口にしています。同じグループの子たちと、面倒とか、ぶつくさ、声の声が、ボリュームが高まり、担任も聞こえていそうです。担任はスルーです。
反対側の敷かれたシーツの上に、乗ります。数人で手で押しながら、巻物状のモノを押して、体育館の端まで敷き直しました。気まずそうな表情の担任がやってきます。
「シート斜めになってる」
息を切らしながら、数人で振り返れば、シーツは両方の壁に対して、やや斜めになっています。先生も手伝う、とか言い出します。渋々、何人かでシーツの端を、必死の思いで持ち上げ、敷きなおしています。しかし、少し波をうつように、数か所が皺になり、蹴躓きそうです。
わたしがシーツを歩き、一か所づつ、波の下に溜まった空気を、雑巾掛けのように、両手で押して抜くのです。手のひらで、すーっと縁に向けて裏側の空気を抜きながら、波打つ皺を消しました。
「さっすがー!」
同じグループの女子も、わたしの横に皆いましたが、直し方を知っているのは、なぜか、わたしだけでした。歓声が上がります。
「小学校でやったでしょう?」
「え、小学校の体育館でゴムシート敷いたりしたの?」
小学校が別の子です。同じ市内で隣の小学校でも、先生や職員の方々が、やってくれてたみたいです。市立小学校といっても、学校ごとに規模も違えば、設備も違うのです。部活動の数さえ違います。
先生はわたしに、にこやかに、偉いと、拍手をしていました。どうしても、担任の先生が、生徒に悪いことしたモードです。
全てのゴムシートが体育館で敷き直され、蹴躓かないよう、皺になった部分を直すのはわたしや、同じ小学校出身者になります。
端の見た目を良くするのか、シーツの端を壁際で、内側に折りたたむのは、別の小学校出身者でした。
汗だくになりながら、クラス全員が一丸となって、シーツを体育館に敷いたのです。謎の感動が湧き、他のクラスメイトと、ハイタッチをしていました。
クラスの一体感が、体育祭で増した瞬間です。
わたしの手のひらは、埃で真っ黒になり、石鹸で一回洗ったくらいでは、汚れは落ちませんでした。しかも、手のひらが、ヒリヒリします。摩擦や、硬い小さなゴミのせいで、あかぎれのように、ひび割れていました。
帰宅してから、母から、どうして手袋を嵌めなかったのかを、注意されます。学校や先生でなく、わたしにあきれられても、困ります。
***
「ねえねえ、どうしちゃったの?」
「先輩、中学の体育祭の感動を、思い出してました」
「うんうん、楽しい思い出だったんだね。笑顔だから分かる」
「担任の先生は美術だったんですが、運動会で学年一位になりました」
「先生とクラスみんなが力を合わせたんだ。凄いね」
「先輩、中学で球技大会ってありましたか?」
「あったあった」
公園でジョキングしている方がいたので、保健体育の先生が、中学一年で、担任だったときのことを思い出します。
***
「体育祭でも学年最下位、水泳大会でも学年最下位。恥ずかしいと思わないのか」
帰りのホームルーム時間に、教壇で担任が生徒を怒鳴ってます。自分の担当教科が、保健体育なので、職員室内でのメンツを守りたいのでしょうか。
むしろ、運動が苦手な子が多いクラスだから、保健体育の先生が、担任になったのかな。卵が先か、鶏が先かになるので、思考を止めました。
教室内で唯一の大人が、自分の責任など存在しないかのようです。生徒に全責任を負わせます。わたしの隣で、クラス委員をしている男子生徒が、立ち上がり発言しました。
「校内写生大会、校内合唱コンクールでは、校内撃ち合い大会では、学年優勝でした」
正論であっても、担任の感情を逆なでしそうな、余計なことを言います。イケメンで良い人なのです。校内写生は、女子としては、言いづらいワードです。
学校給食でバナナが出て、女子は折って食べるようになる、そんな時期でした。
「明日の球技大会では、全ての種目で優勝してもらう」
無理無理。だって、練習してる時間なかったです。学校の課題、塾などの勉強、部活動、家事や、許可を得たバイトなど、クラスがみんな忙しいのです。
「バレーボール、バスケットボール、サッカー、ドッヂボール、それぞれ、今から練習だ」
〈えー!〉
学校内で、集団の“えー”は、実質はブーイングです。先生は、お気づきになりませんでした。
「先生、部活動の練習はどうするんですか?」
クラス委員が、席を立ちながら、目を丸くしながら、質問しています。
「うちのクラス全員が、部活動を休むことは、全ての部活顧問の先生が許してくださった。みんなも、部活顧問の先生方に、感謝するように」
部活顧問だけでは不足です。全ての部活で、三年と二年の先輩方にも、承諾を得て欲しいです。明日、どうして、昨日練習をサボッたの、と、絡でくる先輩もいたりするからです。
担任の先生は、大卒だそうですが、部活動を、中学でしてなかったのでしょうか。
運動部で活躍する、男子のクラス委員も、おっかなびっくり顔をしていました。男子を見ていて、直球で言い合う、人間関係も難しそうです。
女子の特に仲良くなくても、群れを作るような、人付き合いと、どっちが大変か分かりません。
母の知り合いに、獣医さんがいます。犬や猫用の薬は人間用のジェネリックが多く、治療法も人間の医学の応用、と教わりました。
つまり、人間は、生物学上、ホモ・サピエンスに過ぎないのです。
担任の先生も、わたしも個体です。個体差は、存在するのです。わたしは、ドッヂボールに振り分けられました。バスケ、バレーは、サッカーは、それぞれの部活動に所属している個体じゃなくて……、生徒に割り振られました。
広い運動場で、部活動側が遠慮して、端っこで練習をしています。わたしのクラスは、運動場の真ん中で、球技大会の練習をします。運動部所属の同級生は、担任を何度も見ながら、逆らえなかったアピールをします。運動場の真ん中を使うには、必要な儀式でした。
サッカーの練習をしている、生徒は、サッカー部の先輩に頭を下げたり、先輩から、励ましのお言葉を飛ばされています。これは、性善説の“人間らしさ”が発露されているのかな。
ジャンケンをして、二つのチームに分離でなくて、チームに分かれ、ドッヂボールの練習が始まります。
ドッヂボール部はないので、運動部の生徒たちの、リフレッシュしている人を、見るみたいな視線は痛いです。これも人間らしく、いわゆる性悪説なのでしょう。
やってる本人たちにとっては、本気であっても、立場が変われば、遊びと決めつけられることもあるのです。
当時のわたしは、長い物に巻かれる道を、選択するしかありませんでした。




