ゴミ箱のペダルを、フツーのつもりで踏んだら、凄い勢いでフタが開いたようでした。
壁の時計を見て、父は勤務先の消防署から、祖父の会社からの帰宅時間を逆算しました。社会人が多い、MMOをしていたからこそ、円滑な人間関係の作り方を学べたのです。
「祖父や父はわたしが家を出るまでに帰ってきません。しかし、弟がいます」
「――うん」
「ネエネエ先輩がシャワーを浴びて、着替えて、母と私と一緒に朝食をとり終えるまで、男人禁制としましょう」
「ねえねえ、待って」
足の位置を変えながら、ネエネエ先輩は、ちゃぶ台に身を乗り出します。目を大きく開いいて、長い睫毛を自慢するかのようです。
「ねえねえ、弟クン可哀想だよ」
「心配ありません。姉のわたしに多大なる借りがあるので、素直に返してくれます。どれだけ、わたしが弟の身勝手に苦しめられたか、数え切れません」
わたしは、断言します。そもそも、きょうだいなら、優しい姉や素直な妹が欲しかったんです。中学でも、姉妹がいる同級生の家に遊びに行けば、うらやましかったです。
ですが、同級生と二人きりで、姉や妹を褒めると、「あんなの」とか、大抵は、少しだけ嫌がられました。同級生が自分の姉や妹の欠点を指摘して、わたしもそうそう、と言うと、確実に同級生は怒り出します。
弟を悪く言われても、平気なわたしが、少数派かもです。
「うーん」
ネエネエ先輩の口が重くなりました。後輩である、わたしの弟を邪険に言えない、しかし、同意もできない立場で苦しんでいるのでしょう。
「先輩、この家に男がいるのに、シャワーや着替え嫌ですよね?」
「うん……でも」
「弟には、中学に行ってもらいます。部活動で朝練あるはずです」
なくても、三年生なのです。どうせ、夏休み明けに部活動は引退です。朝、勝手にグラウンド使って練習している後輩に、アドバイスして、人様に役立つべきです。
卒業してからも、後輩に根にもたれたら、社会人になって、後輩がお客さんだと、ヤバい!
これも『共トレ』で、社会人プレイヤーさんから、教わったことです。
先輩は忘れていても、後輩は先輩の顔と名前を覚えていた! 世間のしがらみは、めんどうなことも、少なくないのです。オンライゲームをしていれば、分かります。
「ねえねえ、弟クン、部活何やってるの? サッカー部とか、野球部とか陸上部とか?」
ネエネエ先輩は黒い瞳を輝かせています。女の願望が入ってます。あんな弟でも、一人だけであっても、男性扱してくれるネエネエ先輩に感謝すべきです。わたしでなく、もう中三なので、弟がしっかりお礼を述べるべきでしょう。
「弟の話はやめてください」
弟を褒められたように感じ、嫌がるわたしは、眉間に皺が寄ります。ネエネエ先輩は、あ、と唇を丸くしてから、腰をクッションの上に、落ちつけています。
「弟の部屋に行ってきます。わたしが出たら、速やかに内側から鍵をかけてください」
「う、うん」
立ち上がり、ドアノブに手かけた瞬間。
ジリジリジリ!
アラームが鳴ります。『共トレ』開始前に、防犯セット一式を設置しておいたからです。ポケットに手を突っ込み、リモコンでアラームを消します。
激しい足音が大きくなっています。弟が、勢いをつけながら猛ダッシュでこっちへ走ってきます。
弟の部屋でドアが開いた風圧が、遅れて頬に触れます。
踏んでふたが上がるタイプのゴミ箱のふたを開けようとして、フツーのつもりで踏んだら、凄い勢いでフタが開いたような、驚きでした。
「どうした! 何かあったの?」
寝巻き着として使っているジャージ姿の弟に、わたしは鼻にしわが寄ります。
「防犯ブザーがなっただけです。姉として命令します。学校行きなさい」
「まだ早いのに?」
「だからこそ、行きなさい。部活動の後輩たちに、教えて上げましょう」
「正門開いてないから、フェンス乗り越えてに……」
「大変な道と、楽な道があったら、大変な道を行きなさい」
今の担任から教わった言葉です。しかし、弟は押し問答が続けば、きょうだい喧嘩と、ネエネエ先輩に、勘違いされそうです。あごでトイレを示しながら、自室のドアを閉めます。ジャージの袖をつまんで、トイレ前まで連行です。
弟の耳元で小さく小さく、うざい蚊の音域を意識しながら、
「ネエネエ先輩、トイレとシャワーを使うの。気を使え」
「分かったよ。朝食はどうするの」
「昨日渡した、二千五百円があるでしょう。コンビニで買い食いよ。さあ、最短時間で着替えて、中学校へ行け!」
弟は自分の部屋に戻りました。三分で着替えが終わったようです。髪はボサボサで、目やにもついています。
「そんなカッコウで家出るなら、近所の人に見つからないようにして」
「あのなー」
「タオルで顔拭いてから出なさい。姉としての助言です。近くのコンビニでお化粧室お借りして、髪をとかして、顔を洗うように、行け」
「分かった分かった」
返事は一度で良い。それを言うと弟を責めているような、姉と誤解されるで、ガマンしました。
「『共トレ』の防犯スイッチ切ってくれよ」
「はいはい、はい」
わたしは自室のドアをノックして戻ります。ネエネエ先輩は、立っていました。パソコンの前に座り、共トレ用の防犯スイッチを全てオフにしました。ネエネエ先輩をにこやかに顔を向けて、唇の前で指を立てます。
ドアを僅かに開き顔を半分だけ覗かせて、弟が玄関から出て行ったのを確認怠りません。念のため、自宅前の防犯カメラ映像を、パソコンモニターに出せば、自宅前の道路を、だるそうに歩く弟が映っています。
路上に、ほかに人はいないようので、あんな姿でも安心です。
「ねえねえ、弟クンに、悪いことしちゃった。後で、私が謝っていたって、弟クンに伝えて。あと、よその家庭に口出しするのは、どうかと思うけど、弟クンに少し厳しすぎない……」
「分かりました」
どうやら、弟との会話を、盗み聞きをしていたようです。ネエネエ先輩は、横髪や頬を指で忙しなくかいてます。食事前の、手洗いが重要なのが伝わります。
わたしもつられて、耳たぶに触れた後ろ髪を背中に流します。
「ただいまー、みんな居るかな?」
母の声がしました。元気で、友達のお母さんに電話するような、優しげで、外向けの音域です。
「お帰りなさい、お邪魔してます。泊めていただいて、ご迷惑をおかけして……」
ネエネエ先輩、スイッチ切り替わったように、笑顔になり、背筋を伸ばしたまま、母の前で頭を下げっぱなしです。ギルドNPCのセバスチャンをお手本にしているのでしょうか。
ネエネエ先輩と、母の話は長いです。現実でも母に対して、好印象を与える作戦でしょう。ネエネエ先輩も、誠実に撃ち合い部に取り組んでいるのが、わたしにも伝わります。eスポーツのコーチをしてる。しかも、部活顧問の新美先生と知り合いなら、謙虚なのが、当然です。
コンビニ袋を手にしながら、靴を脱ぎ、キッチンでガサガサ、嫌な音が響きます。
「お母さんが、帰ってきたら、MMO用のセキュリティー、外してあったけど、まさか、外しっぱなしで『共トレ』してたんじゃないよね?」
「ちゃんと、セキュリティーしてたよ。部活の朝練行くって言うから、一時的に外しただけ」
「え、こんな朝早くから、学校行くの? せっかくサンドイッチを買ってきたのに間に合わなかった」
「わたしは止めようかと思ったけど、ヘーキそうだったよ」
止めようとしていませんが、“かと”心の一欠片で思ったはずです。へーきは、防犯カメラで見た範囲でです。嘘は言ってません。ただ、ズルいだけです。ビミョーな後ろめたさも、あります。
母は何個も、サンドイッチを袋から出していました。一個には、直接マジックで弟の名前を書いて、冷蔵庫行きです。マジックで直で名前書かれて、かっこ悪い。もし、学校用にこんなサンドイッチ渡されたら、名前が書いてある部分は、見られないようにします。
チッと胸の内で舌打ちしてしまいます。名前をメモで外せるように、貼ってあれば、わたしのお昼ご飯にできたのです。
弟の名前が大きく書いてある、サンドイッチを学校に持ってく勇気ありません。




