最終章
カツ、カツ…
衣川館を囲んだ藤原氏の軍勢を見据え、義経は太刀の切っ先で館の門前に据えさせた大盾に名を刻む。
武蔵坊弁慶、鈴木重家、鈴木重清…十数名の名前を刻む毎に、双方よりどよめきが漏れる。
若き日に奥州藤原氏を頼った義経を、総帥秀衡はその才を見抜き、丁重に庇護した。
兄頼朝の挙兵を知り、馳せ参じたいと願ったときにはこれを諌めたが、その思いの固さを知ると自分の郎党を家来に付け送り出した。
出立の日、
「兄上様の創業を助け、やがては大将軍にもなられましようが両雄並び立つことはできませぬ。功名なったあかつきにはきっとこの地におかえりなされませ」
と言い聞かせた秀衡であったが、頼朝が鎌倉の地に幕府を開くに及んで、義経と奥州の行く末を見極めた。
自分の亡き後、凡庸な嫡男がこの地の独立を保つことはできまい。
決意すればその後の行動は早かった。
豊富な産金で潤う奥州藤原氏は、大陸に於いても大明国はもとより、さらに西域の国々の宮廷、藩王とも交易を通じ親密に結ばれている。
大国に翻弄される草原の民達も、部族が徐々に集合を繰り返しつつも未だ共に仰ぐべき盟主を持たない。
奥州に大乱が起こりし時、倭国の王家に連なる貴種の御曹司を、この地にお落とし致したいとの藤原氏の使節に対し、ハーンとして仰ぎ奉るとの意思を族長たちは喜悦を隠さず示した。
この時代でも、倭国と大陸との交流は商人等の手により頻繁に行われている。
若き狼、義経の名は草原の民達の知るところでもある。
残していく郎党の名を刻み終えた義経が言い渡す。
「これより、一刻でよい、遠矢を射かけよ。その後は館に火をかけ血路を開いて落ち延びよ!戦ってはならぬ、陸奥の津で三日待つ。死ぬな。」
義経の命もむなしく、一人として生きて帰った者は無かった。
彼らには解っていた。
心ならずも鎌倉の圧力に屈した振りを演じた、秀衡亡き後の嫡男泰衡の苦衷。
そして郎党を思う主君の心中を。
なまじの振りでは隠し切れないであろう頼朝が派遣した軍監の目を。
主君の手により盾に名を記され千載の後まで残すことができる僥倖。
今、彼らに生に対する執着は無い。
義経の命に背き、館に火を放ち、全員が切り込み壮烈な最後を遂げた。
・・・
本能寺館の御殿にも炎が迫る。
蘭丸が促す。
「上様…」
「女人、小者は苦しからず疾く落ちよ。余の者は自分で分別せよ。」
戦の後、厳重な捜索にもかかわらず、信長の遺骸と剣の居所はようとして知れない。