第三話
天正10年6月2日
馬には枚を含ませ、兵は粛々と行軍する。
払暁。小休止の後、軍配を掲げた光秀が絶叫する。
「敵は本能寺にあり!」
「門前が騒がしい。お蘭見てまいれ」命を受けた蘭丸が馳せ戻る。
「門前には軍勢が満ちて矢を射かけております。寺内にはすでに火も」
「いずれの兵か」
「明智の者とみえ候」
「…是非もなし」
前夜の客の公家、お伽衆、寺僧たちは門外に走り出るが、信長の家人は持ち場を離れない。
信長も槍を引き寄せる。
その時、側近が駆け込む。
「光秀の軍使がが上様に拝謁を願っております」
「通せ」
光秀の重臣、斎藤利三が口上を述べる。
「敵となり、味方となるも武門の習いなれば致し方なけれども、上様に対しいささかの恨みもありませぬ。この一振りをもって我が胸中おはかり願い奉りますとの我殿の口上に御座ります」
使者は刀を置いて去る。
「…いつぞや上様が光秀に与えし太刀にござります」
蘭丸が太刀を手に取る。
「憎き奴。義経公自刃のこの太刀で、わしに自害を勧めしか。よかろうその太刀をこれに」
「上様お待ちを!」
鞘を払った刀身を睨んでしばし蘭丸が思案する。
「…三条宗近が鍛えしこの剣、義経公がお腹を召して剣先が欠けましょうや」
あるいは古よりよりの伝承は真でありしか。
主従はうなずく。
信長の脳裏にある情景が浮かぶ…