第32話 勇者は邪悪なる混沌を破壊したい。
お待たせしました。
あの暗殺者の少女が居なくなって、周囲が呆然としていた。
けれど突然周囲の空気が重くなった。
「な、なんだこれはっ!?」
「この感じ……な、なんなんだ……!?」
「あ……あ、あ…………」
「い、いったいなにが……?」
騎士たちも重くなった空気に戸惑い、ライクとホープにいたってはこの空気に耐え切れずにその場にしゃがみ込んで震え始めている。
そんな中で、ティアちゃんは大丈夫なのかと心配になり彼女のほうを向く。
すると彼女は真剣な顔でトゥモロを見て……いや、違う、彼の後ろを見ていた。
いったい後ろに何が…………え? あ、あれは、なんだ……?
トゥモロの背後、何時の間にかそれはいた。
不気味な肉塊のようなブヨブヨとした黒い胴体。そこから伸びる無数の触手……人間の頭であろう場所に見える巨大な一つの目。
一見ローパーと呼ばれるモンスターのように見える。けれどそんな物とは比べ物にならないと本能が告げている。
あれはいったい、なんだ……?
そう思ってると俺の視線に気づいたのか、周りもそれを見始める。
「な、んだ……あれは……?」
「わからない……! だ、だが、王様と王妃様を後ろへお連れしろ!!」
「「そ、そうだった! 王様、王妃様こちらへ!!」」
騎士たちが震えながら呟くと、周りもそれに気づき戸惑いの声を上げる。
だが、自分たちの行うべきことを知っているからか、彼らは急いでホープとライクを連れて後ろへと下がっていく。
そんな光景を見ながら、トゥモロは周りを嘲笑う。
「なんだい、いきなり騒ぎ出していったいどうしたって言うんだ!!」
「まさか、気づいていない……のか?」
「トゥ、トゥモロ様! 速くお下がりください、今はそれ所ではないのですから!!」
「何を言ってるんだ? そうか、慌てたふりをして僕を捕まえるつもりだな? そうはさせな――――へげっ!?」
騎士たちが懸命に後ろに下がるように言うが、彼には届かない。
そして、そんな俺たちに敵意を向けるトゥモロへと触手が纏わりつき、全体を覆った瞬間――彼の耳に触手が突き刺さった!?
「あぎ、あがが、がががっ!? あががががががががががががががっ!!? もぐげっ!? もががががががががががががっ!!」
ビクリと跳ねるトゥモロの体、それを皮切りにグジュグジュと触手が動き、呻き声を上げていた口にも触手が入り込み……ズブズブと醜悪な肉塊までもが入っていく。
ビクンビクンとトゥモロの肉体は跳ね、あまりの光景に俺たちは呆然と立ち尽くす。
だがそんな中で一人だけ跳び出す者がいた。
「ティ、ティアちゃん!?」
「呆然としているな馬鹿ども! 速くアレをなんとかするぞ!!」
「え、あ――ああっ!」
マチェットを抜き、今まさにすべての肉塊を呑み込もうとするトゥモロへとティアちゃんはマチェットを振り下ろそうとする。
だが――――遅かった。
振り下ろすよりも先に肉塊はトゥモロの口の中へと完全に入り込んだ。
そして、自らを斬り落そうとするマチェットを掴む。
「『お、オォ、おおおおおOOOOオオオオオオヲヲヲヲヲヲヲヲヲヲ~~~~!!」』
「――――くっ!? ま、まずい……ぐぅ!!」
獣のような咆哮を上げ、トゥモロはティアちゃんのマチェットを掴んだまま、ふらりと起き上がる。
そして、ティアちゃんが振り下ろそうとしたマチェットを掴むと彼女ごと投げ飛ばした。
投げ飛ばされたティアちゃんは空中でクルリと地面に降り立つ。
だがその表情は苦々しいもので、焦っているようにも感じられた。
「ティアちゃん、大丈夫か!?」
「ああ、大丈夫だ……。だがこれは……もう無理だな」
「え? なっ!?」
彼女が手に持っていたマチェットを見せるが、マチェットの刀身は握り潰されてヒビが入っていた。
これは、いったい……。
『これ、は……ちからだ、力が……ミナギる……!』
「っ!? あ、あれは……トゥモロ!?」
物凄く耳障りな音が響き、声がした方向を見ると……トゥモロが自らの両腕を見ながら立っていた。
まさか今の声は、トゥモロが……?
戸惑っているとティアちゃんが語りかけてきた。
「気を付けろ勇者、あれはもうトゥモロであってトゥモロではない。というよりも人ですらなくなっている」
「え、それって……。いや、そもそもあの肉塊はいったいなんだったんだ?」
「邪悪なる存在の一柱だ。かつての我よりも遥かに劣る存在のな……」
「……つまりあれは……」
「そうだ。あんななりでも『神』と呼ぶべき存在だった」
そう言いながらティアちゃんは忌々しそうにトゥモロを睨み付ける。
そんな視線に気づかないのか、トゥモロは自分に宿った力に笑いを放つ。
『ハハハハハハハ、これだよ! これがぼくの力だ! そして、こんな脆弱な体なんてもうイラない!!』
「トゥ、トゥモロ……」
「ぃ、いやああああああああっ!!」
「ちっ……、これはもうどうしようも無いな……」
するとトゥモロの体がゴキゴキと音を立て、膨らみ、縮み、肉体が変質する。
白に近い綺麗な肌は黒ずみ、細くしなやかだった腕はイビツに歪み、口は裂け、目は巨大に膨れ上がって行く。
それはもう人間ではなかった……。
その光景を悪夢といわんばかりにライクやホープが悲鳴を上げるのが聞こえ、ティアちゃんも舌打ちをするのが聞こえた。
彼女の言葉、それを意味するのは……倒せないと言うことなのか? それとも、元に戻ることが出来ない、ということなのか?
彼女の言葉に困惑していると、べちゃあ……ペキギッという音が謁見の間に響き渡った。
何の音なのか、首を動かし周囲を見ると……トゥモロがこちらを振り向いている音だった。
首だけを完全に回転させて……つまり、あの音は首が折れる音?
ゾッとする感覚を感じてるけれど、トゥモロには何ともないのか彼は醜悪な笑みを浮かべる。
『あとは、ティアァァ……きみを、ぼくのものにするだけだよぉぉぉ~~~~…………!!』
「断る。と言っても貴様のことだ無理矢理襲うだろう? だが、やられるわけには行かないからな!!」
『無駄むだ、ムダだよぉぉぉ!! きみも僕がアイシてあげるよぉぉ、あのぼくをみくだした、スコーピオのおんなのこも! この国のおんなのこぜんいんをさぁぁぁぁ!!』
叫んだ瞬間、トゥモロは手を伸ばした。いや、手の先……10本の指が触手となってティアちゃんに向けて襲いかかってきた!!
突然のことで驚いた俺だったが、ティアちゃんは嫌な予感を感じていたのか自身に向けられたその触手をかわして行き、そのうちの一本へとマチェットを振るい斬りおとそうとする。
「く――っ! 斬れないか……!!」
『アハハ、ムダだ。無駄だよむだぁ!! きみの攻撃じゃ僕のからだは斬れないよぉぉぉ!!』
けれどティアちゃんの振るったマチェットはトゥモロの触手ののような指にめり込んで行くのだが、まるで弾力でもあるのか切られることがなかった。
って、見ている場合じゃない!!
「ティアちゃん、危ない!!」
「貴様のほうが危険だ勇者よ! 離れてい――勇者!!」
「っ!! う、うおおおおおっ!!?」
近付いてくる俺が邪魔だったのか、ティアちゃんを狙うトゥモロの指触手が1本俺に向けて襲いかかってきた!
突然のことで驚いた俺だったが、運良く剣を手放しておらず迫り来る指触手へと剣を振るった!!
今は弾いて、ティアちゃんをこっちに連れ戻す。そう考えての行動だった。
そして剣に指触手が弾かれ…………るはずだった。
――ズバンッ!
「え?」
「なにっ!?」
『ぐ――ぐああああああっ!? ゆ、指が! ゆびがぁぁあぁっぁぁあぁっ!!』
俺の剣はトゥモロの指を弾くどころか、彼の指を斬りおとし……斬られた箇所から血が噴出すと同時に悲鳴が上がった。
それに戸惑いの声を上げる俺とティアちゃんだったが、すぐに彼女は他の指触手の動きが緩慢になっていることに気づいてハッとし、俺のほうへと駆け寄ってくる。
「ゆ、勇者よ。貴様いったい何をした!?」
「な、なにもしていない。俺は普通に斬っただけだ!」
「普通に……だと? 貴様に出来て我に出来ない……そうだったな。貴様は勇者だったな……」
理解出来ないのにティアちゃんのほうは理解したという風に一人頷く。
そして、ティアちゃんは俺を真剣な表情で見る。
「……勇者よ。貴様に……あいつを殺す覚悟はあるか?」
「…………え」
ティアちゃんの言葉に俺は固まった。
殺す、トゥモロを……殺す。っていうのか?
どうしてだ? 問いかけるようにティアちゃんを見ていると彼女は理由を語り出した。
「あの馬鹿王子はもう完全に邪悪なる……面倒臭から下級邪神にするが、それと同一になってしまった。
だから分離させることはもう不可能だ」
「ティアちゃん……でもか?」
「…………そうだ」
彼女のその間、きっとティアちゃんには出来るんだろう。だけど、きっと何か大きな代償がかかるに違いない。
そう思いつつ、最後の問い掛けを行う。
「なんで、俺なんだ?」
「貴様が勇者で、更に最高神の祝福を受けているからだ。貴様も見ていただろう? 我の渾身の攻撃を、そして貴様の攻撃を」
「あ…………」
ティアちゃんの言葉、その言葉の意味を俺は理解する。
そういえば、彼女の振るったマチェットでは指触手は斬れなかった。それなのに俺の剣ではあの指触手は斬れた。
その事実に納得していると……ライクとホープが近づいてくるのに気づいた。
「ブ、ブレイブさん……トゥモロは、トゥモロはいったいどうしたんですか……?」
「あの姿、まるで……」
ライクは最後まで言わなかった。けれどその姿はモンスターのようにしか見えないと彼女自身思ってしまっているのだ。
そんなふたりに、トゥモロはもう助からないから殺す。何て言えるのだろうか?
言うべき、なんだろうか……?
正直分からない、そう思っていると……横から声がかけられた。
「簡単に言うと貴様らの馬鹿息子は下級邪神に魅入られた。もう助かることはないから勇者に殺させてもらうぞ」
「「そ、そんな…………」」
きっぱりとティアちゃんが2人に言う。
その言葉が信じられないとばかりにホープとライクは目を見開きながら呆然としていた。
ブクマ評価ありがとうございます