第15話 勇者は怯えを破壊する。
なんだ、なんだこれは……?
視界一面に広がるのは、赤、紅、朱。
咽返るような血の臭いが周囲を包み込み、地面に段々と広がっていく赤い液体……血。
その血を浴びながら、真っ白だったエプロンを赤く染めながら、綺麗な黒髪も白い肌も血で汚しながら、彼女は蠱惑的に笑っていた。
ガクガクと恐怖で震えると同時に、血で彩られた彼女が綺麗だと思ってしまう自分がいた。
けれど、恐怖の限界に達した俺の股間からはちょろちょろと尿が垂れていたらしく、気づけばズボンが濡れていた。
その臭いに気づいたのか、ティアちゃんはくんっ、と鼻を動かし……ようやく俺のほうを見た。
見られた瞬間、俺の体はビクッと震えてしまった。
理由があるとすれば、きっと本能だったのだろう。または次の標的は自分だと思ってしまったのか。
「無事か勇者よ? ……怯えているのか?」
「っ! あ……」
ぴちゃり、ブーツが地面の血溜まりを踏み音が鳴り、またも怯えた俺の様子に気づいたようだった。
そして彼女は少し困ったような顔をしつつ、クルリと踵を返した。
「我が今居たら気が気で無いようだな。悪かったな、勇者よ」
「あ、いや、その……! ティ、ティアちゃ……あ」
止めるべき、そう思ったのに……俺は彼女を止めることが出来なかった。
そして、ティアちゃんは鬱蒼と茂る木々の間へと姿を消そうとする。
が、あることに気づいたのか、ちらりとそれを見た。
「そういえば、口を切ったけれど……まだこいつは生きていたな」
「ふぁ、がああ、ぎゃぎぃぃぃぃぃっ!!?」
忘れられていた。そのことに安堵していたであろう山賊の生き残りは、ティアちゃんに見られると発狂したように言葉にならない悲鳴を上げながら逃げようとした。
だが、地面に足を取られ生き残りはその場で転んでしまい、ゴブギャッという音を立てて切れかかっていた下顎が地面を擦り更に千切れるのを見た。
これは回復魔法でも治るのは厳しいだろうな……。
「ぎゃほお!? ぎぎぎぎ、ぐぎゃががががが…………!!」
「命乞いでもしているのか? 残念だが、何を言ってるのか分からんぞ?」
「ごほおおおお!」
そう言いながら、ティアちゃんは怯えながら血と共に命乞いをしているであろう生き残りへとマチェットではなく山賊の頭が投げたナイフを構えてゆっくりと近付いていく。
そして当たり前のようにティアちゃんは、躊躇いも無く命乞いをする男を殺すだろう。
当たり前の行為だと思う。自分が殺されかけたのだから相手を殺そうとしても問題は無いと思う。
けど、けど……!
「だ、めだ……! ダメだ、殺しちゃ。殺しちゃダメだティアちゃん!!」
ナイフを構えて生き残りへと近付き、今まさに脳天に突き刺そうとしていたしていたティアちゃんは俺の声に反応し、ゆっくりとこちらを見た。
「ほう? どう言うつもりだ勇者よ? まさか、こいつを生かせ。とでも言うつもりか?」
「そ、それは……。そんなつもりはない。だけど、君が手を出す必要なんて無いじゃないか」
「ではどうしろというのだ? ちゃんと代案はあるのだろうな勇者よ?」
ジッと俺を見るティアちゃんに俺はどう言えば良いのか分からず、言葉を詰まらせる。
殺すのを止めた。だけど、俺は何を言えば良い? どう言えば良いんだ?
分からない。誰か、誰か教えてくれ……!
「――ぎ、ぐぎいいいいいっ!!」
「っ!!」
――ドサッ!
突如発せられた奇声染みた悲鳴があがり、直後倒れる音がし……ハッと正面を見ると、口だった場所から血をダラダラと垂らした男が眼を血走らせてティアちゃんを押し倒していた。
そして男は怒り、怨みを込めながら彼女の無防備な首へと自らの両手を押し当てる。
その力は強いらしく、ティアちゃんの口からカハッ、と言ううめき声が洩れた。
「お、おれが……俺が、戸惑ったからか?」
首を絞められているティアちゃんと絞めている生き残りの男を見ながら俺は呆然と呟く。
いや、違う。動け、動くんだ……! 動かないと、動かないとティアちゃんが……!!
ガチガチと歯が鳴り、全身が固まったように動かない。
動け、動け、動け動け動け!! そう心で念じているのに、体はまったく動かない。
「なんで……なんで動かないんだよ!! 動け、動けよ俺の体ぁ!!」
早く、早く動かないと……動かないとティアちゃんが!!
そう必死に思いながら、ティアちゃんを見た。……目が、合った。
「っっ!!」
彼女の目は、助けを求めるわけでも……怒っているわけでもなかった。ただ、そこにあるのは……。
『どうするのだ? お前は、どうするのだ?』
という、俺の行動を待つ目だった。
これで……良いのか? 俺は、動けないを理由にして、彼女を見殺しにしても良いのか?
違う、違う! そうじゃない、そうじゃないだろう!? 動け、動くんだよ!!
助ける、ために――!!
「う……うぁ、うああああああああああああああああぁぁぁあぁぁっ!!」
体が動き、無様ながらも地面に転びそうになりながらも俺は駆けた。
そして、その勢いのままティアちゃんに圧し掛かり、首を絞める生き残りの男へと体当たりをした!
「ヴごあ!?」
「うぐっ!!」
「がはっ! はぁ……はぁ……はぁーー」
重い衝撃、それが肩に伝わり、軽い浮遊感を感じた直後に地面に腕と顔が擦れる痛みを感じた。
耳にティアちゃんが息をする声が聞こえ、ホッとするのも束の間、腹に痛みが走った。
「ぐえっ!!」
「ヴぁあああああああ!!」
「ぐ、ぐべっ!? や、め――うごっ!!」
蹴られた。そう思った直後、視界に生き残りの男の姿が映り、馬乗りになると俺を殴り始めた。
止められたことへの怒りなのだろうか、それとも正気を無くしているのだろうか? それは分からない。
分かるのは、振り下ろされるようにして放たれた拳が痛いことだけだ。
執拗に顔を殴られ、頬が痛く、口の中も切れているのか血の味が広がっていく。
「あがっ、うごっ! ぶぶっ!?」
「ヴぁあ、うべあ!! うべえあああ!! ――――あへ」
目が痛み、殴られた反動で地面に頭を打ち、生き残りの男を止めようとする。
けれど、生き残りの男は俺の体をしっかりと固定し、腕も膝で潰しているから動くことも抵抗することも出来ない。
顔を殴られすぎたからか、めまいが強くなっていき……もうダメだ。そう思った瞬間、生き残りの男の口から間抜けな声が洩れた。
目を殴られたときに瞼が膨れたのか、うまく見えない中で生き残りの男を見ると……首からナイフが生えていた。
違う、生えていたんじゃない。刺されたんだ……。
「答えは出た……わけではないようだな勇者よ」
「テ、ア……ちゃ」
「だが我の危機に、咄嗟に動いたのは良いと思うぞ? 少しはやるではないか勇者よ」
殴られたために口の中が切れたり脹れたりでうまく喋れない俺だったが、なんとか絞り出すようにして彼女の名前を口にすると彼女は笑みを見せた。
それもいつも見るような強気に満ちたような笑みでも、社交的な笑みでもない。歳相応といえるような笑みを。
けれどそれは瞼が脹れていて見間違えただけなのかも知れない。
そう思っていると、ティアちゃんが俺の顔へと手を近づけた。
「まあいい、話は目覚めてからだ。だから今は……眠れ」
「ぅあ……」
ティアちゃんの声が耳に届く中、緊張が解けたからか……俺の意識は薄れていった。
そして、次に目が覚めたときには家のベッドだった。
「ここは……家? 痛っ……くない? けど、この包帯は」
体のあちこちに包帯が巻かれて傷の治療がされていることが分かった。
分かったのだが……、痛みがまったくなかった。
しかも顔も腫れて口の中も切れていたはずだ。
……もしかして、回復魔法でも使われたのか?
「いや、それは無いだろう」
回復魔法を使える人材はこの村には居ないはずだ。それに、渋るに決まってるだろう。
いや、それ以前に細かい傷は残ったりする。顔は元通りだけど目が見え辛かったり、口の中は切れているとかそんな感じにだ。
なのに、殴られて上手く見え辛かった目も、切れていた口の中もどれも元通りになっていた。
「どういう、ことだ……?」
あれは夢だったのか? 一瞬そう思ってしまったが、あれは現実だ。
そう理解出来た。
でもいったい……? そう思い悩み始める俺だったが、喉の渇きに気づいた。
水、水が飲みたい……。
そう思い始める俺だったが、同時に目の前の……正確に言うとベッドの中の現実と向き合わないといけないと思っていた。
ベッドの中の現実へと、俺はチラリと視線を向ける。
「う、うぅん……、ます、たぁ…………♪」
……甘い声を出しながら、体を丸まらせて、一矢纏わぬ姿で腕に抱きつく少女がいた。
いや、大雑把に言うのはやめよう。というか、自分自身に理解させるためにいうしかない……。
なんか、裸のティアちゃんが俺と一緒のベッドに寝ているんですけど?
いったい、どういうことなんだ?
本気で頭を悩ます俺の腕にティアちゃんは体、慎ましやかな胸を押し付けて柔らかさを感じさせる。
その行為に俺は自然と笑みを浮かべてしまっていたのだった。
どうしてこうなった?