-2章- 襲撃のオフィス
「お姉さん、家はどこ?今夜は危ないから送っていってあげるわ」
(何……?私はこの子にお持ち帰りされちゃうの……?)
混乱収まらぬまま再びビルの屋上に下ろされたカオル。
状況がつかめないまま、改めて玄乃と名乗った少女を見上げる。
黒い瞳に黒い髪。月の様に白い肌が本物の月に照らされ、本当に輝いてるように見える。まるで、月からやってきた天女のようだ。胸はほとんど無に近かったが。
「だ、大丈夫よ。私よりもあなたみたいな子供が一人で歩いていいような時間じゃないわ」
玄乃の姿に見惚れつつ、なんとか大人の威厳を保とうとカオルは反論する。時間は夜の11時。確かに女性が一人で歩き回るような時間ではない。一度は言われたくないことはないような台詞ではあったが、こんな年下の女の子に言われるとはカオルも想定外だった。
(ダメよカオル、絶対ダメ。このままお持ち帰りされたらたぶん私はこの先の人生を大きく踏み外してしまうわ。確かにきれいな子だけど、まだ子供だし女の子だしそれだけは絶対ダメだわ犯罪だわ)
さっきまで死のうとしていたことなんてすっかり忘れてあらぬ方向に妄想を膨らませるカオル。少し勘違いするとその考えがそのままあらぬ方向に突き抜けてしまう所が彼女の悪い癖である。
「お姉さんったら、私の話聞いてなかった?私は学園騎士なの。お姉さんの100万倍は強いんだから心配しなくて大丈夫。それより、警報聞いてない?今この辺でヴェルムが出たみたいだから一人でフラフラしてるとお姉さんたべられ――」
「ヴェルムがいるの!!?」
カオルは思わず叫んでしまった。仕事が終わってからから今までずっと屋上で泣いていたから警報なんて気づかなかった。
魔害蟲。2万年以上前から存在するという人を喰らう人類の天敵。
ニュースで毎日のようにヴェルムによる被害が報道され、一般の学校でもヴェルムについての教育を行うためのカリキュラムが組まれるほどの社会問題である。ヴェルムを直接見たことの無いカオルでもその恐怖と危険性は子供の頃から刷り込まれている。決して関わってはいけない存在。出会ったが最後、それは即ち死を意味する。カオルの身体は自然と震えてしまっていた。
「大丈夫よ、お姉さんはあたしが守る。そのための最強の騎士なんだから」
カオルを安心させようと明るい笑顔で言葉をかける玄乃。その言葉は、嘘や虚勢ではなく確かな自信に満ちていた。
(この子、バレンタインとか絶対男子よりもチョコ貰っちゃうタイプの子だわ……)
不安と混乱からか未成年の女の子に落とされそうになる24才、OL(独身)。吊り橋効果絶大である。ぼぅっとた顔でそんなことを考えるカオル。しかし一点、玄乃の言葉にカオルは不安を感じていた。
「白、月……さん?あなた学園騎士って言ってたけどそれってつまりは学生ってことよね……?」
「えぇ、そうよ。ま、入学式は明日だから正確には明日からだけど。あと、私のことは玄乃でいいわよ」
玄乃の返答にカオルの不安は大きくなる。
ヴェルムに対抗し得る唯一の存在、それが聖位騎士と称される誇り高き乙女の騎士達である。一般の人間では持ち得ない強い魔力を持った女性が鎧と武器を身に纏い、通常兵器では対抗できないヴェルム達に立ち向かう。その聖位騎士を育成するための教育現場が通称アヴァロンと呼ばれる聖騎士学園であり、そこに所属する騎士は総じて学園騎士と呼ばれている。つまり玄乃は正式な聖位騎士の卵、見習い騎士という立場である。
(私を守ってくれるのは嬉しいけど、この子は大丈夫なのかしら……)
元々、今夜死のうとしていた身である。そんな自分のために年下の、それもこんなに綺麗な女の子に命を賭けて戦ってもらうのは、なんと言うか申し訳ない。最強の騎士を自称しているが、話を聞くとまだアヴァロンに入学もしていない見習いの見習い。たとえ命は落とさなくても決して無傷とはいかないであろう。自分の身よりも玄乃の身を案じるカオル。そんな不安がそのまま顔にでてしまう。
「あー!お姉さん、まだ私の実力疑ってるわね?」
カオルの不安を察したのか、わざとらしく声上げる玄乃。
「いや、ごめんなさい、疑ってる訳じゃないんだけど、やっぱりホラ、危ないじゃない?ここは警察に通報して聖位騎士団を呼んでもらった方が……」
「そんなの待ってられないわ。それに大丈夫よ?心配しなくて。あたしこう見えてもそれなりに有名人なんだから。お姉さん、"百剣の玄乃"って聞いたことない?」
自信満々の眼をこちらに向ける玄乃に対し、カオルは申し訳なさそうに顔を伏せる。
「ご、ごめんなさい、聞いたことない……」
「え……。あ、そうなの……、まぁ一般の人はあんまり知らないのかしら……、いいのよ、あたしも百剣って二つ名あんまり好きじゃないし……」
あっさり返されてその場に崩れていく玄乃。
自分で有名と言っておいて知らないと返されればそれは落ち込むであろう。
「ご、ごめんなさい、私あんまりTVとかネットとか観ないから!ホントに騎士で知ってる人ってあの騎士王の人くらいだから!ね!?」
慌ててフォローを入れるカオル。世界一有名な騎士の本名が出てこないところをみるとカオルは本当に騎士についてはほとんど無知であるらしい。野球にまったく興味のない人間がそこそこ有名程度の野球選手を知らないようなものであろう。
「お、おっけーよ……、大丈夫、大丈夫……。とりあえずここから離れましょうか……、ここじゃ完全にヴェルムの的になっちゃうから……」
「えぇ、そうね!とりあえずビルの中に入りましょう!ウチのビルもある程度は防蟲膜が……」
明らかに落ち込みを隠せていない玄乃から逃げるように屋上の入り口へ駆けるカオル。さっきまでの凛々しい少女はどこにいったのであろうか。こうなった以上、今は頼りになるのが玄乃しかいないのでなんとか機嫌を持ち直してもらいたい。
「ていうかホント私、何で警報に気づかなかったのかしら……」
そう言いながらカオルが入り口のドアへ手をかけた瞬間、場の空気が一変した。世界が一瞬で凍りついてしまったかのような、空気が張り詰める感覚。本能が発した警告がカオルの全身を駆け巡る。全身の血が凍る。身体が動かない。息が苦しい、呼吸が出来ない、叫び声すら上げれない。
あ、死ぬんだ私――。
ビルから身を投げたときとは比べ物にならない死の実感がカオルの全てを支配していた。
「お姉さん!!その手離して!!」
玄乃の声で我に返りドアから手を離すと同時に、身体が玄乃の下へ引き寄せられる。コンマ2秒後に屋上の床が突き破られ、巨大なクモのような怪物が咆哮と共に現れた。
「きゃああああああぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああぁあっぁぁっっ!!」
「ぶへっ!!?」
その身を回転させながら玄乃にダイブするカオル。咄嗟の行動であったため加減が出来なかったのであろう。カオルの尻が玄乃の顔に敷かれていた。慌てて立ち上がり、玄乃を抱き起こすカオル。
「玄乃ちゃん!?大丈夫!!?」
「大丈夫!!それよりお姉さんどっか隅っこ隠れてなさい!今からアイツ、ぶっ飛ばすわ!」
臨戦態勢に入る玄乃。相手は大型のスパイダーヴェルム。通常ならば大したことない相手なのだが今回は通常の個体に比べ2回りほどサイズが大きい。4tトラックと同じくらいのサイズはある。8本の足には明らかに有毒の棘がびっしり生えており、その醜い貌には6つの赤い眼が光っている。牙からは毒液が滴り、零れた先のコンクリートが煙を上げて溶かされている。並の騎士なら相手にならないだろう。放つ魔力もそこらの雑魚とは比べ物にならない。苦戦は必死、一人で相手をするならば死の覚悟も必要になるであろう。それが並の騎士であるならば。しかし玄乃は並ではない。
百剣の玄乃。世界で数人しか存在しないと言われる円卓騎士の称号を受け継ぎ、100人分の騎士の戦闘力を擁していると称された玄乃にとって、目の前の相手はただの巨大な蜘蛛でしかない。眼前の悪魔にその手をかざし、玄乃は声を張り上げる。
「行くわよ、ヴァイスブリッツ!!」
かざした両手から白い閃光が放たれる。放たれた閃光は玄乃の手の中で剣の形に姿を変え、玄乃の両手に収まる。鞘に収められたその剣には一切の装飾が無く鞘の先から柄頭まで冬空の月のように白く、美しい。右手で柄を握り、そのままゆっくりと刀身を引き抜く。玄乃の魔力で精製されたその剣はまるで自ら光を発しているかのように白く輝き、剣先は鋭く刀身は鏡の様に磨き抜かれていた。
可憐な少女を気高き騎士へと変貌させる聖なる武具、聖装剣。所有者の魂と強く結びつく騎士の唯一の武器である。所有者の魔力が凝縮されたその武器は騎士の魔力、ひいては騎士の魂の強さによって現代科学の粋を極めたどんな兵器よりも強力な武器となる。刃を手にした白月玄乃から少女の面影は消え去り、闇を断ち切る光の騎士として力強くヴェルムの前に立ちはだかっていた。餌を奪われ激昂するヴェルムに向かい真正面へと駆け出す玄乃。
「はぁっ!」
足元に魔法陣のような円が描かれ、玄乃は高く飛び上がる。重力を操るランスロットの固有魔法である。玄乃が感知できる範囲内で重力陣を描き、陣に囲まれた範囲内の重力を0から数十倍まで自在に操る能力。重力陣は同時に2つまで生成可能であり、ビルから落ちるカオルを救ったのもこの能力である。また、重力を反転させることも可能であり今の玄乃のように反転させた重力で高く飛び上がったり重力陣内の対象を吹き飛ばすことも可能である。
夜空を舞い、空中で回転しながら重力陣を足元に描きヴェルム目掛けて突撃する。反転させた重力と落下のスピードの重さと速さを加えた強力な一撃を急所目掛けて叩き込む。
頭を守ろうとしたヴェルムの前足をそのまま1本叩き切る玄乃。急所は外したものの、8本の足でようやく支えられていた巨体のバランスを崩すことに成功する。緑の体液を撒き散らし、苦悶の叫びを上げながらヴェルムはその巨体を傾ける。
「凄い……」
給水タンクの影から玄乃の戦いを見守るカオル。最強の騎士というのもあながち嘘ではないのかもしれない。信じられない大きさの蜘蛛の化け物相手に一撃を見舞った。しかも、体のパーツを欠損させるほどの大きなダメージを一撃で。この子なら大丈夫かも知れない。カオルの胸に微かな希望が湧いてくる。
「足1本とられた位で喚かないでよ、うるっさいわね」
苦悶の咆哮を前に、冷たく言い放つ玄乃。玄乃の挑発が理解できたのか、怒号と共に残った前足から爪を立て玄乃目掛けて振り下ろす。屋上の床が突き破られ、あたりに土煙が巻き起こる。捕らえた獲物を確認するように足先を上げるヴェルム。玄乃の姿はそこには無い。当然潰されたわけでもない。先程と同じく、頭上にいる。
「動かないでよっ!!ムーンエッジ!!」
空中で剣を振るう玄乃、斬撃が光の刃となってヴェルムに降り注ぐ。1,2,3,4――、計4斬の光の刃がヴェルムの身体を切り刻み、4本の足を取り払う。そしてそのままヴェルムの頭上に重力陣を描き、その醜い顔面に流星キックを叩き込んだ。ヴェルムは完全に体のバランスを失い地面に沈む。
「ランスロットの出番も無いわね、全部斬るのは面倒だからこのままトドメよ」
喚き続けるヴェルムから距離を取り、構える玄乃。腰を落とし剣を握った右手を引き、刀身を左手の甲に添わせる。
真正面から一気に貫く。玄乃の意思がそのまま構えに現れていた。玄乃が前に出ようとしたその瞬間、残った魔力を振り絞りヴェルムは空に向かい大量の糸を噴出した。噴出された大量の糸はビルの屋上にドーム状に張り巡らされ、巨大な蜘蛛の巣が形成される。
「何よ、見苦しいわね、さっさと死――」
相手の悪あがきも気にせず、踏み込もうとした刹那。
「きゃああああああああああああああああああああ!!!」
今晩何度も聞いた叫び声。カオルがドーム状の巣に磔にされていた。
「しまった!!」
声を上げる玄乃。スパイダーヴェルムは自身の魔力で糸を自在に操つれる。普通の蜘蛛は巣を張って獲物を待つが、スパイダーヴェルムは逃げる獲物を捕らえるためにドーム状の巣を張り、獲物の逃げ道を無くして捕らえる。子供の時に母親から何度も聞かされていたはずなのに。
完全に油断していた。玄乃一人であったら、糸だろうがなんだろうが構うことなく叩き切って終わりだった。しかし、今夜は違う。誰かを守りながら戦う必要があることが完全に頭から抜けていた。騎士として失格である。
己の未熟さに舌打ちする玄乃。思わずカオルの下へ走り出す。敵に背を向けて。それが、玄乃の今夜最大のミスであった。
「くぁっ……!!?」
背中が焼ける感覚。切り落としたはずのヴェルムの前足が爪を立て、玄乃の背中を引き裂いた。恐ろしいほどに美しい鮮血が夜空に舞う。痛みを堪えながら振り向くと前足だけではない、その他の足も再生している。
「玄乃ちゃん!!!」
カオルの悲鳴をよそにもう一方の足が爪を立て玄乃に襲い掛かる。咄嗟に剣で防御する。2撃目の爪は届かなかったが衝撃までは吸収できなかった。吹き飛ばされた玄乃が衝突し、屋上の柵がへし曲がる。
「くっ……そ……!!くぅっ……、あぁぁっ……!!」
背中に喰らった傷からヴェルムの毒が侵食を始めている。灼熱の鉄棒で焼かれるような痛みに耐えながら背中の傷に魔力を集中させる。魔力を大きく消費してしまうが今は何より毒の浄化が先決だ。玄乃の規格外の魔力が無かったらとっくに背中が腐り落ち、命を落としていただろう。
「玄乃ちゃん!!!玄乃ちゃん!!!」
どうしていいか分からず、玄乃の名を叫び続けるカオル。
(私のせいだ、私がいなければこんな――)
苦悶の表情を浮かべる玄乃を前にカオルは絶望していた。
そもそも私が自殺なんて考えなければ今頃こんなことにはなっていなかった。とっとと帰って家でダラダラ過ごしていたはずだ。それが会社にヴェルムが現れて……。
「それで……、そもそも……、何で私の会社に……?今までヴェルムなんて一度も出会ったこと無いのに……、しかもビルの外からじゃなくて、ビルの内側から……?」
「お姉さんダメ!!考えないで!!!」
声を絞り上げる玄乃。しかし、絶望に塞がれた彼女の耳にその声は届かない。
「私の……せいで……??」
涙と共に一つの答えに辿り着くカオル。ヴェルムは一説として人の負の感情と強い魔力が混ざり合うことで誕生すると言われている。今夜は聖騎士学園入学式前夜。入学式を前にした新入生はその殆どがこの街のホテルに宿泊していた。全国から集められた選りすぐりの若い騎士たちの魔力が街に溢れていたのである。そこに自殺を試みた女性が一人。周り全てに裏切られ、何もかもが嫌になり、憎しみの象徴であるこのオフィスのビルでその命を自ら絶とうとしていた。めったにヴェルムが出現しない街中でここまで大型のヴェルムが出現した理由はこれで充分すぎる程に辻褄が合う。そして産みの親を捕らえたヴェルムは母体の恐怖の感情でその体を再生させた。
「そ……んな……、私が、私が自殺しようとしたせいで、こんな女の子に怪我までさせてっ……!!私はっ、私はっ……!!!!」
「お姉さんやめて!!あなたがしっかりしないとアイツの思う壺よ!!!」
玄乃の声は届いていない。自責の念に押しつぶされてカオルは完全に我を失っている。玄乃が受けた背中の傷も浅くはなく、毒自体は魔力で殆ど浄化できているが裂かれた傷を塞ぐ程には回復していない。
「シャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
醜い叫び声と共に、もう一度前足を振り下ろすヴェルム。玄乃はかろうじでその身をかわす。再生前に比べ明らかに動きが早くなっている。先程の攻撃はもう通用しない。ヴェルムよりも先に、カオルを何とかしないといけない。が、毒の浄化と出血で大量に魔力を消費してしまっている。今のままではランスロットも呼べないだろう。
「お姉さん聞いて!!!あなたは何も悪くない!!!悪いのは人の弱みを利用するコイツらなんだから!!!だから自分を責めないで!!!!」
「でも、私がいなければ、こんな……私さえ……私さえいなければっ……!!」
ヴェルムの攻撃をかわしながら説得を続ける玄乃。しかし、玄乃の声は届かない。
「大丈夫!!誰もあなたを責めたりしない!!!あなたの様な人たちを守るのが――」
「シャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
玄乃の声を遮るようにヴェルムが吠える。まるで、玄乃の言葉をカオルに届けさせまいとするように。卑劣な手段を繰り返すヴェルムに、ついに玄乃の怒りは頂点に達する。
「うるさい!!!!!!!!!」
怒号と共に右足を大きく地面に踏みつけ、重力陣をヴェルムの真下に出現させる。最大重力に引きずられヴェルムは床をぶち抜きながらビルの底へと落下していった。
「……ちょっと、静かに……、なったわね……」
今ので残った魔力を殆ど使ってしまった。あまり時間が無い。早く終わらせないと。息を切らせながら重力陣を足場にしてカオルの前に立つ。
「落ち着いて、大丈夫よ? ……そう言えば私、まだお姉さんの名前聞いてなかった。あなたの名前、教えてくれる?」
「カオル……、早田……カオル……」
優しく問いかける玄乃に力なく応えるカオル。今さら名前なんてどうだっていい。そんな様子だ。
「そう、カオルさんっていうの。いい名前ね」
「初めて……、言われた……」
カオル。母さんがつけてくれた名前。私が生まれたとき、なんか幸せな香りがしたからとかなんとか訳わかんない理由で付けられた名前。でも、母さんらしくて好きだった。この幸せな香りが周りの人にも届けられるよう、あなたは優しく生きなさい。そう言われて私は育った。結局はこうやって誰も幸せになんか出来なかったけど。
「カオルさん、何だかいい香りがするわ」
優しい声で囁く玄乃。月のように白い手がカオルの頬に触れていた。
「何言ってるのこんな時に……」
少し困惑しながら顔を上げるカオル。息がかかるくらいの距離まで玄乃の顔が近づいていて少し緊張してしまう。
――本当に、月のように綺麗な子だ。
「カオルさん、初めてだったらごめんなさいね?」
「ふぇ?」
情けない声を出した瞬間には玄乃の小さい唇がカオルの唇に触れていた。甘くてやわらかい、そしてほんのり暖かい。思わず目を瞑ってしまうカオル。優しい感覚、身体の力が負の感情と共に抜けていく。
(あぁ、どうかずっとこのまま――)
先程まで流していた涙とは別の涙がカオルの頬を伝っていた。