-1章- 白く輝く月の下
A.D.2020年 3月31日 学園決戦から17年後――。
珠流市 東都ビル屋上。
「さよなら、私の人生」
満天の星空、白く輝く月の下でこぼれる様に呟いた女性、早田カオルはその身を宙へと投げ出そうとしていた。
彼女はどこにでもいる普通のOL。顔も普通。生まれも普通。学歴も中の上程度で3年前に入社した保険会社も大企業でもない。少し人より身長と胸(とお尻)が大きいだけのどこにでもいる24才、独身OLである。
「父さん、母さん。ごめんなさい……」
せっかく健康な身体に生んでくれたのに、本当にごめんなさい。
心の中でそう呟く。彼女は自殺を考えていた。些細なミスが原因で、社内の周り全てが敵となってしまった。原因はもちろん、彼女だけではない。今まで溜まりに溜まっていた潜在的な問題の引き金をたまたま彼女が弾いてしまっただけである。
しかし、周りの上司達は全ての責任を彼女に押し付けた。まだ入社して3年程度の責任を負う立場にも立っていない彼女に。
どうすればいいか分からない。きっと死ぬよりよっぽどいい方法があるし、自分より辛い環境の人間だってこの世の中にはたくさんいる。そうは思うが、今は他に良い方法は思いつかないし他人なんて関係ない。今の私は死ぬほど辛いんだ。
カオルは宙へと踏み出した。
風が強い。目から涙が溢れてくる。吹きさらしの屋上で容赦なく瞳に吹き込む風のせいなのか、悲しさと悔しさで溢れた涙なのかわからない。
そっと目を閉じ彼女は地上へ落ちていく。敵しかいなくなったこのビルの入り口目掛けて。明日は騒ぎになるだろう。遺書だって自宅のPCに残してきた。あいつらが私にしたこと、恨み言も全て、課長が歓迎会の時に私の尻を触ったことも書いてある。
(こんな会社めちゃくちゃになればいい。さっさと滅びればいいんだ。)
彼女は思う。普段はおとなしい彼女の心に封印されていた怒りがふつふつと沸いてくる。
(そうよ、給料だって全然あがらないし、男社員はロクなのいないし、女社員は陰口ばっかでイライラするし。大して仲が良い訳でもないのに無駄に飲み会は多いし、ミスしても上司は誰も守ってくれないし責任を押し付けるだけ。社員食堂だって大して安くない割りにぜんぜんおいしくないし、交通費は出るけど家賃の補助だって無いしボーナスもあるにはあるけど他に比べたら全然少ないし。かと言って仕事内容にやりがいがあるわけでもないし、特に自分のスキルが磨かれることも無い。みんなやる気があるわけでもなく、言われたことを淡々とこなしてるだけで社内の雰囲気も全然よくない。掃除のおばちゃんだって全然愛想がよくないし、トイレはいつも行きたい時に埋まってる。直属の上司はブスで嫌味なババァだし、同僚のデブは臭いし、その上なんかキモイ目で見てくるし話し方がウザイ。あぁ、それも遺書に書いとけば良かった。後は何だろ、節電とか何とか言ってエアコン全然効いてないから夏は暑いし冬は寒いし。駅から歩くにはちょっと遠いけど自転車とか使うほどではないし、けど夏とかだとちょっと汗かいちゃうのよね。デブは年中汗臭いけど。あと、ロッカーが狭いのよあんなの全然荷物入らないじゃない隣のロッカーの貧乳ブスが「そんなに大きい胸だと着替えるのも大変そうね~、あ、胸じゃなくてお尻が大きいせいかな?」とかいってきた時はロッカーに詰めてやろうかと思ったわアンタの貧乳だったらきれいに収まるでしょうに思い出すだけで腹立つわ……。うちの会社良く考えるとブスかデブしかいないじゃない……あぁ、なんでこんな会社入ったんだろ……)
今まで溜まりに溜まった愚痴を心の中で爆発させながら落下するカオル。ふとある違和感に気付く。
(それにしても結構時間がかかるわね……ウチのビルこんなに高かったかしら?あぁ……、これが走馬灯ってやつなのね……)
それでも走馬灯にしては時間がかかりすぎている。
(……おかしい、さすがにおかしいわ……。もしかして痛みを感じないままもう死んじゃったのかしら?)
おそるおそる目を開ける。まだビルの4階あたりだった。慌てて目を閉じる。
(怖い怖い、まだ死んでないのか、流石に目を開けたまま潰れる勇気はないわ……)
しかし、あと4階というところなのに中々衝撃がこない。もうとっくに潰れたスイカみたいになってるはずなのに。それどころか――
(あれ?戻ってない?)
今までの人生で感じたことのない重力に逆らうような、天へ昇るような感覚というより、何かに引っ張られるような感覚を感じる。
最初はゆっくりと釣り糸で引き上げられるような速度であったが徐々にその力は強くなり、遂には落下の時より遙かに早いスピードでカオルは屋上へ向け吸い寄せられていった。
「きやああああぁぁぁぁああぁぁぁぁぁぁぁぁぁああぁっ!!?」
絶叫するカオル。自分から身を投げ出して落ちるときより、状況を理解できない今のほうがよっぽど怖い。思わず目を開けると地面はどんどん遠ざかっていく。そして、何かに掴まれる感覚。
「何してんのよ、危ないわね」
少女の声がした。なぜか私は空中で止まっている。なぜ少女の声がするのだろう。汗と涙でぐちゃぐちゃになった顔を見上げると、その疑問はすぐに解決した。黒髪ショートへアの15才くらいの少女がカオルを抱きかかえていたのである。
――そして新たな疑問。
「なんで、あなた……、そんな所に立ってるの……?」
少女はビルの壁に立っていった。180度に。恐らくだけど今ここは14階あたりだろう。
「とりあえず、戻るわよ」
カオルの問いと重力を無視した少女は、カオルを抱えたまま屋上へ向かい飛び上がる。
(私、体重50Kgぐらいあるんだけど……)
少女は明らかにカオルよりも小柄で腕も細い。なのにカオルの体重を感じていないかのようである。カオルを抱えたまま、少女は屋上に着地する。さっきから自分にかかる重力がめちゃめちゃで酔いそうになる。
「まったく、あたしがたまたま通りかからなかったらお姉さん今頃潰れたザクロみたいになってたわよ」
あきれた様に少女は言う。
通りかかったって一体どこを通りかかったのだろう。この子はビルの壁を散歩するのが日課なのだろうか。あと、私より例えがグロい。混乱しつつもカオルは問いかける。
「あなた、一体……?」
夜を照らす白い月の下、少女は不敵に笑い名を告げる。
「あたしは玄乃、白月玄乃。最強の騎士、ランスロットの鎧を受け継ぐ月下無双の学園騎士よ」
今宵、闇に閉ざされようとしていたしていた一人の女性の人生が、白く輝く月の光に再び照らされた。