MS03 おひな様 in Box
元々、その雛飾りは姉のものだった。
伝統ある、といえば聞こえがいいが、物理的にも経済的にも傾きかけた日本家屋の奥の間。畳の上に緑の絨毯が敷かれた六畳間に雛壇はあった。
七段飾りの古めかしい雛飾りで、我が家で代々受け継がれてきたものだそうだ。金飾りも所々剥がれていたし、赤い布地もくすんでいた。だが、それは時とともに深みを増してきた色。細かなヒビの入った白い肌も艶かしさを増し、昼でも薄暗い屋敷の奥でその人形たちはまるで祭りの日が来るのを待っているかのようだった。
幼かった僕は人形たちを眺めるのが好きだった。
病弱な僕は雛壇のある部屋の隣室で寝ていることが多く、襖を開けると人形たちが見えた。雛祭りの主役である姉は古い人形たちを怖がって奥の部屋に近づこうともしなかったが、僕は雛壇を見ると心が落ち着いた。
実際に雛壇が飾られていたのは長くて半月くらいだったと思う。だが、病気で寝込み、意識が朦朧とした時と重なったせいか、すごく長い時間を雛人形たちとともに過ごしたように感じた。夜になると人形たちが喋っている声が聞こえたほどだ。五人囃子が楽器を鳴らし、三人官女が舞う。その光景と音がはっきりと聞こえた。
暗い部屋の中、雛壇は高くそびえ立ち、神々しい光を放っていた。その頂点にお内裏様とお雛様が座り、下界を見下ろしていた。僕は横たわったまま、自分の体が浮かび上がるのを感じた。雅楽の音色が響く中を、僕はゆっくりと上昇していた。
その日も体調は朝から優れなかった。目が覚めたのは隣の部屋で物音が聞こえたからだ。視線を向けると母が雛飾りを片付けようとしていた。くすんだ灰色のセーターを着た小柄な背中が雛壇を崩していた。
「何してるの?」
「片付けるのよ」
母の言葉に僕は思わず起き上がった。汗ばんだ体が急に冷えたのは、空気に触れたからではない。
「ダメだよ。片付けちゃ」
「何を言っているの。雛祭りはもう終わったわよ」
雛祭りが終わったのに雛飾りを出しておくと、その家の女の子がお嫁に行くのが遅れるのよ、と母は言った。事務仕事でもしているような淡々とした口調だった。
「そうよ、早く片付けちゃってよ」
姉が部屋に入ってきた。姉とは年が離れており、その頃はすでに中学校に進学していた。すでに雛祭りを祝う年齢は過ぎていたし、姉は古い人形や家具に興味を抱くタイプではなかった。当時のブリットポップブームで洋楽に興味を持って毎日ギターをかき鳴らしていた。
「ダメだよ。片付けちゃダメだよ」
母に駆け寄った。母の背中を掴み、その動きを止めようとした。
「邪魔しないで」
母はこちらに視線を向けることもなく僕を振り払った。寝込んでいたため、足取りがおぼつかない僕は簡単に尻餅をついた。小柄なはずの母の体が、この時は山のように見えた。
「さっさと片付けないといけないのよ。邪魔しないで」
「どうして? 綺麗なのに!」
「五月蝿いわね」
再び掴みかかった僕を母は一喝した。乱暴に突き飛ばし、僕を睨んだ。
やりすぎよ、と姉が口を挟んだが、それも叱り飛ばした。
「邪魔をするから仕方ないでしょ」
「健太が見たがっているんだし、もう少し出しておいてもいいんじゃない?」
「こんなもの、さっさと片付けてしまうのよ。口出ししないで!」
姉も母の剣幕に後ずさった。
「片付けるのよ。こんなもの」
母はつぶやいた。そして、僕を睨みつけた。
「まったく……男のくせに」
そして、また事務的に片付け作業を続けた。
僕は泣き出し、母はそれを無視して作業を続けた。姉が慰めてくれたはずだが、僕は泣き続けた。
「……五月蝿いわね」
母が振り返った時の表情を今でも覚えている。
そして理解した。僕はやりすぎてしまったのだと。
母は言った。
「いつまでも騒ぐなら、貴方もしまっちゃうわよ」、と。
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僕は目を覚ました。
嫌な夢を見た。幼かった頃の幼い思い出だ。
朝日が白い薄手のカーテンを通して部屋に差し込んだ。高層マンションの一室。事務所兼自宅の一室だ。内装は白で統一されている。シンプルで機能的な統一されたデザインだ。白い家具だと掃除が大変でしょう、と顧客に言われることがあるが、そんな時は自室を見せることにしている。この製品は特殊な表面加工をしていて、掃除がとても楽なんですよ、と。
僕は28歳。新進気鋭のデザイナー。新進気鋭と自分で言うのは自由だ。ただ、順調に仕事も増え、数年前に大手の家具メーカーとも契約を結ぶことができた。部屋の家具はその試作品が多い。機能性とデザインの両立……そして高い収納性能。作品は好評をいただいている。
コーヒーを入れ(残念ながらインスタントだ)、窓から外を眺める。12階の部屋の窓からは町を取り囲む山まで見通せる。薄く雲がかかり、白みがかっているが空は非常に明るい。4月の初めだというのに気温は高く、空全体が青く点滅しているようだ。
コーヒーを飲みながら母のことを考えた。
年をある程度取った今となっては母のことも理解できるようになってきた。田舎の名家……文字通り、名前だけは立派な家……に嫁ぎ、懸命に生きてきた母のことを。自分を押し殺し、伝統を守り、家の名前を守ろうとした母。
だが、それは振り返っての話だ。生まれてこのかた、母とはうまく歩み寄れたことがない。
僕は雛人形が好きな変わった息子だったが、母は跡取り息子として僕を見ていた。僕が姉の持っている人形や化粧道具に興味を示すたびに母は僕を怒った。僕はどういうわけか外で遊んだり運動したりするより、キラキラした道具や服に心惹かれる人間だった。姉はたくさんの女の子らしい玩具や服を与えられており、センスも良かったが、細かいことは気にせず、執着しない性格だった。自分のいらない持ち物を弟に貸すのも抵抗がなかったようだ。
だが、母は違った。
実際のところ、母には確固とした教育論はなかったのかもしれない。母の考えは僕を息子らしい息子にすること。それにふさわしくない行動は許さなかった。
そして僕はよく「しまわれた」。
僕はあるタンスのことを考えた。
母が嫁入りの時に持ってきたという樫の木でできたタンスだ。高さは2mを越え、観音開きの戸の中には父の背広やコートがかけられていた。
母は怒りが頂点に達すると僕を引きずり、タンスの中に放り込んだ。タンスは外から鍵をかけると内側からはビクともしなかった。どんなに泣き叫んで戸を叩いてもだ。
とても良い造りのタンスだったのだろう。姉の話では僕の声もほとんど外に守れなかったそうだ。
タンスの中は木と樟脳の香りが立ち込めていた。あの暗闇が幼い頃の最大の思い出。
僕の中心にある暗闇だ。
母との対立は僕が高校に入り、進路を決定するころになるともっとも激しくなった。
僕は服飾やデザイン関係の勉強をしたかったが、母はそれを許さなかった。最終的にある私大の経済学部に進学することになった。とりあえず、上京したかったのだ。
家具のデザインに関わることになったのは皮肉な話だと思う。大学に入ると同時に僕はデザイン関係のアルバイトを探した。色々な場所を転々とした後(実家には大学に通っていると嘘をつきつつ)で師匠と呼べる人に巡り合った。全くの知識も経験もない僕を指導し、技術と心構えを叩き込んでくれた人だ。僕は大学を辞め、その人の元で下働きをすることになった。その師匠の仕事が家具のデザインだったわけだ。
朝食を食べながら、僕はテーブルの上に置かれた試作品を手にとった。
一片が3インチの強化プラスチック製の立方体。中には枯山水庭園の模型が入っている。
「お手軽インテリア in Box」シリーズの新作だ。
恐怖は創作の原動力になる……知り合いの小説家の言葉だ。実際、中学生頃の僕は大型家具……特にタンスに対して恐怖を感じていた。さすがにその頃になると母にタンスに閉じ込められることはなくなったが、幼い日の恐怖は心の奥底に刻まれていた。その一方で不思議なことに美しい収納器具のデザインにはどうしようもなく心惹かれるのだ。師匠は古く大きな家具が好きな人で、自分のデザインにもそれを取り入れていた。僕も古い家具のデザインを研究し、自分のデザインに取り入れている。
それともう一つこだわるのが「囲い込む」ことだ。
「in Box」シリーズは仕事仲間と遊びで始めたものだった。決まった大きさのプラスチックのケースの中に様々なものを入れてみる。様々な分野の若手の職人とコラボし、その技術の高さを示す。それをコンセプトに始めたことだったが、思いがけないヒット商品になった。
最初の作品「五月人形 in Box」は金属加工の職人とのコラボレーションで驚くほど精密な兜の模型が中に入っており、非常に美しい作品になった。伊達政宗や真田幸村など有名な戦国武将の兜が入った「戦国武将 in Box」も作られている。歴史好きの女性がよく買うらしい。
そのほか、模型メーカーとのコラボで作った「戦艦 in Box」を始めとする古い兵器の模型が入ったシリーズや、人形職人と作った「ゴシックドール in Box」シリーズなど、様々なシリーズが作られるようになった。
現在は各都道府県の伝統職人とともに「ご当地名産 in Box(仮)」シリーズの開発も進めており、「赤べこ in Box」と「ネブタ人形 in Box」、「ナマハゲ in Box」が既に完成している。「赤べこ in Box」の可愛らしさは是非見てもらいたい。
僕は部屋の中で最大の面積を占める家具の前に立った。それは大型のタンスだ。色は当然白色で、7段の引き出しがついている。が、その引き出し前面に「in Box」シリーズがディスプレイできるようにアタッチメントが埋め込まれているのが特徴だ。それ以外にも様々な工夫が施してあり、本職の家具デザイナーとしての現時点での集大成と言えるできになっている。ちなみに名前は「Box with Box」だ。これは試作品だが、これも製品化されることが決まっている。もっとも、完成品はもっとサイズになるのだが。
そして、現在、「Box with Box」にディスプレイされているのが「in Box」シリーズの最高傑作……「お雛様 in Box」だ。有名な雛人形メーカーとコラボした作品で、それぞれに「お内裏様とお雛様」や、「三人官女」などが入ったボックスがあり、7つセットで完成するようになっている。もちろん、「お内裏様とお雛様」だけを飾っても良いし、7つのケースを積み上げても良い。7つのボックスを積み上げた形は場所を取らない割に非常に美しい。家庭だけでなく、企業の待合室や公共施設の装飾としても好評をいただいている。だが、最大の利点は既に「収納されている」状態なので、雛祭りが終わっても出しておけることだ。
「一年中出しておいても、婚期に影響しません」
このキャッチフレースは僕が考えた。「婚期が遅れるのは悪いことだという主張はよくない」、とフェミニスト団体からは怒られた。僕も同じ意見なのだが、雛人形を3月以外にも出しておけるように世論を変えていくための第一歩なので仕方ないと思っている。「Box with Box」も元々はこの「お雛様 in Box」を美しくディスプレイするために作ったものだ。これで一年中、雛人形を部屋に飾っておける。
やっとここまで来た。
僕は自作の家具の前でつぶやいた。
ここまで来るのは平坦な道ではなかった。様々なトラブルもあった。
最大の困難は常に身内からやってくる。母には大学を辞めた後、連絡を絶っていた。姉とは連絡を取っていたのだが、かなり母は荒れていたという話だ。ちなみに姉は僕より先に家を出て、海外留学と称して海外に渡り、向こうで就職と結婚をした(そういう人なのだ)。外国人との結婚を母は反対したそうだ。だが、現在、我が故郷の村の地場産業は姉の旦那が経営している会社によって支えられており、現在は地元特産品の輸出と観光業が成長しているそうだ。義理の兄は我が家に婿養子で入り(日本で住むのが夢だったそうだ)、日本文化を勉強しつつ立派に当主を勤めているので、僕が家をつぐ必要は全くないのだが、母は不満だそうだ。
ついには探偵社に依頼をし、僕の居場所を突き止め、押しかけてきた。
「あの時は大変だったなあ」
僕は独り言をつぶやいた。
今日は昔のことを思い出す日だ。だが、こんな日があってもいいだろう。
仕事の予定がない。たまには昔のように雛飾りを眺めて過ごそう。
ここまで来るのは平坦な道ではなかった。でも、今は仕事もプライベートも充実している。やるべきことはたくさんあるし、ともに進む仲間もいる。母ともいろいろあったが、今はおとなしくしてくれている。
僕はぼんやりと雛人形を眺めた。箱の中、お雛様は微笑んでいた。
携帯が鳴った。
あの着信音はタクヤ。公私共にパートナーである男だ。
今日はデートの約束はしていない(後で誘うつもりだったが)。多分、仕事で何かあったのだろう。
まったく忙しいな。
お雛様の入ったボックスが汚れている気がしたので、ハンカチでケースを磨いた。タクヤは少し待たせてもいいだろう。だが、着信が鳴り続けたので電話に出ることにした。
まったく、せっかちな男だ。そこが可愛いのだけど。
……その前に。
「今日もおとなしくしていてよ。母さん」
タンスの一番下の引き出しを軽く叩いた。