キルヴィという子ども
キルヴィは、どの人から見てもおよそ普通の子どもではなかった。
言葉を理解するはずのない乳児のころからまるで判っているかのような反応をし、言葉を話し出すのも早く、決して無駄に騒ぐことをせず、薬を嫌がらず、人によって態度を使い分けることまで分かっていたのだ。
ただし、アル以外にだけ、という条件つきだが。
「キルヴィさま、止まってください!」
「ややっ!アウこわい!」
「なっ…」
「きゃーっ!!」
ケタケタと笑うキルヴィに、からかわれた、とアルが気付いた時にはもう居なくなっている始末。
「キルヴィさま!」
後を追うとすぐに追いついた。
何故なら、キルヴィは足が遅い上走るとすぐに息が上がるからだ。
「はあっ…はあっ…はあっ…」
膝に手をついて休憩する姿を廊下の先に見つけ、
「キルヴィさま」
歩いていきながら声をかけると、
「あっ!!」
顔を上げ、弾かれたように走り始める。
「キルヴィさま!?」
ああもう!を飲み込んで先ほどと同じように追いかける。
途中、すれ違ったセイラがニヤニヤとアルを見た。
「頑張れ」
むっと睨んでやるがセイラは気にも留めずにアルに背を向けて歩き去った。
「アウ!こっち、こっち!」
ある部屋の中からキルヴィの楽しげな声がして、少し扉が開いている部屋へ足を踏み入れかけた、その時。
「きゃああああああ」
キルヴィのつん裂くような悲鳴がして、窓から落ちていく足の先が僅かに見えた。
「キルヴィさまっ!!」
迷わず、アルも窓から飛び降りる。
下では近衛見習いの少年が数人、剣の稽古をしておりそのまま落ちると剣に刺さってしまう危険がある。
アルは城の壁を駆け下りてキルヴィを抱きとめ、下へ向かって、
「剣を下ろせ!剣先を下へ向けろ!」
出せる限りの大声で叫んだ。
大声は伝わったらしく、上を向いてあんぐり口を開けた少年たちははっと我に返って慌てて剣を下へ向けた。
アルは猫のように反転し背中から地面へ着地するつもりだったが、不思議なことに落ちる速度が遅くなり、地面すれすれで一度止まり、ふわりと着地した。
「今の…魔法ですか!!」
少年の一人が尊敬の眼差しを向けてくる。
「いや、わたしでは…!」
少年たちに王子の顔を見られないように隠し、
「稽古、頑張れよ」
そう言い残して立ち去った。
少年たちはうっとりとアルを見て、口々に「凄いな」「かっこよかったよな」と言い合った。
腕の中の王子はアルに体を預けたままピクリとも動かず、完全に気絶をしているらしかった。
部屋で控えているトルティに状況を説明しキルヴィを見せると、少し診て、
「…随分無理をなさったらしい。しばらく起きないな、これは。」
言った通り、キルヴィが目覚めたのは翌々日の昼、丁度二日後だった。
たまたまキルヴィの傍を離れていたアルは、部屋へ戻る途中廊下を歩くキルヴィを見つけ、足取りがあまりに怪しいので駆け寄ると、
「あ、アウー」
よろよろと両手を広げて歩いてきて、嬉しそうにアルに抱きついてきた。
「殿下、いけません。お部屋へ戻りましょう。」
抱き上げてそう言えば、肩に乗せられたキルヴィの頭から「うーん」と返事が返ってきて、それでアルは気がついた。
自分に対する態度は一種のバロメーターなのだと。
元気な証に、ああして駆けずり回って見せているのではないか、と。
「殿下」
「う?」
「もう無茶はしないでください。そう何度も、城壁は駆け下りられませんから。それに、気を遣われずとも大丈夫ですよ。それで体を壊していては持ちませんでしょう。」
キルヴィは黙ってアルを見つめ、
「…やや」
小さくそう言った。
笑っているように見えたのは、気のせいだろうか。
(やはり何をお考えなのか分からない)
アルは今日も、キルヴィと格闘するのだった。