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天駆ける風夢  作者: 襟端俊一
第二章 寝床は何処
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 扉越しに見えているのは後ろ姿のみ。

 それでも、秤は一目見て確信した。


 彼女は人を寄せ付けない。


 来たばかりの秤でさえ近寄りがたい、ミステリアスな雰囲気を身に纏っている。それでいて触れたら砕けてしまう薄氷のような儚さも持ち合わせていた。

 確かめなければならない。

 あの少女が、探していた人物なのかを。


「失礼します」


 秤はゴクリと唾を飲み込み、覚悟を決めて一人きりの授業に足を踏み入れた。


「?」


 扉の開閉音が静かな教室に喧しく響いてしまったのにも拘らず、その少女は何の反応も見せなかった。それよりも不思議だったのは、教師が不在だったことだ。


(活生が言ってたやり方で、先生すらも遠ざけてるのか)


 まさか本当に独りぼっちとは。これではまともに会話が成立するのかどうか。取材拒否の店に交渉しにいくような気持ちで恐る恐る彼女の席に近付く。


「浮世華、さん?」


 勇気を振り絞って声を掛けると、彼女はペンを走らせていた手を止めた。

 そして少しだけ首を動かして秤を一瞥し、


「はい」


 そう一言だけ返事をして再び机に視線を戻した。

 幸先良く目的の人物を見つけ出したことに、秤は喜びを噛みしめた。


 浮世華の顔を見たのは一瞬、それも横顔のみだったが、たったそれだけでも彼女の姿を網膜に焼き付けるのには余りある時間だった。


 シャギーの入ったシースルーボブの美しい黒髪に、全てを見透かされてしまいそうな漆黒の瞳。小さな唇をキュッと締めた彼女の一変の曇りもない凛とした表情からは、近寄る者を例外なく遠ざける拒絶の意志すら感じる。


「えっと、その」

「……」


 華は依然として机に向かったまま、黙々と自習をしている。


「俺は……君と同じように外から来て、それで」


 とてつもない程の『圧』。

 何もされていないのに、立っているだけで押し返されてしまいそうだ。

 迷惑なのは承知の上だが、ここまで来て何もせずに帰るのは阿保らしい。

 秤はめげずに本題を切り出した。


「君が良ければ、俺のパートナーになってくれないかな」

「……、」


 華は再び動きを止めてくれたが、かといって振り向いてくれる訳でもなく、ただただ静寂だけが続く。


(うぅ……早まったかな。やっぱり、あくまでアドバイザー程度に止めておくべきだったかも)


 華は秤と同じように島外にいた人間だ。来たばかりの秤とは違い、彼女には数年間アアル島で暮らし、飛び級生徒にまでなったという実績がある。そういう意味で言うと浮世華は秤の先輩という見方もできる。


 秤はアアル島の住人としての彼女に教えを請いたかっただけだ。それなのにパートナーになってほしいなどと口走ってしまった。


 それだけではない。

 楓の口ぶりだと、男女の組み合わせというのは相当恥ずかしいことのはず。


(あれ? これって、もしかしなくてもセクハラになる……!?)


 長い沈黙も相俟って、えも言われぬ不安が膨らんでいく。

 秤の額に冷や汗が伝う。初日から飛び級生徒にセクハラをしたなどという汚名を着せられてしまっては、アアル島の生活どころか人としての尊厳に関わる。秤のハートは強くないのだ。

 いっそのこと逃げてしまおうかと思い立った矢先、その言葉は聞こえた。


「嫌」

「―――」


 拒否されるのは当然と思っていたものの、無性に悔しい気持ちがそこにはあった。

 身体データを共有しなければならないのだから、今さっき会ったばかりの男に心を許せるはずもない。それは当たり前だろう。


 気にくわなかったのは華の態度だ。


 秤は正面から華にぶつかった。ところが彼女は机上に視線を落としたまま、こちらには目もくれずにすげない返事をしてきた。

 それが悔しくて、納得できなかった。


「理由、とか」


 醜く食い下がってみたが、返ってきたのは今まで以上に研ぎ澄まされた拒絶だった。手を伸ばせば届きそうな距離だというのに、まるで目の前を底が見えない谷に塞がれているかのように後ずさりしてしまいそうになる。


 しかし秤はその場にとどまった。どう罵られようと引き下がるつもりはなかった。


 何でもよかったのだ。


 ただ面と向かってハッキリと拒否してくれれば、それで納得できたのに。

 いつまで経っても出て行こうとしない秤に煮えを切らしたのか、華は少し語気を強めてこう言い放った。

 秤に後頭部を向けたままで、

「時間の無駄」

「っ」


 華は別段悪いことはしていない。

 この場合、しつこく食い下がっている秤が全面的に悪いのは明らかだ。彼女は誘いを断っただけで、非常識な行動を取っている秤に対して嫌悪感を抱いた。ただそれだけである。


 それが分かっていて尚、相手にすらされていないことがどうしても我慢ならない。


(くそ。何でこんなにむかつくんだ? 焔のときみたいな苛立ちとは違う。なんか放っておけないっていうか……この感覚はなんなんだよ。ええい……何とかしてこの子をパートナーにできないものか)


 断固として拒否されている以上、このまま粘っても結果は同じ。それどころか、下手をすれば先生にチクられて最悪の展開を迎えることにもなりかねない。


(何か無茶な条件でも付けて――)

 そこで活生の言っていた話が秤の脳裏をよぎった。


「……明日。明日の競技の授業は週一レースなんだけど」

「レースは全学年、合同」

 想定外の情報を聞かされて言い淀むも、負けじと続ける。


「その、レース。風夢を手に入れて数時間の俺が勝てたら。パートナーになること、もう一度考えてくれないかな」


 あくまで考えるだけにとどめたのは、彼女を無理矢理パートナーにしたところで意味が無いからだ。せめて、ちゃんと考えてから拒絶してほしかった。


「……分かった」


 その一言で、明日までの秤のスケジュールは決まった。


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