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目を覚ました秤を襲ったのは、体中が軋むほどの痛みだった。
「あだだだ……あれ?」
「よっ。起きたか」
声に振り向くと、そこには秤よりも一回り小柄で短髪の男子生徒がいた。秤と同じ制服を着ている。恐らく同学年だろう。
「俺は電家活生ってんだ。よろしくな!」
「電家って、電家先生の?」
「姉弟だ。姉ちゃんにお前のこと頼まれてさ」
「そうなんだ。ありがとう」
『寝坊だのぅ』
足下から聞こえてきた声にホッと安堵の溜息を漏らす。ジャンプした際に一緒に落ちてしまったが、この様子だと体重計は無事なようだ。
続けて周囲を見渡す。
秤がアアル学院の教室を見るのは初めてだが、やはり今まで通っていた学校とはレベルが違っていた。それでいて不思議と見覚えのある光景でもある。
教卓から最後列までが階段状になっていて、机も一脚で四、五人が座れそうな長机。パッと見ただけでも一つの机に二十人くらいは座れそうで、中学というよりは大学の講義を受けるような環境だった。
「先生がいないのはなんで?」
「チャイムが鳴っても生徒が来なかったら帰っちゃうからな。俺達は後から来たから」
「だったら朝みたく保健室に寝かせてくれれば良いのに」
「悪い悪い。何せ授業サボろうとしてたところを姉ちゃんに出くわしたもんだからさ。っていうか朝も気絶したのか?」
秤は理由を話すのを躊躇った。
気絶してしまったのはどちらも風夢が原因だ。朝の件については秤に過失などないが、研究室で起きた出来事はアアル島の住人なら幼少期に体験するようなミスのはず。
とはいえ、これくらいで恥ずかしがっていては先が思いやられる。
「実は……」
秤は自分の事情をかいつまんで説明した。
「転学! マジなのか?」
「嘘吐いても仕方ないし。……そうだ。この教室って、もう誰も来ないかな?」
「絶対とは言い切れねぇけど、少なくとも授業終わるまでは平気だろ。何かするのか?」
「風夢の練習をしたくて」
軽くなった体重計を持って席を立ち、段差を下りて教卓と机の間にある空きスペースに体重計を置く。
「活生君は当たり前のように乗れるんだよね」
「活生で良いぜ。つーかまあ、乗れるのが当たり前だからな……上手い下手の個人差はあるけどさ」
「選択科目は競技?」
「ああ。けど成績は微妙。パートナーもいないしな」
「パートナー、か」
楓から言われたことを思い出しながら体重計に乗る。
『重いのぅ』
(この体重計、乗る度に文句言ってくるんじゃないだろうな……。えーっと? 思い切りジャンプしてあんなことになったんだから、ちょっとずつ)
「――っとと」
体重計に足を着けたままの跳躍はできるが、そのまま滞空する感覚が分からないためすぐに落ちてしまう。
「活生は、数年前に外から来た生徒のこと知ってるか?」
「ああ、飛び級で俺達と同学年になった浮世華だろ? 名前だけは知ってるよ」
「浮世華……ね」
「お前まさか、その子をパートナーにしようとか考えてるか?」
活生は若干呆れ気味だ。
「そこまでは考えてないけど。それって何か問題あるのか? 飛び級だと駄目とか」
「いや、そんな決まりはないよ。学年も年齢も関係ない。初等部と高等部で組んでる姉妹だっているし。技術の授業は競技以上に自習が多いから、学年が違うデメリットもほとんどない。ただ、それ以前の問題として男女ってのは難しいぞ。男女で組んでる人なんて大学部に数人いるくらいじゃなかったかな」
「へぇ。意外だな」
自身の体重を逐一男に知られるのは女子にとって大きな弊害だが、それが恋人同士ならそういった問題も多少は解消される。二人の時間を多く取れることを優先する生徒がいても不思議は無い。
逆に言えば、それくらいの関係を築かないと浮世華をパートナーにすることはできないということだ。
(そんなつもりは無かったけど、島外の話ができて風夢のメンテナンスもやってもらえるなら是非ともパートナーになってほしいな)
肝心の風夢にすら乗れない秤には高嶺の花過ぎる気がしないでもないが。
「っく!! ……ふぅ」
『怖いのぅ』
またしても頭から床に落ちそうになって肝を冷やす。
「あ、危なっかしいな~」
「何かコツとかある? 空中で止まれなくて」
「んー……厳密に言うと、空中で止まる訳じゃないんだよな」
「?」
「そうだな。『空中に立つ』ってのが感覚的に近いかも。ジャンプした瞬間、そこに地面があると思ってやってみたらどうだ?」
「地面ねぇ」
活生のアドバイスは、見習い魔法使いのために考えられたもののように抽象的で、秤の感覚では全く持って理解不能だった。
(ようは……今こうやって床に立ってる感覚を、空中でも保てってことかな。とにかくやってみるしかない)
頭では分かっても、いざそれを実行するとなると難しい。
跳んだ瞬間、すぐに体重計は重力に引っ張られてしまうので、改めて空中に地面をイメージする余裕など無いのだ。おまけに正面にある時計のような大きな目盛りに重心が寄っていて、すぐ前のめりになってしまうためバランスも取りづらい。
極めつけは、落ちる度に反応してくる感情表現豊かな体重計からのプレッシャーだ。
「その内壊しちゃいそうだな……主にストレスが原因で」
「そういえばお前の風夢見たことないタイプだけど、一応バイク型だろ? なら持つとこ持ってやらないと駄目だぞ。ボード型やシューズ型とはバランスの取り方が違うから」
「シューズ型なんてのもあるんだ」
「ああ。ただシューズ型は難しいから玄人向けだな。その点、バイク型はグリップ付きで一番バランスが取りやすいからお前にピッタリだと思うよ」
「グリップ……無いんだけど」
「目盛りのとこに抱きつくとか?」
秤は言われるがままに抱きついてみる。
「格好悪!」
「だろうな!!」
その姿はまるで、お化け屋敷で強がったものの結局腰が引けて彼女にすがりついている情けない男、といった感じである。
そんな滑稽な姿を晒してでもやってみるほかない。
秤は未だスタートラインにすら立っていないのだから。
(このまま――ジャンプ!)
「おお!」
今度は重心が背中によってしまい、また落下しそうになったがどうにかギリギリの所で踏ん張ることができた。
「ぐ、ぐっぐ……う」
『苦しいのぅ』
「よし! なんか文句言われてるけど良い感じだ! そのまま地面をイメージ!」
「あ、安定した?」
ギギギ、と活生の方を振り向き評価を聞く。
「安定してるとは言い難いけど、飛べてるのは確かだ。後は慣れだな」
「そ、そうか」
安心して秤の気を抜いた瞬間、体重計は急激に重力に引っ張られて床に足を着けた。
『痛いのぅ!』
「わわ、ごめん!!」
慌てて損傷がないか確かめるも特に見当たらない。とはいえ、失敗する度に体重計を落としていてはその内壊してしまいそうだ。ただでさえオンボロのアナログ体重計だというのに。
「ゆっくりと着地する練習も必要だな。次に低空飛行から始めて……」
「できれば人目に付かないところで練習したいな。こいつうるさいし」
「だったら他の授業をサボったらどうだ? 生徒がいない教室に、先生がいなくなってから入れば自由に使えるぞ」
「でも生徒が多いかどうかなんてどうやって判断するんだよ。まさか全部回ってる訳じゃないだろ」
「職員室には行ったか? あそこには全クラスの状況がリアルタイムで表示される電光掲示板が沢山あるんだ。授業中の教室移動は認められてるから、堂々と入れば良い」
「あの数字と記号はクラスの状況を現してたのか……。分かった、行ってみるよ」
秤がもう一度体重計に乗ろうとすると、タイミング悪くチャイムらしき音楽がスピーカーから流れてきた。
「終わったか。次の授業は競技だな」
「競技か」
「しかも明日は週一レースの日で、更にその次の週は月一レースだからな……流石に競技だけはサボれねえ」
活生が教えてくれた情報を聞いて、秤の頭の中にある考えが浮かんだ。
「競技の授業があるときって、技術の授業は休み?」
「いや、選択科目は両方あるよ。α組~ν組が競技、ο組~ω組までが技術の教室だ。まあ競技の授業はある程度生徒が集まったらグラウンドに移動するから、教室はあんまり関係ないんだけどな。先生を選ぶだけだ」
「ο組~ω組か。活生、色々ありがとう」
「気にするなって。それよりも、競技を選択するつもりなら次も一緒に行くか?」
「いや。一応、技術の方も見ておこうかなと」
「そっか……そうだな。じゃあ」
活生は風夢に乗って悠々と教室を出て行った。
活生の風夢はスクーターのような形をしていて、風夢のことを大して知らない秤の目にも格好良く映る。
文句一つ言わない体重計で音も無くスイスイと移動する様を、秤は恨めしそうに見送ったのだった。
(テクニック以外にも何とかしたい所が色々あるなぁ……)
早速職員室に赴いた秤は、首が痛くなるほど電光掲示板を見上げ続け、何とか教室の位置を把握した。既に始業のチャイムは鳴っているので、授業中の教室に突入することになる。
注目されるのは避けたい。
だからこそ事前に生徒が少ない教室を調べたのだ。
ちなみに職員室では偶然にも電家先生と遭遇し、そこで初等部の授業に参加することを勧められたが、当然の如く丁重にお断りした。流石に小学生の中に混じって一緒に勉強するのは羞恥心に耐えられそうにない。
浮世華。
どんな人物なのか不明だが、とにかくコンタクトを取りたい。あわよくば友達になって、外とアアル島の違いについて語り明かしたい。
(まさか今いる階数まで把握してなかったとは……)
体重計を脇に抱えて階段を下りる秤は小さく息を吐く。
驚いたのは、先程まで秤が居た教室が二階だったことだ。どうやら高等部の校舎は十階建てのようで、七階からは風夢を中心とした部活のための部室が色んな所にあるらしい。
窓から見たグラウンドにはサッカーのゴールポストがあったが、あれも風夢を使って行うのだという。競技の授業は思いの外様々なスポーツに適応しているようだ。
(とりあえず、ψ組が一人だったし行ってみるか)
行き先までの道程を再確認し、秤はある確信を胸に秘めて歩を進めた。
一人で授業を受けている生徒、というのが妙に引っ掛かっていたのだ。
普通なら自分に合う教師がいなくとも、友達がいる教室を選ぶはず。望んで独りぼっちになろうとはしないだろう。
無論、人付き合いを極力避けているような生徒であれば有り得る話だが、これだけ人が密集した環境ではそんな態度をとり続けること自体が難しい。
(俺みたいに、外から来た人間でもなければ)
数年前、秤と同じようにアアル島にやって来た浮世華。彼女がほとんど誰ともコミュニケーションを取らずに今までの学園生活を送っていたのだとしたら。
外から来た彼女が飛び級で高校一年生になったのも、遊ぶことをせずに勉強ばかりしていたのであれば納得できる。
「あ……」
秤の予想が全て当たっているかどうかは定かではない。
しかし大理石の長い廊下を歩いて辿り着いた二階のψ組には、人目を避けるように奥の席に座る一人の少女がいた。
ここまでが一章となります。
無理矢理改行したり行間入れたりしてるので、かえって読みにくくなってるかも……だとしたら申し訳ない。
いまいち加減が分からない……!