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エレベーターで地下に下り、案内されるがまま研究室と呼ばれる怪しい部屋に入る。
内部はまんま悪の秘密結社のアジトといった様相で、如何にも法に触れることを行っていそうだ。これから自分の体を使って人体実験でもするのではとつい警戒してしまう。
「そんなに身構えなくても、痛いことはしませんよ」
「それなら良いんですけどね。電家先生が弄ってる怪しげな装置も使わないにこしたことはないですよね」
異様なほど綿密に点検しているのが気になる。これから行う調整とやらが、危険を伴うことを証明しているように思えてならない。
「お生憎様です。体重計をこちらに置いて……ここに立ってもらえますか?」
怪しい装置と端末、何本ものコードで繫がっている機械、そして丁度人一人が収まりそうな空間にある足形を指して電家先生が言う。
「……何故?」
「身長と体重を計測するので」
「身長は172㎝で、体重は58㎏です」
「それでは駄目です」
「自己申告じゃ信用ならないってことですか?」
「風夢の力を引き出すにはもっと正確な数字が必要なのです」
電家先生はあくまで真剣だった。
だがそれでも尚、目の前の装置に身を委ねるのは躊躇する。
病院のMRIを縦にしたようなものが天井にあるのだが、目の前の場所に立つとそれが丁度覆い被さってきて閉じ込められそうなのだ。
それにこの装置を使わなければならないというのも疑わしかった。
アアル学院の生徒が例外なく風夢を持っているなら、全員がこのような装置で計測していることになるが、研究室にある装置はこの一つだけだ。楓の言い方からして、定期的に身長や体重を計測しなければならないのは明白。それをこの一機だけで済ましているというのは流石に無理がある。
「この装置って他の場所にもあるんですか?」
「身長と体重だけを計測する簡易的なものは各ご家庭、寮にもあります。ただ、ここにあるものは特別製なんです。同じものは各校舎に一機ずつあるだけですね」
「特別製、ですか」
もはや定番となった曖昧な答えに秤も食傷気味だ。
「すみません。正直、何が違うのかは私にも分からないのです。ただアアル島の住人は、生まれてからすぐに何らかの形でこの装置を使って計測する決まりがあるんです」
「全員が……」
この装置で計測することが風夢を扱うために必要不可欠ならば、この先アアル島で生活する秤にとってもこの計測は避けて通れない道だ。うだうだ理由を付けて先送りにしたところで意味は無い。
「お願いします」
覚悟を決め、言われた通り体重計を置いて足形の上に乗り、壁にピッタリと背中を預ける。
すると予想通り頭上にあるMRIのような装置はゆっくりと下降を始め、やがて秤の体をすっぽりと隠してしまった。
「し、信じてます」
「お任せ下さい」
緊張しながらしばらくの間ジッとしていると、恐怖を促進する機械音が鳴り始めた。
直後に秤が目にしたのは、熱を帯びた青白い光。その光は秤の頭上から下を舐めるように移動し、足下まで辿り着いたところで停止する。
確かに痛覚を刺激することはなかったが、秤の不安は増すばかりだ。
「もう終わりますよ」
「はひ」
ようやく不安を煽る機械音が収まり、秤は息苦しさから解放された。
「はぁ~……」
「お疲れ様です」
「それで、どうだったんですか?」
「天座秤君。身長171・8㎝、体重58・76308㎏」
「そ、そうですか」
自己申告よりも微妙に身長が低かったことが恥ずかしい。
「ちなみにアアル島基準では、中学卒業時の男子のBMI理想値は20です。なので風夢の力を極限まで引き出せる秤さんの理想体重は59・03048㎏となります。まだまだですね。詳しくはこのプリントに書いておきましたので」
「はあ」
軽く渡されたプリントに目を通すも、やはり数字は変わっていない。
どうやら聞き間違いではなかったようだ。
「えっと……既に相当理想体重に近いような? これでもまだまだなんですか?」
「この差を限りなくゼロにすることが風夢を扱う上で何よりも重要なのです。競技科の成績上位者は常にこの数字に気を配っていますね」
「小数点以下を……」
ここまで体重を厳密に管理するのは億劫にならないのだろうか。元居た学校の女子達は年に一回の身体測定でさえ大騒ぎだったというのに。
秤は元々そこまで体重に執着していないため、尚のこと理解できなかった。
「体重を気にする前に、俺の体重計じゃ飛べないんですがね」
プリントを折りたたみつつ、愚痴めいた言葉をこぼす。
「もう飛べるようになりましたよ」
「んな訳あるか!?」
目上の者に向かって思い切りタメ口で突っ込んでしまった。
だが無理もない。
秤は装置に入る前から、ずっと隣に置いた体重計のことを気にしていたのだ。解放されてからも体重計から目を逸らさなかった。体重計が空を飛べるようになる『何か』をするのだと確信していたから。
「俺が計測してる間に何をしたんですか?」
「私はこちらの装置に体重計を置いたまま持ち主の身体情報を計測しただけです。それで何故飛べるようになるかは分かりません。そういうもの、としか」
「……そうですか」
秤もいい加減しつこいと分かってはいるのだが、気になってしまうのは仕方がない。体重計に限らず空飛ぶ乗り物が実用化されたら、この世界はもっと面白くなるはずだから。
(アアル島限定の技術っぽいけど、島自体に何かあるのかな……磁場とか鉱物とか。もしくは全く新しいエネルギー? ……って、駄目だ。常識を疑うよりも、まず環境に慣れることから始めないと)
「えっと、乗ってみても良いですか?」
「これは天座君の風夢ですよ」
「どうも――!?」
手渡された体重計を持って、秤は驚愕した。
軽かったのだ。
昨日からずっと持ち歩いていたため、この体重計の重さは嫌と言うほど思い知っている。両手で抱えるのがやっとだったのに、どういう訳か片手で軽々と持ち上がるようになっていた。
中身はどうなったんだという好奇心を抑えて恐る恐る体重計に乗ってみると、
『重いのぅ』
「ぎゃあ!!」
突然、体重計が老婆のような声で喋った。
「しゃ、しゃしゃしゃしゃべ……!?」
「はい。それが何か?」
「飛べるようにしたんじゃ!? 喋るようになっちゃってますよ!!」
「飛べるようになると、喋るようになるだけですよ」
『重いのぅ』
「……、」
足下から聞こえてくる声に戸惑いながらも、秤は深呼吸して心を落ち着かせた。これがアアル島の常識と自分に言い聞かせる。
気を取り直して。
当初の予定通り体重計を動かそうとするが、残念ながら体重計は微動だにしない。
これでは中身を抜かれて空っぽになった鉄くずが喋っているだけだ。
「あの、どうやったら飛べ――浮けるんですか?」
「風夢を体の一部と思って下さい。後は普段と同じです」
「…………お」
『痛いのぅ』
言われた通りに乗ったまま歩こうとしたところ、ズルズルと体重計が直進した。
しかしこれっぽっちも宙に浮いていないため何の感動もない。ロープで引きずられているのと何が違うのか。
「そもそも宙に浮くなんて感覚、人間には無いような」
「初めはジャンプから慣れていくんです」
「成る程」
「ですが研究室は」
「――がっ!!」
秤の体は体重計ごと見事に跳躍した。
が、勢い余って思い切り天井に脳天をぶつけてしまった。
「天井が高いとは言えないので……遅かったですね」
『阿保だのぅ』
派手に落下した秤を見て、電家先生と秤の風夢が溜息混じりに呟く。
天座秤。
本日二度目の気絶である。