華を添えて
「失格!? 何で!!」
納得のいかない判定に、秤は鍋をつつきながらも思わず叫んでしまった。
月一レースの翌日。
せっかくのお休みにも拘らずどんよりとした空気の中で部屋の掃除をしていたら、突然来客があった。
その面子は楓、焔、スピカ、校長の四名。
一目で昨日のレースの結果についてだと確信し、緊張しながらも部屋に招き入れた。
校長先生の両手には食材の入った袋がぶら下がっていて、なし崩し的に皆で昼食を取ることになり、結果として秤と華の二人きりの食卓はいつもより賑やか且つ豪勢なものになった。
ちなみに失格というのは秤の話ではない。
「うぅ」
「残念だけど、ルールだからねぇ……スピカちゃんだけ贔屓する訳にはいかないの」
「直前で総距離変更とか飛び級の件とか、充分贔屓してる気がしますけど!?」
「うふふっ」
校長先生は子供のような笑顔で誤魔化した。
秤も楓も溜息を吐くしかない。
そういえば校長先生はアアル学院全てを統括しているはずだが、主な活動場所は高等部な気がする。
これも娘贔屓の結果なのかもしれない。
「それで……どうしてスピカは失格になったんですか? 俺が見てた限りでは、楓の言ったこと以外に何かしていたとは思えないんですが――痛っ!?」
「どうかしたんですか?」
「い、いや何でも」
不思議そうに首を傾げる焔に愛想笑いを浮かべる。
テーブルの下では隣に座っている華に思い切り太ももをつねられていたりする。
スピカを庇うようなことを言ったからだろうが、唐突に華の嫉妬の沸点が低くなっているのが謎だ。
昨日のレース直後から皆が来るまでの間、華とはほとんど言葉を交わしていなかったというのに。
「それを知らないってことは……秤君は知らずに使ったのね」
「楓が言ってたブーストってテクニックのことか?」
「そうよ。基本的に短距離は純粋なスピードを競うのが目的だから、使えるテクニックの制限が多いの。ちなみにブーストは一回まで。それをこいつは……よりによって『四回』も使ったのよ」
「四回!? え、えっと……トマト鉄砲を食らった直後に見せたのが一回目で、俺が抜き返した直後に使ったのが二回目? で、最後に……ってこれじゃ三回か。いや三回でも充分反則なんだろうけど」
スピカの失態を一つ一つ挙げていく。
「最初の一回は、秤さんが煙幕でスピカちゃんをコースアウトさせた後ですよ~」
「ああ! 成る程、それで四回か。……ん? 何で焔がそんなに詳しいんだ?」
「それは見てましたもの。テレビで」
「テレビ!?」
「気付きませんでしたか? 月一レースは生中継されて居住区のお茶の間に流れるんです。『風夢船』の技術科生徒がいたエリアにはテレビが持ち運ばれてましたから、それをずっと見てました」
「ま、全く気付かなかった。でも言われてみれば……レース内容が分からないと技術の授業の一貫として成立しないもんな」
あんな速度で、しかも空の上で競走するレースをどうやって撮影していたのかは謎だが、聞いたところで納得できそうにない。
集中していて併走するカメラマンに気付かなかっただけ、ということにしておこう。
「まあテレビの話はいいとして……一番肝心なことを教えてほしいんですが」
「肝心なことって?」
校長は全く心当たりがないように言う。
「校長先生が言ったんじゃないですか。好成績を修めないと退学だって」
「ああ、うん。だいじょぶだいじょぶ」
大切な台詞をあっけらかんと言われてしまった。
「全然嬉しくない!! もっとちゃんと教えて下さいよ!」
「お、落ち着いて秤君。この人は終わったことに興味ないから。あたしが説明する」
校長先生に掴みかからんとする秤を楓がいさめた。
退学とパートナーをかけて月一レースに臨んだ秤としては、校長の態度にはらわたが煮えくり返そうだったが、これ以上問い詰めても意味はなさそうだ。素直に楓の説明を聞くしかない。
「何で負けた相手に退学を免れた理由を聞くことになるんだ……」
「あはは……えっと。まず前提として、週一レースは一年生以外、どんな結果になってもプラスにならない。反則をした生徒だけが成績を引かれる。それで秤君は成績がマイナスになって退学になりそうだったんだけど」
「うん」
「月一レースの成績はタイムと道具の使い方、それとテクニック。この三つで決まるの」
「つまりその辺が評価されたと」
「ま、まあそうなんだけど」
「?」
何故か言い淀む楓。
秤の退学は免れたのだ。
これ以上何を躊躇する必要があるのだろう。
「というかね。秤君は成績が何もない状態でマイナスになっただけだから。また失格でマイナスにでもならない限り、成績さえ残せば退学にはならなかったの。校長が好成績云々って言ったのは多分発破をかけるためね」
「……じゃあ、何か? スタートダッシュとかブーストとか、そんなことせずにゆっくりとゴールするだけでも良かったってことか?」
「ピンポーン! その通りで~す」
焔は何故か嬉しそうだ。
「華? 華も知ってたのか!?」
隣にいる彼女の方を振り向くと、不必要に首を曲げて必死に視線を合わせまいとしていた。
これは秤がフライングした事実を隠していたときと全く同じ反応だ。
つまり、イエスということ。
「はぁ~~~~……」
安心感と脱力感も相俟って秤はテーブルの上に突っ伏した。
勿論、退学だけではなくスピカとの賭けもあったので、のんびりとゴールを目指すなどできなかった。
だがアアル学院に残れることを知っていれば、例え負けても何度でも華を取り返すという考えを持てたので、やはり知っておいて損は無かった気がする。
「ということで、今日の勝負は無かったことに……」
どさくさに紛れてスピカが調子の良いことを言う。
軽く窘めようとしたら、華が握り拳をテーブルに叩きつけた。
「ふざけないで」
「ご、ごめんなしゃい」
途端に縮こまるスピカ。
退学を免れ、これまでと変わらずに華のパートナーでいられる。
もはや勝ったときの条件など秤はどうでも良くなっていたが、華にとっては違ったらしい。
「別に無駄だったって訳じゃないからね。秤君は間違いなく実力のあるルーキーだって周りも認めたはずだし。ウェポン、アーマー、アクセサリ……距離が変わればそれだけテクニックも開放されるし、あたし達以外にも速い人はまだまだ沢山いる。先輩達だってきっと黙ってない。これから大変よ」
「凄い反響だったもんねぇ。聞いた話によると、初等部ではファンクラブができるみたいですよ? モテモテですね、秤さん」
何故初等部なのだろう。
どうせチヤホヤされるなら中等部の可愛い後輩、もしくは高等部のお姉さんの方が……。
(いででで! ごめんなさい!!)
顔に出ていたのかまたしても太ももをつねられてしまった。
しかも今度はつねった上に捻られた。とても痛い。
「秤さんは中距離以上でも良い結果を残せそうだし、楓ちゃんも嬉しいでしょ」
「パートナー持ちのライバルができたのは嬉しいわね。あんたも少しは反省しなさい」
「……」
一向に立ち直らないスピカを見かねたのか校長先生は突然立ち上がって、
「はあー美味しかった! お腹もふくれたし、そろそろおいとましよっか」
ポンポンとお腹を叩いて満腹をアピールする。
秤が楓達と話している間、黙々と食べ続けていたらしい。
いつの間にやら鍋の中はスープまですっからかんだ。
雑炊を作る予定を見事にぶち壊してくれた。
「じゃ、あたし達も行こっか」
「そうだね」
楓と焔の二人も同時に席を立つ。
「あ、送るよ」
そう言って付いていこうとした秤の足を華が踏んだが、「一緒に行こう」という一言で全員で外に出た。
すぐに楓と焔の二人と別れ、残った四人はペア棟の出口へ向かう。
校長先生はそのままスピカと一緒に女子寮の方に入っていった。
母親にベッタリとはいえ、スピカもまた女子寮で一人暮らしの身。
休日ということもあって親子水入らずで過ごすのかもしれない。
例えその内容が今日のレースについてお灸を据えられることだったとしても、今のスピカには校長先生の言葉が必要だ。
二人きりになった秤と華は、部屋に戻ろうとせずにその場にとどまっていた。
一方は話しかけるタイミングを見計らって。
もう一方は会話の糸口を探して。
先手を取ったのは秤だった。
「ごめん!!」
「……何が」
「あんなに色々して貰ったのに……勝てなかった」
退学になることもスピカとの賭けも重大な問題ではあったが、一番根底にあったのは『勝利の約束』だった。
授業をサボってまで風夢の改造をしてくれた華に、勝利を捧げて恩返しをしたかったのだ。
最低限の結果は残せたのかもしれないが、それで華が満足してくれたとはとても思えない。
「謝るようなことじゃない。それに、あの子には勝った」
「でも俺、絶対に勝つって言ったのに」
「あの子もそうだけど。楓先輩は、秤先輩よりずっと経験豊富。仮に昨日勝ってたとしてもそれはまぐれ。それくらいに差がある」
「う、うん……そう、だな」
容赦のない口撃が胸に突き刺さる。
壁を隔てずに会話が成立している喜びが、辛うじて秤の折れそうな心を支えていた。
相変わらず目は合わせてくれないが。
「だから、いちいち謝らないで。負けたのは秤先輩だけのせいじゃない」
「華……」
コンビなのだから、どちらに非があっても連帯責任。
華はそう言っているのだ。
「それと……私もごめんなさい。教えてって言われていたのに、黙っていて」
意外にも、今度は華の口から謝罪の言葉が漏れた。
「もう良いって。それより、どうしてブーストのことまで黙ってたんだ? 距離が伸びてなかったら俺は一方的に負けてたよね。スピカにも。それはつまり、華がスピカのパートナーになってしまうってことなのに」
「あの子も先輩が退学になる条件を詳しく知っていた。だから、ただ勝つだけじゃ秤先輩を私から遠ざけられないと考えた。秤先輩を失格させて、退学させることしか頭に無かった。私は……それを防ぐだけで良かった」
「俺が退学にさえならなければって? でもそれじゃ、結局華はスピカのパートナーになっちゃうじゃないか」
「勝ってほしかったのは本心。でも、秤先輩がいなくなるのはもっと嫌だから」
「……!」
秤の退学という、か細くも確かにある未来。
パートナーである華は、そんな未来を実現させようとするスピカから秤を守ってくれていた。
その結果スピカのパートナーになってしまったとしても、秤がアアル島にいてくれるのであればそれで良いと。
秤がレース直前で決めた最優先事項を、華はずっと前から決めていたのだ。
秤の勝利ではなく、『退学阻止』。
そんな気持ちを知ってしまっては、根本的な事を確かめざるを得ない。
「だったら、最初からあんな勝負受けなければ良かったんじゃ?」
「ご、ごめんなさい」
そっぽを向いて縮こまる華。
ここまで素直に反応する彼女を見るのは初めてだ。
「よし……次こそは勝つぞ!! あ……でも、まだ心配だな」
「?」
「スピカのこと。また華を賭けて勝負とか言い出しかねないし。俺に近寄らなくなっても、華が勝負受けちゃったら意味ないんだよな」
暗に、もうあんな勝負は受けないでとお願いしてみる。
「心配いらない。それに」
「それに……何?」
秤の問いに、華はこれでもかという最高の言葉をくれた。
「私は秤先輩の方が良い」
「~~~~!!!!!!」
思うがままに華を抱き締めて頬ずりしたい衝動に駈られたが、どうにか壁を殴ることで耐える。
華もまた言った直後に恥ずかしさがこみ上げてきたのか、そそくさと階段を上り始めてしまった。
慌てて秤もそれを追う。
「付いてこないで」
「いや部屋同じだし。……と」
先を行く華を玄関の前で強引に引き留める。
秤にはやり残していたことがある。
それをせずに今日を終える訳にはいかない。
「ちょっとここで待ってて」
鍵を開けて一人部屋の中に入る。
華の見てる前で扉を閉めて、またすぐに開ける。
そして。
目の前にいる大切なパートナーに向けて、ありきたりな挨拶をした。
「おかえり」
「―――」
今度はあのときのような強引なことはしない。
無視されても、罵倒されても、蹴り飛ばされても。
どんな反応でも秤は受け入れるつもりだった。
きっとそれが華の挨拶だから。
「た、」
華は忙しなく首を動かしながらも、必死に言葉を紡ごうとしていた。
やがてその視線は秤の視線と交差する。
だからなのかは分からないが、そのことが華の複雑な乙女心に何らかの作用をもたらしたのは確実だろう。
何せ。
「ただいま」
彼女の口から、ハッキリとその言葉を引き出したのだから。
たった四文字の挨拶には深い意味などない。
されど四文字の『言葉』の中には、別の意味が込められていることもある。
あのときの挨拶には、それがなかった。
空っぽの挨拶だった。
だが今は違う。
秤の『おかえり』には、待ち望んでいた家族を迎え入れるという意味がある。
華の『ただいま』には、自分の居場所に帰ってきたという意味がある。
二人はようやくパートナーとしてスタートラインに立ったのだ。
そして、ここから。
長いレースが始まる。
完結。
ちなみに最後だけちょっと変えてます。
打ち切りエンドみたいにしたのはわざとです。
続きはありますし、構想だけなら相当先まであるんですが、一旦は完結という形をとらせてもらいます。
天駆ける風夢……どうだったでしょうか。
自分は正直、初めての試みと言うこともあって分からないことだらけで。
この感じで続けて良いのかすら未だに迷っていたりします。
最後まで読んでくれた読者様には感謝してもしきれません。
本当にありがとう。
そして。
次の作品のジャンルですが、多分ラブコメになるかと。
異世界ファンタジーと普通のファンタジーとで迷ってるので、もしかしたら一緒に投稿してしまうかも。
何かご意見、要望がありましたらm(_ _)m




