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天駆ける風夢  作者: 襟端俊一
第五章 私闘
34/35

「よし!!」


 楓とスピカの出鼻を挫いた上で、秤は大きなリードを取ることができた。

 不安だったメイドデザインによるイメージの崩壊もなく、スタートダッシュは完璧だった。

 このスピードを保ったままゴールまで突っ切ることができれば秤の勝利は確実だが、当然そう上手くはいかない。


 昨日の練習で、秤のスタートダッシュは新しくなった風夢であっても大体十㎞を境に徐々に減速してしまうことが分かっている。

 どう二人を出し抜いたところで、十五㎞付近で二人に追いつかれてしまうと華からも忠告されていた。

 残りの五㎞を如何にして七つ道具で乗り切るか。

 それこそが鍵。

 だが校長の気まぐれによって総距離が倍になった今、華と二人で考えた作戦をそのまま使っても後半どうにもならずに負けてしまうことは明白だ。


「!」


 ヘッドセット越しの視界に映るマップデータが、十㎞地点の通過を示す。

 驚くべきことに、風夢のスピードは衰えることがなかった。


(嬉しい誤算……でも、距離が伸びたんだしこれくらいのことが起きないと話にならないぞ。何せ残り三十㎞メートルだしな)


 その調子の良さもすぐに陰りを見せ始めた。

 通り過ぎる空の景色があからさまにスローになっている。

 風夢のスピードが落ちている証拠だ。

 やがて事前に登録しておいたマップデータのゴール、二十㎞地点が前方に見えてきた頃、秤はようやく違和感に気付いた。


(おかしい。十五㎞付近で追いつかれるって言われてたのに)


 このヘッドセットは、事前に登録しておけばかなり遠くの風夢の位置も表示されるのだが、未だ楓の姿もスピカの姿も映らない。

 秤の放った一言が予想以上に二人を動揺させたのだとしても、圧倒的な実力差があるのは間違いないのだ。

 いつ追いつかれても不思議はないはず。

 スピカは前もって中距離用の準備を整えてきているのだし、尚のこと――


(そうか……それで楓も)


 楓とスピカの二人は、秤の何十倍も風夢を乗りこなす技術に長けている。それはスタートダッシュもさることながら、レース経験においても同じことが言える。

 つまり経験を持ってして、即座に中距離用のペース配分に切り替えたのだ。

 秤がその考えに辿り着いたとき、ついにヘッドセットが二機の風夢を捉えた。


(来た!! ここで煙幕!)


 一番のスイッチを蹴り押す。

 途端にヘッドセット越しの視界から煙マークが消え、風夢の後方から尋常でない量の黒煙がモクモクと噴出された。

 体に悪そうな黒々とした黒煙は瞬く間にコースを遮り、楓達の行く手を阻む壁となった。

 そのまま煙を出し続けながら秤はゴールに向かって突き進む。


 この煙幕の真の目的は、方向感覚を狂わすこと。

 短距離レースはただ単に真っ直ぐ進めばゴールできるという単純なコースである反面、明確なラインが非常に分かりにくくなっている。

 秤のような高性能ヘッドセットでもない限り、一定間隔で待機している先生が唯一の目印だ。

 そんな状態で長時間視界を遮られれば、真っ直ぐ進んでいても自然とコースアウトしてしまう、というのが華の考えだった。

 そう簡単にいくのだろうかと最初は秤も懐疑的だったが、華が知っていたある事実を聞かされてこの作戦に懸けたのだ。


「けほっ、けほっ! やったわね秤君……!!」


 楓は方向感覚を狂わされることなく煙幕の中を突っ切ってきた。

 しかしスピカの姿は視界から完全に消えている。


「スピカには効いたみたいだな!」

「あいつが『方向音痴』だって知ってて用意してたんでしょ。浮世の入れ知恵?」


 随分と声が近くなったと思ったら、楓はいつの間にやらとてつもないスピードで近づき、難なく秤の隣を併走し始めていた。


「そうだけど。余裕見せすぎじゃないか」

「そうでもないわよ。これも――レースの醍醐味だからね!」


 楓は懐からバズーカ砲のような水鉄砲を取り出すと、容赦なく秤に狙いを定めた。


「な!?」


 楓の持つ水鉄砲の異形さに危険を感じ、秤は即座に高度を上下させて対応する。

 だが楓はわざわざ全く同じ速さで同じ動きをして、秤にピッタリと付いてきた。これではバズーカ砲の照準をずらすことができない。


「このっ、ストーカーか!」

「スタート前の嘘に煙幕。今更これが無しなんて言わないわよね」

 秤はもう一度風夢の速度を上げようと試みたが、

「!?」


 ここに来て、何故か楓は道を阻むように秤の前に出た。

 そして水鉄砲の照準を風夢本体に向けてくる。


「這い上がれるかどうか……見せて貰うから」


 直後だった。

 楓の巨大水鉄砲からテニスボールほどある水球が連続で三発も放たれ、秤の風夢のフロント部分に直撃した。


「うっ!」

『くぅ……っ。御主人様、ご無事ですか!?』

 ガクン、と機体が揺れる。

 真っ正面からの衝撃なのでそこまでバランスを崩されることはなかったが、それ以上の問題が発生した。


(! 狙いはこれか……!!)


 秤の風夢は正面からの攻撃に勢いを殺され、安全運転状態になってしまった。

 楓の水鉄砲の威力は市販のものとは桁違いだった。

 焔が改造を施したものだろう。

 何にせよ、このままだと楓に追いつくのは難しくなる。

 突き放されてしまう前に対策を講じる必要があった。


「独走なんてさせるか!!」


 秤はすぐさま三番のスイッチを蹴り押した。

 ヘッドセット越しの視界に現れた照準で狙いを定め、更にもう一度同じスイッチを押す。

 射出されたのは鉤付きロープ。

 これも昨日試したときには相当なスピードで照準通りに飛んでいった。

 鉤の部分にはクッション性の高い布を巻き付けてあるので人体に影響はない。

 ロープは狙い通りに楓に絡まった。

 しかし。


「かっ、は!」


 絡まったのは胴体ではなく――首。

 楓が風夢の速度を上げる瞬間に巻き付いてしまったため、楓の首には相当な負荷が掛かったはずだ。

 楓の体が後ろに傾きかけたのを見たとき、秤は三度三番のスイッチを押していた。

 一度押せば照準が現れ、二度押せば射出される。

 そして三度押せばロープを切り離すことができる。

 これは相手の機体に引っ張られて逆に不利な状況に陥りそうになった場合の対処方だったのだが、秤は楓を助けるためにそれを使ってしまった。


「げほっ……」


 楓は軽くこちらを一瞥した後、一気に前に飛んでいった。

 完全にスピードを失った秤の風夢に付いていくだけのスピードが残っているはずもなく。

 空しく楓の後ろ姿を見つめるしかなかった。


(もう一度スタートダッシュをするには……一度止まらないと駄目だ)


 爆発的にスピードをアップさせる方法を秤は一つしか知らない。

 ただ、レース中に一度でも止まってしまったら失格になってしまう。

 つまり秤はこれ以上のスピードアップを望めないということ。

 問題はそれだけではない。


「スピカ……っ」

「あ~ま~ざ~は~か~りぃ~~~~!!」


 鬼の形相で追いついてきたスピカが、秤の風夢に後ろから突撃してきたのだ。

 しかも何を思ったのか秤を押しながら進み続けている。

 一見すると速度を落とした秤を助けているようにも見えるが、スピカの目的を考えればそんなことはあり得ない。


「お前何考えてんだ!?」

「うるさいです! 私はあなたを倒すために準備を整えてきたんですよ!! オールセットなんですよ!!」


 軽く目がイっちゃっているスピカは、ウエストポーチから二丁拳銃ならぬ二丁水鉄砲を取り出して秤に向かって速射し始めた。


「いだだだだっ!! 痛い痛い!」

『御主人様、お気を確かに!!』

「気は確かでも痛いものは痛いの!!」


 背中と後頭部に棍棒で突かれたような痛みが延々と続く。

 楓のバズーカタイプとは違うが、これもまた改造が施してある水鉄砲だ。


「死んで! そして誰も怨まずに成仏して! グッバイです!!」

「む、無茶苦茶言いやがって……っ。食らえ!!」


 堪らず秤は二番のスイッチを蹴り押し、背後にくっついていたスピカを風夢ごと粘着ネットで絡め取った。

 続けざまに五番のスイッチを押して収納されていた水鉄砲を取り出す。


「っぷあ!? な、何ですかこれ! ベトベトする!? スティック! スティック!」

「粘着性のネットだから一度付いたら離れないぞ。後はこれで」

「!!」


 秤が華特製改造水鉄砲を構えると、スピカは素早く反応して風夢の高度を上げた。

 ネットに絡まれながらも真上から秤の脳天を狙い撃ちしてくる。


「痛っ――こ、この!」


 秤もスピカの照準から逃げようと風夢を操るが、やはり操縦技術では天と地ほどの差があるのか思うようにいかない。


(くそ! 何でこれだけ撃ってこられるんだ!?)


 いくら強力でも水鉄砲なのだから、その内水切れになるはずだ。

 それなのにマシンガンのような衝撃はいつまで経っても止む気配がない。

 恐らくあのリュックサックに予備の水鉄砲を大量に用意してきたのだろう。

 このままでは冗談抜きで撃ち落とされてしまう。

 やむなく秤は方針を変える事にした。


「……! おい、良いのか?」

「何ですか! この期に及んで命乞いですか!? ディスグレイシフルですよ!!」

「パンツ見えてるけど良いのか」

「にゃっ!?」


 秤の一言で、水鉄砲を持っていたスピカの両手はスカートを押さえるために塞がれた。

 その隙を逃してたまるかと躊躇無くスピカの額を水鉄砲で撃ち抜く。


「「!?」」


驚いたのは同時だった。

 水鉄砲はこちらを見下ろしていたスピカの額に見事クリーンヒットした。

 予想外だったのはその破壊力で、スピカの顔面は真っ赤に染まっていたのだ。


(な――、え……? こ、これ本物の銃……!? ってそんな訳ねぇ!)


 さりげなく銃口を嗅いでみると、仄かにトマトの香りがした。

 どうやら水鉄砲ではなくトマトジュース鉄砲だったようだ。


「あ、ああ……血が……ブラッドが……っ」


 幸運なことにスピカは華の作戦にハマってどんどん速度を落としている。

 このまま彼女が停止してくれれば万々歳だが、そこまで楽観視はできない。差を付けるのなら今の内だ。

 とはいえこれ以上の加速ができない秤は、スピカの様子を窺いつつ前に進むしかない。

 それでもスピカとの差は徐々に開いていった。


 やがてスピカの風夢の反応がなくなった頃、ついに三十㎞の目印である先生が前方に見えてきた。

 既に登録済みのマップデータの範囲を超えているが、こちらのスピードが落ちているせいもあってしっかりとこの目で確認できる。


「流石にもう楓には勝てないか……? いや、まだだ」


 勝つと約束した。

 勝ってとお願いされた。

 どんな絶望的な状況に陥っても、諦めるなんて選択肢は選べない。


(俺の方から追いつくのが無理でも、楓に何かトラブルが起きる可能性だってある。最後まで希望を捨てちゃ駄目だ。他にできることは……)


 そんな風に、楓に追いつく方法を秤が必死に思案していたときだった。



 突然、背後からあり得ないスピードで何かが通り過ぎた。



「……え?」

 今秤を追い越してゴールに向かう者は一人しかいない。

 スピカだ。


「な、何だよ今の。まるでスタートダッシュしたみたいなスピードだったぞ!?」


 スタートダッシュは停止した状態だからこそ可能なテクニックであって、レース中にもう一度行えるようなものではないはずだ。

 風夢に乗って前に進むだけでもイメージが大変なのに、更にそこからスタートダッシュのイメージを重ねるなんて芸当は不可能である。


「だ、駄目だ。あれ以上のスピードを出すなんて俺には……」

 知識も経験もない秤には、当然すがるものも無い。


『御主人様! 今こそ切り札を使うときでは!?』

「あ……そ、そうだ! 忘れてた!」


 華に託された七つ道具。

 ほとんど使ってしまったが、追い詰められた際に使うよう言われていた切り札の存在をすっかり失念していた。

 慌てて六番のスイッチを蹴り押す。


「うっ! な、なんだ?」


 突然踵を押されるような衝撃を受けて振り向くと、ありとあらゆる機能の収納スペースとなっている後方部分から、ディスクプレイヤーのトレイみたいなものがニョキッと飛び出ていた。

 そこに入っていたのは、家族の写真を収めていくだけでも数年は掛かるであろう、やたらと分厚いフォトアルバム。

 早速屈んで手にとって見てみる。

 その一番最初のページの左上に、つい吹きだしてしまうような浮世華の写真があった。


「ぶふっ」


 華は笑っているつもりなのだろうが、ほんの少し口角が上がっているだけでただのニヤリ顔になっている。

 それでいて瞳は、カメラを睨み付けていて半眼なのだから訳が分からない。

 こんな何の趣旨も伝わってこない写真を、恐らく華は自分一人で撮っている。その光景を想像すると更に面白い。


「く、くく……っ。これが切り札、か」


 ただの恥ずかしい写真。

 そこに込められたメッセージはきっと永遠に分からない。

 例え正解を導き出したとしても、華は絶対に認めないだろうから。

 でもそれは、秤がどう想像しても許されるということでもある。

 ならばここは思い切りポジティブに考えてしまえばいい。

 例えば――



『このアルバムが埋まるくらいの思い出を一緒に作りたい』



「……やる気、出て来た」


 秤は目を瞑って頭をフル回転させた。

 冷静に考えれば、スピカが簡単にゴールできるはずがないのだ。

 何故なら、遙か前方には校長の気まぐれの一件でスピカを敵視している楓がいるから。


(俺が追いつくには……スピカがさっき見せたアレをやるしかない)


 即ち、通常通り風夢を操りながらスタートダッシュをする。

 しかし同じようにイメージしても、すぐに風夢の速度が落ちて止まってしまいそうになる。

 これは訓練でどうにかなるとも思えない。

 きっとスタートダッシュに似たテクニックがあるのだ。

 悩んだ末、秤は若返った相棒に聞いてみることにした。


「なあ、どうしたらスタートダッシュのときみたいなスピードが出せるかな」

『他の方に押してもらうというのはどうでしょう。先程スピカさんに押してもらった際、少しだけスピードが増しましたので』

「……あ」


 一度速度を落とした銃弾が、もう一度爆発的に加速するためには。

 前以上のスピードを持った何かを真後ろから受けて、『運んで』貰えばいい。


(イメージは分かった。ただの銃よりも速い弾って言ったら)


 秤の知識の中に、一つだけ符合するものがあった。


(後ろから、『小銃ライフル』の弾がぶつかってくるイメージ……。丁度真後ろにぶち当たって……そのまま真っ直ぐに前へ……)


 通常の拳銃によって発射された銃弾に、ライフルで発射された音速を超える銃弾が追突するイメージを固め、秤は目を見開いた。



「吹っ飛べえええええええええええええええぇぇぇぇ――――――――!!!!!!!!!!」



 瞬間。

 秤の風夢はスタートダッシュを越える超加速を見せた。

 呼吸ができないほどの反動と強烈な寒気に襲われながらも、秤は決死の覚悟でバランスをとり続ける。

 華の改造がなければ一瞬で振り落とされていただろう。

 ヘッドセット越しの視界にはメーターも表示されているが、狂った方位磁石のように振り切れてしまっている。

 そして走馬燈のようなめまぐるしい視界の流動の中で、秤は確かに見た。

 改造水鉄砲で壮絶な撃ち合いをしている、楓とスピカの姿を。


「ま、待てぇぇぇ!! よくもさっきはトマトで騙してくれましたね!!」

「まさかブーストまで使ってくるなんて……あはははっ」


 あろうことか、楓とスピカは秤が目を開けるのも辛い速度の中をピッタリ後ろに付いてきていた。

 その上残りの水鉄砲で狙い撃ちまでしてきている。


「何でお前等付いてこれるんだよ! 化け物か!」

「そっちこそ! 一週間前に風夢に乗り始めた秤君が何でこんなに飛べるのよ!?」

「こうなったら残りの水鉄砲全部――」

「……っ」


 空の上でこの速度、おまけに二人は秤が装着しているヘッドセットのような風夢の機能を補完するアイテムを持っていない。

 それなのに落下する恐怖など微塵も感じさせずに秤を狙い撃ちできる二人の技量は一体どれほどのものなのか。

 何だかんだで差もグングン縮まってきている。


(もう少し……)

 実力で劣る秤が勝つためには、奇策を用いるしかない。


「捉えたわよ!」

「死んで華ちゃんのことは綺麗サッパリ忘れて下さい! フォーゲットフルです!!」


 とうとう二人が真後ろにまで迫った。

 それをヘッドセットで確認した秤は振り向いてニヤリと笑い、


「美味しい霧はいかがですか」

「「!?」」


 迷わず四番のスイッチを蹴り押す。

 途端に真後ろに向けて真っ黒いがとても食欲をそそる霧が散布された。


「何!? 目つぶし!?」

「な、何ですかこの海鮮風味の霧は……トマトとの相性が良くて困ります!!」


 得体の知れない謎の霧にさすがの楓達も躊躇してバランスを崩した。

その隙を逃さずに秤は一気に前に進む。

 楓が発したブーストというテクニックの効果なのか、減速する気配は全く無い。むしろ増しているような気さえしていた。


(――見えた! ゴール!!)



「「行・か・せ・る・かぁぁぁ――――――――!!」」



「いぃ!?」


 振り返る間もなく楓とスピカは秤の両隣を走っていた。

 全身から海鮮の香りを漂わせていて制服も真っ黒である。

 スピカに至ってはトマトの風味も合わさってとても美味しそうだった。


「パスタか!!」

「う、うるさいです!」

「秤君は頑張ったけど、最後はあたしが!」


 この土壇場だというのに二人の粘りは半端ではなかった。

 風夢の先端が、少しずつだが確実に秤よりも前に出て行く。

 脳裏に敗北の二文字がよぎる。

 秤は最後の悪あがきに上体を目一杯かがませて、空気抵抗を減らそうとした。それが功を奏したのか、秤の風夢も再び息を吹き返し二人に並ぶ。


「凄い、本当に凄い! ねぇ秤君、今度プライベートで競走しない!?」

「何だそれデートの誘いのつもりか!?」

「なっ、で、で!?」

「俺には負けられない理由があるんだ!」

「それは私の台詞です!」


 もはやゴールは目前。

 そのときの順位は楓、秤、スピカの順だった。

 恐らくそこで誰もが感じていた。

 これ以降順位が変動することはないと。

 楓は一位で大満足だろうし、秤も本気の二人と戦ってここまでのデッドヒートを繰り広げられたことが嬉しかった。

 しかし。

 この結果を受け入れられない者がいた。



「私は! 絶対に! 負けられないんです!!」



「あ、あんた正気!? ルール忘れ」


 楓の制止が間に合わないくらいのスピードでスピカはゴールを突き抜けていった。

 その直後に楓、秤がほぼ同時にゴールする。

 秤はスピカに負けたことで半ば放心状態だったが、ゴール地点に集まっていた先生達が何やら神妙な顔つきで話し合っているのを見て正気を取り戻した。

 そして華と合流後、共に女子寮へと帰ったのだった。


「あの馬鹿……」


 そんな楓の呟きがずっと耳に残っていた。

 秤が退学を免れる条件は、『好成績を修めること』だ。

 結果だけ見れば三位という体たらく。

 だが中学時代、トップクラスの成績を誇った二人と実力が拮抗していたのは確かだ。


 ハッキリとした結果が分からない不安と、勝てなかったことの後ろめたさ。

 二つの要因が重なり、秤は非常に気まずい一晩を過ごすことになった。

 無論、華から労いの言葉を貰うこともなかったのだった。


五章はこれで最後となります。


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