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「だから言ったじゃない! ただでさえ下手っぴなのに『技術科』のあんたが高空飛行なんて無茶するから……っ。これ、当たり所悪かったらどうするのよ」
「一緒に責任取ってくれるよね?」
「なんでそうなるのよ!?」
目を覚ました秤の耳元から姦しい会話の応酬が聞こえてくる。
(ここは何処だ? 何で女の子の声がするんだ)
ガイドさんと一緒にいたはずの秤は、何故か寝心地の良いベッドの上で横になっていた。
心なしか嗅いだことのある臭いもしている。
「血が一杯出てたね」
「ま、内出血よりは大袈裟に出血してる方が安心だと思うけど。もしものときは、あんたが結婚でもして一生面倒見てあげるしかないんじゃない? 頑張ってね」
「一緒に責任取ってくれるよね?」
「重婚しろと!?」
(血? そういえば、何かが頭に落ちてきたような)
すると思い出したように頭頂部が痛み出し、痛みに耐えかねた秤は体を起こした。
「ってて……」
「「!!」」
「あ。ど、どうも」
注目されるのが苦手な秤はすぐに目を逸らしてしまったが、ベッドの脇にいた二人の少女はとても可愛らしかった。
黒のロングヘアーの先端を少しだけ縛っている垂れ目の子は見るからに大人しげで、男なら誰もが守ってあげたくなるような魅力がある。
対して、隣にいるブラウンのツインテールに切れ長の瞳の持ち主はとても活発そうだ。二人共、秤が着ている制服に似たデザインの制服を着ている。
先程までの会話と外見だけで、何となく二人の関係性が分かってしまった。
「あの! 頭おかしくなったりしてませんか?」
「いや、あんたね」
「……平気」
初対面でいきなり罵倒された気がしないでもないが、彼女は恐らく秤の身を案じてくれていたのだ。下手なことは言わない方が良いだろう。
「良かった! 楓ちゃん、これで私達が責任取る必要はないよね!?」
「まあ……そうね」
楓と呼ばれた少女が、秤の顔色を窺いつつも曖昧に頷く。
しきりに責任責任と言っている子は、どうも自分の心配をしていたようだ。
あわよくば心配してくれた女の子と仲良くなっちゃって、みたいな期待を胸に秘めていた秤は、それを誤魔化すべく無謀な行動に出た。
「うぐぅ! 何だか胸が苦しい。これは後遺症か?」
「!? そ、そんなぁ……やっぱり私達が責任取らないと……?」
まさかの反応に思わずほくそ笑む秤だったが、まともな常識を持っていそうな楓には通用せず白い目で見られてしまった。
「あんた達、これワザとやってるんじゃないわよね」
「楓ちゃん? そんなこと言って、責任逃れは良くないよ」
「あんたがバランス崩して『風夢』ごと落っこちたからこうなったんであって、元々あたしは関係ないでしょ!? 何あたしが主犯みたいな言い方してんのよ!」
「でも楓ちゃんは私のパートナーなんだよ? 私のサポートをするのも楓ちゃんの役目だと思うな」
「いい加減にしなさいよ! さっきも言ったけど、下手なあんたは低空飛行から練習しないといけないの。それを調子に乗って高空飛行した上に『楓ちゃん見て見て~』とか言って余所見してるから!!」
「楓ちゃんが助けてくれるって信じてたのにな」
「ほ、焔……あんたって奴はぁ……!!」
楓の怒りがいよいよもってピークに達しようとしている。
二人の会話にはいくつか聞き慣れない言葉が出て来たが、どうにか秤は自分の置かれている状況を理解した。
空高く飛んでいた焔が、丁度秤の頭上でバランスを崩して落っこちた。
結果、女の子一人を乗せた体重計が秤の頭に直撃した。
「……よく生きてたなぁ俺」
「本当ですよ。中途半端に無事だったお陰で、私達が責任を取る羽目になっちゃいそうです。いっそのこと……ごにょごにょ」
「あくまでもあたしを巻き込むつもりなのね……」
「「「……」」」
数秒の沈黙。
この間に、秤は先程から感じていた焔の理不尽な物言いにようやく気付いた。
「ふざけんな!!」
「あんたピンピンしてるじゃない!」
「今日のお昼は何が良いかな?」
残念ながら、秤の言葉は皆が一斉に口を開いたことでかき消されてしまった。
それよりも問題なのは、
「焔だっけ。君、流石にひどくないか? 誰のせいで転学初日から病院のベッドに寝かされてると思ってるんだよ」
「あー……焔にまともなこと言っても無駄よ。極力関わらないことを勧めるわ」
「君はまともなのか」
「まあこれよりはマシだと思うけど」
そう言ってすっかり秤のことなど忘れた様子の焔に視線を送る楓。
「それより気になること言ってたわね。転学初日って」
「言葉通りだけど。あのガイドさんから聞いてないのか? というか、俺が気を失ってからここに運ばれるまでの経緯を教えてくれないかな」
「ガイドさん? ああ、電家先生のことね。先生からはただ保健室に運ぶように言われただけよ」
「あの人教師だったのか……」
ガイドさんが言わなければ秤はあの場に放置されていたかもしれない。そう思うと感謝してもしきれないが、楓は他にも気になることを言っていた。
「ここ、保健室? 病院じゃなくて?」
「何処からどう見ても保健室じゃない」
「何処からどう見ても病院の一室だろ」
しかし改めて保健室と言われると、確かにさっきから変な臭いがしている。この鼻に付く臭いは消毒液のものだったようだ。
「どんだけ小っちゃかったのよあんたの学校」
「……」
悪気があっての発言ではないのだろうが、これまでの母校を侮辱された気がして気分はよくなかった。言い返したくても、彼女達からしてみればアアル島の常識が当たり前であって、秤の知っている世界の方が異常なのだから話は通じない。
結局秤は話題を切り替えることにした。
「職員室に案内してくれないかな。元々そこに向かう予定だったんだ」
「何であたしが」
「仕方ないよ。悪いのは楓ちゃんだもん」
「突然入ってきて責任押しつけてんじゃないわよ!!」
体全体で憤る楓の気持ちが、出会ったばかりの秤には手に取るように分かる。母親に振り回されてここまでやって来た秤の心境とシンクロしているのだ。
焔の可愛い顔の下に眠る理不尽さには秤も苛ついていたため、一計を案じて楓に助け船を出すことにした。
「焔さん」
「はぁい?」
「っ」
天使のような笑顔に一瞬たじろぐも、気をしっかりと持って続ける。
「責任云々は当事者の俺に決める権利があるよね」
「それは勿論ですよぉ」
「なら道案内は楓さんにお願いしよう」
「あは」
「な、何でそうなるのよ!? あんた何コロッと騙されて」
楓はついさっきまで気を失っていた秤の胸ぐらを掴んできた。頭が激しく揺らされて一瞬意識が飛びそうになったが、これは楓のためなのだ。
「だ、から! それで、チャラにする、から」
「……どういう意味?」
「?」
「俺を案内してくれれば『楓さんの罪』はチャラ。でも焔さんの方はもっと別の形で責任取って貰うから。絶対に」
「え」
秤の思いがけない一言に、天使の微笑みのまま固まる焔。
「さあ行こうか楓さん。若干ふらつくから肩を貸してくれると有り難いんだけど」
「わ、分かった」
枕元に置いてあったかさばること間違いなしのアナログ体重計を抱え、遠慮無く楓の肩に手を回す。
呆然とこちらを見ている焔を一人残し、二人は保健室を後にした。