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アアル学院最下層、第一身体測定会場。
学校の体育館ほどの広さを誇るこの巨大な地下空間には、たった一つの特殊な計量器と巨大なモニターがある。
計量器は一家に一台置かれている体重計とは全く違い、一度に四人まで調べることが可能で、ありとあらゆる身体データをより細かく導き出せる。
人一人をすっぽり覆い隠すようなカプセル型のケージが四つ並んでいて、そこに一人ずつ入り計測するのだ。
そして理想体重にどれだけ近づけるかを競う――これが身体測定という名を借りた、女同士の『体重レース』である。
ただどちらかと言えば、表彰台に上がって功績を称えられるようなものではなく、女としてのプライドを懸けた戦いなので、ほとんど自己満足と言って良い。
そんな自己満足の戦いに様々なものを懸けているのもまた事実なのだが。
(……視線が気になるな)
下着姿で一人ポツンと立っていた浮世華は、周りからの視線に悩まされていた。
原因は分かっている。
異性をパートナーにして一緒に生活しているという、刺激的なネタ。
本来ならいの一番に噂好きの生徒が寄ってきて洗いざらい喋らそうとするのだろうが、華の場合そうは問屋が卸さない。
華は飛び級なので、同級生と言っても年齢に開きがある。
気軽に声を掛けられる人柄も持ち合わせていない。
とはいえ。
こうもあちこちからひそひそ話が聞こえてくると流石に居心地が悪い。
何処か目立たないところに移動しよう、と視線を巡らせたときだった。
「ったく、見世物じゃないっての。ほらあんた達、散った散った!」
その声を聞いて、遠巻きに華を取り囲んでいた包囲網は蜘蛛の子を散らすようにいなくなった。
代わりに見知った二人組がこちらに近付いてくる。
「楓ちゃん男らしい~。でも多少は仕方ないと思うけどねぇ。やっぱり気になるし」
「だとしても露骨すぎるって。この分だと秤君の方も大変そうね」
疾風楓と寸鉄焔。
去年の中等部でトップクラスの知名度を誇った先輩だ。
二人は着ている下着も体躯も対照的だった。
スポーツブラに身を包んだ楓は、競泳選手のようにスレンダーで引き締まった肉体を持っている。
対してかなり大人びた下着を身に付けている焔は、凹凸がハッキリしていて如何にも男子の注目を浴びそうなスタイルだ。
転学早々に彼女達と仲良くなっていた秤をパートナーにしたことで、必然的に彼女達と会話する機会も増えたが、年上ということもあって華は未だ慣れずにいた。
「大丈夫だった? 何か変なこと言われたりとか」
「いいえ」
首を振って答える。
楓の心遣いは有り難いが、華の胸中は複雑だった。
理由は単純で、根本的な問題はむしろ酷くなったからである。
同性から多大な信頼を寄せられている楓に助けられても、新たな噂を呼ぶだけであって何の解決にもなっていない。
彼女達と関わるだけで羨望の的になることすらあるのだ。
「明日からは本格的に秤さんに色々してあげないとねぇ」
「い、色々って……どうしてあんたはそう変なプレッシャーをかけるのよ」
「だって羨ましいんだもん。あーあ、私も秤さんのパートナーになりたかったな」
「!? い、良いんじゃないの、別に。掛け持ちしちゃ駄目なんて規則はないし、今の秤君には支えてくれるパートナーが多ければ多いほど良いだろうし? というか、別にあたしは気にしないし、秤君重視でやっても全然問題ないし!?」
動揺するにも程があった。
「ぷっ、あははは。冗談だってば。安心して? 楓ちゃん」
「……っ」
またしてもしてやられたことを知って、楓は口を尖らせてそっぽを向いてしまった。
男子と女子の視線を釘付けにしている彼女達が、まさかここまで秤のことを気にかけているとは。
たった一晩とはいえ、体重調整に協力したことで情でも湧いたのだろうか。
そんなことを思ったからか、華は少しだけ対抗心を見せた。
「もう、色々してあげてますけど」
「えぇ!?」
「わお。浮世ちゃん、おっとな~」
焔には全く通じていないが、嗜虐心をくすぐる楓の反応を見られただけで華は満足した。
すぐに視線をモニターの方へと移す。
モニターに表示されているのは、去年の中等部と高等部における身体測定の年間ランキングの結果だ。
理想体重に近い順に生徒の名前がズラリと並んでいる。
去年の中等部の年間ランキング、僅差で先輩達を打ち破って一位を勝ち取った少女の名は――天座スピカ。
彼女は、華がアアル島にやって来たときの最初の話し相手で、それ以来執拗にパートナーになってほしいとせがまれ続けてきた。
それが何なのかすら分からなかった華は、延々と纏わり付いてくるスピカに対して畏れを抱き、遠ざけるようになった。
華がパートナーというものに抵抗を感じていた概ねの原因はスピカなのだ。
(早く終わらせて、早く帰ろう)
スピカには会うまいと心に決める。
華にパートナーができたことは既に周知の事実となっている。
それなのに、未だスピカは何のアクションも見せていない。
強引な手を使って華の後を追うように飛び級したスピカのことだ。知らないなんてことはないはずだが、会ったら会ったで何を言われるか分かったものではない。
そんな風に嫌な想像を巡らせていると、この場所にだけ流れる特殊なチャイムが鳴り始めた。
「お……微調整タイムが始まったわね」
「いよいよ本番だね」
楓の言った微調整タイムとは、文字通り体重を微調整するための時間で、約十分間の猶予が与えられる。
トイレに行くのも水を飲むのも運動して汗を流すのも認められるのだ。
この身体測定では、体重だけでなく身長も細かく分かるため、現時点での理想体重がより明確になる。
普通の体重計で量った小数点第五位までの理想体重とピッタリ一致していたとしても、ここで量れば小数点第六位以下の数字で違いがハッキリする。
だからこそこの微調整タイムでは、少しでも理想体重に近づけるように皆が行動を起こす。
楓は軽いストレッチで体を慣らし、焔はほんの少しだけ水を口に含んだ。
中には会場を爆走している少女もいる中、華だけは何もせずにいた。
華の場合、一日の運動量や栄養の摂取量がほとんど一定なので、何か特別なことをするよりも何もしない方が好成績を修めることができる。
この時間なら理想体重に極めて近い数字をたたき出せるという、確固たる自信があった。
事実、華は去年の総まとめで堂々の六位に入っている。
「微調整タイムで走り込みって……一応、一気に食べて一気に減らすってのも手段の一つではあるけど。明日の筋肉痛が想像できるわね」
「あれ? ね、あの子スピカちゃんじゃないかな」
「え」
第一身体測定会場を縁取るように走り回っている少女の顔を注視してみると、確かにその顔は天座スピカのものだった。
「そうなの? 全然分からなかった。飛び級するって話を聞いたときは変わってなかったのに。また随分とばっさりいったのね」
スピカは腰に届きそうなロングヘアーが印象的だったが、今は耳が半分見えるくらいのショートヘアーとなっている。ほぼ別人と言って差し支えない。
「そういえば……『パートナーができれば先輩にだって勝てるんだから!!』って去年ずっと言ってたよね。それで髪を切ったってことは」
「ふられちゃったってこと? そ、それって」
「うん。つい最近コンビを組んだ人と言えば二人しかいない訳だけど。秤さんは転学してきたばかりだし、男の子だし」
「じゃあ」
二人の視線が華に集中する。
別に隠す必要などないが、わざわざ教えてどうこうなるものでもない。
ならば聞こえない振りをするのが一番と判断し、華はモニターをジッと見上げたまま微動だにせずにいた。
その体が、唐突に揺さぶられた。
「は~な~ちゃあああ~~~~んうぅ~~~……………………ぇう」
「っ」
汗と涙で顔をクシャクシャにした天座スピカに抱きつかれたのだ。
「パートナー、できたんだよね。おめでとっ……ぐじゅっ……ござます……うぇっ」
「ろれつが回ってないじゃない……」
呆れた様子で楓が窘める。
「先輩!? いつの間に後ろに!」
「それはこっちの台詞」
スピカを突き飛ばして苦言を呈す。
とにかく、彼女のスキンシップは暑苦しいことこの上ない。
おまけに下着姿のまま爆走していたスピカは非常にベタついているため、極力密着するのは避けたかった。
「も、もしかして先輩が華ちゃんのパートナー? 二股ですか!」
「違うってば。ちゃんと別にいるわよ。それより、あんた達知り合いだったんだ」
「一方的に纏わり付かれてるだけに見えるのは気のせいかな?」
焔の核心を突く言葉に、華は少しだけ救われた気がした。
「わ、私はただ、華ちゃんの友達になりたかっただけですし。別に、私よりも素敵な友達ができたならそれを祝福するべきぃぃぃ……」
「その様子だと未練タラタラね」
「安心して良いと思うよ? 秤さんと浮世ちゃんは物凄くお似合いだし」
「秤さん? それが華ちゃんのパートナーのお名前ですか?」
涙ぐみながら意外な台詞を口にするスピカ。
「ん? あんた相手のこと知らないの?」
「色々と噂になってるのは知ってますけど、ママに聞いてから今日の朝までボーッとしてたので詳しいことは何も。秤さん? ってどんな子ですか?」
「そ、それは」
楓は言い淀んでしまった。
この場で相手が男子だなんてことを知ったらスピカがどんな行動を起こすか分からないので、彼女の対応は間違っていない。
惜しむらくは、華に対するスピカの情が尋常でないことを楓が知らなかった点だ。
即ち。
「……その反応、怪しいです。ダウトです」
言い淀んだ時点で手遅れなのだ。
「ぜ、全然そんなこと、ないって」
「焔先輩はどう思いますか?」
楓は当てにならないと見るや、スピカはすぐさま焔に矛先を変えた。
焔とスピカ。
考え得る限り最悪の組み合わせに華は目眩を起こしそうだったが、すんでの所で先程と同じチャイムが流れて微調整タイムが終了してくれた。
各々が微調整に使ったものを床に置いて、緊張の面持ちで呼ばれる順番を待つ中、スピカは懲りずに焔に詰め寄り続ける。
「教えて下さい! プリーズです!!」
「う~ん。でもぉ~」
思っていることを口にするスピカと、のらりくらりと躱し続ける焔。
そして、その二人を不安そうに見つめる楓と華。
この賑やか集団が教師の目に留まったのは自然と言えよう。
「そこの四人。ケージの中に入りなさい」
「「「「!!」」」」
一度呼ばれてしまっては言葉に従うしかなく、スピカも渋々引き下がる。
右から、楓、焔、スピカ、華という順にケージの中に入っていく。
内部にある規定の位置に、全員が後頭部とかかとを合わせると扉が閉まる仕組みだ。
準備が整い、ゆっくりと四人がケージに覆われていく。
その直前、焔から爆弾が放り込まれた。
「秤さんは血気盛んな男の子だよ。二人は絶賛同棲中! きゃーこれ以上は言えなーい」
「なっ――」
スピカが慌てて抜け出そうとするも、とき既に遅し。
一度ケージが閉じてしまえば、内部からはどうすることもできない。
「天座さん、あんまり暴れると正確に量れませんよ」
スピカは先生の忠告を無視して一心不乱にケージをこじ開けようとしている。あれでは計量器を破壊しかねない上、先生の言う通り良い結果が出るわけがない。
しかしそれこそが焔の狙いだった。
華と楓の二人だけがそのことに気付き、すぐに思考を切り替える。
今はそんな些細なことに構っている暇などない。
この場でおかしな行動を起こしているのはスピカただ一人なのだから。




