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「失礼します」
「はーい。今開けまーす」
校長室の中から軽快な返事が聞こえてくる。
こういう場合、こちらから入るのが礼儀だと思うが、校長先生と思しき人物は自ら扉を開けて秤達を出迎えてくれた。
「まあまあ……遠路はるばる良くきたわねぇ~」
「!?」
突然秤の視界が奪われたのは、校長らしき女性に思い切り抱き締められたからだ。
随分と背の高い女性だった。
ほぼ172㎝の秤を胸で抱き締めるほどなので、バレーボール選手もビックリの高身長である。
……と思いきや、実際は違った。
(超厚底。30㎝……いやもっとか? なんつー危ない靴だよ)
もはや竹馬を靴代わりにしているような感じだ。
彼女が身長にコンプレックスを抱いていることはまず間違いない。
「校長、まずは本題から」
「ごめんなさい。李下の子供と会うのは久し振りだから嬉しくって。私の名前は天座乙女。アアル学院には幼等部から大学部まであるけど、校長は一人だけ。それが私よ。よろしくね」
「は、はあ。どうも」
薄い胸元から解放された秤は、その名前……正確には名字に反応して複雑な表情のまま思考を巡らせる。
(李下って母さんのことだよな。というか、天座だって? 全く記憶にないけどこの人親戚なのか。だとしたら……まずいな)
「さ、座って? のんびりお茶でもしながら話しましょう」
「いえ。一刻も早く話だけして帰ります」
「そ、そんな!」
秤は全力で校長先生の好意を遠慮した。
あの自分勝手な母親の知り合いなど関わるだけでごめんだ。
類は友を呼ぶと言うし、昔なじみなのだとしたらそれだけで恐ろしい。
あんな母親と長く付き合えるのは、変わり者である何よりの証だから。
「あまりのんきに話をしている場合でもないですし、ここは彼の言う通り手っ取り早く説明するのが望ましいかと」
少し引っ掛かる言い方ではあるが、電家先生も秤に賛同してくれた。
「せっかくスピカちゃんのことも話したかったのに……。でもまあ、仕方ないか。えっと、秤ちゃんの成績なんだけど」
「もうさっきのが反映されるんですか」
結果はどうあれ、秤は自らの命を危険にさらした。
叱責を受ける覚悟はとっくにできている。
「残念! 失格~。成績にペナルティ~。そして退学~」
「……は? え……、???」
思考が全く追いつかない。
失格になるのはこの際仕方がないにしても、成績がマイナスになるのは何故だ?
秤はアアル学院に入学したばかりで結果を残すような成績を修めていないため、マイナスも何もないはずなのに。
極めつけは退学だ。
転学二日目で退学などと言われても反応に困る。
勿論、露出狂の犯人と断定されているとか、女子寮に無断外泊したとかの理由が重なっていたら妥当な罰かもしれないが。
「校長。流石に端折りすぎかと」
「そう? なら一つずつ片付けていこっか。まず、さっきのレースが失格なのは分かるかしら」
「はい。危険な行為をしたから……ですよね」
「え、違う違う。フライングだよ」
「――!?」
校長先生の言葉が信じられなかった。
秤は全神経を聴覚に集中して電家先生のフェイントを聞き分けた。
結果として精度に欠けるスタートダッシュとなってしまったが、少なくともフライングはしていない。
していないはずだ。
「……有り得ません。俺はちゃんと、電家先生が撃った空砲の音で」
パァン!!
「!!」
あのときと全く同じ音を聞いて電家先生を見るも、彼女の手には何もない。
ただ両手を合わせているだけで――
「ま、まさか。手を、叩いただけだった?」
「はい」
「そういうこと~。ちゃんと目を開けていれば簡単に気付けたはずだよ?」
恐る恐る華に視線を送ると、ばつの悪そうな顔でそっぽを向かれてしまった。
華が知っているのなら、あの場にいた誰もが秤のフライングを知っていたことになる。
つまり、気付いていなかったのは秤だけだったということ。
「フライング……それで失格……」
たった一人浮かれていた自分を思い返すと惨め過ぎるが、同時にやるせない気持ちもわき上がってくる。
「それは、分かりましたけど! 退学ってどういうことですか!? 俺は成績なんて元々ないし、ペナルティ受けてもゼロはゼロでしょう!!」
「ん~……秤ちゃん、数学は苦手?」
「数学? いえ、むしろ得意な方ですが」
「じゃあ、成績0から今回のペナルティを引かれたら?」
「…………………成績に、マイナスがあるってことですか」
「全部納得がいったかな?」
「はい……」
頷くしかなかった。
勿論言いたいことは山ほどある。
オリンピックでもなし、フライングをしただけで成績にペナルティというのがそもそも理不尽だ。
そのルールが転学したばかりの秤に適応されるのもおかしな話。
退学なんていくらなんでも酷すぎる。
しかし。
フライングが失格になることと成績にペナルティを受けることは、事前に活生から聞いていたのだ。
その上で無謀な特攻を仕掛けたのだから、今更言い訳する気にはなれなかった。
完全に自業自得だ。
「それで、俺はどうすれば? このまま船で本島に戻れば良いんですか」
「秤ちゃん、せっかち! 成績のことはまだ挽回できるから、諦めちゃ駄目よ」
「挽回?」
「来週、月一のレースがあるでしょう? そこで好成績を修めることができれば、今回のマイナス分を補完できるから。頑張って!」
校長先生は秤の肩にポンと手を置いてウインクをしてくる。
段々と彼女の言っている意味が分かってきた。
「月一レースって、競技科の生徒全員が強制参加なんですよね。活生の話だと、確か組み合わせは成績別に分かれるって」
「うんうん」
「成績がマイナスの俺はどんな組み合わせになるんですか」
成績というのが学年総まとめの成績だとしたら、恐らく秤と当たるのは一年生の成績最下位生徒と他複数になる。
とても情けない期待の仕方だが、それくらいでなければ秤に勝ち目はない。
「秤ちゃんみたいに成績がマイナスの生徒はいないの。だから今回は特別枠として、こっちで組み合わせを決めます」
「……どんな風に?」
「楓ちゃんとうちの娘の予定!」
「―――」
あまりのショックに秤は膝から崩れ落ちそうになった。
楓の実力は結局見られていないが、活生の口ぶりからしてその成績を疑う余地はない。
校長先生の娘さんにしても、楓と並ぶ成績ということであれば考えるまでもないだろう。
「……三人ずつなんですか、月一レースって」
「それだけじゃなくて、月一レースは地上じゃなくて空の上で行うの。距離も二十㎞にアップ!」
「それ短距離か!?」
「更に妨害もあり! 後、止まったり落ちても失格。週一レースはあくまで練習なのよ~」
短距離の本番が二十㎞なら、中距離以降はどうなるのだろうか。
超長距離となると、下手したら島何十周くらいの規模になりかねない。
秤は勝手に競馬のようなイメージを膨らませていたのだが、F1の方が近そうだ。
アアル学院に来るまでのやたらと入り組んだ道は長距離以上のレースに使うコースだと思っていたが、地上の道は全て練習用なのかもしれない。
「大丈夫」
途方に暮れていた秤だったが、華に制服の裾を控えめに引っ張られて我に返った。
「勝ち目はある」
「……分かった」
華の力強い言葉を聞いて、秤は大切なことを思い出した。
秤はもう一人ではない。
「もしかして、二人はパートナー同士? だったりする?」
「あ、はい」
「そっか……スピカちゃん、残念ね。まあ仕方ないか、李下の子だし」
何のことだか分からないが、あの母親の息子ということで納得されるのは心外だった。
「となるとこっちの部屋じゃ狭いかしら。光ちゃん、私が予約しておいた女子寮ペア棟の部屋ってまだあった?」
「あるにはありますが、天座君は男の子ですよ」
「そんなの見れば分かるってば。どのみち、男子寮ペア棟に華ちゃん一人を入れるのは危険でしょ?」
「それはまあ、その通りですね」
電家先生は困惑しつつも校長先生の言葉に従った。
秤が暮らす部屋のことを言ってくれているのかと思いきや、何故か華の名前まで出ている。
華は当然女子寮に自分の部屋があるはずで、今更部屋を移動する必要などない。
一方の秤は男子寮に一部屋借りるだけで済むが、どうもそう簡単にはいかないらしい。
「んー……確かこの辺にしまっておいたはず、と。あ、あったあった。スピカちゃんのために用意してた物だけど、ふられちゃったなら仕方ないもんね。秤ちゃん、大切に使ってね」
そう言って校長先生が机から出したのは鍵だった。
何故か二個ある。
「部屋の鍵ですか? 何で二個も? 予備?」
「華ちゃんの分よ~」
「え? でも、どっちも同じ部屋番号ですけど」
「それはそうよぉ。同じ部屋だもの」
「「……」」
秤は華と無言で数秒顔を見合わせ、
「……!? え!? 同じ部屋? 二人で一緒に住めってことですか!?」
「知らなかったんですか? パートナーのいる生徒は二人で暮らすのが校則ですよ。その方が互いのスキルを高めやすいですし、絆もより深まるでしょう」
「…………………………あっ」
言われてみれば、ここに至るまでにヒントはあった。
楓と焔が二人で暮らしていたのはコンビを組んでいたからなのだ。
単に仲の良い二人が一緒に生活しているだけと考えても充分自然だったが、ちゃんとした理由があった訳だ。
おまけに楓は、男女が組むのは色んな弊害があると言っていた。
そして秤の動機を不純とも言っていた。
あれはつまり、秤が華に対して同棲することを迫っているように聞こえていたのだろう。
楓の反応は至極真っ当なものだった。
(いや、今問題なのはそんなことじゃない。このことを華は知って?)
もう一度視線を送ってみると、彼女と思い切り目が合った。
その半眼の瞳には確かな怒りの炎が灯っている。
(に、睨まれてる)
華はパートナーのことなど全く興味がなかった。
だから必然的に知る機会もなかった。
知っていたら秤を助けようとはしなかったかもしれない。
「あらあら。二人共知らなかったなんて意外ねぇ」
「天座君は……本当に知らなかったんですか? 疾風さん達と一緒に行動していたのに」
「ほ、本当ですって! そんな白い目で見ないで下さいよ!!」
痛いところを突かれて慌てふためく秤。
極めつけは華の一言だった。
「……これが本当の目的」
「違う!!」
ここまでが第三章となります。




