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天駆ける風夢  作者: 襟端俊一
第三章 FLYING
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 女の子の部屋。

 それはジャングルの奥地にひっそりと佇む秘境のような希少さと、男子なら誰もが惹かれてしまう甘美な響きをかね揃えた楽園である。


 そんな場所に訪れることができるのは、総じてコミュニケーション能力に恵まれた者だけだ。

 孤独に一人暮らしを続けてきた天座秤にとっては、夢のまた夢。

 だったはずだ。


「夢の国……楽園……お花畑……」

 正に夢心地といった様子で秤は呆けていた。


「ちょっと。あんまりジロジロ見ないでよね」

「秤さんが見てるのは私のスペースだけだよ?」

「そ、そう? それなら……。ってそれはそれで複雑なんだけど!」


 何やら耳元で楓が喋っているが、秤の耳には届かない。

 先程聞いた限りだと、二人が暮らしているこの部屋はワンルーム二十畳。そこをそれぞれの本棚やタンスなどの家具で仕切り、二人分のスペースを作っているんだとか。


 ワンルームにも拘らずそれぞれの空間には明らかな違いがあった。

 秤の目の前に広がるのは、如何にも女の子といった感じの焔の部屋。

 可愛いらしいぬいぐるみが置かれている薄桃色のベッドに、シロクマのようなモコモコのカーペット。その上にパウダービーズのクッションを抱いた焔がチョコンと女座りで座っている姿は、思わず抱き締めたくなるほど愛らしく、とても絵になる。


 それに比べて楓の部屋は何とも形容しがたい雰囲気を醸し出していた。

 強いて言うなら男の部屋に近いが、それでも足りないものがいくつかある。恐ろしいくらいに物がないのだ。ゲームや漫画といった嗜好品の類いはおろか、衣類すら見当たらない。

 秤はこの部屋を見なかったことにしようとしていた。そうすれば秤の中で、女の子の部屋のイメージは間違っていなかったんだと実感できるから。


「何でこっちを見ないのよ!?」

「イメージが崩れるからじゃないかな」

「何よそれ!! ちゃんと綺麗にしてるじゃない! 何が不満なのよ」

「男の子が思い描く女の子の部屋っていうのは、綺麗なだけの部屋じゃないんだってば。ですよね秤さん」

「その通りです」

 男心を理解している焔に敬服しつつ、同意する。


「むー……」

「そもそも綺麗にしてるって……秤さんを迎えに行く前、慌ててクローゼットに色々と詰め込んでたのは目の錯覚だったのかなぁ」

「何でそれ言っちゃうのよ!?」


 焔が暴露した情報を聞いて、秤はようやく得心がいった。

 部屋のものを片っ端からクローゼットに押し込んだのなら殺風景なのも頷ける。


「仕方ないよぉ。これが本当の楓ちゃんなんだから」


 焔はポンと楓の肩に手を置いて慰めた。

 ここは男子禁制の女子寮。当然、男の子が尋ねてくることを想定している生徒などいない。

 それはつまり、この部屋の有り様が彼女達の本質を表していることに他ならない。焔の女の子らしい物言いは演技だとばかり思っていたが、この部屋を見るにあれは素なのだろう。

 ちょっと言葉に棘があるだけで。


「もう少し片付ける時間があれば……っ。今度遊びに来るときは、前もって言っておいてよね」

「滅茶苦茶言ってるな……」


 楓が言っているのは、男が尋ねてくるときだけ部屋を綺麗にするということだが、それは事前告知の持ち物検査みたいなもの。普段から綺麗にしているかどうかが重要なのだ。そのときだけ綺麗にされても、普段がゴミ屋敷だったら何の意味も無い。

 まあ、どのみち女子寮に遊びに来る機会なんて金輪際無いだろうが。


「ところで、俺は何処で寝れば良いんだ?」

「えっ」

 楓は考えてなかった、とばかりに目を丸くして固まった。


「丁度楓ちゃんのお部屋が綺麗ですし、そこで布団敷いたらどうですか?」

「だ、駄目よ! 駄目駄目駄目! それは絶対に駄目!」


 あまりの剣幕に秤も内心傷ついたが、確かに女の子の近くで寝るというのは緊張するし恥ずかしい。明日のレースに備えて睡眠もたっぷりとらなければなら――


「……レース……」

「「?」」

「レース! 忘れてたあああああああああああああああああ!!」

「ちょっ」

「静かにして下さい! 男子を泊めてるなんて知られたら大変なんですよ」

「……ごめんなさい」


 焔に冷静に窘められ、途端に縮こまる秤。いくら部屋に入ったとはいえここは女子寮だ。バレたら楓と焔に多大な迷惑を掛けてしまう。


「で? 確かに明日は週一レースだけど、自由参加だし秤君には関係ないでしょ」

「本来ならそうなんだけどさ。実は」


 秤は真剣な顔で説明を開始した。

 浮世華と交わした『明日のレースで勝てばパートナーになることを考える』という約束を話すと、楓と焔は様々な感情が入り交じった複雑な表情を浮かべた。


「俺が勝つのは難しいとか、そういうのはもう分かってるから言わなくていいぞ」


 ネガティブな意見を聞きたくなかったため先手を打ったが、二人が指摘したのは全く別の問題だった。


「秤君、あんたね! 男女でコンビを組むって、どういう意味か分かってんの!?」

「そうですよ。さすがにまだ早いかと」

「それは充分理解してるつもり」


 早いと言われればその通りだ。

 何せ秤は風夢を触ってからまだ丸一日も経っていない。そんな秤が、同学年とはいえ飛び級生徒の浮世華にパートナーを頼むなど身の程知らずにも程がある。

 だがそれらを踏まえた上でも明日のレースに勝ちたかった。


「どうにかして明日のレースに勝てないか……特に、楓にアドバイスを貰いたい」

「嫌よ! 動機が不純過ぎるし!!」

「え……不純?」

「だ、だって女の子と組みたいなんて下心丸出しじゃない! 最低!!」


 楓が執拗に責め立ててくるのは、恐らく秤の動機を疑っているからだ。

 浮世華の精細なプロフィールを知りたいがため、と勘違いしているのなら、同じ女として華を守ろうとするのは当然――


(あれ? 俺が競技科で華が技術科なら、体重とかを知られるのは俺の方だから……不純なんて言われる筋合いは無いような)


 となると楓は、男女で組むということ自体にあまり良い印象を持っていないようだ。

 まるで何処ぞのお嬢様のような思考である。


「下心なんて無いよ。ただ俺はあの子に、真剣に考えて貰いたいだけなんだ。結果がどうとかじゃない」

「そ、そんなに真剣なの?」

「ああ」

 秤は楓の瞳を真っ直ぐ見つめながら答えた。


「もしかして秤さん、知らない……?」

「え?」

「あ、いえ。なんでもないです」


 焔が呟いた台詞が少し気になったが、今は楓の説得が先決だ。

 秤は再び楓の方に向き直り、反応を待った。


「……一つだけ教えて」

「うん」

「その子とはまだ出会ったばかりでしょ。それなのに、どうして本気になれたの?」


 楓の問いに対する答えを、秤は持ち合わせていなかった。

 それは秤自身が聞きたいくらいの疑問だったから。

 一目惚れとまでは行かないまでも、一瞬で顔を覚えてしまうくらいに浮世華が魅力的に映ったのは確かだ。

 しかしそれが彼女をパートナーにしたい理由か、と考えると違うのだ。


「どうして、か」


 そのとき秤の脳裏に蘇ったのは、孤独に教室で自習をしている浮世華の後ろ姿だった。

 秤の想像通りなら、彼女は小学生の頃にアアル島にやって来て、今の今まで環境に馴染むことができずにずっと一人ぼっちのままだ。でなければ、あれほど他人を拒絶することはないはず。


(……そうか。俺が気になってたのは、そういうことだったんだ)


 秤は浮世華に、『未来の自分の姿を見た』ような気がしたのだ。

 アアル島に来た今日。

 電家先生の導きがあって、楓と焔の二人に出会って、活生という同性の知り合いもできた。一見すれば秤のアアル島生活における未来は明るく見えるが、実際はそう上手くはいかないだろう。

 普通は新しい環境の全てを、ありのまま受け入れることなどできはしない。

 心の拠所が無ければきっと秤も殻に閉じこもってしまう。

 浮世華と天座秤は、互いが心の支えになれる可能性を秘めている、唯一無二の存在と言っていいかもしれない。


「あの子……未来の俺を見ているみたいで、放っておけないんだ。今からでもやり直せるって、あの子に教えてあげたい。……自分のためにも」

「……………………そう。分かった」


 楓は認めてくれた。

 彼女には華や秤の気持ちなど決して理解できない。けれど、それを分かった上で理解しようとしてくれている気持ちが嬉しかった。


「でも楓ちゃん、具体的にどうするの? 秤さんが勝つのは難しいよ」

「そうね……いくら短距離って言っても、やっと風夢に乗れるようになった秤君じゃ勝ち目がない。となると、今できることは一つだけね」

「というと?」


 秤は悔しさを滲ませつつも楓を促した。いちいち経験不足を指摘されるのは辛いが、事実なのだからしょうがない。


「極限まで理想体重に近づける。これしかない」

「理想体重か……そういえば、風夢の性能は持ち主の体重が理想体重に近付けば近付くほど劇的に変わるんだっけ」

「男子はテクニックだけであまり体重に気を使わないから、組み合わせ次第では秤君の経験不足を補えるかもしれない」

「それはまあ、分かったけど」


 理想体重まではまだまだという電家先生の言葉を思い出し、秤は渋い顔をした。


「理想体重に近づけるってかなり難しくない?」

「その点では私は役に立てないけど、焔がいる」

「うーん……それも簡単にはいかないと思うけどなぁ」

「え、何で?」

「だって、楓ちゃんの場合は一日の平均摂取カロリー、運動量、新陳代謝、その他諸々の情報と数年間の経験があるから。例えば暴飲暴食したとしても、すぐに理想体重に近づけるように調整が可能。でも秤さんのことはほとんど何も分からないでしょ?」

「確かにそんな精細なデータは無いな……」


 簡単なカロリー計算なら秤にもできる。

 例えばランニングで消費するカロリーは体重×距離だが、実際の数字は少し違う。人によって筋肉の付き方、汗のかき方は違うし、走ってる間だって体には変化が起きている。

 そういった細かい数字にすら妥協しないのが、技術科である焔が頼りになる所以でもあるのだろう。


「とりあえず、秤さんの体重を教えてくれませんか」

「突然言われても。あんな細かい数字覚えて――あ」

 秤は制服のポケットを探ってみた。確かプリントを渡されていたはずだ。


「あった。これ」

「ふむふむ……成る程。この数字なら何とかなるかもしれません」

「本当か!?」

 身を乗り出して焔に詰め寄る。


「はい。じゃあこれを量った時間と、それから口にした飲食料、歩行距離を大体でいいので教えて下さい」

「えっと。量ったのは保健室で、二人と別れてから二十分後くらい? で、それから水以外何も口にしてない。歩いた距」

「何も食べてない!?」

「ぐえぇぇ」

 秤は息ができない程に襟元をしめられた。


「ちょっとこっちに来て下さい!」


 そう言われて秤が引きずられてきたのは洗面所。そこにあったのはよくあるデジタル体重計だった。

 ディスプレイがやたらと横に長いので、これも細かく体重を量れるアアル島仕様となっているようだ。


「さあ脱いで下さい。量って下さい。今すぐに!」

「わ、分かったって。何でそんなに怒ってるんだ」

「焔は健康管理にうるさいからね。何にも食べてないなんて許せないのよ」

「せめて洗面所から出て行ってくれよ」

「はいはい」

「量り終えたら言って下さいね」


 二人が出て行くのを確認し、渋々体重計に足を乗せる。

 秤とて、好きこのんで絶食していた訳ではない。今日ばかりは考えることが多すぎて、食にまで頭が回らなかっただけだ。

「げ」

 ピッという電子音が鳴った直後の数字を見て、秤はすぐにディスプレイを足で隠した。


「何隠してるんですか?」

 すると、出て行ったはずの焔が背後から顔を出した。


「いつの間に!? い、いや、やっぱり恥ずかしいというか」

「何女の子みたいなこと言ってるんですか。えいっ」

「あぁ!」

 何処から持ってきたのか、焔はトンカチで秤の脛を小突いた。

 堪らず飛び上がってうずくまる秤。


「どれどれ――って……。…………」


 焔はプリントと体重計のディスプレイを何度も見比べ、やがて震えだした。全身から怒りが漏れ出しているようでとても怖い。


「理想体重が59・03048㎏で、体重が58・76308㎏。この数字ならまだしも体重が57・94853㎏にまで……」

「結構減ってるわね」

「や、やっぱりまずい?」


 1㎏近く減っているのだから、小数点以下の数字でさえ拘る彼女達からすれば一大事なのかもしれない。


「沢山食べれば良いってものじゃないのよ」

「消化する分とかを考えて食べれば良いんじゃ? なんならレース直前に飲み食いして調整するとかさ。体重計には困らないし」

「レース前の微調整は禁止されてるの。飲み食いは勿論、用を足すこともね」

「マジ?」


 飲み食いに関しては半分冗談で言ったのだが、まさかトイレも禁止されているとは思わなかった。

 体重が大きく上下する行動全てが禁止されているということらしい。


「……秤さんにはこれから消化の悪いメニューを食べて貰います」

 焔は部屋に置かれた時計を見て続けた。

「今から私が作りますから。それまで、動かずに待っていて下さい」

「わ、分かった」


 本来なら光栄に思うところだが、秤は曖昧に答えるだけだった。

 女の子の手料理を食べられるという、この上ない至福。

 しかしその相手が焔であり、消化の悪いメニューを作ると宣告されては喜び以外の感情も生まれる。


 言われた通り微動だにせず、数分後。

 想定していた時間よりも遙かに早く料理は秤の前に並べられた。

 白濁色のスープの上に添えられているのは、黄金色のメンマと綺麗に刻まれた長ネギ。そしてスープを赤く染める紅ショウガ。チャーシューは厚切りで実に脂が乗っていそうだ。極めつけは中央に見え隠れしている細麺。

 何処からどう見てもとんこつラーメンだった。


「……これだけっすか?」

「いいえ。後三杯食べて貰います。できるだけ噛まずに食べて下さいね」

「ラーメン四杯!? 早くも胸焼けが……」


 いくら何も食べていないとはいえ、朝昼夜の三食分が胃に収まる訳ではない。ラーメン二杯で結構な満腹感を得られるのに、更に二杯なんて未知の領域である。


「さすがに安易というか、単純すぎない? ラーメンのみって」

 秤の心中を察して楓がフォローを入れてくれたが、

「一晩で1・08195㎏をどれだけ縮められるかなんだよ。荒療治だけど一番効果的。それに、消化の悪い食べ物なんて他になかったんだもん」

「……文句なんて言うつもりはないよ。いただきます!」


 秤は黙々ととんこつラーメンを食べ進めた。

 頃合いを見て焔が次のラーメンを作る、という言わばわんこそば形式だ。それなら替え玉だけすれば良いのにとも思うが、恐らくスープや具材にも何か意味があるのだろう。


 噛まないで食べていたからか、三杯目の途中までは特に苦しくなることもなかった。

 最終的には立ち上がることすら億劫になるほどお腹が張っていたが。


「やっぱり男の子ね。こんな量食べちゃうなんて」

「本気だからな……うぷ」

「休んでる暇はありませんよ秤さん」


 ちょっとでも動くと色んな所から麺が飛び出そうだというのに、焔は全く容赦がない。


「お湯を沸かしておいたので入って下さい。三十分くらい」

「了解……」

 重すぎる腰を上げ、お腹を押さえつつ風呂に入る。

 一応気を使って、湯船に浸かったのは体を洗ってからにした。


(女の子の家でお風呂に入ってるのに、どうしてこんなに苦しいんだ?)


 いつもは烏の行水だったため三十分も入るのは辛かったが、それでも何とかノルマを達成して湯船から上がる。

 タオルを腰に巻き頭を拭いていると、躊躇無く焔が入ってくる。


「もう一度体重計に乗って下さいね」

「す、少しは気にしてくれよ……まあ乗るけども。でもあれだけ食べたんだし、お風呂に入っても相当増えてるはず――って、えっ!?」


 もう一度体重計に乗ってディスプレイに表示された数字は、59・31844㎏。

 一気に理想体重に近付いていた。


「すごい! すごいよ焔!」

「ふふ。上手くいったみたいですね」

 秤は興奮してそのままお風呂場を飛び出した。

「楓! お前のパートナーはすごいな!」

「ひっ――。ふ、服を着ろおおおおおおおおおおおおおおお!!」

「っぐ、ふ……っ」


 思い切り下腹部を蹴飛ばされた秤は壁に叩きつけられた。

 色々痛いのを我慢して、せっかく食べたラーメンを吐くまいと口を押さえる。

 だがそのせいで、唯一秤の体を隠していたタオルがハラリと舞い落ちてしまった。

 同時に、別の何かがボロンと。


「きゃあああああああああああああああああああああああ」


 続いて放たれたのは、容赦のないかかと落とし。

 体重計を落とされたときの傷が未だ癒えていない脳天に手痛いダメージを負った秤は、今度こそ潰れるように卒倒した。

 力を無くした秤の口から、せっかく食べたラーメンがキラキラと逆流していく。


「ぎゃああああああああ!! ぎゃあああああああああ!!」


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