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「何だったんだ今のは。露出狂? 物騒だな……」
不吉な校内放送を聞いて練習に集中できなくなった秤は、空中に浮かびながら冷静に思考を巡らせる。
露出狂の出現。
今の自分の格好。
事実がどうあれ、真っ先に疑われるのは間違いない。
「……まだ結構早いな」
ただの時計と化した携帯電話のディスプレイには二十時半の表記。
秤の平均夕食時間は午後七時なので、先程からひっきりなしに腹の虫が鳴いていたのも納得だ。生憎と空腹を満たすことはできないが。
「もしかして俺、今日何も食べてないんじゃないか?」
朝早くに船に乗ってアアル島にやって来て、そのままバスに乗って学校に到着後、風夢が脳天に当たって気絶。研究室でまた気絶。その後は授業をサボって浮世華と接触。
見事に食が抜けている。
「せめて水だけでも飲むか」
お腹を擦りつつ風夢から降り、床に敷いた制服に手を伸ばす。
そこで楓と目が合った。
「ひ」
「楓? 何でこんな所に」
「ひゃあああああああああああああああああああ――――――――――!!」
「わっ!?」
叫ばれて思わず耳を塞いでしまったが、すぐに自分の過失に気付いた。
慌てて服を着始める。
「ちち違うんだ! 服を脱いでるのには理由が」
「秤君が露出狂……!! 理由なんて言わなくても分かるわよ! 近寄らないで変態!」
「分かってないだろ!?」
「み、見せたかったんでしょ?」
「だから違」
「あれ? 露出狂って、秤さんのことだったんですね」
「―――」
秤は自分の尊厳を死守するために必死で弁解しようとしたが、焔の登場で完全に追い詰められた。
楓はともかく焔が秤の味方をしてくれる訳がない。
「成る程成る程。それなら秤さんに選択の余地はありませんねぇ」
「……どういう意味だ?」
「さっきの放送聞きましたよね? あれは秤さんのことを言ってるんです。早く逃げないと捕まってしまいますよ」
「つ、捕まる……」
最悪である。もはや明日のレースのことを考えている場合ではない。
法整備が島外と同じなのかは分からないが、このままだと秤は補導されてしまう。それも露出狂などという不名誉なレッテルを貼られて。
「でも逃げないとって言われても……行くあてが無い」
「ですからぁ。私達のお部屋に来て下さい。ちょっと予定が狂ってしまいましたけど、そのために私達は来たんですから」
「二人の部屋に!?」
「ちょっと待って! こんな露出狂を部屋に入れるなんて危険よ!!」
楓は指をさして非難してくる。
ちょっと前まではアアル島で初めての友達として分かり合えていたはず。それが一転して変質者扱いだ。涙が出そうになる。
そんな秤を尻目に、何故かそそくさと楓の背後に回り込む焔。
「何よ?」
焔の謎の行動を訝しみ、楓が後ろを振り向こうとする。
そのときだった。
「えいっ」
何を思ったのか。
焔は楓の着ていたレインコートを、一気に首の辺りまで捲り上げた。
「ぶっ!?」
「きゃあ!!」
すぐにレインコートは下ろされたが、その下のあられもない格好を秤は生涯忘れることは無いだろう。
それくらいのインパクトがあった。
しかしイヤらしい気持ち以前に、早急に突っ込まなければならないことがある。
「露出狂は楓の方じゃないか!!」
「違っ!?」
「その格好でよく言い訳ができるな……」
「あんただってパンツ一丁だったじゃない!」
「俺は体重計が壊れないように服を床に敷いて風夢の練習をしてただけだ! 脱ぎたくて脱いだんじゃない!」
「え? そ、そうだったんだ」
楓は目に見えてホッとしている。
「何安心してんの!? 楓が露出狂っていう疑惑は全く晴れてないよ!」
「あ、あたしも露出狂じゃないってば! 信じて!!」
「エロ下着の上に直でレインコート着て出歩いてた女子高生の何を信じろと?」
ジト目で楓を睨んでいると、この状況を作り出した焔が口を開いた。
「あの~。先生が来る前に寮まで戻らないと、どのみち私達全員露出狂になっちゃいますよ?」
焔の冷静な言葉を受けて二人は顔を見合わせ、すぐに女子寮へと向かったのだった。
「遅い! 何チンタラしてるのよっ」
「し、仕方ないだろ! これでも上達したんだって」
『怠いのぅ』
「……何か気の抜ける性格ね、秤君の風夢」
「うぅ。頑張ったのに」
フラフラになりながらも何とか楓達の後を付いていく。まだまだ危なっかしくはあるが、こうやって空中移動ができるようになったのは転げ落ちてもめげずに続けた練習の賜物だ。
秤は自分を褒めてあげたいとすら思っていた。
それなのにこの言われようだ。
成長と共に風夢の技術が身についていくアアル島の住人とは感覚が違うから、秤の喜びが理解されないのは当たり前だが、こうもムチばかりを貰っていてはいずれさじを投げかねない。
「手を貸しましょうか?」
秤の気持ちを悟ってくれたのは意外にも焔の方だった。
「あ、ううん。大丈夫。これくらいでへこたれてたら話にならないのは分かってるから」
「そうですか……」
「?」
何故かシュンとしてしまった焔を訝しんでいると、彼女が突然グイッと顔を近づけてきた。何を言われるのかと身構えたが、
「ごめんなさいっ」
「……え?」
「朝のこと、その、色々と酷いことを言ってしまって」
「……」
秤は恐怖を覚えていた。
あの言動を、悪気があった訳じゃないと言い張るのは流石に無理がある。この謝罪にも何かしらの意味があり、秤を奈落の底へと追いやる算段が立っているとしか思えない。
「き、キニシテナイヨー」
「本当ですかっ? 良かった~」
またしても天使の笑顔を浮かべる焔。女の子とは何とも恐ろしい生物だ。
秤はそんな女の子達の巣窟に向かっている。
今のところ先程の騒ぎが嘘のように問題は起こっていないが、露出狂として追いかけ回されることと、女子寮に一晩泊めて貰うことは同じくらいの危険を孕んでいる気がしてならない。
(大体、俺はどうやって入れば良いんだ? アアル学院の女子寮なんだから、セキュリティとかも厳しそうなもんだけど)
ありとあらゆる生体認証にとどまらず、SF映画に出てくるような現代科学では考えられないセキュリティシステムがあってもおかしくない。体重計が空を飛ぶ時点で色々とぶっ飛んでいるのだから。
「あのさ。俺って女子寮の中に入れるの?」
「男子禁制よ。当たり前でしょ」
「じゃあどうやって入るんだ?」
「窓から」
「窓!? また随分とアナログだなぁ」
半信半疑のまま付いていき、秤はようやく商店街の終点に辿り着いた。そこは女子寮の入り口らしき重厚な門によって塞がれていたが、楓達はそれを難なく乗り越えていく。
「ほら、早く」
秤の頭上から楓が手を差し伸べてくれているが、とても届く距離じゃない。秤の身長の五倍はあろうかという高さだ。垂直跳びの限界までしか飛べない秤には無理難題である。
「えーっと。どうやって高度を上げるんでしょうか」
「あ、そっか。まだ覚えたてなんだっけ」
「困りましたねぇ。先生達が来ちゃうかもしれません」
「そ、それは困る!」
女子寮の前で門を乗り越えようとしている男子がいたら間違いなくお縄だ。
「滞空できるなら後は簡単なはずだけど」
「同じことを空中でもするだけですよ~」
焔の言葉でピンと来た。
空中に足を着けることができたら、そこから更にジャンプして高度を上げていけばいいのだ。
「よし!」
「あ、でも地面と空中ではジャンプの感覚が違うから」
「うわあああああああぁぁぁぁぁ――――――――――……………………」
「あまり力を入れると――って、嘘……」
「凄ぉい……」
楓の言葉は間に合わず、秤は門を飛び越えて更に地下空間の天井ギリギリまで舞い上がってしまった。
「ま、結果オーライね」
「そうだね」
「……」
「? 早く下りてきてよ」
楓が急かしてくるが、これは無理もないことだ。
今日一日秤が練習していたのは、『滞空すること』と『空中を移動すること』であって、『高所から下りる』なんて技術は会得していないのだ。
秤は高所恐怖症というわけではないが、こんな高さなら誰だって怖い。
「お、下ろしてくれぇ~~……」
「「……」」
二人の視線が痛い。
秤も自分がどれだけ情けないかは自覚していたが、変に見栄を張ってこの距離から落ちてしまったら冗談抜きで命に関わる。
恥を忍んで懇願するしかなかった。
「もう……仕方ないわね」
「ふふっ。何だか昔を思い出すなぁ」
「あんたは未だに危なっかしいじゃない……実際に落ちたし」
文句を言いながらも、二人は何だかんだで秤の手を取って、まるで介護するかのように優しく下ろしてくれた。
情けないが、無事地面に足を付けたときの安心感は言葉では言い表せない。
「い、生きてた」
「これくらいで大げさよ。もう一度高く飛ぶことになるのに」
「え?」
「私達の部屋は一番上なんですよ~」
焔はニコニコと楽しそうに笑いながら、悪魔の言葉を囁いた。
ここまでが二章となります。




