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舗装された道を歩きながら思い出すのは、バスに乗っていたときのこと。
やたらと道が入り組んでいたのも、車を見かけないのも、今秤が歩いている道さえも。
全ては風夢のためのものだったのだ。
風夢に乗った下校途中の生徒が次々と秤を追い越していく。彼等は皆、物珍しそうな顔で秤を一瞥してすぐに見えなくなってしまった。
ここでの移動手段は全て風夢。
もはや足のようなものと言って良いくらいに生活に溶け込んでいる。
(俺も乗れるなら乗って行きたいっての)
通り過ぎる生徒一人一人にこうも見られては愚痴の一つも言いたくなる。
だが彼等は決して秤を見下している訳ではない。
何故なら風夢に乗れるのは当たり前であって、特別なことではないから。歩けることを自慢する人間がいないのと同じだ。乗れることを自慢できるのも、せいぜい風夢に乗るようになる小学生の内だけだろう。
恐らく彼等はこう解釈している。
秤は風夢に乗れないのではなく、敢えて乗っていないのだと。
「お?」
追い越していく生徒の背中を頼りに歩を進めていると、遠くの方に大きな町並みが見えた。あれが恐らく中央居住区だ。
(寮は校舎の近くって言ってたし、居住区があの位置ならもう見えてもおかしくないけど)
いくら辺りを見渡しても人の住んでいるような施設は見当たらない。それどころか道の両脇に見える景色は草木が生い茂る一方だ。
そのとき、またしても後ろから秤を追い越す女生徒が現れた。
すぐさまその背中を視線で追う。
「ってあれ!? ……あ」
ほんの数秒で見失ってしまったが、すぐにその謎は解けた。
子供の背丈くらいある草むらの向こう……そこにはバスで移動したときと同じような地下への入り口があったのだ。
(困ったな)
女生徒がここに消えていったということは、この入り口は女子寮へと繫がっている可能性が高い。しかし地下道の広さから察するに、中が入り組んでいてそこから男子寮と女子寮に分かれているのかもしれない。
いずれにせよ確認しないことにはどうしようもないが、女子寮にしか繫がっていなかった場合を考えると安易に踏み込む訳にもいかない。
(……いや。ここが女子寮だとしたら、さっきの女の子から注意されてるはず。女子寮の前でウロウロしている男子がいたら誰だって怪しむだろうし)
これ以上草木をかき分けて地上を進んでも迷ってしまいそうだ。それなら玉砕覚悟で人のいる場所に行って、詳しい位置を聞いた方が確実。
覚悟を決め、秤は重い足取りで地下への入り口に足を踏み入れた。
足音がやたらと大げさに響く。その都度秤の心臓は飛び跳ねるように反応する。生徒は風夢を使って移動しているから、足音なんて気にしないのだろう。
(そうか。人が出入りしてるのに草がボーボーだったのは、風夢で移動してるからか)
仮に全校生徒が徒歩通学になったとしたら、瞬く間に綺麗な道が出来上がりそうだ。その後全校生徒が重い筋肉痛に陥りそうではあるが。
しばらくの間無心で歩いていると、地下への長い道にもようやく終わりが見えてきた。床が平らになって道も開けている。あり得ないほどに高くなった天井が、地下深くまでやって来たことを実感させる。
見上げていた視線を正面に向ける。
そこで秤の目が意外な光景を捉えた。
「屋台……?」
入り口からここまでは蛍光灯の明かりが暗闇を照らしていたが、目の前にあるのはボンボリの中でぼんやりと灯る光に包まれた夏定番の光景。
お好み焼き、たこ焼き、焼きそば、チョコバナナの屋台だった。
完全にお祭りである。こうなると、左右に見える分かれ道の先もお祭り一色なのではないか? という期待と不安が入り混じった疑問が浮かぶ。
秤は屋台の店主に訝しまれながらも、恐る恐る顔だけ出して確認した。
そこにあったのは、アアル第四商店街と記されているアーチ状の巨大な看板。
一見すると学生が風夢に乗って空中を飛び回っている異様な商店街だが、それを除けば秤が住んでいた家の近くにある光景と何ら変わりない。遠目に見ただけでもコンビニ、本屋、薬局、ゲームショップ、ブティック、美容院、スーパーと、様々なお店が建ち並んでいるのが分かる。
(高等部が第四ってことは……第一商店街が幼等部、第二商店街が初等部、第三商店街が中等部、第五商店街が大学部にあるのかな)
「よ、兄ちゃん。見ない顔だが一年生か?」
当初の目的を完全に忘れて呆けていたら、急に侠気溢れる男性に声を掛けられた。
「は、はい。転学してきたばかりなんです」
「ほぉ、珍しいな。華ちゃん以来か」
「!」
華の名を出されて秤は少し動揺した。すぐに平静を装うことができたのは、屈強な両腕でチョコバナナを持っている彼の姿が思いの外シュールだったからだ。
「あの……俺、来たばかりで分からないことだらけで。この商店街……の先って、男子寮と女子寮に繫がってるんですか?」
「ああ。あっちが男子寮で、こっちが女子寮だ」
「男子寮と女子寮の間に公園があると聞いたんですが」
「公園ならこの通路から行けるが」
男性が立っている真後ろ。屋台の向こう側には、確かに非常口のような扉がある。だが屋台で塞がれてしまっていることからも、自由に通って良い道ではないことが分かる。
「えっと……通らせてもらえたりは……」
「ここの入り口は行事のときだけ開放するんだが……ま、いいか。今回は特別だ」
「ありがとうございます!」
男性はわざわざ屋台の一角を力業で動かし、秤のために道を作ってくれた。
もう一度深く頭を下げて公園へと繫がる通路に入る。内部は先程までの人の温かみが嘘のように冷え切っていて道幅も随分と狭く、大きな体重計がこれまで以上にかさばる。結局体重計を頭上に持ち上げて進むことにした。
(うわ……螺旋階段か。というか、階段自体久し振りに見た気がする)
目の前に現れた螺旋階段を見上げる。
アアル島の道は風夢で移動するために作られているものが多く、極端に階段が少ない。秤が見た階段というと学校にあったものくらいだ。
体重計を落とさぬよう、慎重に一段一段階段を上っていく。
ゆったりとした坂道を下った地下への入り口とは違い、この螺旋階段は地上まで縦に一直線に伸びている。なのでそれほど時間を掛けることなく上りきることができた。
「はー……」
眼前に広がる神秘的な光景を見て、秤は思わず感嘆の声を上げてしまった。
包み込むように生い茂る身の丈ほどの草むらが、この公園を秘境のように演出している。中央には湧き水が溜まっていて柄杓も置かれているので、飲み水として活用できそうだ。景観を損ねないためか、端には簡易トイレがひっそりと佇んでいる。
仮に睡眠を取ることになっても、夜を明かすのには十分すぎる寝床だった。
(こっちの方向から来たんだから……まっすぐ行けばさっきの所まで戻れそうか)
外との位置関係を大雑把に確認し、秤は体重計を柔らかい地面の上に置いて軽くストレッチを始めた。
これから幾度となく転ぶことになるであろう、練習のために。
「一晩よろしくな、相棒」
『怠いのぅ』
「……」




