十二小節・手の甲ですが
時間があったのでほいほいっ!
満月まで五日の朝。
クルアはふらふらと一人で軍本部へ向かっていた。「警護」の話は冗談だったらしく、ライドは来ていない。
昨日の夜は遅くまで書類に目を通していたので眠い。目の下の隅が濃くなっていたのはちょっとショックだった。仕方ないといえばそうだけれど。
「昨日は村荒らし、あったんでしょうか。早期解決が望ましいんですけど」
建国記念日は民のための祭りが一週間続くのだ。早期解決しなければ、気が気でない村民達は、祭りに来ることも出来ないだろう。
よろめきながら執務室に入るとジュディが仁王立ちで待ちかまえていた。部屋を間違えたのかと思わせるくらいの威圧感に押されて、疲労もあってか腰が抜けそうになる。
ジュディはつかつかと歩み寄ると、クルアの肩をがっしりと掴んで揺さぶった。寝起きの人間にはやらないで欲しい。「くらくら」していた頭が「ガンガン」する。
「アリア様! 今日はどうしたんですか?」
「へ? どうした、って?」
「お客様がいらっしゃったんです。本当にもう、鬱陶しくて苛々致しましたわ」
「えっと……」
頭痛のする頭に手をあてながらクルアは思いを巡らせる。
「それと私の関係は?」
何故、自分がこんなめにあっているのか。因果関係が不明である。
「だから、変なお客様がいらしたんです! 「アリアに用がある〜」とか言ってエル様の椅子に座って待とうとまでしてたのを、掃除中の私が必死に追い返したんです! 掃除はしっかりやりたいのに……とんだ邪魔者でした」
確かにジュディの掃除は速いのにきちんとしていて、塵一つないのでは? というくらい素晴らしい。本人も楽しそうに歌を口ずさんでたりする。それを邪魔されると確かに嫌だろう。盟友によって経験済みのクルアは一人納得した。
「それと、手紙をお預かりしています。北西の村の騎士からですわ」
「っ!」
ジュディから手紙を受け取る。封筒には、火急の印があった。
村荒らしの件ですがお言葉通りに一人軽そうな奴を捕まえて僕等で尋問をしています。なかなか口を割らないので苦労していますが分かったことも結構な量があります。箇条書きにした方が読みやすいと思いましたので、次の行から報告に移ります。
・ 騎士団が捕まえた男は末端の末端(以下末端)と幹部で参謀的(以下参謀)な男二人
・ 末端の方は比較的よく喋り、参謀は口が堅い
・ 末端の証言「北将軍と東将軍の元で働いている」「自分は下の位だからよくわからない」「武器は東将軍から直々に渡された」「今公式とされている北将軍は影武者で旧国側の密偵で乗っ取ることを目論んでいる」など
・ クルアリア様とエヴァン様の肖像画を見せたところ、違うと言い張っていたので彼は洗脳されている可能性がある。エヴァン様に至っては顔を公表していないのに知っていると言い張っていたので特徴を聞いたところ、一致しなかった
・ 参謀の証言「自分達は『天の邪鬼』という団体である」「自分は参謀的役割で戦闘は滅多にしない」「将軍は関係ない。旧王国側の人間だ」など。思いの外忍耐力があるようで口を割らない
・ 洗脳の可能性を聞いたところ、黙秘
・ 将軍紋章の武器についても黙秘
・ 組織の末端は学が無く、肉弾戦に特化した貧しい者で構成されているらしい
以後、報告を続けます。
クライド=フランツール
「やりましたっ!」
きらきらと煌めく夕焼けの瞳は、先程までの虚ろで眠たげな影を全く感じさせない美しさを宿らせ、声は嬉しさで弾んでいる。口は不敵な笑みを形作り、クルアの魅力を際だたせた。
ジュディはその変わりように息を飲み、何も言えなくなってしまった。彼女が聞いていた北将軍とは__わんこ将軍と呼ばれるほど子犬のようで、仲間に手玉に取られているへたれ少女とは、全然違う。
「解決に一歩近づきましたね」
誰に言うわけでもなく一人、クルアは噛み締めるように呟く。
「会えなくても構いません」
「え?」
ジュディはぴくりと反応した。
「集まらなくてもいいです。私が集めるまでなので」
「?」
困惑しきった北将軍専属メイドは完全に主に取り残されていた。
「七人の騎士を本格的に動かす必要がありそうですね」
反現王国サイドの陰謀となれば軍も重たい腰を上げざるをえない。そうなれば噂が国民に漏れ、大事になるかもしれない。そうなると困るからクルアは七人を動かす気まんまんである。
リトがいつものごとく遅刻し、エルが西将軍のところで打ち合わせをしに行ったので息巻いていた割にクルアの仕事ペースは遅かった。
カリカリカリカリとペンの音が執務室に響き渡る。そして苛立たせる。
ガリガリガリガリ。インクが切れてきたせいでペン先と紙が凄い音を立てている。
煩い!
羽ペンからインク持ちの良い硝子ペンに使い変え、一度深呼吸をして心を鎮める。これは子供の頃に上がり性だったクルアにエルが教えてくれた緊張ほぐし(?)だ。
「クルア」
扉の外からリトの声がした。
「リト、どこへ行っていたんですか? ちょっとこの進み具合はヤバいですよ。今日こそはちゃんと仕事してくださいね」
リトは入ってこない。
「リト? 入っていいですよ?」
すると、その言葉を待っていたとばかりにバン! と大きな音を立てて扉が開いた。
クルアの胸騒ぎ最高潮!
そわそわそわそわ。ドキドキドキドキ。
現れるのは、リトであるはずだ。きっと、そのはずだ!
だが、クルアの期待はいとも簡単に裏切られた。
「アリア、覚悟は出来ているな?」
けらけらと笑いながら入室してきたのは、うんざりした様子のリトの腕をがっちり掴んで自分の盾のようにしているグレイズだった。
「うわっ! 面倒だなー」と、エルがいたなら躊躇なく(小声で)言うだろう、この台詞を。クルアは賢明なので愛想笑いで誤魔化す。
「何のご用でしょう、グレイズ様?」
「俺は、祭りが終わるまで滞在する。そして、お前は俺の案内役のはずだよな? そうだろう」
クルアの背中をぞわぞわと悪寒が駆け抜けて行く。
「案内しろ。俺に付き合え」
村荒らし事件解決に繋がる情報を得て、革命乙女の気の強い性格になったクルアはにっこりと微笑んでこう言った。
「嫌です」
「ぷふっ」
馬鹿にしたようなリトの失笑が静かな朝の執務室に響いた。ちなみに差し入れを持ってきたジュディは、扉の向こうで「ナイス!」と思った。何故なら早朝の掃除を邪魔した客がグレイズだったからである。
こぽこぽと紅茶が注がれる音がする。しばらくすると、部屋中にローズヒップとシャンパンに似た甘い香りがふんわりと漂う。
紅茶と角砂糖を用意して三人に出すと、ジュディは蜂蜜をたっぷり使用したシフォンケーキを切り分け、また差し出す。
「ふん。なかなか良い仕事ぶりだな。朝は見くびっていたようだ」
紅茶を堪能したグレイズが感心した目を細めるので、嫌そうな顔をしていたジュディも、一拍遅かったが礼をした。
「このケーキは美味しい 」
リトは我関せず、とむしゃむしゃケーキを頬張る。十三歳なのにあどけない青年のような仕草だが、実は内に暗い過去を秘めている。出会ったときより断然表情が明るくなったことがクルアは嬉しい。
「……クルア」
「はい、なんですか?」
「……おいしいよ、これ」
リトが言うと、ものすごく美味しそうに見えてくるのでそろりとフォークに手が伸びてしまう。
「あ、美味しい」
一口で嘆賞の声が出てしまう。リトの動作関係なくケーキは美味しかった。含むと春の花々が一斉に咲いたような幸福感溢れる、甘くて上品な蜂蜜の味が口いっぱいに広がるのだ。
「アリア。お前、どうして俺様の「お願い」を断ったんだよ」
「え? それはもちろん、嫌だからです」
「どうしてベルメイユ王国王子の俺の隣を歩くことが嫌なんだよ! 貴重な時間だぞ! 滅多にないことだぞ?」
「別に嬉しくないですし」
「……僕が女の子でも十中八九断る」
さらりと目上にとんでもないことを言うのは昔っからのリトの癖だが、グレイズはきっと不敬罪で訴えたりはしないだろう。だからか知らないが安心して饒舌モード・オンになっていた。
「……クルアなら、玉の輿は狙える。可愛いから絶対にいける」
いつになく力強く意志を伝えられ、クルアは狼狽する。可愛いだなんて、という感情と褒められたことの喜びもあるが、吸い込まれそうなほど綺麗なリトの瞳が逸らされずにこちらを向いていることで、どうしてか落ち着かない。
「でも、おすすめしない」
おすすめされても困る。
「どうだ! 戦友もおすすめしている玉の輿は!」
「いや、今も言ったけどおすすめはしてない」
どうもリトが敵意むき出しすぎる。
「……早く帰ってよ、「グレイズ様」……!」
「グレイって呼んだら考えてやる」
リトが苛立たしげにグレイズを睨む。
クルアは、少し悩んでから口を開く。こんなことを続けることがバカらしかった。
「…………グレイ、様。帰、って、ください」
ニヤニヤしているグレイズと、無表情の中に静かな怒りが見え隠れするリトを見ていると、どちらに従えばいいのかわからなくなる。けれどグレイズに付いていくとろくでもないことに巻き込まれる気がするし、どうしてか無性にイラっとする。
「上出来じゃないか」
「……クルア、こいつ、殴ってもいい?」
「やめておきなさい。絶対に勝てないでしょうし」
「そうだ。五歳も下の奴に俺が負けるとでも思うか?」
「いや。グレイ、様、が負けちゃうからです」
いかに非力なリトであってもむかつく男一人くらいなら殴ることの出来る力はある。それくらい騎士団でも鍛えられる。そのうえ射撃も得意だったような……。
「軍の人間は護身用に一人一つは拳銃を所持しています。リトも射撃なら大丈夫ですよね?」
「…ばっちり勝てる……!」
しゅっしゅっ、とファイティングポーズをキメ、淡泊なイメージを与える笑みを見せつける。
「私も射撃は得意中の得意です。心強〜い味方もいるし、さ、早く帰ってください」
手で嫌な物を振り払う動作をしてみせると、グレイズは眉根を寄せ、嫌そうな目つきをしたが、しばらくにらめっこをしていると根負けしたとでも言うように手をひらひら振った。
「仕方がない。退散するとしよう」
グレイズの髪が柔らかな春の風に乗って揺れた。かと思うと思いの外整った顔がすぐ近くに現れた。
彼は流れるような所作でクルアの手を取ると静かに口づけした。
「次は俺の物にしてやろう」
「きゃあっ!」
クルアは自分の頬が引きつっていることが自覚できた。そして今の甲高い声が自分の悲鳴だと言うことも。
そして、エルが丁度執務室に入ってきたこともわかった。
どうしよう。
頭の中にはその言葉だけがぐるぐると回り続け、「俺の物にしてやろう」という台詞が反芻する。エコーしまくる。
「えーと、何してんの?」
見てわからなかったことはないだろうが聞きたくなるエルの気持ちもよく理解できる。けれど今あったことを説明するのは恥ずかしすぎて我慢ならない。恥死してしまうのではないかと思うくらい既に真っ赤なのに!
「手の甲にキスしたまでだが?」
空気の読めない、いや、これは空気を読んで敢えてのチョイスという気もする。意外と考えて行動しているのだろうか。
ジュディが「あら、まあ。ガキかと思ったら案外神経が図太くていらっしゃるのねえ」と一人で納得している。
エルの顔が怖くて見られない。別に戦友に今のシーンを見られたからって怖がる必要はないけれど、何故だか彼には絶対に見られたくなかったような気がするし、どんな反応をされるのか考えたら怖くなってくる。
今すぐ手の甲を洗って消毒し、エルとグレイズを殴り飛ばして昏倒させたい衝動に駆られる。
とにかく穴を掘って埋まりたい。
もう一度悲鳴を上げてうずくまりたい。
涙目になって困惑しているクルアを慰めるのは複雑な色を滲ませた瞳をしながらシフォンケーキをぱくぱく食すリトくらいだ。
『クルアって男運悪いよね』
先日の東将軍の失礼な台詞がぽん、と脳内に登場した。ぎゅるぎゅると音を立てながら高速回転していた思考が急停止する。
(あながち間違いじゃないなあ)
悲しい事実を受け止めた。
「……ふう。仕方ありませんね」
ジュディが地獄耳でも聞こえない小さな小さな独り言をぼやくとグレイズにつかつかと威圧感を放ちながら歩み寄る。
「アリア様が困っているので出て行って貰えませんか? 出来ないと仰るのであれば騎士団の知り合いを数人呼び出して「正式に」退室していただくことになりますけど?」
ずいずいと押されたグレイズは不満たらたらといった様子で、アリアに何かを言おうとしていたがやめて黙った。
「またな」
ただ一言だけ残すと薄い笑いと共に去っていった。
またな。
また、来るつもりなのか? やめてほしい。
ふと、エルの表情を窺ったクルアはびくっ、っとしてから身を縮ませた。
エルはぞくりとするような冷たく淡泊で、何かを激しく憎んでいるような虚ろの瞳で一点を見つめていた。先程グレイズが去ったばかりの扉を。
「……アリア様、少し、よろしいでしょうか?」
溜息をついて、やれやれという感じのジュディが言った。
仮眠室のドアを、ぱたんと閉じる。
クルアの前には、ジュディが立っていた。
「アリア様」
「は、はいっ?」
ずいっと詰め寄られ、人差し指でさされ、無意識のうちにわんこ将軍モードがオンしたクルアはびくびくする。
「ベルメイユの第二王子とどういう関係なんですか?」
「どうもこうも……。普通に案内役です」
「色仕掛けとか、していませんよね?」
「色仕掛け……って! 私のことをなんだと思っているんですか!」
色で男を誘惑するなんておぞましい。考えただけで鳥肌が立つし、自分にそんな色香があるとも思えない。
「冗談です。では、あちらから言い寄ってきた、と言う方が語弊がなくて正しい事実と言うことになりますね?」
「はい……」
言い寄られている気はしないが、エルとはまた違う感じで怖いので頷いてしまう。言うなれば、悪戯をした子供達が恐れる人間、母親のような怖さだ。
「何か気に入られるようなことしましたか?」
「してませんよ!?」
そんな要素があるのなら過去の自分に会いに行って「××をしちゃ駄目だよ!」と助言してやりたい。ああ。時間を超越する技術がないことをこれほど悔やんだ日は初めてだ。記念になるかもしれない。
「今日は私がサポートします。だからエル様達のことは気にしないで業務をして頂きます」
「え?」
「私、前国王の暴君言動に苦しんでいた民の一人なんです。だから、あれをぶち壊して新しくてみんなに優しい国を作り出してくれたクルア様達には感謝しているんです。だから、これからも期待通りの活動をして頂きたいんです」
いつもは勝ち気で強気なジュディの殊勝な言葉に胸を打たれ、感動したが、ジュディの瞳はお小言を言う侍女のような色だったので立ち上がったのに椅子に座り直してしまう。
「男女関係で一喜一憂して仕事に支障を出さないでください!」
「りょ、了解ですっ」
反射的に敬礼をした後に、クルアはふっと思う
ジュディって私より情感の才能がある……?
軽いショックを受けるクルアであった。