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週が明け、転校初日がやってきた。
自転車は変わった自転車屋が最近できたと明日香に教えてもらい行ってみて即決した。
理由はドッペルギャンガーのカスタムを多く取り扱うショップだったから。
購入したのは5XXシリーズの520モメンタム。ミニベロでツインチューブフレームのリアサスペンション。
ブラック&オレンジのカラーで坂道が多い尾乃町仕様でブレーキ系を強化してあるらしい。
さっきまで一緒に学校に行く気満々だった明日香は用事ができたと先に行ってしまった。
渡しで尾乃町駅前まで行き緩い坂道を上がっていると途中でバスが追い越していく。
「バスもあるんだ」
学校が近づくと歩いて登校している生徒が目についてくる。
周りに私服姿の生徒がいるのは式服なんて呼ばれている入学式や卒業式で着用する指定の制服はあるけれど普段は私服も認められているからで。
僕の格好はグレーのブレザーにシャツは白でグレーのズボンにネクタイもブルー系のチェックだった。
グレーって微妙かも、もう少し濃い色がよかったかな。だけど前の高校の制服だから仕方がない。
元々、色素が薄い僕は何だかぼやけてしまう。それはそれで目立たなくていいのかもしれない。
そんな事を考えていると校門が見えてきた。
景色が開け尾乃町や瀬戸内海に浮かぶ島々が見渡せる。
3階建の校舎が2棟並んで立っていて、さほど大きくはないけれど体育館や武道場もあるようだ。
「尾乃町中央高校か」
それが今日から僕が通う高校だった。一学年は大体4クラスでA~Dクラスまで大まかに成績と進路で振り分けられている。
AとBクラスが進学コースでCとDは専門学校や就職クラスになっている。因みに僕はとりあえずBクラス、何事も程々じゃないとね。
それでも今後の試験次第ではAクラスになる可能性も無いわけじゃない。
職員室に寄って担任とクラスに向かう。
担任の先生は女の先生で花柄のワンピースを着て黒い髪を後ろで一つに纏めている。ちょっと小柄でオドオドしていて落ち着きがなく田舎の先生って感じだった。
1―Bと書かれている教室に向かう。チャイムが鳴りちょうど教室の入り口に着いた。
教室の中からは生徒たちの声が聞こえてくるがいつも通りなのだろう先生がドアを開けて先に教室に入った。
「はいはい、静かにして。ホームルームを始めるよ。その前に今日は転校生の……」
「町子ちゃん。今日は特に可愛い!」
男子生徒が茶々を入れると先生の雰囲気が変わり。背後に黒いオーラーが立ち昇っている。
すると、忽ちクラス全体が凍り付いた様に静かになった。
「向井君、自己紹介をして」
「は、はい。東京から来た向井未来です。宜しくお願いします」
静かな先生の声に嫌な汗が滲み出てくる。先生の指示に従い窓際の席に着くと窓からも瀬戸内海が見えた。
ホームルームが終わった途端に質問攻めにあう。
「向井君は東京の何処にいたの?」
「色素薄いね、誰かに似てるって言われた事ない?」
「どこに住んでいるの?」
東京の港区に居たこと、特に似ているとは……向日島の伯母の家etc。
聞かれた事にきちんと答えていく。
「俺、後藤。宜しくな」
「う、うん。宜しくね」
「それと、町子ちゃんを怒らせるとメッサ怖いからな」
「町子ちゃん?」
「おう、我が担任の小野町子ちゃんだよ。普段は小動物だけど怒った時はレディースの総長みたいになるかんな」
「そうなんだ」
「実際にそうだったなんて噂はごまんとあるんだ」
前の席に座っている僕より少し背の高い真っ黒に日焼けした、見るからにスポーツマンって感じの後藤君が説明してくれた。
授業が滞りなく進んでいき休み時間には質問に答える。
平和って退屈なものなんだな。窓の外の瀬戸内海を行きかう船を眺めながらそんな事を考えていた。
両親と海外で暮らしていた時はのんびりする時間なんて殆どなかった。
食材の調達や買い出し、水汲みもやった。空いた時間は護身術と言われ格闘技を教え込まれ、勉強も理数系を中心に叩き込まれた。
文系は公式じゃ答えは出ないから自分で考え慣れろって言われたったけ。
そして食事の準備に追われていると一日なんてあっという間だった。
それでも大自然の中で日本じゃ体験できない事を体験してきた。
両親には感謝している。不満がなかった訳じゃないけど。
それは友達があまり出来なかったって事かな、それでも再びあの土地に行けば出迎えてくれる人がいてくれる。
昼休みに今日子さんお手製の弁当を机の上に出すと教室のドアが勢いよく開いて皆の視線が釘付けになる。
「未来、なんでBクラスなの?」
ショートカットの明日香の言葉で今度は皆の視線が僕に再び釘付けになった。
「えっ、一応。進学希望だから。大学行ってサラリーマンになって平々凡々な暮らしをするのが僕の夢だからだよ」
僕の言葉にお構いなしに確かクラス委員だったおさげの上田さんが僕に詰め寄ってきた。
「向井君はC組の天野さんと知り合いなの?」
「一応、幼馴染かな。あはは」
「そ、それじゃ。向日島の伯母さんってまさか……」
「今日子さんがどうかしたの?」
それからはクラス中と言うより学校中が大騒ぎになっていった。まるで水の波紋が広がるように……
寸でのところで今日子さんお手製の弁当まで略奪にあうところだった。
それを止めたのはこの騒ぎの元凶もとい発端の明日香だった。
「未来に手出し無用!」
その一言でクラスの中は静まった。なんでも明日香は尾乃町中央高校に入学するなりミス中央なんて呼ばれていて中学の時から有名だったらしい。
そしてその隣人の僕の伯母である泊 今日子さんは尾乃町では知る人ぞ知るミス尾乃町だという情報をクラスメイトが口々に教えてくれた。
何だか僕の望む退屈で平和な日々が少しずつ遠ざかっていく気がする。
本日最後の授業が終わりクラスメイトが聞き足りない事を聞くために僕に向かってきた所を、教室に乱入してきた明日香に拉致されるように昇降口にやってきていた。
「未来、一緒に帰ろう」
「あのね、帰るも何も拉致してきたのは明日香でしょ」
「だって、ああでもしないと帰れないよ」
「まぁ、それもそうか」
学校の中を散策したかったけれど数日は無理かな。転校生なんてそんなものなのだろう。
注目を浴びて落ち着くまで色々と詮索されるんだろうな。
「それに未来は格好良いんだからメガネなんて外してコンタクトにすればいいのに」
「ええ、嫌だよ。コンタクトなんて、怖いし」
「怖がりなんだね」
「目に異物を入れるんだよ。それにそこまで目が悪いわけじゃないしね」
「それじゃなんでメガネなの?」
「賢く見えるじゃん」
「馬鹿みたい」
校門まで来ると下校途中の生徒が校門の前で左右二手に分かれている。
右は僕が自転車で上がってきた道で左は?
「新尾乃町駅に出る道だよ」
「そうなんだ、あの利用率が低くって在来線も無くこだましか止まらない駅ね。町からも離れているしね」
「詳しんだね」
「尾乃町に関しては調べたからね。2年弱はここにいるんだし」
「2年弱だけなの?」
「高校を卒業するまでに今後の進路は両親と相談してね。でも僕の意見がそのまま通ると思うよ。両親は僕が導き出した答えに異論を唱えるような事はしないからね。よっぽど外れてなければね。でも両親ほど外れている人を僕は今まで一度も見たことはないけどね」
「外れていると言えばあの道は下りない方がいいよ」
「あの道?」
その道は校門前のバスが通る道から尾乃町駅に向かって下っていく細い坂道だった。
「どうしてなの?」
「尾乃町ダウンヒルなんて呼ばれていて細い路地の上に階段があって急で、特に右手は危ないからって。未来、聞いてるの?」
僕には明日香の言葉は届いていなかった。
朝、上ってきた坂の向こうに金髪の女の子の姿が見える。
綺麗な髪を一つに纏めて三つ編みにして黒いゴスロリの格好をしている。間違いない、東京で出会い僕をミシェルと見抜いた不思議な女の子だった。
下校途中の生徒が振り返り彼女をみていて彼女のアメジストの様な瞳は完全に僕にロックオンしているみたい。
「未来、あの変な子と知り合いなの?」
「う、うん。ここに来る日に東京で会った事があるんだ」
明日香の質問にうわの空で答えながら、次にすべき行動を考える。
後ろの新尾乃町駅方面に逃げても遠回りになり確実に追い詰められるだろう。
かと言ってこのまま向かっていて行けば彼女のポテンシャルが半端ないのは目の当たりにして知っている。
残った選択肢はただ一つ。
「明日香、ゴメン。先に帰ってて」
「ええ、そっちはダメだって!」
明日香の声を遮るように買ったばかりのドッペルギャンガー520を尾乃町ダウンヒルへと滑らせた。
急な勾配の坂道を落ちるように一気に下りだす。
コンクリートの壁やレンガの壁がすぐ横を飛ぶ様にすり抜けていく。
サスペンションが吸収しきれない衝撃を膝で受け流す。
急なカーブを抜けると不思議なものが目に飛び込んでくる。
「ありえないでしょ!」
厚底のレースアップブーツで軽やかに屋根の上を飛び跳ねるゴスロリ少女がいる。
両手を広げまるで空を舞っているようだった。
冷たい視線はなくとても楽しそうに笑っている。
すぐ視線を前に戻すと左手の階段から三毛猫が飛び出してきた。
右に車体を寝かせ右側の急な路地に飛び込んで明日香の言葉がよみがえる。
『特に右は危ないから』
手遅れだ、勾配がきつすぎてブレーキをすれば確実に飛んでいく。
何とか勾配が緩くって……
目の前には家々の屋根瓦と瀬戸内海が広がっている。
直下には自転車でそれもこのスピードでは曲り切れない様な螺旋階段のような階段が連続していた。
ブレーキをかけてもかけなくても大怪我間違いなしだ。
「行け!」
ヤケクソ気味に気合をペダルに込めて漕ぎ出しわずかな段差を利用して、微かに下に見える路地を目指して空中にダイブする。
背中がムズムズしてざわつく。
次の瞬間、何かが弾け背中で何かが大きく広がった気がした。
何故かスローモーションの様に滑空していく。
蔦が絡まる壁が左手に見え、家の隙間を縫うように着地した。
不思議な事に着地した瞬間の衝撃が嘘の様に軽かった。
路地の上まではみ出した建物の下をくぐり、秘密のガード下の様な通路を通って気が付くと船着場に来ていた。
潮風が鼻をくすぐる。
あの女の子は追って来なかったようだ。唯でさえ転校初日だというのに疲労困憊だ。
渡しに乗り込み今日子さんの家にたどり着き倒れ込むようにベッドにダイブした。
いつの間にか着替えもせずに寝てしまったようだ。
今日子さんの呼ぶ声が遠くから聞こえ下に降りる。ダイニングテーブルには美味しそうな料理が並んでいた。
「疲れたでしょ。明日香ちゃんが来ていたけど寝ているみたいだったから断っておいたよ」
「ありがとうございます」
「転校初日だから疲れたでしょ。食事して、お風呂に入って今日は早く寝なさい」
「そうします。いただきます」
言われたとおりに食事を済ませ風呂に入って眠る。
学校から帰ってきて今日子さんに起こされるまで爆睡していたのにすぐに眠りに落ちた。