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こうせん!  作者: なつる
第9話  人の弱みはチョコの味(2月)
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 不気味な男は、北都をじっと睨みつけている。

「五嶋先生は……」

 口調は穏やかだが、真顔で北都にずいと迫る雰囲気はただならぬものだ。この人を五嶋に会わせてはいけない気がする。

「あ、あの……い、今、ちょっと、席を外していまして……」

 何とかしてここから出て、五嶋に知らせなければ……

「しょ、少々お待ちください」

 少しずつ身体をずらして、ドアのほうに移動する。

 だがそんな北都の努力も空しく、教官室のドアが突然開いて、五嶋が入ってきた。


「あっ……」

 マズイ──しかし五嶋は、男の顔を見るなり、笑みを浮かべた。

「お、佐藤じゃないか」


 男──佐藤と呼ばれた青年はというと、直立不動の姿勢になったかと思うと、腰を折って深々と頭を下げた。

「先生お久しぶりです。その節はお世話になりました」

 北都はただただビックリするばかりで声もない。すわ殴り込み──とカンチガイしてしまったものだから、彼の豹変振りにはあ然となる他なかった。

「あの会社、どうだ?」

「五嶋先生の口利きのおかげか、すごくよくしてもらってます」

「あそこの社長には麻雀での貸しがあったしな。でもあそこはお前に向いてると思うよ」

「ありがとうございます。あのこれ……つまらないものですけど」

 佐藤は持っていた箱を五嶋に差し出した。

「おお、すまんな」

「すみません。もっと早くにご挨拶に来るべきだったんですけど、いろいろと忙しくて……」

「入社したての頃はしょうがないな。ま、これで許してやるよ」

 と言って、五嶋は受け取った箱を持ち上げた。

 ポカンとしている北都そっちのけで、二人はひとしきり仕事の話に花を咲かせている。

 そして佐藤が深々と礼をしつつ笑顔で退室すると、五嶋はいつものようにデスクチェアにどっかりと座り込んだ。


「だ……誰なんですかあの人!?」

 北都は詰め寄るが、五嶋は暢気にもらった箱の包みを開けている。

「四年前に三修した元学生。三年生の途中に友達関係で悩んだ末に、鬱で引きこもりになっちゃってね。で、最近になって良くなって来たから、オレが就職先を斡旋してやったの」

 だからやたらと五嶋にペコペコと頭を下げていたのか。麻雀の貸し一つで就職先を決めてしまうあたりが五嶋らしい。

 開けた箱の中身は、美味しそうな銘菓のセットだった。早速一つ取り出して食べ始めた五嶋を見て、ふと思い出したことがあった。


「もしかして……先生、あの人に退学を勧めたりしました?」

 五嶋にまつわるウワサの中にあった、いつの間にかいなくなっていた学生。五嶋が退学に追い込んだのではないかと言われていたが。

「そうだよ。そのままの状態よりは、高卒資格とって辞めたほうがいいって。幸い、出席日数はギリギリ足りてたから、試験だけ何とか受けさせてさ」

 やはり。退学に追い込んだのではなく、病んでしまった彼のためを思い、退学を勧めただけだったのだ。

「担任じゃなかったですよね?」

「そうだけどさ、オレ、電気科のお客様相談窓口みたいなものだったから」

 担任でも手を余す問題児の担当──ということだろうか。それでも、一人の学生に対してここまで手をかけていたとは驚きだ。アフターサービスまでバッチリの、優秀なカウンセラーである。

 五嶋はニヤリと笑って、北都を見上げた。

「オレのこと、見直した?」

 素直にコクコクとうなずくが……

「オレに惚れちゃダメだぞ」

「誰が惚れるかっ!」

 ちょっと褒めるとこの調子である。呆れてそっぽを向くと、背後で五嶋が独りごちた。


「……よく、『溺れる者は藁をも掴む』って言うだろ?」

 再び振り返ると、斜に構えた五嶋はうつむき加減で目もあわせなかった。いつも通りのだらしない格好なのに、少しだけカッコ良く見えた……のはきっと気のせいだ。


「オレはさ、その藁なんだよ。細いし折れるし、何の役にも立たない存在だけど、本当に困っているヤツはそんなものでも頼りにしてくる。掴まれた以上は、何とかして助けてやりたいって、藁の分際でも思うわけよ」


 のらりくらりとして、つかみどころのない男だと思っていたが、今初めて、五嶋の教師としての信念を見た気がした。五嶋がこの学校で教師を続けている、続けられている理由もきっとここにあるのだろう。

「何笑ってんだよ」

 五嶋に言われて初めて、自分がにやけてた事に気づいた。

「いえ、別に」

 言葉とは裏腹に、五嶋の教師らしい一面がちゃんと見れてうれしかったようだ。自分で考えていた以上に、この担任に信頼を寄せていたのかもしれない。

「ちょっと学生課に行って来ます」

 顔の筋肉をほぐしながら、北都は書類を持ち、逃げるようにしてドアへ向かった。

 そういえば……辞めさせられたってウワサになってた学生、五嶋とキャバ嬢が一緒にいるところを見たからって話だったよな……

 そんなことを考えながら、ドアノブを引く。


 一歩、廊下に出ようとしたその先に──男がいた。

「……誰?」


 さっきの佐藤とはちがう。禿げた頭によれたスーツ姿、目元のシワも深い、どこかで見たことがあるようなないような、そんな初老の男。かなりの年配者のようだ。

 男は固まっていた。その手には白い紙とセロハンテープ。今まさに貼り付けようとしていた格好だ。男は背の高い北都をゆっくりと見上げ、ビクリと身体を震わせた。

「ここで何を……」

 聞くまでもなかった──男が思わぬ速さで逃げ出したからだ。

 北都は持っていた書類を投げ出し、男を追って走り出した。


「待てゴルァ!」

 北都に追いかけられ、男はあたふたと奥の階段を下りた──が、しかし。

 慌てた様子で回れ右をすると、今度は逆に階段を駆け上がる。

「鯨井さん!」

 下からちょうど、諏訪が上がってきていた。

「諏訪先生、犯人!」

 そのまま、北都も階段を一段飛ばしで駆け上がった。後ろから諏訪も急いで上がってくる。

 男は早くも息が上がり、足元もおぼつかない様子だ。

「ハァハァ……」

 三階に着いた頃には、男はよたよたとして、三Eの教室がある行き止まり方向に足を向けた。

「もう逃げられねーぞ!」

 北都も息を切らしつつ、男を廊下の最奥へと追い詰めた。

 よほどの運動不足なのか、男は奥の壁にもたれ、へたるように座り込む。もはや逃げる気力はなさそうだ。


「なんだなんだ?」

「どうした?」

 三Eの教室の中から、火狩や黒川など、まだ帰ってなかった男子が数人出てきた。

「……誰それ?」

「あの張り紙の犯人だよ。こそこそと嫌がらせしてたかと思えば逃げやがって……この卑怯者!」

 よく見ると、やはり何度か二階で見たことがある顔だった。人畜無害の単なる納入業者だと思っていたのだが……


「おや……あなたは」

 男の顔を見た諏訪が声を上げた。知り合いか?

「──松尾先生じゃないですか」


 そう言ったのは、いつの間にか後ろからやってきていた五嶋だった。途端に男──松尾の顔が苦渋に満ちていく。

「先生!?」

「元、ね」

 諏訪が注釈を付けてくれた。なるほど、退職教員というわけか。

 老体を冷たい床の上に座らせておくのも忍びないと思ったのか、諏訪が手を差し伸べ、松尾を立ち上がらせた。

「さてと……なんであんなことやったのか、教えてもらいましょうか」

 北都は松尾の前に仁王立ちになり、冷たく見下ろした。

 松尾は歯を食いしばり、口をつぐむばかりで何も話そうとしない。だが五嶋に対し、相当な恨みがあったのは確かだろう。


「そりゃ、五嶋先生は清廉潔白な教師とは言いがたいですけど、だからってあんな卑劣なマネで復讐しなきゃならなかったんですか? あなたがどんな弱み握られてたかは知りませんが、恨みを晴らしたいなら、もっと別の方法でやってくださいよ! 一番迷惑してたのはあたしだ!」

 ここのところずっとたまっていた鬱憤を晴らすかのように、大声を張り上げた。

「こんな人でも、一応、あたしらの担任です。腹の立つことも多いけど、裏からこっそりあたしらのこと見守ってくれてる。自分のクラスでもない学生のために身体張ってくれる、そんな先生です。これでも少しは信頼してるんですよ。この人は根っからの悪人じゃないって、信じてるんですよ。その担任のこと、ここまでコケにされて、黙ってられるかってんだ」


 この人が三Eの担任になり、級長に指名されたときは、なんて最悪な教師なんだと落胆し、絶望した。

 あれから一年。様々な出来事があり、危機があり、それらを火狩や諏訪の力を借りながらも解決し、なんとか乗り越えてきた。

 五嶋が自ら動くところはあまり見たことはなかったが、要所要所で人知れず動いてくれていたことは、ちゃんと伝え聞いていた。そして、一人悩み苦しんだ学生を密かに救っていたことを知り、今はこの人が担任でよかったと思える。

 松尾は真顔の北都に怯えていたが、一転──その顔を歪め、北都の後ろにいる五嶋を睨みつけた。


「お前らは、この男の悪事を知らないから、そんなことが言えるんだ」

「また思わせぶりなことを……むしろ悪事しか知らないんですが」

 火狩は嘲笑を浮かべながら言った。

「だよなぁ。っていうか、どうせたいした悪事じゃないんでしょ? キャバ嬢と同伴してたとか、学生並にトイレでタバコ吸ってたとか」

 黒川たちと顔を見合わせ、うんうんとうなずく。

「お前ら、ひどいねー」

 五嶋はぼやくが、本当のことなのでしょうがない。

「お前らが考えているような、些細なものではない。【北陵高専の陰の支配者】などと呼ばれ、いい気になってるかもしれんがな、あの【罪】は未来永劫消えることはないのだ」

 またも出てきた五嶋の【罪】。いったい何だというのか……

 松尾は不敵な笑みを浮かべ、ビシッと五嶋を指差した。


「この男はな、こともあろうか……在学中の女子学生と、不適切な関係になったんだぞ!」


 一瞬──空気が凍った。自分も、そしてみんなの表情も凍る。

 辺りを包む静寂。その中で、皆がそれぞれ、その言葉の意味を一生懸命に考えているのがわかる。

 静寂を打ち破ったのは、黒川の笑いを含んだ一言だった。


「ないわー。いくらなんでも、それだけはないわー」

「だよなぁ。もうちょっとマシなウソついてほしいよ」

 火狩も呆れ顔だ。

 北都も同感だった。この五嶋が、よりによって教え子の女子学生とどうにかなるなんて、想像もできないし、そんな甲斐性があるようにも見えない。

 いくら腹黒で不真面目で不精者でも、女性を貶めるような真似をするとは、どうしても思えなかった。


「ですよねー、諏訪先生?」

 半笑いで諏訪を見上げた。だが……

 口を真一文字に結び、目を伏せたその顔。とても同意してくれるようには見えない。


「え? え? 五嶋先生、まさか、本当に……」

「本当に女子学生と……ヤっちゃったの!?」

 黒川の露骨な物言いにも、五嶋は素っ気無く答えた。

「うん、まあね」


 学生たちがざわめき、場が一気に不穏な空気に包まれる。北都も自分の顔がこわばるのを感じていた。

 そんな中で、松尾は意気揚々と、更なる爆弾を投下してきた。


「それだけじゃないぞ。その女子学生は在学中だったにもかかわらず、妊娠してしまったんだからな」


 衝撃的な言葉に、北都のみならず、男子も息を呑むのがわかった。

 妊娠──女にとって、それがどれほど深刻なことかさすがにわかる。倫理観のカケラもない、非道なことをしておきながら、目の前の五嶋はいつものように頬をゆがめ、嘲笑さえ浮かべていた。

「……諏訪先生!?」

 たまらず、悲鳴のように声を上げるが。

「……本当だよ」

 どこか寂しそうに笑う諏訪の様子に、全身の力が抜けそうになった。


 まさか──この五嶋が、過去にそんな大犯罪を犯していたなんて。諏訪が言っていた『触れられたくない過去』とは、このことだったのか。

 五嶋が女子学生と関係を持ったこともショックだったが、それ以上に、二人がその事実を隠していたことに北都はショックを受けていた。

「先生……」

「幻滅したか?」

 北都は言葉も出ず、ただ五嶋の冷笑を見つめていた。

 ずっと信じていたものに裏切られた──そんな思いが強くなって、握り締めた拳に力が入る。

 別に五嶋のことも、教師という職業も理想視していたわけではない。教師とて人間、こんな俗物の一人や二人や三人いるだろうと、むしろ過小評価していたが……

 教師と学生という一線を越えただけでなく、妊娠という、その後の女性の人生さえを左右してしまうほどのことやってしまったのだ。

 事が事だけに、さすがに五嶋を擁護する気にはなれなかった。

「でもね、五嶋先生は……」

 代わりに諏訪が声を上げたが。

「やめとけ」

 言い訳無用とばかりに、五嶋はそれを制した。諏訪は無念をにじませて、唇を噛み締め黙り込む。

 いつもの奥の手すら使おうとしない。それだけこの罪は五嶋にとっても重く、未だ懺悔を続けているものなのだろうか。弁解どころか、諏訪の擁護すら拒否した五嶋の姿勢は潔いものだが、その一方で北都は歯がゆさも感じていた。

 松尾はますます調子付いたのか、声高らかに五嶋への批判を展開した。


「女子学生を妊娠させながら、自分はのうのうと准教授の椅子に座り続けている……こんな極悪非道な教師を、君たちは許せるのか!? 一人の女性を不幸のどん底に陥れた、この男を!」


 五嶋の罪の重さを思うと、石を飲み込んだように腹にズシンとくる。

 静まり返った廊下で、誰もが声を上げられずにいた。様々な思いが頭の中をぐるぐると回るだけで、言葉にできない。


「……誰が不幸だって?」


 不意に、ドスのきいた女の声が響いてきた。

 後ろから聞こえてきたその声に、北都も、その場の全員が振り返った。


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