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こうせん!  作者: なつる
第9話  人の弱みはチョコの味(2月)
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 しのぶの視線を真正面から受けて、北都はゴクリと唾を飲んだ。ゆっくりと考えて、出した答えは。


「……やめときます」

 途端にしのぶは目を大きく見開いた。

「あれ……意外。五嶋先生の弱み、握りたくないの?」

「どうせ実際はしょぼいことなんでしょう? しのぶさんも諏訪先生も、煽れば煽るほど緊張感がなくなりますよ」

 この人といい諏訪といい、こっちが子どもだと思ってからかっているだけなのだ。

「五嶋先生、愛されてるのねぇ」

「ええ!?」

 何をどう聞いたらそういう話になるのだろう。

 しかししのぶはニヤニヤと、意地の悪い瞳で見つめてくる。

「ホントは聞くのが怖いんでしょ? 聞いたら最後、先生のことが嫌いになっちゃいそうで」

「そんなことないです。今も十分嫌いですよ。掃除も仕事も押し付けられるし、こっちの話は聞かないし、子どもみたいで」

「『いやよいやよも好きのうち』って言ってね」

 このいやらしいまでの話のずらし方、五嶋そっくりだ。あの人に教わると、性格まで似てくるのだろうか。思わず、五嶋に対するのと同じように怒ってしまった。

「だーかーら!」

「それだけ、先生のことを信頼してるって証よね」

 しかめっ面になるこちらに対し、しのぶはただニコニコとしていた。まったく、この人には勝てる気がしない。

「そういう優しさが、きっと北都ちゃんのいいところ。どんなに悪口言っても、本心では相手のことを信用してるのよね」

 そうだろうか……そう言われれば、そうかもしれない。

 悪口を面と向かって言えるということは、相手を信頼している証拠。心底嫌いになった相手には、悪口すら言う気にもなれなかった。


「でも……気をつけなさいよ。世の中、いい人ばかりじゃない。北都ちゃんみたいなタイプが、一番男に騙されやすいんだから」

 しのぶに言われると説得力を感じるのは何故だろう。自分が男に騙されるなんてことは考えられないが、案外そういう人間に限って、コロッと騙されてしまうものなのかもしれない。肝に銘じておこう。

「諏訪くんみたいな、一見人当たりのいい男だって、ホントは何考えてるかわからないわよ」

 だから何故そこで諏訪が出てくるのか……北都は顔を引きつらせた。

「しのぶさん……人のことからかって、楽しんでるでしょう?」

「あ、わかった?」

 しのぶは舌をペロリと出した。こういう仕草ができるところは、男の扱いに慣れている手練を思わせる。


「さて、学校に帰りましょうか。あたしもそろそろ家に帰らなきゃ」

 互いに皿の上はきれいになくなっている。促され、コートを持って席を立った。

 帰りの車の中でも、しのぶは実に饒舌に話してくれた。しのぶは北都や諏訪と同じS市の出身で、女子寮がなかった当時は、学校近くのアパートで一人暮らしをしていたそうだ。

「一人暮らしか……いいなぁ」

「門限もないし、自由なのはいいんだけどね、家に帰っても一人は寂しいわよ。寮の方が友だちもいて、いいと思うけどな」

 それは確かにそうかもしれない。時間的拘束がイヤになることもあるけれど、辛いときや悲しいときに、すぐそばに誰かがいるというのは、それだけで幸せなことなのかもしれない。

 そうこうしているうちに、車は北陵高専の前に着いた。礼を言って車を降り、ドアを閉めると、助手席の窓が開きだした。


「あ、そうそう。あの張り紙のことだけど」

 しのぶは助手席側に身を乗り出すようにして話しかけてきた。

「もうすぐおさまると思うわよ」

「……なんでそう思うんですか?」

「女のカン」

 ニヤリと笑う。

「なーんてね。五嶋先生に恨みを持つ人間の中に一人、心当たりがあること思い出したの」

「えっ……だ、誰ですか!?」

「それはまだ教えられない。その人って決まったわけじゃないしね。けど、あたしも調べておくわ。こう見えてもあたし、顔は広いんだから」

 誰なのかは気になるが、確証もなしに決め付けるのも確かにアレだし、ここはしのぶに任せたほうがよさそうだ。

「何かわかったら、諏訪くんにでも連絡しておくから。じゃあね」

 窓が閉まり、車は排気ガスを残して走り去っていった。


 あの人、ホント何者なんだろう……北都はため息をつきつつ、車の後姿を見送った。

 その勢いに圧倒されるばかりで、しのぶ自身のことをあまり聞けなかったのが悔やまれる。

 強引なところが多くて辟易したが、不思議とあまりイヤな感じはしなかった。初めて会ったのに、親戚のお姉さんのような親しみやすさがあった。

 ひとまずは、しのぶから何か情報が入ってくることを期待しよう。

 




 しかしながら、その後数日経っても、しのぶからの連絡はないようだった。

 罵詈雑言の張り紙も、毎日ではないがスキを見て張られているし、犯人の尻尾は未だつかめる気配がない。五嶋は相変わらず暢気だしで、自分ひとりがワリを食っている気がする。


 イライラしながらも二月も下旬に入った、ある日の午後。年度末も近くなり、ここ数日は午前授業の日が続いている。

「タバコ吸ってくるわ」

 五嶋が椅子から立ち上がった。

「トイレじゃなくて、ちゃんと喫煙所行ってくださいよ」

「へいへい」

 北都の小言に軽い返事をしながら、五嶋はタバコの箱を握りしめて教官室を出て行った。校内では二十歳以上でも学生はタバコ厳禁。その学生に示しがつくよう、教師がちゃんと規則を守らないでどうする。


 静かになった教官室で、北都はまた掃除を続けた。

 教官室の片隅には、三、四人が座れるテーブルがある。そこは五年生が卒業研究をするためのスペースで、ついこの間まで、五年生がそこでパソコンを広げ、それぞれのテーマについて研究を進めていた。その五年生も全員無事卒業が決まり、進路も決まったそうだ。

 早いもので、級長になってもうすぐ一年。なんとかここまで一人の脱落者も出さずにすんだが、先日の学年末試験の結果次第では、まだ無事に終われるとは限らない。三修する者は今のところいないと思うが、留年の危機に瀕しているものは少なからずいるのだ。最後の追試験まで気を抜かず、全員そろって四年生に進級したいものだが……


 ドアがノックされる音で、ふと我に返った。

「はい、どうぞ」

 ドアが開いて入ってきた人物の姿に、北都は圧倒された。

 こけた頬に、ギョロリとした目。暗いを通り越して、おどろおどろしい雰囲気を身にまとった男だ。スーツを着た姿からして、若いが学生ではなさそうだ。OBだろうか。

 くぼんでいながらも眼光だけは鋭い目で、男は北都を一瞥した。


「五嶋先生は……」

 この低い声──どこかで聞いたことがある。

「あ……」

 この間の、電話の声だ。途切れ途切れだったが、妙に不気味だった携帯電話の声。

 北都の背中に、冷たいものが走った。


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