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市販薬を飲んでぐっすり眠ったら、一晩でかなり回復したが、数日経ってもなかなかスッキリというわけにはいかなかった。今年の風邪は長引くのが特徴らしい。
こんな状態でも、学校にいる間中、楓花の視線に追い回される。身も心も休まるヒマなどなく、ストレスはたまる一方だ。
「鯨井先輩、元気出してください。いつの日かきっと、火狩先輩に気持ちは通じますよ」
「あんなに仲よさそうだったのに、火狩先輩ってば冷たい」
「鯨井先輩がこんなに憔悴しちゃうくらいに想ってるのに……」
残念ながら、憔悴してるのはアナタのせいなんですが……
ただでさえ具合が悪いのに、カンチガイもはなはだしい励ましで、こちらの気分を最悪にしてくれる。いちいち否定するのも疲れるのだ。
こちらの体調も都合もお構いなしで付きまとってくる楓花に、イラ立ちがつのりにつのって、北都はつい怒鳴ってしまった。
「いい加減にしろって!」
楓花の動きが止まった。こちらを見つめる円らな瞳がうるうるとして、涙ぐみ始めるのがわかる。
「あ、いや、その……」
男どもにはガンガンいく北都でも、目の前で女の子に泣かれると困ってしまう。
「こっちにも授業の準備とかあるし、三浦さんだってそうでしょ? こんなことで授業に遅れたり成績悪くなったら悲しいよ」
できるだけ優しい声で、楓花を諭す。彼女は涙の光る目でこちらを見つめた。
「もしかして……私のこと心配してくれてるんですか?」
「うん、まあ……」
「先輩、やさしいんですね」
途端に楓花の顔が明るくなった。さっきまでの涙はどこへ行ったのやら、泣きかけていたのがウソのような晴れやかな表情である。焦ってなぐさめただけムダだったようだ。
希が言うには、一口に腐女子といっても、楓花はかなりの異端であるらしい。
ホンモノの腐女子は、対象が三次元でも執拗に追い掛け回したりはせず、自分の趣味嗜好を声高に話したり、ましてやそれを相手に押し付けたりはしない。
ただひっそりと嗜好対象を見つめ、自分の脳内で妄想を無限に広げさせることに重きを置く人種なのだ──としみじみ語るあたり、案外希も肉食系でありながら、腐の世界にも片足を突っ込んでいるのかもしれない。
だが、異端だろうが邪道だろうが、北都が迷惑しているのは事実である。
「よっぽどあんたの顔が好みだったのねぇ……でも前みたいに、女から『付き合って』って言われないだけマシじゃない?」
多佳子はそう言うが、どっちもどっちだ。
おはようからおやすみまで暮らしを見つめられても、応援になるどころか、悪感情しか沸かないことをどうしてわかってくれないのだろうか。
とある昼休み。廊下を歩く北都の後ろには、当然のごとく楓花がいた。もはや追い払う元気もない。
「先輩、どこ行くんですか」
「図書館。レポート書くための本借りるの」
「じゃ、私も」
「もう勝手にしろよ……」
うんざりしながらも図書館前のラウンジを抜けようとすると、ふと、足を止めた楓花が顔をこわばらせた。
「ん?」
彼女の視線は、ラウンジの上、二階の渡り廊下を見つめている。
北都も視線が刺さるのを感じて顔をあげると、渡り廊下の柵に手をかけて、こちらを見下ろしていた男子学生と目が合った。
凛々しい眉を寄せて、険しい表情でこちらを睨む瞳。
「あれ……あの人」
目が合ったことに気づいたのか、彼は顔を背け、渡り廊下から去っていった。
あの顔……たしか、先日階段の下でぶつかりそうになった男子学生のはずだ。
「あの人……この間もこっちを見てたんです」
楓花が不安げに顔を曇らせていた。
「え、ホント?」
全然気づかなかった。いったい何を見ていたのか──
それからもたびたび、その男子学生の視線を感じることがあった。一度気づくと、わかりやすくなったようだ。
一定の距離を保ちながら、決してこちらに近づいてくることはなく、ただ北都と楓花を見つめている。
そして北都と目が合うと、決まって鋭い視線に変わった。まるで親の敵を睨みつけるかのような、憎しみさえ感じさせる目だ。
心配になって、寮で希にその男の特徴を話すと、すぐに名前が出てきた。
「あー、それ多分、四Mの篠山くんじゃないかな。篠山達弥」
「……聞いたことない名前ですね」
「去年の春に、北陵工業高校から編入してきたのよ」
北陵高専には高卒者を対象にした編入制度もある。若干名ではあるが、試験に合格すれば、四年生への編入を認められるのだ。
「確か野球部だったはず。細マッチョでいいカラダしてるけど、イケメン具合はまあまあってとこかな」
さすがイケメンデータベース。情報の蓄積量がハンパではない。
希は本棚からアルバムを取り出して開いた。そこには昨春に撮影した各クラスの集合写真が全クラス分貼られている。イケメンデータベースの一端を見た気がした。
「この人じゃない?」
アニメのコスプレやギターを抱える者、女装や作業服姿の者など、男子だけのクラス特有のノリのいい四Mの集合写真の中で、一人固い表情で突っ立っている男子学生。希が指差したその人物は、まさに自分が見たその人で、北都はコクコクとうなずいた。
多佳子も思い出したように声を上げた。
「その人なら、ウチのクラスにいる野球部マネが秋に告白したけど、玉砕したみたいよ」
「あれ、彼女はいないって聞いたけどな。意外と面食い?」
面食いかどうかはわからないが、堅物そうな印象を受けたのは確かだ。
「で、その篠山くんがどうしたっていうのさ」
アルバムを片付けながら、希が聞いてきた。
「いや……最近なんか見られてるんですよ」
「見られてる?」
「三浦さんに追っかけまわされてると、気づくとこっちを見てるんです」
多佳子が意味深な笑みを浮かべた。
「意外と北都のことが好きだったりして」
「それはないから。それに、妙に怖い目つきなんだよね」
こちらを睨みつける、剣呑な目。
北都ははたと思い当たった。
「もしかして……三浦さんのことが好きなのかな」
それなら納得が行く。
視線を感じるのは楓花を見ているからで、こちらを見る視線が厳しいのは、楓花を独り占めしている、と思われているからかもしれない。
ついでに彼も五嶋のたわ言を信じていて、北都を男だと勘違いしているとしたら──恋敵だと認識されているのなら、睨まれるのも十分うなずける。ストーカーのストーカー……頭がまた痛くなってきた。
どちらにしろ、迷惑千万なことにはかわらない。楓花にしろ篠山にしろ、どうしてこうもヘンに頭の固い人物しか寄って来ないのだろうか。
その次の日も、やはり篠山が見ていた。
渡り廊下の向こう側、物陰に隠れることもなく壁に寄りかかって、彼は確かにこちらを見ていた。
一、二度だったら偶然で済ませられたかもしれないが、こう何度も続くということは、向こうも意図的にやっていることだろう。
「あの人……また見てる」
楓花は北都の大きな身体の後ろに隠れ、眉根を寄せた。
「一応聞くけどさ、三浦さんはあの人の事どう思ってるの?」
振り返り、楓花に訊ねてみた。
「どう思ってるって……?」
「その……『カッコイイな』とか『付き合ってみてもいいかな』とか」
「好みじゃないんで」
バッサリ。小気味いいくらいの切り捨てようだ。そうだろうとは思っていたが、こうなると今度は篠山のほうが少し不憫に感じてくる。
しかしながら、篠山のストーカー的行為に楓花がおびえているのは事実だ。北都にとってはとばっちりもいいところだが、目の前に震えている女の子がいるのに、放置できるほど冷酷にもなれない。
「あの目……鯨井先輩のことが好きなのかも」
そう言う楓花の顔は真剣だが。
「んなわけねーだろ……ちょっと行ってくるわ」
冗談はさておき、北都は楓花をその場に残して、篠山に向かって歩き出した。
彼は近づいてくる北都にギョッとしていたが、観念したのか、逃げ出すようなことはしなかった。
真正面に立ち、北都は真顔で迫った。
「篠山さん……ですよね? 何か用でもあるんですか」
少々威圧的に言葉を発する。
篠山は顔を背け、目をそらして答えた。
「いや……別に」
「なら、コソコソと付きまとうのやめてもらえますか。こっちは迷惑してるんで」
自分より背の低い篠山を、北都は高圧的に見下ろした。
後輩にここまで言われてキレるかと思ったが、彼はこちらをチラリと見上げ、口を真一文字に結んで身を翻した。そのまま立ち去る彼の背中を、肩透かしを食らった気分で見送る。
北都は一つ息をつき、頭をかきながら楓花のもとに戻った。
「牽制はしたけどさ、帰るときとか周りには気をつけて」
篠山がか弱い女子に危害を加えるような男には思えなかったが、万が一ということもある。これで少しはストーカーみたいな真似をやめてくれればいいのだが。
北都の気がかりを知ってか知らずか、楓花は目を輝かせてこちらを見上げていた。
「鯨井先輩……カッコイイ」
「やめろって……」
それからの数日は、楓花に張り付かれることはあっても、篠山に監視されることはなかった。楓花に聞いても、登下校中や一人でいるときも、篠山が近寄ってくるようなことはなかったそうだ。北都の牽制が功を奏したらしい。
彼がどう考えたのかは知らないが、とりあえずはあのじとっとした視線を受けずにすみそうだ。
楓花があの調子だから、篠山が仮に告白したところで玉砕するのは目に見えている。このままおとなしくあきらめてくれたほうが、平穏でいいのだが。
そんなある日の放課後。北都は諏訪教官室のドアをノックしていた。
「あれ、今日はずいぶんとのんびりしてるね」
中に入るなり、椅子に腰掛けた諏訪はそう言って笑顔を見せた。
ここのところ楓花に追い詰められて、よほど切羽詰った顔になっていたのかもしれない。だが今日の北都は確かにちがった。
「一Aが校外研修だそうで、三浦さんがいないんですよ」
朝から静かな一日を過ごすことができて、今日は非常に気分がよかった。北都は上機嫌で答えながら、実験レポートを提出した。
「三浦さんて子も、なかなかしぶといね。でもそれだけ、鯨井さんに魅力があるってことなんだよ」
「男としての魅力はこれ以上いりません……」
レポートを箱の中に入れて、諏訪は北都を見上げた。
「あ、そうだ。時間があるなら、ちょっと実験室の整理手伝ってほしいんだけど」
五嶋は所用で外出中。片付けも大体済んでいるので手はあいている。いつもなら諏訪のお願いなどお断りだが……
「今日は気分いいですから、手伝いましょう」
北都の答えに、諏訪は明るい表情になって椅子を立った。
二人で一階の実験室に入ると、諏訪は書庫の上に積まれた古いダンボールの箱に手を伸ばした。
「この箱に入ってる計器を……よいしょっと」
手に取った箱を、机の上におろす。計三箱。
「中身廃棄するから、中開けて確認して、備品番号を全部控えてほしいんだ」
大机の上に乗せた箱を全部開き、古ぼけた計器を一つ一つ取り出す。備品番号のシールを確かめながら、番号を紙に書き写していった。
作業は三十分ほどで終了した。計器を戻した箱は、あとで運ぶらしい。
「いやあ、助かったよ。やらなきゃいけないとずっと思ってたんだけど、なかなか手が回らなくてね」
「時間を有効活用したいのなら、五嶋先生の教育しなおさない限りは、抜本的な解決にはなりませんよ」
「五嶋先生はもう十年もあのままなんだよ。今更どうしようもないよ……」
そう言って、諏訪はあからさまなため息をつく。
「……昔を知ってる人の言葉には重みがありますね」
もう手遅れということか──あきらめるしかないようだ。
作業が終わって、実験室を出ようとしたところで、北都は書庫の端にある段ボール箱に気づいた。
「あれ、あの箱……」
「あっ、あれもだった」
諏訪が忘れていたらしい。自分が持つにはちょっと重そうだったので、北都は近場にあった木製のスツールを持って、書庫の前に置いた。
「さっさと終わらせましょう」
スツールに上り、書庫の上に手を伸ばす。ぐらつくが、すぐ終わるので心配ないだろう。
「重いよ? 僕が下ろすから」
そういう気遣いがわずらわしいというのだ。
「大丈夫です」
だが、実際持ち上げてみるとかなりの重さがあった。
「うっ……」
こんな重いもの、この人はなんであんなカンタンに下ろしてたんだ?
「ほら、重いでしょ。イス下りて……」
しかし大丈夫と言ってしまった手前、そう簡単に引き下がれない。
「ふんっ」
気合を入れて持ち上げた瞬間、足元がぐらついた。
腕をプルプルさせながら踏ん張ってみるが、ぐらつきは大きくなる一方だ。意地を張ってしまったのがいけなかった。
あ──コレ、ダメかも。
重い箱から手を離したのと、バランスを崩して後ろに倒れるのが同時だった。
「よっと」
「ぐえ」
不意にみぞおちをきつく締められて、妙な声が出た。
「だから僕が下ろすって言ったのに、ヘンに意地張るから」
諏訪の控えめな声が後ろから耳元を撫でる。
「──あれ?」
足が地面についていない。もしかして、今……
背中に感じる温かさに血の気が引き、身体が硬直する。そんな北都を、諏訪は荷物でも下ろすかのように床にストンと下ろした。
「こんなことになりたくなかったら、これからは僕の注意をちゃんと聞くこと」
「…………はい」
固まったまま、ぐうの音も出なかった。
イスから落ちそうになって、後ろから抱っこされるなんて……
諏訪とのこんなやり取り、何回目だろう。いい加減、この男の前で意地を張るのはやめたほうがいいかもしれない。失敗したときのリスクが大きすぎる。
恥ずかしさで顔から火を噴く勢いだ。頭がぐるぐるして、しばらく動けなかった。
と、その時。廊下で物音がした。
「ん?」
見ると、開いたままのドアの向こうに、篠山が立っていた。
彼は大きく目を見開き、真一文字に結んだ唇を噛み締めていた。身体の横で握り締めた拳を震わせ、全身で怒りを表現している。
物音の正体は、彼のスポーツバッグが落ちる音だった。だが彼はそれを拾おうともせず、ただこちらを強く見つめるだけだ。
何故彼がここに──北都が口を開こうと思ったその瞬間。
篠山は突然バッグをつかんで逃げ出した。まさに脱兎のごとく、自慢の俊足を生かしてあっという間に姿を消してしまう。
「何……あれ」
「さあ……」
諏訪も呆然とつぶやくばかりだ。
こっぱずかしいところを見られたかもしれないが、別に怒られるようなことは何もしていないと思うのだが……
もしや、自分にケンカを売りに来たのだろうか? それにしても、向こうが逃げることはないはずだ。
篠山って人……何がしたいんだ?
頭に大きな疑問符を浮かべながら、北都は首をかしげた。




