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「くくく黒川くん……いいい今の、どどどどういう意味かな?」
極寒の季節だというのに、冷や汗が噴き出す。なるべく自分を落ち着かせながら、北都は聞いた。
「どうもこうもねえよ。だから、鯨井と火狩っていわゆる【恋人同士】なんでしょ?」
聞きなおしたところで、意味は変わらないようだ。
周囲の興味津々な視線が、こちらに集まっているのが手に取るようにわかる。朝から感じていた気味悪さの原因はこれだったのか。
もちろん、神に誓って、自分と火狩の間にそんな事実はない。
火狩に対してそういう感情を抱いたこともないし、火狩だって同じだろう。怪しまれるような行動をとった事もない。それなのに、なぜ……
思い当たるフシがなさ過ぎて、思わず火狩を見てしまった。
向こうも同じ考えだったようだ。顔を見合わせて、目が合って──そして互いに焦ったように顔を背けてしまう。
「あらあらまあまあ、初々しいことで」
お前はどこのババアだ、と言いたくなる仕草で、黒川が冷やかす。
てめーふざけんな──と北都が言いかけたが、それよりも早く火狩が手を出していた。
「──なんでオレが、鯨井となんか付き合わなきゃなんないんだよ」
黒川の襟を片手でつかみ上げる。見ると、火狩の目が本気で怒っていた。
さすがの黒川も、諸手を上げて固まってしまう。
「え? ちがうの?」
「ちがうに決まってんだろ。それに『そういう趣味』ってなんだ? お前はオレをホモかなんかだと思ってたのか?」
「い、いや、そんなんじゃないって……」
あまりの剣幕に、黒川の笑みも引きつり始めている。
しかし、こんなにも怒る火狩は初めて見た。マジギレするほどイヤだったのか────北都に一切責任はないのだが、さすがに申し訳なくなってくる。
「黒川お前なぁ……言っちゃマズイ冗談だって、ちょっと考えればわかることだろ? だからお前はバカだって言われるんだよ。お前だって、あたしと付き合ってるなんてウワサ流されたらイヤだろ? そりゃ火狩だって怒るって」
火狩をなだめるように、北都は口を挟んだ。
「その笑えない冗談はお前が考えたのか?」
「ちちちちがうって。オレは人づてに聞いただけで……」
「人づて?」
「最近、寮の中で一年生が話してるのをチラッと聞いたんだよ」
「それで、お前がガンガン広めて回ったと」
「広めただなんてそんな……ちょっと他に話しただけなのに」
人の口に戸は立てられぬ。ましてや寮生が多いこの学校で、色恋のウワサ話などあっという間に広まってしまう。
それが真実ならまだしも、ウソなのだから目も当てられない。火狩は呆れたようにため息をついて、黒川をつかむ手を離した。
「ご、ごめんよう! オレもまさかなーとは思ったんだけどさ、おもしろい話だったから、つい……」
「おもしろいからって、ウソをあちこちに広めてんじゃねーよ!」
今度は北都が黒川につかみかかって、ガクガクと揺さぶってやった。
黒川には責任を取らせ、笑えないウワサの発信源を突き止めてもらうことにした。
寮で話していたというのは一年生で、建築システムの男子だという。その男子学生に話を聞いたところ、彼は同じクラスの女子が話しているのを小耳に挟んだらしい。北都はその男子学生とは面識がないと思っていたのだが、彼は吹奏楽部で、北都のことを知っていたようだ。
「で、その女って誰だよ」
翌日の休み時間に黒川からの報告を聞いた北都は、諸悪の根源の名を質した。
「一年建築(一A)の三浦楓花って子」
寮生では聞いたことがない名前なので、通学生だろう。
「小柄で目がくりってしてて、かわいいらしいよ」
「てめーの好みは聞いてねーよ」
「ただちょっと……」
「ちょっと?」
「ちょっとっていうか、かなりの変わり者らしい」
「ああ……」
高専生の女子には変わり者が多い。ここでもまたそれが証明されてしまった。
人のウワサも七十五日とはいうが、七十五日も待っていられない。早めにウワサの根源を断たなければ、こちらの名誉にもかかわる。
「よし、昼休みにカチコミに行くぞ」
「オレも行く」
話を聞いていた火狩が言った。
「黒川、てめーも来い」
「これ以上、オレを巻き込まないでくれよう」
「話がこんだけ広まったのは、お前のせいだろうが」
ピシャリというと、黒川は渋々承諾した。
一般講義棟には一、二年生の全科八クラスの教室が並び、一年建築の教室は二階にある。
昼休み。多くの学生が昼食を食べながら、にぎやかな休み時間を過ごす憩いのひととき、北都は火狩と黒川を引き連れて一Aの教室に殴り込みをかけた。
教室の後ろ扉をスパーンと開けると、室内にいた学生たちがいっせいに注目してきた。
「……三浦さんっている?」
腕組みした北都が室内をぐるりと見渡すと、一年生は皆ビビッて目をそらした。
そんな中、教室の片隅で固まって話し込んでいる女子の一団があった。同じ寮生の後輩女子・栗原綾乃もいて、彼女は驚いたように目を見開いている。
「鯨井先輩!」
そう声を上げて立ち上がったのは、綾乃の隣にいた少女だった。
肩まで伸びる髪がさらさらと揺れる、清楚な感じの女の子だ。黒川の言うとおり小柄で、まん丸の目が小動物を思わせる可愛らしさだ。あまり変わり者という感じはしないが……
彼女が三浦楓花だろうか──確かめる間もなく、彼女は驚いた表情でこちらに駆け寄ってきた。
「火狩先輩も一緒だなんて……あ、あの、写真撮ってもいいですか?」
「はあ?」
顔はかわいいが、何というか、調子が狂うタイプのようだ。こちらの返事も待たずにスマホを構え、写真を撮ろうとする。
「ちょっとそこの人、ジャマ」
黒川を押しやり、あっけに取られる北都と火狩を電光石火の早業で写真に収めた。
「いやーん、やっぱお似合い!」
画面を確かめ、一人悦に入っている。北都が口を挟む隙もない。
「でもダメですよ。そんな堂々と二人でいちゃついちゃ」
訳知り顔で言うものだから、北都もだんだんと腹が立ってきた。ここに来た本来の目的を果たすべく、声を上げた。
「あ、あの、三浦さん、だよね? ここにきたのは、あんたにちゃんと言っておこうと思って」
「お二人が付き合ってることですか?」
楓花は小首を傾げる、が。
「ちっがーう! 話をちゃんと聞けーい!」
北都は当然キレた。
「あたしと火狩は全然そういう関係じゃないから!」
「変なウワサ流されると、オレも鯨井も困るんだよ。やめてくれ」
火狩も追従する。
楓花は途端にしょぼんとなって、顔を曇らせた。
「そうでした……ごめんなさい。私がちょっと口を滑らせてしまったせいで、お二人の秘密の仲が晒されるはめになってしまって……」
「だーかーら! 秘密の仲でもなんでもないから! あたしと火狩は付き合ってないの!」
「あの……お二人が堂々と付き合えないその苦しみを、私はわかってますから。だから私には本当のことを言ってください」
「ぐおおおおおおおおっ! この女、話通じねーっ!」
ここまで話が噛み合わない相手も初めてだ。北都は頭を抱えて地団駄を踏んだ。やはり変わり者と言われるだけはある。
しかし、この三浦楓花という女子学生の恐ろしさを、北都はまだわかっていなかった。
「あの、先輩。自分のことはちゃんと『オレ』って言ってくださいよ」
「え、なんで?」
「先輩が女のフリしなきゃならない事情があるのはわかります。でも私、【男の娘】攻めはちょっと……【攻】にはノーマルでいてほしいタイプなんです」
「この子……さっきから何言ってんの?」
意味不明、支離滅裂。たまらず火狩に助けを求めるが。
「……さあ?」
火狩もあ然として、さっぱりわからないといった顔だ。
だが三Eが誇る秀才・火狩はさすがだった。
「そっちがどういう勘違いしてるか知らないけど、オレと鯨井はただのクラスメイト。ハッキリ言って、オレは鯨井に恋愛感情は一切持ってない。鯨井も同じだ。だから隠すものも何もないんだ」
冷静沈着、理路整然。火狩のこの説明でわからないのなら、相当頭が残念なことだろう。
だか楓花はこちらの想像のナナメ上を行ってくれた。
「火狩先輩がそう言わなきゃならない気持ち、よくわかります。こんな人前じゃ、鯨井先輩のことが好きだなんて、ハッキリ言えないですよね。お二人の恋には障害がつき物。一般人には理解されない、同性同士の道ならぬ恋ですから」
「ファッ!?」
最後の一言は、北都も火狩も聞き捨てならなかった。
確か今──『同性同士』って言った?
その言葉の意味を一生懸命に考えていると、奥にいた綾乃が飛んできた。
「ちょっ……楓花、やめなって」
楓花の肩をつかんで引き離そうとしてくれるが、それを振り払ってまで、楓花は超理論を展開してくれた。
「鯨井先輩のこと、女だって思ってる人もいるかもしれないけど、私はちゃんとわかってますよ。鯨井先輩が──ホンモノの男だってこと」
驚天動地、青天霹靂。危うく目玉が飛んでいくところだった。
確かに北都を知らなければ、見た目で男だと思うだろう。しかし、この学校の少ない女子の中ではそれなりに有名人である北都を、未だ男だと信じている下級生がいるとは思っていなかった。
いや、いやいや──問題はそこではない。
「ってことは……アレだよなあ」
妙に冷静な黒川のセリフに、北都は気づいてしまった。問題の本質に──
「……アレ、だな」
火狩もさすがにげんなりとしている。
「頭イタイ……黒川、お願い」
北都にいたっては脱力して柱にしがみついていた。そんな北都に代わり、黒川が楓花に聞いた。
「君はだね……鯨井と火狩のことを、いわゆる【ホモ】だと、思ってたわけ?」
「だから【秘密の仲】って言ってるじゃないですか。だって、男同士でしょ?」
さも当然、みたいに話す楓花に、黒川も眉間に皺を寄せた。
「ええと、整理すると……三浦さんは鯨井が本物の男で、しかも同性愛者だと考えていた。そういうわけだな」
超理論が二つ重なると、一周回っておもしろく……なるわけがない。
黒川の解説に、北都は頭痛に加えて眩暈までしてきた。
「もうダメ……あたしの脳みそじゃ理解できない」
「オレの脳みそでも理解できないよ」
秀才・火狩の頭でも理解できないものを、自分がどうやって理解しようというのか。
「先輩! 【あたし】はやめてくださいって言ってるでしょう」
辟易するこちらを完全に無視し、楓花は持論を押し付けてくる。
下級生の女子には特に温厚な北都でも、これには堪忍袋の尾を切るしかなかった。
「────あたしは正真正銘の女だっ!」




