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歳を取るごとに、感じる時間の速さは加速度的に増すと言う。
グラフにすればy=1/xで表されるような分数関数的な速さで、一年という時間が過ぎ去ってしまうのだ。
去年の紅白歌合戦を見たのがついこの間のように思えるのに、もうはや今年の紅白の出場歌手が発表されている。一体いつの間に春と夏と秋が過ぎてしまったのか……と嘆きたくなる速さだ。
外を見れば一面の雪景色。十二月に入り、寒さはまた一段と増してきた。
街を歩けば、クリスマスソングがひっきりなしに流れ、街のイルミネーションが五割増しだ。否が応にもクリスマスへの気分を高められてしまう。
今年もついに、恋人がいない者にとってはツライ季節がやってきた──
「……で、何が言いたいわけ?」
「そりゃもちろん、【クリスマス爆発しろ】ですよ」
「お前……ほんっっっと、進歩ねーのな」
後ろに座る黒川のセリフに、北都は心底あきれ果てたようにため息をついた。
十二月も後半。北陵高専はただいま絶賛中間試験中である。
「その調子じゃ、クリスマスが爆発する前にお前が爆発するよ」
「いや──! そんなこと言わないでー!」
「前期の成績だって、お前ブービー賞だったろ。少しは懲りれよ」
「できないものはしょうがねーんだよ!」
「寮で勉強しないで、マンガ読みふけってるくせに」
「な、何故それを!」
「野々宮から聞いたんだよ」
横の列に座る野々宮が無表情の顔をあげた。黒川が食って掛かる。
「野々宮! なんでチクんだよ!」
「鯨井にどつかれないと、お前勉強しないだろ」
「……よくわかっていらっしゃる」
黒川はあっさりと白旗を揚げた。北都は含めるように言い聞かせた。
「クリスマスにケーキ食って爆発するのと、テストで赤点とって爆発するの、どっちがいい?」
「…………勉強しまっす」
しおしおと、黒川は教科書を開いた。これだけ言って聞かせれば、寮でも勉強するだろう。まったく、手間のかかるヤツだ。
十二月二十二日。今日は試験最終日であり、同時に年内最後の登校日である。明日からは約二十日間の冬休みだ。
午前で試験の全日程を無事に終え、北都は五嶋の教官室へと向かった。
「今日片付けておかないと、年越せませんから。ホントは五嶋先生追い出して、大掃除したいくらいなんですけど」
「えー、動きたくない」
「でしょうね。ならせめて掃除のジャマしないでくださいよ」
図書館から借りっぱなしの本を返し、本当に読んでるのか怪しい学会誌の山をダンボールに詰める。読み捨てられた新聞と週刊誌は束ねて、あとで一階のゴミ置き場に持って行くつもりだ。
五嶋を邪険に扱いながら窓を拭き、机の上、電話機、書棚、ソファ、テーブルも拭いていく。水周りはスポンジでしっかりと磨き、机の横に置かれたワークステーションの筐体とプリンタはほこりを落として、最後は丁寧に、色々なものを動かしながら掃除機をかける。
大きなゴミ袋にまとめたゴミを捨ててくれば、大掃除はとりあえず終了だ。ここまでしても数日したらまた散らかるのかと思うと、骨折り損な気もするが、目の前の汚い部屋を放置したまま実家に帰って年を越せるほど神経図太くはできていない。
「おお、キレイになったなぁ」
「他人事みたいに言わんでくださいよ。一週間は持たせてくださいね。じゃ、ちょっと新聞と雑誌置いてきますから」
両手に新聞と雑誌を持って腰を上げたところに、諏訪が入ってきた。
「ああ、重いでしょ。僕が持って行ってあげるよ」
「別に大丈夫ですよ、お気遣いなく」
だが諏訪は愛想笑いを浮かべながら、言いにくそうに口を開いた。
「いや、そのかわり……僕の部屋もちょっと片付けてほしいんだけど」
「……は?」
「掃除機かけてくれるだけでいいから、お願い」
目の前で手を合わせる諏訪。
まったく……どいつもこいつも。
「……もう! わかりましたよやりますよ! ジャマだからここでコーヒー飲んでてください!」
幸い、諏訪の教官室は元がキレイな分、掃除機をかけるのもそれほどの労力はかからなかった。水周りの掃除をやる余裕さえできた。
「ありがとう! ホントに助かったよ」
諏訪が感謝の声を上げるその横で、北都はソファでグッタリしていた。
二部屋も掃除して、さすがに疲労困憊。時間も既に五時を過ぎている。やはり、頼まれると断れないこの性格、直したほうがいいかもしれない。
諏訪が淹れてくれたコーヒーを飲んでいると、おもむろに五嶋が椅子から立ち上がった。
「たまにはご褒美をやらないとな」
冷蔵庫を開け、白い紙箱を取り出す。
「何すか……それ」
「ケーキだよ。クリスマスには二日早いけどな」
「えええっ」
驚いて箱の中身を確認すると、そこには確かにカットされたケーキが三個、きれいに並んでいた。イチゴのショートケーキ、チョコレートケーキ、そしてレアチーズケーキ。さらに箱に書かれた店の名前を見て驚く。
「ここここれ……市内で一番美味いって評判のケーキ屋さんのじゃないですか!」
「そうだよ」
ケーキをおごってくれるだけでも驚きなのに、それがまた量販店のものではなく、有名どころのパティスリーのケーキとは。
ゴクリ……でも、何か裏があるような気がしてならないのは、普段の五嶋の行いのせいだろうか。
疑心暗鬼になってケーキを凝視していると、諏訪が笑いながら皿とフォークを取り出してくれた。
「大丈夫だよ。これはいつもがんばってくれてる鯨井さんへの、五嶋先生と僕からのクリスマスプレゼント。あ、これ三人分だから、鯨井さんが最初に食べたいの選んで」
「あ、ありがとうございます」
そこまで言われたら、遠慮することもないだろう。
北都は躊躇なくイチゴのショートケーキをもらい、皿に乗せた。五嶋はチョコレートケーキを、諏訪はレアチーズケーキをそれぞれ取る。
このパティスリーは名前だけ知っていたが、ケーキを食べるのは初めてだ。
「いただきます」
行儀よく手を合わせてから、フォークをケーキに入れた。
一口サイズと言うにはちょっと大きめなくらいに切って、大口を開けてほおばる。とろけるような生クリームの甘みと、イチゴの程よい酸味、そしてスポンジの絶妙な柔らかさが相まって、口の中が宝石箱状態だ。
「んーっ! あんまーい!」
口の横にクリームをつけたまま、北都は歓喜の声を上げた。美味い、美味すぎる。思わず満面の笑顔になってしまう。
「実においしそうに食べるね。買いに行った甲斐があるよ」
向かい側に座った諏訪は、ニコニコしながらこちらを見ている。五嶋が選んだ店に、諏訪が買いに走ったらしい。
「ここのケーキは美味いよなぁ」
五嶋は早くも全部食べてしまいそうな勢いだ。
「五嶋先生がこのお店知ってたなんて驚きですよ。すごいわかりにくい場所にあるって話じゃないですか」
「オレは意外と味にうるさいんだよ? 市内で美味しいっていわれるお店は、ちゃーんとチェックしてんだから」
「じゃ、また今度食べさせてくださいね」
「ちゃんと働いてくれたらな」
北都もあっという間に完食してしまった。
「ごちそうさまでした」
一応二人にきちんと礼をして、皿を片付ける。
「そういや鯨井、お前今日は実家に帰らないのか?」
皿を洗っていると、五嶋に訊ねられた。
「帰るつもりだったんですけどね。でも先輩に明日、明後日のバイト頼まれちゃって」
「バイト?」
「クリスマスイブにクリスマスケーキを売る、神聖なお仕事ですよ。さっきのケーキには及ばない、駅前のチェーン店のものですけど」
女子寮の先輩が行く予定だったのだが、急遽今日のうちに実家に帰らなければならなくなり、代役を探していたところに北都が手を挙げたのだ。
「え、お前ミニスカサンタになるの?」
「この時期に外でミニスカとか死ねますから。大体、あたしがなるわけないでしょう。イケメンサンタとしてケーキを売る係りです。それが終わってから、夜の特急で帰りますよ」
「でも寮は明日で閉まるだろ? 泊まるところはどうすんだ?」
「化学科の友だちのところに泊めてもらえることになりました」
最初はカプセルホテルかマンガ喫茶にでも泊まろうかと思っていたのだが、見学旅行で一緒だった高梨有希が「うちに泊まれば?」と声をかけてくれたのだ。
「寒いのに大変だね。風邪引かないよう、気をつけて」
洗い終わった皿を片付け、北都はバッグを担いだ。
「じゃあ帰りますけど、せめてゴミはマメに捨ててくださいよ! 諏訪先生はコンビニ弁当ばかり食べないように!」
「は、はい……」
とばっちりを食ったかのように、諏訪が目をしばたかせて返事をする。さっき諏訪の部屋を掃除をしたら、コンビニ弁当の空き箱が大量に捨てられているのを見つけたのだ。
「お前、ダンナの単身赴任先にやってきた嫁さんみたいだな」
「確かに……」
教師二人のつぶやきに、思わず鳥肌が立つ。
「気持ち悪いこと言わないでくださいよ! それじゃ、また来年!」
「気をつけてなー」
「よいお年を」
逃げるようにして教官室を出ると、窓の外はすっかり夜の帳が下りていた。ちらつく雪を眺めながら、一年を振り返る。
高専生活三年目にして、今年は大変革の一年だった。四月に突然級長職を押し付けられて、それからの九ヶ月はあっという間だったように思える。
そう言えば、女の十七から十八歳は厄年と聞いた気もする。そんなもの、以前ならまったく気にしていなかったが、今思えば厄年というのも納得の災難続きであった。
まあ、でも……悪いことばかりでもなかったのかな。
二年生までは学校生活があまり楽しいものに思えなかったけれど、今年はそんなことを考えるヒマもないくらいに忙しかった。一年中走り回って、怒鳴り回っていたようにも感じる。
来年は一体どんな年になるのやら。
少なくともあと三ヶ月は級長をやらなければいけない。それが終われば、少しは楽になることを期待しよう。




