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見学旅行六日目。
最終日の今日は午前中の飛行機で北陵に帰るため、ホテルから羽田空港に直行だ。
都会への名残を惜しむ暇もなく、バスは首都高を降り、羽田空港に到着した。
北陵行きの飛行機への搭乗開始まで約一時間、空港内で最後の買い物タイムとなった。お土産を求めて、皆散り散りにお店へと入っていく。
北都はもう大体のお土産を買ってあったので、一人近くの店をブラブラとしていた。
「鯨井」
声をかけられて振り返ると、五嶋が立っていた。お土産の入った紙袋を手に提げているが、この人が誰かにお土産を買っていくことが驚きだ。
「昨日はイイもの見せてもらったな」
「……やっぱ、気付いてました?」
「もちろん。証拠写真もバッチリ」
そう言って、五嶋は自分の携帯電話を見せてきた。そこにハッキリと映る、自分の女装姿。いったいいつの間に。
バレてもしょうがない、この人相手にバレないはずがないとは覚悟していたが……
「お前、意外と美人だなあ」
ニヤニヤと笑う五嶋に、北都は肩を落とした。
また弱みを握られてしまった……いや、もうここまできたら、逆に開き直ったほうが得策なのかもしれない。
昨夜、北都より先にホテルに入った鳥飼は、学生主事にたっぷり絞られた後、五嶋からも何らかの注意があったらしい。
朝食会場で鳥飼に会った際、やけにげっそりとやつれていたので、そんなに浦沢教授に叱られ続けたのかと聞いたのだが、浦沢より五嶋の名前を出した途端、ブルブルと震えだしたのだ。
『やめてくれ……オレはもうまっとうに生きていくよ。これ以上あの人に睨まれたら人生終わりだ』
学生主事からの厳しい叱責よりも、五嶋に言われた何らかの言葉のほうがよほど堪えたらしい。大方、とんでもない弱みを握られたのだろう。この担任のやりそうなことだ。
「そうそう。お前、諏訪に謝っとけよ」
五嶋の口から思わぬ言葉が出て、北都は驚いた。
「昨日散々謝りましたけど?」
「そうじゃなくてさ」
五嶋は意味深に笑う。
「昨日のお前と鳥飼の騒ぎで、あいつ、人と会う約束すっぽかすハメになったんだよ」
「えっ」
そんなこと、諏訪は一言も言っていなかった。きっと、自分たちに余計な気を回させないよう、考えてのことだろう。
さすがに良心が痛んだ。自分たちの不始末のせいで、諏訪にそんな迷惑をかけていたとは……
五嶋から話を聞いて、諏訪の姿を探しに出発ロビーに戻ると、彼はソファに座ってスマホを片手に缶コーヒーを飲んでいた。
「諏訪先生」
近づくと、諏訪は顔をあげた。
「鯨井さん、どうかした?」
北都は神妙な面持ちで、頭を深々と下げた。
「あの……昨日はすみませんでした」
諏訪は苦笑いを浮かべながらも、首を横に振った。
「もういいよ。なんとか切り抜けられたし、僕もいいもの見れたしね」
「あの、その……」
「あ、洋服代なら気にしなくていいよ。どうにか理由つけて経費で落とすから」
「いや、そうじゃなくて……」
「何?」
首をかしげる諏訪に、北都は思い切って事実をぶつけた。
「人と会う約束があったんでしょう? それを、あたしと鳥飼のせいですっぽかすことになったって……」
「……五嶋先生がそう言ったの?」
北都がうなずくと、諏訪は落胆の色を浮かべて大きなため息をついた。
「まったくもう……余計なこと言うんだから」
「相手……元カノだったって、本当ですか?」
諏訪はコーヒーを飲みかけて、激しくむせこんだ。
「ご、五嶋先生、そんなことまで言ったの!?」
「去年まで、東京で付き合ってた人だって聞きましたよ」
諏訪は激しくうなだれていた。
いくら上司とはいえ、ここまでプライベートを学生にばらされて、非常にいたたまれない気持ちなのだろう。さすがに少々かわいそうになってくる。
「本当にすみませんでした。そんな大事な人との約束をダメにしちゃって……」
諏訪はうなだれたまま、顔をあげようともしない。真っ白に燃え尽きたようだ。
ヤバイ……余計なこと言っちゃって怒らせたかも。
黙って立ち去ることもできずに立ち尽くしていると、諏訪は自分の隣の空いていた座席をポンポンと叩いた。
「……座って」
やっぱり改めてお説教コースか……
これも自らがまいた種だ。北都は覚悟を決めて、諏訪の隣に腰掛けた。
もう何でも来い。実験レポート再々々々提出になっても、根性で出してやる。
「──ホントはね、ちょっとだけ安心しちゃったんだ」
諏訪の声音は、思っていたよりも柔らかだった。
「安心? 何がですか?」
「彼女に会わないですんで。自分から連絡取ったのに、おかしな話だよね」
顔をあげた諏訪は微笑んでいた。拍子抜けして、ついつい身体ごとそちらを向いてしまう。
「別れてから約一年……納得して別れたはずなのに、ずっとモヤモヤした気持ちを抱えてた。そしてその感情の正体を、ずっとハッキリさせたいと思ってたんだ」
こんな大事そうな話、自分が聞いてもいいものだろうか──そうは思いつつも、興味のほうが強くてここから離れることができない。
「きっと僕も鳥飼くんと同じで、『未練』だと思いたくなかったんだろうね。それがひどくカッコ悪いことに思えて……彼女に一目会えば、その気持ちの正体がわかるかと期待してたんだけど」
「……ごめんなさい」
その機会を自分がつぶしてしまったのだ。
謝っても謝りきれるものではないが、諏訪は微笑んだまま、首を横に振ってその謝罪を拒んだ。
「それがさ、いざここまで来たら、急に彼女に会うのが怖くなってね。モヤモヤの正体から目を逸らしたくなったんだ。君たちの脱走は、ある意味渡りに舟だったんだよ」
その気持ちは何だかわかるような気がした。
わからないものの正体を知りたかったはずなのに、それが本当に自分が恐れていたものだったとしたら……
自分の弱さをまざまざと見せ付けられるようで、目を背けたくなるのも無理はないだろう。
「僕も鳥飼くんと同じ、ヘタレだったんだよ。でも、昨日の君の話を聞いてたら、何だか『未練』でもいいやって思えるようになったんだ。僕が彼女を愛していたのは本当だし、憎みあって別れたわけじゃないからね。そういう感情も、むしろ自然なものなんだと思えてきた」
諏訪はイタズラっぽく笑っていた。
自分のこっぱずかしい説教を聞かれていたと知って、顔から火が出る思いだ。思わずつっけんどんに言ってしまう。
「恋愛経験ゼロのあたしの言うことなんて、何の説得力もないですよ」
「知らないからこそ、本質が見えてくることだってある」
知らないからこそ──北都の口から、ひどく幼稚で、短絡的な質問が漏れ出た。
「……その人のこと、まだ好きなんですか?」
その問いに、諏訪は優しく微笑むだけで、明確な答えは出さなかった。
「君は言ったよね。『今のこの気持ちに整理がつくその日まで、自分の感情ムリに捻じ曲げることない』って。僕のこの気持ちもきっと──好きにしろ、そうでないにしろ、整理するのにもっともっと時間がかかるんだよ。だから、ゆっくりその日を待つことにする」
諏訪の穏やかな横顔を見ていると、この胸が妙につまってきた。
自分のことじゃないのに、彼の苦悩、切なさ、そしてかすかに残る彼女への気持ちを想像し、この胸が小さく刺すような痛みに襲われる。
好きという気持ちだけではどうにもならなかった問題が、二人の間にはきっとあったのだろう。そこで別れを選択せざるをえなかった諏訪は、いったいどれだけ辛い想いを味わったのだろうか。
ふと、どうしようもなく泣きたい気持ちに駆られて、北都は息を深くついた。だが胸のつまりは増す一方だ。
気がつくと──諏訪の真顔がこちらをのぞきこんでいた。
「もしかして、心配してくれてる?」
「べ、別に……」
入り込むあまり、ヘンな顔になっていたのかもしれない。北都は焦って一旦顔を背けた。この男に同情していただなんて認めたくない。
「諏訪先生が彼女作らない理由、わかった気がしましたよ」
彼はフフッと小さく笑った。
「まだしばらく、恋愛はいいかな。独りの生活も楽しめるようになってきたし、今は仕事と研究と君たちの相手で精一杯だしね」
しょうがない。諏訪に恋人どうこうの話は、しばらくしないでおいてやろう──と思ったその矢先。
「今回の旅行でよーくわかったよ。三Eの学生の中で一番手がかかるのは、実は君だったってことが」
諏訪から与えられた心外な評価に、北都は目をパチクリさせる。
彼はこちらを見てニッコリと微笑んだ。
「友だちをかばって、京都で不良相手に大立ち回りしたり、無断外出したクラスメイトを連れ戻そうと夜の新宿に飛び出して行ったり」
思わず口があんぐり。まさか京都の事件がバレていたとは……
だがすぐに思い当たった。あの時の警察官を呼ぶニセの声──あれは諏訪の声だったのだ。
「まったく、責任感や使命感が強いのは君のいいところだけど、後先考えずに動くのはこっちの心臓に悪いからやめてもらいたいな。女の子なんだし」
目を剥いて怒ったところで、敗色は濃厚。
諏訪は鼻で笑って、意地悪そうな目つきで見返してきた。
「こっちには、君に対する切り札が二枚もあることを、忘れないでね」
「ぐぬぬ……」
自分が悪い──そうはわかっていても、やっぱり諏訪の物言いにはついつい言い返したくなってしまう。せめて一矢──
「諏訪先生、五嶋先生に似てきましたね。そういう人の弱み握って楽しそうにしてるところ、本当にそっくりですよ」
イヤミたっぷりに言うと、諏訪は不本意とばかりに口を尖らせた。
「あ、そういうこと言う? 来週から、レポート大変なことになるよ?」
職権を乱用してこちらをイジメようとするところなどそっくりだ。しかしどうやってもこちらが立場は下なことにはかわりない。北都はわなわなと唇を震わせて。
「心配して損した!」
頭にきて、勢いよく立ち上がり大股で歩き出した。
ほんの少しでも、諏訪に同情した時間を返してくれと言いたい。いやむしろ、あんな大人二人にこき使われる運命の自分に同情してほしいくらいだ。
◇
ぷんすか怒りながら立ち去る北都の背中を、諏訪は苦笑いを浮かべて見つめていた。
「……やっぱり、心配してくれてたんだ」
嫌われる一方だと思っていたから、彼女があんな顔で話を聞いてくれるとは、少々意外だった。化学科の彼女が言った「人を思いやれる、すっごくいい女」との評も、今ならうなずける。
だが──実は北都に嘘をついてしまった。
『その人のこと、まだ好きなんですか?』
本当はハッキリと答えを出せた────否、と。
今も胸に残るこの気持ちは【未練】かもしれない。けれど、「愛をあきらめきれない」という意味の未練とはまたちがうものだ。その答えは、意外にも鳥飼の言葉の中に見出していた。
なのになぜ、あんなもったいぶった言い方をしてしまったのか。自分でもよくわからないが……
もしかしたら、鯨井さんの泣く顔を見てみたいと思ってしまった……のかも、なんて。
自分で止めておきながら、それはないだろうに。
僕ってイジワルなのかな……あ、もしかして、こういうところが五嶋先生に似てるって言われる原因なのか?
はたと思い当たって、諏訪は青ざめた。少し自重しなければ……
◇
北陵高専三年生と教職員を乗せた飛行機は、滑走路を走り、瞬く間に離陸して大空へと飛び出した。見渡す限り建物でいっぱいの都会の風景が、あっという間に雲の下に消えていく。
「帰りたいような、帰りたくないような、複雑な気分」
隣に座る多佳子がぼやいた。その気持ちはすごくよくわかる。
機内ではゲームに興じる者、疲れ切って眠る者、手に入れた戦利品を自慢する者と様々だったが、皆、思いは同じだろう。北都も本を読みながら、六日間の旅の名残を惜しんでいた。
帰路は往路に比べて、信じられないほどに時間が早く過ぎるもの。
気がつけばシートベルト着用サインが点灯し、皆席についてしっかりとベルトを締めた。もうすぐ懐かしい我が家……と寮に帰るのだ。
飛行機が徐々に高度を落とす。北陵市を抱えこむような大きな山が迫り、その頂は雪で真っ白だ。大地も雪で薄化粧を施し、たった六日間離れただけでその色を大きく変えたように思える。
秋から一気に冬へ。
来たる長い冬の季節を思い、嘆息する。もう少ししたら、雪は深々と降り積もり、根雪となってこの大地を覆いつくすだろう。
秋の終わりに思いがけず出会った、二つの恋の終わり。
今も彼らの胸の内に残る想いは、雪のようにいつか溶けて消えてしまうのだろうか……はたまた根雪のように、心の奥底に残り続けるのかもしれない。
めずらしく感傷的な気分に浸って、一人気恥ずかしくなってしまった。
飛行機が車輪を出した音がする。もうすぐ着陸だ。ぐんぐんと迫ってくる北陵の大地を見つめながら、北都はまたため息を漏らした。
第7話終了です。
テンプレツンデレと、天然ドS……
北都の受難の日々はまだまだ続きますw
次はIntermission。クリスマス小話です。
次回11月18日更新予定です。連載開始一周年だよ!
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。




