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工場見学が終わった後、夕方になってようやく泊まる旅館に到着した。京都の街中にある、いかにも修学旅行生御用達といった旅館である。
団体客は北陵高専のみのようで、他校の女子高生との出会いを期待していた黒川など、あからさまに肩を落としていた。
ここでは四人一部屋。北都は多佳子たち物質化学科の女子三人の班に混じり、泊まる部屋も自由行動も共にすることになっている。
初日の夜は外出時間もなく、夕食後はのんびりと過ごすことになっていた。
入浴時間も、男子はクラスごとに時間が決められているが、女子には関係ない。
北都は同室四人で連れ立って、一階の大浴場へ向かった。さすがに温泉ではないが、いつも入っている寮の殺風景な風呂とはちがい、京都らしい和風庭園の見える大浴場はやはり趣きがある。
脱衣所でさっさと服を脱ぎ始めていると、同室の一人、高梨有希が急にモジモジし始めた。
「ねえ、やっぱ北都も……一緒にお風呂入るの?」
「そりゃそうに決まってんじゃん」
「そう……よね」
「何?」
「いや……なんか恥ずかしくて……」
もう一人、須坂真菜を見ると、彼女も気後れしたように服を脱がないままだ。
寮で入寮したばかりの一年生がよく見せる姿と同じだ。このお年頃、友だちとはいえ他人にハダカを見せることに抵抗があるらしい。しかも北都はほぼ男の格好。女だと頭でわかっていても、しり込みしたくなるのは当然のことかもしれない。
「大丈夫よ。そりゃ北都の胸はまな板だけど、足が三本あるわけじゃないんだし」
多佳子はそう言いながら早くも下着姿だ。
「多佳ちゃん……何気にヒドイ」
北都がガックリする一方で、有希と真菜は納得したように笑顔を見せた。
「それもそうよね」
「北都が本当に男だったら、こっちから襲っちゃえ」
「やめてくれ……」
◇
一方その頃、男子風呂では。
「見学旅行ですよ。お風呂ですよ火狩くん」
火狩が湯船につかってボーっとしていると、ニヤニヤとした黒川が近づいてきた。
今は電気科の入浴時間で、大浴場にいるのは皆三Eの男ばかりだ。
「だったら何だっていうんだ」
そっけなく返すと、黒川は力強く叫んだ。
「旅行とお風呂ときたら、ノゾキが定番でしょうがっ!」
「初日からそれかよ」
まったくアホらしい。そんなことをやるのは都市伝説だと思っていた。
だが黒川は断固として、太古の昔より続く見学旅行の伝統を守ろうとしているらしい。
「ここのお風呂は、のぞいてくれといわんばかりに、女子風呂との境目の壁にスキマがある!」
「換気の手間の問題だろ」
だいたい、タイル張りで凹凸のない壁をどうやって登ろうというのか。落ちてケガをして、学年中の笑いものになるのが目に見えている。
それでも黒川は挑むつもりらしい。そこに壁とスキマと女湯があるから──とでも言いたげに、鼻息荒く湯船を立つ。
コイツと同じ班、同じ部屋にしたのはまちがいだったかもしれない──
しかたなく、火狩は飛び道具を放った。
「女風呂に鯨井入ってくの見えたぞ」
効果てきめん。こちらをゆっくりと振り返った黒川の顔はしょっぱいものだった。
「お前ね……どうしてそういう萎えること言うのさ。冷や水どころか液体窒素浴びせられた気分だよ。あいつのまな板なんか見たくねー」
「お前なんか凍って砕けてしまえ」
ふと、そばにいた船橋がつぶやいた。
「あいつ、化学科の女子と一緒の部屋だったよな? ってことは、化学科の女子もいるんじゃね?」
「佐久間さんとか高梨さんとか須坂さんが……」
ゴクリ──皆が息を呑む音が聞こえたような気がした。
「この壁の向こうで、鯨井は化学科の美人三人組とハダカでキャッキャウフフしてるわけ!?」
「うらやましすぎるぞ鯨井……」
「ちがうだろ……」
「きゃあっ!」
突然──黄色い笑い声が風呂中に響き渡った。
驚いて辺りを見回すが、男の声ではないことは確かだった。ということは、隣の女湯の声が、反響してここまで聞こえているのだ。
「みんな、シーッ!」
突如黒川が周りに静寂を求めた。皆もその意図を理解して口を閉じ、シャワーを止める。
隣から聞こえてくる声を聞き漏らすまいと、黒川は全神経を耳に集中させている。火狩もつられて、耳をすましてしまった。
「北都の腹筋すごーい! うっすら割れてる!」
無言でずっこける男子一同。
「思ってたよりおっぱいあるじゃん」
「希先輩と比べるからまな板に見えちゃうのかもね」
「あんなエベレストと比べるな!」
最後の声は鯨井のものだろう。
黒川はげんなりした顔をして、今にも風呂に沈みそうだった。
「や、やめてくれ……オレらが聞きたいのはそんなことじゃないんだ」
しかし、普段は鯨井の胸などまったく気にしていなかったが、改めて客観的な意見を聞くと……
生々しい映像が脳裏に浮かんでしまう。火狩は頭を振って水滴とともにそれを振り払った。
黒川ではないが、男みたいなあいつの大胸筋になど興味はない。
オレはホモじゃないんだ。
「先にあがるぞ」
何だか急にバカバカしくなって、火狩は湯船から立つと、さっさと脱衣所へと向かった。
身体を拭いて服を着たところで、外からチノパンにパーカー姿の諏訪が入ってきた。これが部屋着らしい。
「あれ、火狩くんだけ?」
「黒川がアホなことやり始めたんで、付き合いきれなくて先にあがりました」
「女風呂でものぞこうとしてた?」
見事ご明察。鼻の先でせせら笑う。
「鯨井がいるって言ったら、あきらめましたけどね」
「見ても見なくても、鯨井さんに怒られるルートだねぇ」
諏訪は火狩の隣で着替えをカゴに入れながら、苦笑を浮かべていた。
「火狩くんは興味ないの?」
「……何がですか?」
「鯨井さん」
思わず口をあんぐり。
「教師がそう言うこというのはマズいんじゃないんですか? オレに犯罪行為をしろとでも?」
「そうじゃなくてさ、健全な少年なら、ちょっとぐらいは興味あるんじゃないかなって」
「健全でも、好みってものがあるでしょう」
火狩は大げさにため息をついて見せた。
「あんなほぼ男みたいなヤツのハダカのぞこうだなんて、健全な男ならむしろ思わないんじゃないですか。鯨井は人間としては悪いヤツじゃないけど、女としては失格でしょ?」
「そうかなぁ」
そう言って諏訪は、不満げに表情を曇らせた。メガネを外しているので、余計に子どもっぽく見える。
「教師の立場でこんなこというのは、不謹慎だとは思うんだけどね」
おもむろにシャツを脱ぐ諏訪。同じ男の火狩の目から見ても、均整の取れたいい身体をしていると思う。
「鯨井さんは美人だよ」
……何を言い出すのかと思えば。
「……先生も大変なんですね。本人いないところでもお世辞言わなきゃならないなんて」
「お世辞じゃないよ。客観的な意見」
「……メガネの度、あってます?」
本気で心配したくなるレベルだ。鯨井のことを「イケメン」と評するのはよく聞くが、「美人」と評するのは初めて聞いた。
あんな神様が性別をまちがえて作ってしまったみたいな生き物を、よくもまあそこまで誉めそやすことができるものだ。
「あ、そうか。フェミニストの先生の基準では、女だったらみんな美人ってことなんですね」
絶対に認めない火狩に、諏訪はあきらめたようにクスッと笑った。
「美人の基準が人それぞれだなんて、わかりきってることだけどね。女性の美しさは、外見だけでも、中身だけでも決まるものじゃないと僕は思う。君にもそのうちわかるようになるよ」
この物言い、何だかものすごく上から見下ろされた気がする──わかりたくもないが、イラっとして、嫌味を言いたくなった。
「……あいつに特別な想いでもあるんですか?」
諏訪はまったく動じた様子も見せず、むしろ微笑んで見せた。
「僕は教師だよ。鯨井さんも火狩くんも、みんな僕にとっては学生であって、それ以上でもそれ以下でもない」
見事なまでの模範解答。本心なのだろうが、この余裕っぷりがまた癪にさわる。
火狩は自分の荷物を持って、脱衣所を出た。出入り口ののれんをくぐる寸前、足を止めて振り返る。
「いくらフェミニストでも、あんまり女をその気にさせるようなこと、言わないほうがいいですよ。特に教師なら」
「肝に命じとくよ」
諏訪は笑顔で答えた。
もっとも、鯨井ならその気になるどころか、本気で気持ち悪がるだろうが……
火狩はもう一度ため息をついて、廊下へと出て行った。
◇
旅行の夜といえば、先生の目を盗んでのお部屋訪問。
だが初日は早起きの上に移動の疲れもあってか、少なくとも女子部屋のあるフロアは静かなものだった。下の階が騒がしい気がしたが、今日は聞かなかったことにしておこう。
女子担当の化学科副担任による各部屋の点呼を済ませると、就寝まではもっぱら布団の中でのガールズトークの時間となった。
「えっ、有希ちゃん、周防とつきあってんの!?」
「えへへ……」
照れ笑いを見せる有希だが、北都は驚きを隠せなかった。
あの傲岸不遜な周防が、この人のよさそうな有希と付き合っているとは……まったく、人は見かけによらないものである。
「あいつ、エラソーじゃない?」
「そんなことないよ。やさしいよ?」
有希が幸せそうに笑うところを見ると、あながちウソではないらしい。
「真菜ちゃんは?」
「同じ化学科の土橋くんと」
ニッコリと笑う真菜も彼氏もち。学生生活を謳歌しているようで、何ともうらやましいものである。
多佳子は確か、同じ部の一つ上の先輩と付き合っているはずだ。
男女比が五:一のこの学校では、彼氏がいない女子のほうが少数派だろう。
「北都は?」
「は? 何が?」
真菜に突然聞かれて、北都は素っ頓狂な声を上げた。
「付き合ってる人はいないにしても、好きな人はいないの?」
「いるわけないじゃん!」
条件反射で即答。思わず大声になってしまって、目の前の真菜が目をしばたかせた。
「そんな大声で言わなくても……」
「別にヘンなこと聞いたわけじゃないでしょ?」
多佳子も呆れ顔だ。
「いや、なんかありえないこと聞かれたからビックリしちゃってつい……あたしが恋愛なんてできるわけないし」
「『ありえない』とか『できるわけない』とかさあ……なんでそうやって決め付けるわけ? どうして自分をヘンに縛り付けるかなぁ……ホントそういうとこ腹立つんだって」
北都がネガティブなところを見せると、多佳子はいつも渋い顔をする。
自分でも自虐が過ぎるかなと思うときもある。だが長年培われてきたこのコンプレックスは、そう簡単に打ち破ることができない。
「そんなこといってもさ、実際そうなんだから」
こんな自分では、たとえ誰かを好きになっても結果は目に見えている。
それなら、はじめから恋愛感情なんて抱かないほうがいいに決まっている。傷つくのがわかっていて、あえて地雷原に突っ込めるほど心は頑丈にはできていないのだ。
「それが決めつけって言ってんの! 臆病になるのはわかるけど、最初から逃げてどうすんのよ」
「こんなところまできて、怒らなくてもいいじゃん」
「こんなところだからこそ、あえて言うのよ。あんたは恋愛に対してネガティブすぎる!」
横を見ると、有希と真菜が所在無さげに苦笑いを浮かべている。
寮でならまだしも、この二人の前でガッツリ怒られて、北都のなけなしの自尊心はいたく傷ついていた。
だからつい、キツイ言葉で言い返してしまった。
「多佳ちゃんは美人だし、身長も普通だし、普通の女の子だからそういうことが言えるんだよ。多佳ちゃんに告白されたら相手だって悪い気はしないだろうし、実際付き合った男だって何人もいるだろ」
「ちょっと、人をビッチみたいに言わないでよね。付き合ったのは今までの人生で三人だけよ!」
多佳子の怒りの炎に油を注いでしまったようだが、北都とて腹が立っていることには変わりない。
「三人もいれば十分だよ。それだけ必要とされてたってことだろ? 男顔で男よりも背が高くて胸もまっ平ら。女らしい要素の一つもない、女として必要とされたことのない、人生ハードモードの人間の気持ちなんか、多佳ちゃんにはわからないよ!」
思いのたけを吐き出すと、多佳子は苦々しい顔でこちらをにらみつけていた。
北都も口を真一文字に結び、真正面からその視線に立ち向かう。
「ちょっと、二人ともやめてよ!」
その雰囲気にたまらず、有希は悲鳴に近い声を上げた。
「も、もう寝よ! 旅行はまだ始まったばかりなんだからさ」
真菜が立ち上がり、部屋の電気を消した。
暗くなり、多佳子の顔が見えなくなったことに少しだけホッとする。
有希と真菜には悪いことをしたと思う。自分だって、多佳子とケンカしたくはない。
だが、世の中にはどうしたって恋愛には向かないタイプの人間だっている。誰もが普通に恋して幸せな関係を築けると考えるのは、恋愛至上主義の悪いところだ。
あきらめているものを、蒸し返されてもツライだけ──どうしてそれをわかってくれないのだろう。
まったく眠くはないが、寝るしかやることがない。北都は無言で布団にもぐり、ムリヤリ目を閉じた。




