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高専祭の余韻も覚めやらぬうちに、十一月はしれっとやってきた。
「だからぁ、原宿のこの店で、限定のバッグを買ってきてって言ってるの」
「だから、なんでそれをあたしに言うんですか。通販で買ってくださいよ」
「送料もったいないじゃない」
このところ毎夜のように、希が東京での買出しのお願いをしに、わざわざ北都の部屋までやってくる。
こっちは明日からの見学旅行の荷造りで忙しいのに、おつかいのお願いなんて聞いていられない。
これがまた、誰でも入れるような店ならいいものの。
「せめて他の女子に言ってくださいよ。あたしにそのギャルであふれかえってる地雷原に突っ込めって言うんですか」
「あんただって一応ギャルでしょ」
「都合のいいときだけ女扱いしないでくださいよ……」
「わかった。じゃあ、原宿のこのお店の限定ポップコーン買ってきて」
「ポップコーンなんて映画館ので十分じゃないですか」
「北都のケチ!」
希は口をとがらす。北都はそんな希をなだめた。
「期待には添えないかもですけど、お土産は買ってきますから」
「八つ橋と人形焼はいらないからね」
「贅沢言わないでくださいよ……」
北都はため息をつきながら、スーツケースを閉めた。あとは明日の朝に詰めるものを詰めるだけだ。
「ま、気をつけて。携帯の充電器入れた? あと、意外と靴、忘れやすいのよ」
「あ、ホントだ」
すねたように見せながら、先輩としてちゃんと気を配ってくれる。多少ワガママだが、こういうところがあるから、希は憎めない。
「そうそう。諏訪先生にヘンな虫がつかないよう、ちゃんと見張っとくのよ」
「イヤです」
希が部屋を出て行ってすぐ、北都はベッドにもぐった。
明日は多佳子を含めた女子寮の三年生五人で一緒にバスに乗り、集合場所である北陵空港に向かうことになっている。
自分ではいつもとあまり変わりないと思っていたが、部屋の電気を消してもなかなか眠れなかった。ガイドブックで見た、様々な観光名所がまぶたの裏に浮かんでは消え、この目で実際に見るそのときを心待ちにしている自分に気づく。
やっぱり、楽しみなんだな。
他人事のように考えながら、自由行動のコースを頭の中でおさらいしているうちに、いつの間にか眠りに落ちてしまった。
明くる日。
北陵市郊外にある北陵空港。地方空港にしては比較的大きく、先鋭的なデザインの開放的な空間だ。北海道の北の玄関口にふさわしいようにと、近年建替えられたばかりだ。
十時を過ぎた頃、その北陵空港の出発ロビーに集まった大集団に、通りがかった人はみな目を奪われていた。
「な、何このリクルートスーツ集団……」
「男ばっかり。しかも、スーツに着られてる感バリバリ……」
「高校生……いや、大学生?」
若い女性二人組が、クスクス笑いながらその横を通っていく。
それを横目で見ながら、北都のそばにいた黒川がボヤいた。
「確かにウチの学校は私服でラクだけどさ……コレはやめてほしいよな」
黒川は自分の着ている服を指差した。
濃紺のスーツに白シャツ、柄物のネクタイ。典型的なリクルートスーツだ。
「しょうがないだろ。他の学校みたいな制服がない分、フォーマルな服装ってこれしかないんだから」
そういう火狩は黒のスーツにシルバーのネクタイ姿だ。案外サマになっている。
確かに、約百六十名のスーツ集団というのは目を引くものがある。女子もいるが、この学年は一割強。どうしても男子集団のインパクトに負けてしまう。
北陵高専では、見学旅行の際は全員スーツを着用することになっている。
校外での集団行動なので、規律の乱れた私服姿では体面が悪いことと、そして大企業の工場見学も日程に組み込まれているため、相手方に失礼がないように、全員がスーツという服装になったのだと、北都は聞いていた。
ほとんどの学生がリクルートスタイルのような、黒や紺、グレーのスーツだが、そこは十七、十八歳の男子集団。シャツや靴やネクタイに凝ってみたり、髪型をキメてみたり、単なるリクルートスタイルとは一線を画している。
しかしながら、普段はだらけきった服装のクラスメイトが、曲がりなりにもスーツを着てシャンとしていると、さすがに見る目がちがってくる。あの赤坊主頭の辰巳でさえ、スーツを着るとそれなりに見えるから不思議だ。
火狩が北都の全身を眺めて、顔をしかめた。
「しっかし鯨井……なんでお前が一番イケメンなんだよ」
「え? そうか?」
北都はダークブラウンにピンストライプの入ったパンツスーツだ。ドレスシャツにネクタイを締めて、足元は黒の革靴。夏休みの結婚式に着て行って、叔母に大目玉を食らったあのスーツだ。
そもそも見学旅行を見越して買ったこのスーツ、シャツもネクタイも、すべてセットで買わされたものなので、これがいいのか悪いのかなど、ファッション音痴の北都には判断のしようがない。
「どこからどう見てもナンバーワンホストだよ」
「じゃなかったらインテリヤクザ」
黒川のセリフに、北都は色めきたった。
「なんだとてめー。文句あんならスカートはいてくるぞ」
「すんませんそれだけはカンベンしてください目が腐ります」
見学旅行は五泊六日。
十一時発関西空港行きの飛行機で、まずは京都へ行き、そこで三泊。その後新幹線で東京へと移動し二泊。最後は羽田からまた飛行機で北陵へと戻ってくる行程である。
集合時間を過ぎた頃、いつもの緩みきった服装にジャケットを追加しただけの五嶋に呼ばれた。この人は本当にぶれない姿勢だ。
「そこのナンバーワンホストみたいな鯨井」
「ご指名ありがとうございます!」
もはやヤケクソだ。
「オーダー、じゃなかった点呼とって」
「……はいはい」
名簿を持ち、一人ひとり点呼を取っていく。事前に不参加を表明している井ノ原以外の二十九名が揃っているはずだ。
「土屋」
「へい」
「堂本」
「はーい」
「鳥飼」
返事がない。
「あれ、鳥飼? さっきいたような……」
あたりをキョロキョロして、鳥飼の姿を探す。確か黒のスーツを着た、茶髪の無造作ヘア。
「あ、いたいた。鳥飼!」
彼は壁際でこちらに背を向け、一心不乱にスマホをいじっていた。北都が呼びかけてもまだ気づかない。見かねた堂本が彼の肩を叩いて、こちらに気づかせた。
「え? 何?」
「何じゃねーよ。いるんなら返事しろっつーの」
「あ、はいはい」
「ったく……えっと次、長居!」
なんとか全員の出席を確認し、五嶋に報告する。
「じゃあ、チケット配ってくれる? 名前書いてあるから、まちがえないようにね」
今度は諏訪に飛行機のチケットを手渡された。彼も今日は白衣を着ていないので、普通の三つ揃いのスーツ姿だ。
その後荷物を預け、学校長がじきじきにお出まししての出発式が行われた。
「我が校の名を汚さないよう、旅行中は規律を守り、節度を持った行動を心がけるように」
校長の決まり文句のような訓辞だ。
聞いているこっちは「テンプレ乙」ぐらいにしか思わないが、学校側としては必死なのだろう。
血気も好奇心も、そして性欲もお盛んなお年頃ばかり。こういった旅行において、何一つ問題なくすべてが終わるなどという奇跡が起こったら、それはそれで気味が悪いものなのかもしれない。
出発式が終わり、搭乗開始までの時間を待合室で待っていると、機械システムの級長・周防に話しかけられた。
「おい電気科。旅行中に問題起こさないでくれよな。お前らみたいな軽薄なヤツらと同類だと思われるのは、真っ平ゴメンだからな」
もちろん、言われっぱなしの北都ではない。
「昔と同じと思うな。てめーら機械こそ、女に飢えてるからってナンパしまくるんじゃねーぞ。お前らみたいなゴリラ集団と同類だなんて、こっちこそ思われたくねーよ」
「なんだと」
メンチを切りあう北都と周防。二人とも目つきが悪いうえにスーツ姿、しかも互いの後ろにこれまたスーツ集団を引き連れているので、傍から見れば完全にヤクザの抗争だ。
「はいはい、Vシネマごっこは終わり。飛行機に乗るよ」
五嶋の気の抜けた声で、見学旅行は始まった。
上空は穏やかで、飛行機は大きく揺れることもなく、旅立ちのフライトとしては実に順調だった。
飛び立ったときには畑の土色に緑の森林が広がる風景が広がっていたのに、飛行機が着陸に向け高度を下げると、雲の下は一面の建造物だった。この景色を見ると、本州の都会にやってきたのだなと実感する。
北陵は雪がちらついていて寒かったが、関西空港に一歩降り立つと、信じられないほどに暑かった。
「都会だーっ!」
「田舎モノ丸出しやめろよ」
「あっつ! コートいらねー!」
これでもこちらでは晩秋のようだ。日本列島の長さを、こんなところで実感してしまう。道行く人の服装も冬仕様で、暑い暑いとコートを脱いだ北都たちとは体感温度が異なるようだ。
関空からクラスごとに分かれてバスに乗った。都会の街並みは北陵市ののんびりとした風景とは違い、関西だからか人も車も皆せかせかしているように思える。
何となく、山の見える北陵の風景が懐かしくなってきてしまった。
バスはまず、大阪郊外にある大手電機メーカーの工場へ向かった。さっそく工場見学、ここが普通の修学旅行とはちがうところだ。
敷地内に入り、バスを降りると、大きな工場の雰囲気にいっぺんに飲まれてしまった。
「やっぱでけえなぁ」
「空気悪っ」
「おおっ、みんな関西弁だ!」
工場見学は企業訪問の一面もある。北陵高専を卒業し、この工場へ就職したOBの話を聞くのも重要なイベントの一つである。
ありがたいお話を聞いた後は、学科ごとに別れていざ見学。テレビを作っているというラインをまわり、関係者からの説明を受けた。
もちろん、ただ見るだけでなく、後日工場見学についてのレポートを提出しなければならない。北都たち三Eは実験班ごとにまとまり、話を聞きながらメモを取っていた。
機械だらけの製造ラインでは、次々と流れてくる組みあがったばかりのテレビにパネルをはめ込む作業が行われている。
流れ作業に没頭する社員を眺めながら、黒川がふとつぶやいた。
「就職ねぇ……まだピンとこないよな」
「まあな。オレは大学院まで行くつもりだし」
火狩はもらったパンフレットを見ながら答える。
「火狩は進学として、鯨井はどうすんだ?」
「あたしは今のとこ、進学かな……って程度。いい就職先があれば、そっちにするかもしれないし」
メモを取るのに忙しい北都は何気なく答えた。
「甲斐は?」
「オレは技大かな。推薦取れれば校長面接だけですむし」
「へえ」
技大というのは技術科学大学の略称で、主に高専卒業生を対象とした国立大学である。新潟と愛知に二校あるが、成績優秀者には高専の学校長との面接だけで決まる推薦制度があるのだ。
「専攻科も考えたけどね。うちの専攻科は情報分野ないから」
専攻科とは、各高専に併設されている、本科五年を修了した者を対象とした二年制の上級課程。要は同じ学校でさらに二年勉強することで、大卒と同じ学士の学位が取れるコースのことである。
北陵高専にもあるが、今現在は生産システムと環境システムという二コースしかなく、情報分野に特化したコースではないので、情報分野に進みたい学生は他の大学に進学するのが現状である。
「なんだよ、C班で就職すんのオレだけかよ」
黒川は口を尖らせた。置いていかれた気分になったのかもしれないが、学校全体で見れば、クラスの約半数が就職組になるのが普通。C班には比較的成績優秀者が揃っているというだけの話だ。
「黒川、お前今のままじゃ就職もできないかもよ」
「っていうか、卒業が危ういぞ。もっと勉強しろ」
北都と火狩に苦言を呈されて、黒川はますますいじけた。
「みんなしてオレをいじめんなよ……」
メモを取り終わって片付けたところで、北都は改めて自分の将来について考えてみた。
強電より弱電、甲斐や野々宮と同じく情報系が好きなのは確かだ。就職にしろ進学にしろ、そちらの方向に進むのはまちがいないと思う。
ただ、一口に情報系といっても様々な分野がある。その中でどの分野を選ぶかまではまだ考えていない。
あと一年もしたら、本格的に考えなければならないのだろう。そう思うと、先は案外短いように思える。
高専生活も折り返し地点を過ぎた。入学した当初は五年なんて長いと思ったが、いざ過ごしてみると早いものだ。




