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「なんか……中からケモノの鳴き声がするんだけど」
黒川がつぶやいた。
「野獣の咆哮だな」
出口の張り紙を剥がしながら、火狩は答えた。
あの声は鯨井姉だろう。叫び声にもまったく色気がない。
鯨井姉妹が入ったのを最後に、おばけ屋敷は終了した。入り口はクローズし、廊下の機材も片づけが始まっている。姉妹が出てくれば、中の撤収作業も始められるのだが。
そう思っていたら、出口に人影が現れた。鯨井の妹・みなみだった。
「あ、おかえりー」
黒川が猫なで声で出迎えた。かわいい子には目がないヤツとはいえ、姉がアレでも構わないらしい。
みなみは一人だった。ずいぶんと上機嫌のようで、このおばけ屋敷が楽しかったと見える。姉も姉だが、この妹も奇特な人物のようだ。
「あれ? 鯨井は?」
「ん? あれ、お姉ちゃん?」
みなみは中を振り返ったが、姉が出てくる気配はなかった。
「何やってんだ、あいつ?」
「野々宮、何か見えるか?」
監視カメラの映像をモニターしていた野々宮に声をかけてみる。
「途中までは見えてたんだけど……今見える範囲には映ってないな」
「あいつ、まさか……中で迷ってるんじゃ……」
みなみが急に思い出したように、手を合わせた。
「あ、そう言えばお姉ちゃん、遊園地のおばけ屋敷で失神したことあったんだっけ」
「失神って……やっぱ怖かったんだな」
妙にしどろもどろになっていたのは、やはり入りたくなかったからにちがいない。
普段は散々威張り散らしているからか、おばけが怖いなんて弱みを見せたくなかったのだろうか。
「で、どうするよ」
「鯨井さん、どうかしたの?」
席を外していた諏訪が戻ってきて、黒川に聞いた。
「あいつ、中で迷ってるみたいなんですよ」
「ホント? じゃあ僕が……」
「──オレが引っ張り出してくるよ」
声を上げてから、火狩は「しまった」と思った。
オレは何を言ってるんだ……今更「口が滑っただけ」とは言い出しにくい。
「じゃあ火狩くん、頼むよ」
諏訪はすんなりと、火狩に級長救出の任を託した。
ここまでくると、後には引けない。しかたなく、火狩はおばけ屋敷の出口から中に入っていった。
何であんなこと言っちゃったんだ……
暗闇の中を歩きながら、大きなため息をつく。冷静に考えてみると、理由は二つあるように思えた。
一つは昨日から続くイライラ気分。
来ないと言っていた彼女が突然やってきた上に、おばけ屋敷に行きたいというから休憩時間をつぶして付き合ったのに、「冷たい」と散々に言われたことだ。
最近上手くいってなかったのは確かだ。中学の同級生を介して向こうから「付き合って」といわれて付き合ったのはいいものの、彼女のワガママに振り回されることに辟易していた。自分は平気で約束をすっぽかすくせに、こちらに対しては束縛が強く、高専祭にやってきたのも他の女と仲良くやっていないか気になったからだろう。
鯨井にまで対抗意識を持ったようで、それは少しおもしろかったが、そういうところにも疲れてきた──
なんかもう……ネガティブな気持ちしか出てこないな。やっぱりダメかも。
もう一つの理由は、多分──諏訪に対するコンプレックスだ。
諏訪は、自分が目指す難関T大学にいとも簡単に合格し、博士課程にまで進んだ。五嶋から聞いた話だが、そのまま大学に残れば助教から准教授、教授という出世コースもありえたかもしれないし、そこまでいかなくても、大企業からの引き抜きもあっただろうという。
それなのに、母校とはいえこんな辺境の地で教鞭を取るために、諏訪はそのキャリアを簡単に捨ててしまった。
諏訪に対して、自分は羨望とともに失望をも抱いているのだと思う。
自分なら、そんなこと絶対にしないのに──だからこそ、諏訪がたどり着けなかったところまで行ってやると、T大を志望したのだ。
きっと、このイライラとコンプレックスがあいまって、口を滑らせてしまったのだろう。
頭を冷やして自己分析してみたら、案外スッキリとした。普段は意識しなかったが、意外と自分にもドロドロとした感情があるものだ。
暗闇の中で、一際明るく照らされている場所が見えた。センサーライトが反応しているらしい。
「鯨井?」
少し開けたその場所で、鯨井は床の上にへたり込んでいた。近づいてくる足音に、ビクッとして顔をあげたが、自分だとわかってホッと表情を緩めた。
「……か、火狩?」
よく見ると、目元にキラリと光るものが見えた。涙目になるとは、よほど怖かったらしい。
鯨井の前には、無残にも破壊された女の生首が転がっていた。周囲の壁もへこみ、鯨井が恐怖のあまり暴れた様子がうかがえる。
「あーあ、お前こんなに壊しちゃって……これ、来年も使うんだぞ」
生首を拾い上げると、鯨井が顔を引きつらせて後ずさった。理容学校からもらってきたマネキンに細工した作り物なのに、ここまで怖がるとは作った甲斐があるというものだ。
とはいえ、これを抱えていては怯えさせるだけのようだ。生首を離れた場所に置くと、火狩は鯨井を見下ろして声をかけた。
「ほら、行くぞ」
後は出口まで先導していくだけ──そう思っていたのだが。
「……どうした?」
鯨井は一向に立とうとしない。よく見ると、投げ出された足がガクガクと震えていた。
「お前……もしかして、腰抜けて立てないのか?」
「そそそそんなわけないだろ」
口ではそう言うが、立ち上がろうにも足に上手く力が入らないのは明らかだった。
「マジかよ……」
どうりで出てこれないはずである。
しかし、この泣く子も黙る鬼の級長が、腰を抜かすほどおばけを怖がるとは思いもよらなかった。意外なところに弱みがあるものだ。
「級長が聞いて呆れるな。ほら、つかまれ」
つっけんどんに言って、火狩は右手を差し出したが、鯨井はプイと顔を背けた。
「お前の力なんて借りねーよ」
「いいからつかまれって」
「いらない!」
鯨井は手を振りかざし、こちらを追い払おうとする。へたり込んだままのクセに、強情なヤツだ。
「ったく……めんどくさいな」
じれったくなって、振りかざされた鯨井の手を自分から掴みにいった。
もっとゴツイのを想像していたが、初めて握った手は身体のわりに小さく、細い指は冷え切っている。鯨井は驚いて手を振りほどこうとしていたが、やがてあきらめたのかおとなしくなった。
火狩は力をこめて、その手を引っ張った。鯨井はよろよろと立ち上がったが、まだ怖いのか、一歩も動こうとしない。握り締めた手をはなす気配もなかった。
火狩は一つため息をつくと、鯨井の手を引きつつ、出口へと歩き始めた。
「うぎゃああああああああ! ぐぎいいいいいいい!」
歩きながらも、鯨井はオブジェの一つ一つにていねいに反応し、悲鳴とも呼べない奇声を発している。
「近くで大声出すな」
「だだだって、怖いんだもん……」
「ならせめて、もうちょっとかわいい声で叫べよ……」
「ふごおおおおおお」
上から垂れ下がったトイレットペーパーにすら怖がって、身をちぢ込ませている。さっきまでの強気な態度はどこへやら、完全にこちらを頼り切っている。
「くっつくなって」
「は、はや、早く……そと、外に連れ、だして……」
叫び声はケモノじみているが、かすれた弱弱しい声で至近距離から囁かれると、妙な気分になってしまうのが我ながら情けない。相手はあの鯨井だというのに。
腕を強引に引っ張って、火狩は出口へと急いだ。出口の直前、井戸のセットに差し掛かると、女装したおばけ役の矢島が律儀に出てきてくれた。
「……中に誰もいm」
情感たっぷりに吐かれたセリフは、途中で断たれた。鯨井の右フックが矢島のボディに炸裂したからだ。
鯨井はそのままダッシュで出口へと向かった。立場逆転、今度は火狩が引っ張られるままに出口へともつれこむ。
最後の暗幕をくぐり、廊下へと転がり出るように出た。
急に明るくなったせいで、目がなかなか開けられない。
「火狩……」
黒川の息を呑んだ声に、ムリヤリ目を開けてみた。
「え?」
周囲のおどろいた視線が、腕の先に集中している。
「あ」
鯨井と手をつないでいたことを、すっかり忘れていた。
「火狩くん、優しいんだね」
いつの間にか横に立っていた諏訪が、にこやかに言った。
諏訪に言われると、ことさら冷やかされた気分になる。恥ずかしさがこみ上げ、火狩はつないでいた手を振り払った。
「べ、別に……」
手が離れた途端、鯨井はまた廊下にへたり込んだ。
「鯨井さん、大丈夫?」
「大、丈夫……なように見えますかこれが」
諏訪の問いかけにも、キレてはいるが青色吐息である。いつもの調子ではないのは明らかだ。
「ぎゃはははははははははは」
どこからか、場違いなほど大きな笑い声が聞こえてきた。その笑い声のもとを探すと……
「鯨井が……おばけ怖がるなんて……ぷぷっ……しかも涙目……ぎゃはははははは」
野々宮が腹を抱えて、爆笑していた。まさに笑い転げるという表現がピッタリだ。
横で黒川が目が飛び出んばかりに驚いていた。
「野々宮が……笑った!」
「『クララが立った』みたいな言い方すんな」
「だって、あの野々宮が笑ったんだぞ? あの鉄仮面がだぞ?」
確かに、野々宮がこんなにも笑うところは火狩も初めて見た。あの変人でもこんなに笑えるのだと、妙に感心してしまう。
しかも、笑いのツボが【鯨井の涙目】というところが、いかにも変人らしい。
「野々宮……てめー、何笑ってやがる」
鯨井がゆらり、と立ち上がった。
と思ったら、次の瞬間には野々宮の襟首をつかみ上げていた。
「笑い事じゃねー! てめーのせいだぞ! こんなえげつないもの作りやがって!」
野々宮の首をガクガクと揺するが、当の野々宮は未だ笑ったままだ。
かたや半泣きで怒号を浴びせ、かたや爆笑しながら脅される──カオスな状況をブチこわしたのは、意外にも鯨井の妹の一言だった。
「あ、思い出した! 結婚式で会ったイケメンさん!」
彼女のセリフは、諏訪に向けられたものだった。
急に鯨井の顔から血の気が引き、野々宮をつかむ手がはなれる。火狩には何が何だかわからないが、かなりのショックだったらしい。
鯨井はガックリとうなだれた。
握り締めた拳を震わせ、地の底から響くような声で世界を呪うかのように叫ぶ。
「もう二度と……二度とおばけ屋敷なんか入るもんか!」
「はいはい、負け惜しみ乙」
野々宮はきっと、【あの鯨井北都を泣かせた男】として、後世に名を残すことであろう。
◇
教官室に入ってすぐ、胸ポケットのスマートフォンが着信を受けて震えだした。画面上に表示された通話相手の名前に、諏訪は頬を緩ませる。
「もしもし」
『あ、今大丈夫?』
「うん、大丈夫だよ」
『こっちに来るの、何時って言ってたっけ?』
「十一月の十日。新宿のセントポールホテル」
『やっぱりその日か……九時にロビーだったわよね? ちょっと教授の飲み会に付き合うことになっちゃって、三十分くらいしか時間取れなくなっちゃったんだけど……』
「僕はそれでいいよ」
『ゴメンね。せっかく会えるっていうのに……』
「君も大変だね」
『あなたのほうは……相変わらずみたいね』
「相変わらず五嶋先生にこき使われてるよ」
『ちゃんと先生してるの?』
「ご心配なく。毎日楽しいよ。論文はなかなか進まないけどね」
『教授が心配してたわよ。学会にも出てこないって』
「今年は一年目だからね。来年くらいになったらペースつかんで、学会にも出られるようになると思うよ」
『……連絡くれて、うれしかった。もう私になんか会いたくないと思ってたから』
「そんなことないさ。嫌いで別れたわけじゃないんだから」
『そうやって優しい嘘をつくとこ、変わってないのね』
「……君のほうこそ、会ってくれるとは思わなかった」
『五嶋先生に恨み節のひとつでもぶつけてやろうかなって……なんてね。私だって嫌いで別れたわけじゃないんだから、あなたの顔久しぶりにみたいと思ったのよ』
「嘘でもそう言ってくれるとうれしいよ」
『ホント、相変わらずねぇ……ま、いいか。見学旅行のついでとは言え、会えるのを楽しみにしてるわ』
「じゃ、東京で」
『うん、待ってる』
向こうが電話を切ったのを確かめて、諏訪も通話終了ボタンを押した。
懐かしい声を聞いて、忘れかけていた胸のモヤモヤがよみがえってくる。
会いたくなかったわけではない。だがこの「会いたい」という気持ちは、純粋なものとは少しちがう。
痛みにも疼きにも似たこの感情の正体を、早く知りたかったから。
本当に、彼女に会えば、わかるのだろうか。
自分のエゴを隠して、彼女に会っていいものだろうか。
自分から言い出しておきながら、未だ気持ちは揺れている。
第6話終了です。
次回は第7話、見学旅行編です。
京都・奈良・東京をめぐる旅に出発した北都たち。
けどやっぱりただではすみません。
北都は大暴れ、アヤシイ動きのクラスメイト、そして女の影が迫る諏訪……
3Eは無事に戻ってこれるのか!?
一ヶ月お休みをいただきまして、次は9月更新予定です。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。




