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「おばけが……胸をつかんだ?」
にわかには信じられない言葉に、北都は聞きなおしてしまった。
周囲を見回すと、火狩や土屋も顔をこわばらせて、こちらを凝視している。
とりあえず話を聞こうと、彼女の肩に手を置いたその時、ただならぬ足音とともに同年代の少年が出口から出てきた。火狩と雰囲気が似た、理知的な顔立ちの少年である。
「佐々木さん! どうしたの!?」
息せき切って出てきた彼は、開口一番叫んだ。
「浦河くん!」
胸に顔をうずめていた彼女が振り返った。だが、その相手が北都だと見るや否や、浦河と呼ばれた少年はものすごい剣幕で食って掛かってきた。
「おい! 佐々木さんから離れろ!」
「あー、大丈夫。こいつこう見えて女だから」
土屋が間に入ってとりなす。浦河は北都の顔をしばらくにらみつけていたが、納得したのか目をそらした。
気づくと、土屋が浦河の顔をまじまじと見つめていた。
「あれ、お前……朝日中だった浦河?」
「……そうだけど」
「やっぱそうか」
「同級生?」
北都が聞くと、土屋はうなずいた。
「同じ中学だったんだよ。確か、E高に行ったはず」
E高とは、北陵市内では最高の偏差値を誇る進学校である。
言われれば確かに、優等生らしい雰囲気を持ったイケメンである。火狩に似ていると思ったのはそのへんかもしれない。
佐々木さんと呼ばれた少女のほうも、よくみると文学少女風のいでたちで、こちらもおそらくE高生だろう。カップルにしては初々しい感じがする。
「えっと……具体的に何があったか教えてくれる?」
彼女が少し落ち着いたようなので、北都は改めて聞いてみた。彼女はコクンとうなずくと、小さな声で話し始めた。
「半分を過ぎたぐらいのところで、浦河くんと離れちゃって、一人で進んでたら……突然後ろから手が伸びてきて、胸をわしづかみにされたんです」
「わしづかみ……」
土屋が息を呑んで小さくつぶやく。その目は彼女の胸を凝視しているのだろう。
北都にもわかる。さっきから、小さな身体に似合わない豊満な胸が自分に押し付けられているのだ。感触としては、この学校最強のFカップを誇る希と遜色ない。
いやいや、そんなことを考えている場合ではない。一つ咳払いをして、北都は続けた。
「顔見た?」
「振り返ったけど、真っ暗で顔は全然見えませんでした」
彼女は涙が光る目を伏せて、首を横に振った。
「どういうことだよ! いくら工業高校で女に飢えてるからって、ここのやつらは犯罪行為までするのか!?」
自分の恋人がチカン行為にあったと知って、怒り心頭の浦河は大声でまくし立てた。
涙目の彼女を前にして、暴言を吐きたくなる気持ちはよくわかるが、少し言いすぎな気もする。
受付に言って一旦入場をストップさせていると、弁のたつ火狩が冷静に解説し始めた。
「まず、ここは工業高校じゃなくて工業高専です。それにこのおばけ屋敷は、仕掛けは自動で動くものばかりで中はほぼ無人です。最後に一人だけ生身のおばけがいますけど……」
「黒川、ちょっと出てきて」
北都が出口から中に声をかけると、おばけ役の黒川が女装姿のまま出てきた。
「あいよ」
「こんな格好ですよ」
火狩の言うとおり、白装束に顔も白塗り、真っ暗な中でも浮き立つ格好だ。
「コイツが黒い布かぶってたかもしれないだろ」
「オレがチカンしたっていうのかよ!」
濡れ衣を着せられそうになって、今度は黒川が浦河に噛み付いた。
「こいつはバカですが、そんなことはしません」
北都は黒川の肩を押さえて引き離しながら、浦河をまっすぐに見て言った。
「鯨井……」
鉄拳が飛んでくるどころか、かばってくれた北都に、黒川が声を詰まらせる。
「うれしいけど、さり気にバカってさあ……それヒドくない?」
「じゃあ、別のヤツが中に隠れてるのかも」
なおも食い下がる浦河に、北都は胸を張り、ハッキリと言い放った。
「うちのクラスのヤツはみんな、卑怯なことはしません。あたしが断言します!」
一瞬、その場が静まり返った。
いつの間にか集まっていたスタッフ全員が──目の前の彼女でさえも、北都を見上げて目を見開いている。
ちょっとカッコつけすぎたかも……なんて思っても、今更引っ込みがつかない。
浦河は北都をうろんな目で見ていたが、やがてあきらめたように頭を振ってそっぽを向いた。
「もういいよ。こんな学校の学祭に来たのがまちがいだった。これだから工業のヤツはバカでイヤなんだ」
見るのも汚らわしいといった風に眉をしかめ、腕を伸ばして彼女を引き寄せた。
「佐々木さん、行こう」
彼女は心配そうな目でこちらを振り返りながらも、彼に逆らおうとはしない。
今度は北都が怒りを爆発させる番だった。
「ちょっと待てい! そこまでバカにされて黙ってられっか!」
「それもそうだけど……ここで犯人ハッキリさせないと、信用に関わるんだよ」
すっかり頭に血が上った北都を制しながら、火狩も加勢する。
「これ以上、彼女を苦しめるようなマネはやめてくれ。彼女だって、こんなこと他人に話すだけでも苦痛なのに……」
浦河の言葉に、彼女が小さくうなずいた。
このような辱めにあったことを、口にするだけでも耐えがたい屈辱だというのはわかる。だがこちらとしても、やってもいないことを事実のように扱われることには納得できない。
「ここで話しててもラチが開かない。あとで僕のほうから学校のほうに直接報告させてもらうよ」
そんなことをされたら──たとえ事実でなくても、営業中止に追い込まれるのは必至だ。それだけでない。ただでさえ低い三Eへの評価がますます下がってしまう。
背を向け、先を急ごうとする浦河を、北都は引き止めた。
「ちょっと待って……」
「犯人ならもうわかってるよ」
後ろから響いてきた声に、浦河は足を止め、振り返った。北都も倣って振り返ると、声の主は野々宮であった。
「オレは全部見てたよ。犯人はアンタだろ」
野々宮がまっすぐに見据えた相手──それは他の誰でもない、浦河だった。
「……オレが?」
周囲の目が浦河に集まる。彼女も信じられないといった目を向けていた。
「浦河くんがそんなことするはずない。だって、浦河くんはすごく優しいし、T大志望で勉強もすごくしてる。そんなヘンなことする人じゃないわ」
「他人に罪なすりつけてそれで済まそうなんて、バカの考えそうなことだよ。それならよっぽどホンモノのおばけが出たって言うほうがマシだ」
浦河はあからさまな嘲笑を浮かべていた。
「証拠もなく人を犯人扱いすることが、どれだけ愚かなことかわからないのか?」
「証拠ならあるよ」
あっさりとつげた野々宮に、その場にいた全員があっけに取られた。
「これ」
そう言って野々宮が手にしたのは、彼のノートパソコンだった。バックヤードの机の上で、彼がずっと使っていたものだ。
こちらに向けられた画面上では、いくつかの窓が開いており、映像らしきものが二つ並んでいた。
「これがなんだっていうんだよ」
「まだわからない? これ、このおばけ屋敷の中だよ」
「え? まさか……」
「そう。ナイトビジョンに対応した監視カメラ」
野々宮の言葉に、浦河はあからさまにうろたえていた。
「暗がりで、不届きなこと考えるヤツは少なからずいるからね。こんなこともあろうかと、手持ちのカメラ設置しといたんだ」
彼はずっと、このカメラ映像をモニターする役目に当たっていたのだ。
故意に物を壊したり、いたずらをしたり。時にチカン行為も──そういうトラブルはおばけ屋敷につき物だと野々宮は話していたが、まさか本当にチカンするヤツが出てくるとは。
「映像も保存してあるよ。何なら見る? アンタが黒い布かぶって、彼女の後ろから抱きつくところ、バッチリ映ってるけど」
浦河の顔が急激に青ざめた。証拠映像を見るまでもなく、彼がやったのはまちがいなさそうだ。
最初にカメラ設置を聞かされたときには驚いたが、実際役に立つ時がくるとは思ってもみなかった。
「浦河くん……?」
彼女は息を呑み、一歩、二歩と身を引いた。
「いや、その……これは陰謀だ」
しどろもどろ。あれだけ威勢がよかったわりには、案外脆いものである。
「陰謀って何? じゃ、その肩からかけてるバッグの中検めさせてもらいましょか。黒い布が出てきたら、もう逃げられないよ」
浦河はバッグをガッチリとつかんで離さないようだ。それがまた彼が怪しい何よりの証拠である。
北都は両手の指をパキポキと鳴らしながら、浦河に詰め寄った。
「お客さん、ウチはおさわり禁止なんですけどねぇ」
「どう落とし前つけてくれんだ?」
「工業なめんじゃねーぞ」
「誰がバカだって?」
三Eのスタッフにヤクザばりに囲まれて、浦河は引きつった顔で身をちぢ込ませた。
「ご、誤解だよ……バカになんかしてないって」
「何が誤解だよ。対数グラフも書いたことないヤツに、バカにされる謂れはねえんだよ」
北都の瞳孔が開いた目で見下ろされ、浦河は完全に震え上がっている。
「鼻の穴にバナナプラグ突っ込むぞ」
「液体窒素で○○○凍らしてやる」
「マルチバイブレータでアッー!ってしちゃうぞ!」
周囲から次々と浴びせられる工業的脅し文句。
「ひいいっ」
浦河は人と人の間をすり抜けるようにして、一人その場を逃げ出した。
「浦河くん……」
置いていかれたカタチの彼女は泣きそうになっていたが、彼を追いかけるようなことはしなかった。
「悪いこと言わないから、ああいう男はやめときな。あんたぐらい可愛い子なら、いくらでも彼氏できるから。今日はもう家に帰ったほうがいいよ」
北都が慰めるように言うと、彼女はぺこりと小さくお辞儀をして歩いて帰っていった。
彼女の背中が見えなくなって、ふうっと息をつく。
「大・勝・利!」
後ろで黒川が拳を天に突き上げていた。その横で火狩も笑顔を見せている。
「お前の願いどおり、リア充カップルがひとつ爆発したな」
「人をチカン呼ばわりした罰だい!」
「野々宮に感謝しとけよ。あいつが機転きかして映像残してくれてなかったら、冤罪晴らせなかったかもよ」
「ホント、助かったよ。ありがとな」
黒川に面と向かって礼を言われても、野々宮は眉一つ動かさず、何も言わなかった。が、その表情の中に照れが隠されていることに北都は気づいていた。野々宮の表情を見分けるコツがわかってきたかもしれない。
「さあさあ、お客さんが待ってるよ」
「客入れてこうぜ」
奇妙な充実感に満たされながら、それぞれが自分の持ち場に戻った。
ストップしていた入場も再開。おばけ屋敷はいつもの活気を取り戻した。
「そういや、監視カメラなんてどこから出てきたんだ? 備品にはなかったよな?」
今まで誰も口にしてこなかった疑問を、火狩が口にした。北都としてはスルーしておきたいところだが……
「あれはな……」
言葉をにごしていると、運用していた張本人・野々宮が短く答えた。
「オレの自腹」
「野々宮の自腹!?」
北都も聞いたときには驚いた。野々宮が自分で金を稼いでいるとはいえ、決して安くはない監視カメラを二台も自腹で買ったのだから。
だが裏を返せば、それだけ彼がこのおばけ屋敷に情熱を注ぎ込んだということだろう。
「お前……いくら稼いでんだよ……」
「ナイショ」
相変わらずの無表情で可愛く言って、野々宮は監視作業に戻っていった。
「アイツ……やっぱわからん」
火狩は唸った。この秀才を持ってしても、野々宮という男は理解できないらしいが、人間誰しもわからない部分の一つや二つ持っているだろう。野々宮はそれが人よりちょっと多いだけの話だ。
わからないと言えば……
「しかし、あの浦河って男はなんでこんなバカなことしたのかね。自分の彼女だろ? なんでこんなところで胸もんだり……」
「オレの見立てだと……一石二鳥の自作自演ってとこかな」
北都がつぶやいた疑問に、横にいた土屋が答えてくれた。
「一石二鳥? 自作自演?」
「彼女、ガード固そうだったからねー。男のほうが手ェ出せなくて溜まっちゃってたんでしょ。彼女の巨乳をもみもみして、そんで彼女が泣いているところをスマートに助けて、『キャー、抱いて!』って感じに持って行きたかったんじゃない?」
あくまで推測でしかないが、妙に説得力がある。北都はあ然となった。
「バカだ……勉強ができるバカだ……」
「それだけ男のエロにかける情熱はすごいってことだよ」
そんなことを偉そうに言われても、失笑以外の何物でもない。だいたい、そんなことを推理できる土屋も土屋だ。
「お前ら男って……ホントバカなんだね」
「男みたいなお前に言われたくねーよ」
その後、学生会や学校側が乗り込んでくることもなく、二日間にわたるおばけ屋敷アトラクションは、大成功のうちに幕を閉じようとしていた。
「あと何組だ?」
「一、二、三、四……五組かな」
受付の後ろから、火狩と一緒に数える。
「はー……やっと終われるか」
終わりが見えてきて、少し気が抜けてきた。バックヤードに戻ろうと、振り返って大きく伸びをしていると、パタパタとした軽快な足音がこちらに近づいてきた。
「──お姉ちゃん!」
何だか聞き慣れた声。
「おねえ……ちゃん?」
振り返ると、そこには妹のみなみが立っていた。
マルチバイブレータとは、車の方向指示器にも使われている、電気回路の一種です。
アッー!なことには使用できません。




