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お化け屋敷は、電気棟三階の教室二つを会場とする。
机を高く積み上げて入り組んだ通路を作り、そこにダンボールや暗幕を張って真っ暗な空間を作り上げ、入場者を恐怖のどん底に叩き落す様々な仕掛けをあちこちに配置するのだ。
野々宮の出した案によれば、昨年まで代々受け継がれてきた、変わり映えのしないものから脱却し、省人員化を図った新しいお化け屋敷を作るということで、新たに用意しなければならない仕掛けが山ほどあった。
電気電子工学科の作るお化け屋敷なのだから、当然仕掛けは電気で動く。上から降ってくる生首にしろ、突然鳴り出す効果音にしろ、入場者の動きに合わせて動くように作らなければならない。
ある程度は市販のものが使えるが、それ以上のものは、当然自作となる。野々宮の指示のもと、それぞれが作業にとりかかった。
「えっと、この抵抗……茶、黒、赤ってなんだったっけ?」
「一、〇、二。10*10^2で千Ωだろ。いい加減覚えろよ」
「何が悲しゅうて、実験でもないのにこんなことせにゃならんのだ」
「うるさい。黙ってハンダ付けしろ」
ぼやく黒川を、隣の火狩が咎める。
この二人は、お化け屋敷の床に配置する【踏んだら作動するスイッチ】をハンダごて片手に作っているのだ。その他にも、どこからか借りてきた骨格標本を動かすために銅線をつけている者や、市内の美容学校からもらってきたマネキンの顔に血のペイントをつけている者、ダンボールで井戸風のセットを作っている者もいる。
「お前のキライなリア充カップルを怖がらせて別れさせるくらい、ちゃんと作ってくれよ」
「オレ、がんばる!」
まったく、黒川は単純でいい。
北都はいろいろと買い込んだ物の領収書を整理し、ノートに書き込んでいる。隣の野々宮は、ノートパソコンでお化け屋敷の詳細な配置図を作っていた。
「手前の教室の後ろドアがスタート。ここを抜けて一旦廊下に出て、次の教室に入り、最後は前のドアから出てくると。この長さだと、体験時間はだいたい五分くらいか?」
「だな。通路も二人通るのがやっとくらいの狭さだし、一組三人までってところかな。前の組が廊下に出たくらいのところで、次の組を入れるのでちょうどいいと思う。トランシーバーって学生会から借りれるんだよな?」
「そのはず。机とイスと暗幕も、必要数まとめて申請出さなきゃ」
「あと、電源の確保。これ結構コンセント使うぞ」
「教室と廊下ので足りなきゃ、延長コード二階から引っ張ってくるよ」
「扇風機は寮から持ってくるし、スピーカーは実験室にあるの使えばいいか。生臭いのは上に雑巾でも吊るしとけばいいだろ」
お化け屋敷マニアで、国内の数々のお化け屋敷に入ったという野々宮に言わせれば、とにかく五感に訴えることが大事なのだそうだ。
視覚はもちろんのこと、嗅覚、聴覚、触覚で恐怖感を煽り、緊張と安堵の絶妙なバランスを取ることで客を驚かせ、怯えさせる。かつてないこだわりで、今年は本格的なお化け屋敷になりそうだ。
リーダーに任命された野々宮は、感情の起伏に乏しく冷めているように見えていたが、それでも仲間たちに的確に指示を出しつつ、黙々と作業に取り掛かっていた。
淡々としているという点では五嶋によく似ているが、決してやる気が無いわけではない。火狩のような冷静さかと言われれば、それもまたちがう気がする。
とらえどころがない【変人】と呼ばれる彼だが、北都は何となく、野々宮のことをわかりはじめていた。
高専祭まで一週間を切り、学校全体が慌しい雰囲気に包まれてきた。一年に一度の祭りに向けて気分も高揚し、浮き足立っているようにも感じる。
北都たち三Eでもお化け屋敷に使う仕掛けやセットがだいぶ出来上がり、週末の本番に向けて最後の仕上げに取り掛かっている。
設営は前日の夕方と当日の朝しかできないので、入念に準備しておかなければならない。
「何……これ」
黒川に一枚の紙を渡されて、北都はあ然となった。
「何って、当日玄関で配るチラシ」
何の疑問もなく、黒川は屈託なく答えた。
客を呼び込むためのチラシであることは確かだ。詳しい場所や内容が書かれているが、北都が目を留めたのは、そのタイトルだった。
【電気仕掛けのお化け屋敷二〇XX~中に誰もいませんよ~】
「矢島! お前だろ、このタイトルつけたヤツ!」
いきなり怒鳴られて、そばにいた矢島は飛び上がった。
「なんでわかったの!?」
「エロゲネタ使ってんじゃねえ!」
高専祭には近隣の女子高生や小中学生、保護者もやってくる。ここが男ばかりの学校とはいえ、教育上よろしくない言葉をおおっぴらに出してしまうのはいかがなものか。
「これがエロゲってわかる鯨井も大概だよ……」
自称エロゲヲタの矢島は頭をかいてぼやくが。
「お前らみたいなのに囲まれて生きてりゃ、イヤでもわかるんだよ!」
北都を女だと思っていない連中ばかりである。北都が教室にいても平気で着替え始めるし、下ネタもガンガン飛び交う。こんな環境では、イヤでもエロゲやAVの知識がついてしまうというものだ。
「エロゲネタでもいいんじゃね? コワイ感じは伝わるし、わかるヤツにしかわかんないネタだろ」
火狩のとりなしに、北都は少し考えた。
「ふむ……ま、いいか」
金曜の授業が終わり、放課後になると学校の中が一気に慌しくなった。学生たちがいっせいに動き出し、会場の設営や調理に取り掛かり始める。
「みんなそろったかー? 一旦教室から机とイス全部出すぞ。それから窓にダンボールと暗幕をはって、仕掛けと通路の組立てするから」
電気棟三階では、作業しやすいジャージ姿になった面々を集めて、北都が声をかけていた。
「りょーかーい」
北都を含めた十人が会場となる教室の中に入り、作業が始まった。あっという間に机とイスが運び出され、廊下にずらりと並べられた。がらんどうとなった二つの教室で、今度はお化け屋敷を作る作業が始まる。
「ダンボール押さえてて」
「こっちに画鋲とガムテープくれよ」
「黒川、ダンボールに入るなって」
「そこ光漏れてんぞ」
「なんか曲がってない?」
「ベニヤ押さえてて」
「延長コード足りないんだけど」
「危ないって。机崩れるぞ。しっかり固定しろ」
「そっち引っ張って」
「床の配線はしっかりテープで貼り付けろよ。足引っ掛けるからな」
「黒川、生首で遊ぶなって」
「教室と教室のつなぎ目の廊下も、ちゃんと窓ふさげよ」
「おーい、このスイッチ動かないぞー」
「扇風機どこ置けばいいの?」
「うわっ、真っ暗」
「テグス切れた!」
「スピーカー隠れてないよ」
「ライトここでいい?」
「黒川、井戸に沈めんぞ!」
こういうものは得てして、準備している時間が一番楽しいもの。
身体を動かし、皆で力を合わせて一つのことに没頭していると、時間があっという間に過ぎていってしまう。
完成したお化け屋敷がその全貌をあらわした頃には、とっぷりと日も暮れ、冷たい風が廊下の向こうから流れ込んでいた。
「なんか寒くね?」
「あっ、雪!」
廊下の窓から外を見ていた有野が叫んだ。
そう言えば、今朝のローカルニュースで、今夜あたり初雪になるかも……と言っていた。
「どうりで寒いわけだよ……」
見上げた真っ黒な空から、白く小さな粒がゆっくりと落ちてくる。雨よりも緩やかに、優しく降る細雪だ。いつの間にか秋も終わり、本格的な冬の到来である。
「この分だと、積もる心配はなさそうだな。明日は大丈夫かな……」
「明日は晴れるっていうし、雨の心配も無いだろ」
火狩に言われて、北都はうなずいた。
「作業だいたい終わったか?」
全体を見回すと、細かいところを直している連中がほとんどで、ほぼ終了であることは一目瞭然だった。
「作業終わったヤツから帰っていいよ。明日はいつもどおり登校な」
手が開いた者から、次々と帰路についていく。北都は責任者として、全員が帰ったあと諏訪に報告してから帰る予定だ。
「あとは明日の朝、看板立てて、あちこちにポスター貼って回ればいいな」
「小銭用意するの忘れるなよ」
「おっけー」
「じゃ、また明日」
帰っていく火狩を廊下で見送る。あと残っているのは野々宮だけだ。
その彼は、教室の中から廊下に引っ張ってきたケーブルをノートパソコンにつなぎ、画面を見ながらキーボードを叩いていた。
「何やってんの?」
「ちょっとね。もう少しで終わるから」
そういうのなら、待っていよう。
北都は窓に張られた暗幕のたるみを直し始めた。
「鯨井さ」
突然、後ろの野々宮が声をかけてきた。
「何?」
「なんでオレをリーダーにしたの?」
驚いて振り返ると、野々宮が手を止めて、こちらをじっと見上げていた。
「何か意図があってのことだろ?」
表情は相変わらず変わらないが、意外にも鋭い視線だ。
「んー……まあね」
「オレが変人だから?」
剛速球のストレートを投げられて、思わず苦笑で答えてしまった。
「まあ、確かにお前は変わってるとは思うけどさ」
一つ息をついて、今度はマジメに答えた。
「っていうより、お前が感情出すとこ見てみたいなーって思ったんだよ」
野々宮はほんの少し目を見開いて、そして目をそらした。
「お前もヘンなヤツだな。オレはオレなりに驚いたし、始まってからもテンパったりキョドったりで、いっぱいいっぱいだったんだけど」
「パッと見はそんな風には見えなかったよ。落ち着いてて、あたしはすげーなって思った」
変人キャラばかりがクローズアップされて、野々宮のことを協調性のないヤツだと勝手に思いこんでいた。彼が皆の先頭に立ったところなど見たことがなかったから、あわてることも混乱することもなく、仲間たちを効率よく動かしていく様子は驚きの連続だった。
「でも、冷めてるとかドライとか、そういうのとはちがうんだよな。本当におばけ屋敷が好きで、自分の考えたおばけ屋敷をしっかりと作り上げたいって気持ちはすごく伝わってきたよ。少なくとも、自分の好きなことに関しては、ちゃんと情熱持ってるんだなってわかって、なんかちょっと安心した」
北都は腰を折り曲げて、野々宮の目を真正面からのぞきこんだ。メガネの奥の、明らかにギョッとした目がこちらを見返してくる。
「お前、結構目に感情出てるんだよな」
パチパチと瞬きを繰り返す目。北都はニッと笑うと、身を引いた。
「真剣なところとか、楽しいところとか、たしかに顔の筋肉はあまり動かなくてわかりづらいけど、目を見ればどういう風に感じてるのか、なんとなくわかるようになってきたよ」
野々宮はまた目をそらしたが、その頬がほんのりと赤くなっていた。
「お前、やっぱヘン」
「だろうな。あたしもお前に負けず劣らずの変人だよ。こんなナリして、普通もへったくれもねえよ」
変わり者という点では、自分も引けはとらないはずだ。
だが、野々宮はあからさまなため息をついていた。その目にも失望の色が浮かんでいる。
「え……あたしそんなにヒドイこと言っちゃった?」
「いや……ちょっと昔のこと思い出しただけ」
彼は疲れたように背もたれに寄りかかり、天を仰いだ。
「昔?」
「スケートやってた頃の話」
野々宮が中学までフィギュアスケートをやっていて、そこそこな成績を残していたことは三Eなら誰もが知っていることである。
「スケートやめたのはさ、コーチに『表情が出なさ過ぎて、表現力に問題がある』って言われたからなんだ」
確かに、テレビで見るようなフィギュアの選手たちは、身体だけではなく表情でも演技をして、曲の世界を表現しようとしている。逆に言えば、そこまでしなければ一流にはなれないということなのだろう。
「オレ自身はめいっぱい表現してるつもりだったのにさ。ジャンプとかステップとか、技術面は練習すればどうにかなるけど、顔って言われたらね……スケートはそこまで好きじゃなかったし、どうにもならないこと続けるのは時間のムダだから、すっぱりやめて、興味あったプログラミングの道に進むことにしたんだ」
「そうだったんだ……」
野々宮は両手で頬を押さえると、筋肉をほぐすようにこねくり回した。
「【変人】って言われることには慣れてるけど、鯨井みたいなこと言ってくるヤツは初めてだったから、ビックリしたよ。お前には驚かされてばっかりだわ」
そう言って野々宮はまたキーボードに手を置き、作業を始めた。まだ頬に赤みが残っているところを見ると、照れ隠しの動作かもしれない。
そんな彼をほほえましく思いながら、北都はお茶のペットボトルを手に取り、飲み始めた。
もう少しかかりそうなら、先にポスターを貼ってこようか……
「……オレはさ、鯨井はイケメンじゃなくて、美人だと思ってるよ」
野々宮の突拍子もない告白に、北都は飲んでいたお茶を盛大に吹いた。
「ちょっ、おま……何言ってんだ!」
口周りをお茶だらけにして焦るが、言った本人は至極マジメだ。
「イケメンってことは、言い方を変えれば顔が整ってるってことだしな。全体的な雰囲気が男っぽいだけで、パーツごとに見れば十分キレイだと思うけど」
こんな真正面から、自分の容姿について褒められるとは、諏訪に負けずとも劣らない破壊力がある。しかも無表情な分、何を考えているのかわからない不気味さがあってタチが悪い。
「やっぱお前変人!」
「まあ、オレの好みではないけどね。オレ、巨乳好きだから」
「さようでございますか……」
人をこれだけドキドキさせておいて、こうもあっけなく落とすとは。
微妙な気分になりながらも、心のどこかではホッとしていた。持ち上げられたままでは居心地が悪い。
「広い世の中、お前が好みって男もどこかにはいるだろ。鯨井は妙に強気なくせに、自分の外見については自虐的になってるけどさ。もっと自分に自信持ったら?」
わかった──これは野々宮なりの仕返しだ。
驚かされっぱなしでは悔しいとばかりに、こちらを驚かせて楽しんでいるのだろう。
「つーか、お前に慰められたくないんだけど」
「オレ、地元に彼女いるよ」
「な、なんだってー!」
またまた、廊下に北都の叫びが響く。
この変人に彼女がいるなんて、黒川が聞いたら卒倒しそうだ。
野々宮のことをわかったつもりになっていたが、この分ではまだまだ奥が深そうである。
「よし、終わった」
変人はそう言って、キーボードから手を離した。
「さっきから何やってたのさ」
「まあ見てよ」
そう言われてノートパソコンの画面をのぞきこんだ北都は、思わず目を見開いた。
「お前……これって」
「おもしろいだろ? 実は先生にも許可とってあるんだ。使えると思うぜ」
野々宮はかすかに口角を上げて、ニヤリと笑っているようであった。




