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こうせん!  作者: なつる
第5話  友だちってなんだっけ(9月)
30/71

 応用物理のテストが終わり、皆がゾロゾロと教室を出て行く。

 誰も北都に話しかけてはこなかった。今は、そのほうがありがたかった。話しかけられても、何て返せばいいのかまったくわからない。

 頭がしびれたように、何も考えられなくなっていた。

 本当に自分はカンニングペーパーを見なかったのか。本当に作らなかったのか──呆然となり、自分の記憶でさえも曖昧になりつつある。


「……鯨井!」


 突然横から腕をつかまれて、北都は初めて自分が教室の外に出ていたことに気づいた。つかんでいたのは、怒った顔の火狩だった。

「ちょっと、こっちこい」

 腕を引っ張られるままに、廊下の最奥に連れ込まれる。


「お前……本当にカンニングしてないのか?」

 まだ頭がぼんやりとして、北都は答えられない。

 火狩の真剣な顔が、しだいに眉尻の下がった同情的な顔に変わる。


「本当はせっぱつまって……」

「やってねーよ!」


 怒鳴ることで、北都は自分を奮い立たせた。

 自分は絶対にカンニングなどやっていないのだ。自分で自分を疑ってどうする。

 火狩も安堵したように表情を緩ませた。


「それを聞いて安心したよ。いくらお前が突拍子もないヤツだからって、カンニングやっちゃうほどバカじゃないからな」

「バカは余計だ!」


 火狩を相手に感情を爆発させたら、いつもの調子がようやく戻ってきた。

 北都は鼻息荒く、大股で歩き出した。


「どこ行くんだよ」

「富永先生のとこ! 絶対やってないって、もう一回言ってくる!」

 振り返りもせずに言ったが、火狩に肩をつかまれ、止められてしまった。


「待てって。今行ったって話聞いてもらえるわけないだろ。とりあえず寮に帰って落ち着けよ」

「そんな悠長なこと言ってられねーよ!」

 振り返り、噛みつかんばかりに怒鳴る。

 だが火狩は至極冷静に、北都に言い含めるように語った。


「よく考えろよ。この話は必ず五嶋先生のところに行くんだ。お前、オレに言ったよな? あの先生はオレたちのこと、何も見てないようで何でも知ってるし、ちゃんと考えてくれてるって」

 北都は戸惑いながらもうなずいた。

「お前が絶対にカンニングしてないなら、この事態に五嶋先生が動かないわけないんだ。だから、お前はヘタに動かないほうがいい。寮でじっとしてろ」


 確かに火狩の言うことは道理が通っている。北都は歯噛みしながら返す言葉を探したが、やがてあきらめた。

「わかったよ……」

 ここは、五嶋を信じて後を託すしか道はなさそうだ。



 渋々承諾し、とぼとぼと廊下を歩いて玄関へと向かう。後ろで火狩が階段を下り、二階の教官室へ向かったことなど、もちろんわかるはずもなかった。




    ◇




「鯨井さんがカンニングって、本当ですか」

 五嶋の教官室に入るなり、諏訪は声高に聞いた。

「そんなことになってるみたいだねぇ」

 まるで切迫感のない五嶋の声。

 五嶋から電話が来たと思ったら、ありえない話を聞かされて、慌てて飛んできたというのに。


「そんなことって……一大事じゃないですか」

「オレもさっき富永先生から電話もらったばっかりで、まだよくわかってないんだよ」

 イスに座る五嶋も、一見落ち着いているようだが、さすがに困惑気味のようだ。

「でもあちらさん、手回しが早いことで、神山先生に先に報告しちゃったみたい」

 電気科の主任教授である神山教授に報告済みということは、すぐにでも処分を求めてくる姿勢のようだ。


「神山先生からも電話来たからさ、まだ証拠も何も確認できてない状態で処分決めるのは早計だから、せめて富永先生と会議やって、そこで決めましょうとは言ったんだけどね」

 富永教授は今の三E、五十期生の二年生までの担任だ。彼らに相当苦しめられたからか、今でも五十期生に向ける視線が厳しい。今回の件も動きが早いあたり、私怨的なものを感じずにはいられない。


「鯨井さんがカンニングなんてするはずないですよ」

 諏訪は断言した。

 彼女は絶対にそんなことはしない──あれだけ人のためにがんばって、時に身体を張ってクラスメイトの不正を正そうとした彼女が、テストでカンニングなどという重大な不正に自ら手を染めるはずがない。何かのまちがいに決まっている。

「オレもそうは思うんだけどね。どうしたもんかな……鯨井を呼び出して、一応話を聞いとくかね」

 五嶋が頭をポリポリとかいたその時、教官室のドアがノックされた。


「……火狩くん?」


 入ってきたのは、三Eの副級長・火狩だった。今日の日程は終了し、皆帰ったものだと思っていたが。

「どうした?」


 五嶋の座る机の前まで歩み寄ってきた火狩はうつむいていたが、やがて意を決したように顔を上げた。

「あの……鯨井のことなんですけど」

「カンニングのことか?」

 下唇を噛みしめ、彼がうなずく。


「……あいつ、絶対にやってません」


 火狩の力強いセリフに、諏訪は五嶋と顔を見合わせ──そして互いに笑みを浮かべた。

「どうしてそう思う?」

 五嶋は火狩にたずねた。


「今までのあいつの成績から言って、カンニングなんて必要ないはずです。そんなリスクの高いことするほどバカでもない。あいつは自分の能力をわかってます」

 さすがはクラス一位の秀才。冷静な分析だ。

「カンペが鯨井のイスの真下から見つかったってのも、腑に落ちないんです。カンペなんてヤバイもの、自分が落としたのなら普通気づくでしょうし、落としたとして、座ってるイスの下に入り込むのは考えにくいです」


 その鋭い洞察力に、諏訪は改めて火狩という学生を見直した。

 諏訪も五嶋もその場にいたわけではないので、現場の状況、現場にいた者の印象は参考にもなる。

 五嶋は斜に構えながらも机に肘をつき、火狩を見上げた。


「鯨井がやったんじゃなかったら?」

「誰かが──鯨井のイスの下にカンペを落としたんだと思います」

 彼女が何もしていないのなら、当然そういう結論に達するだろう。

「テスト中、由利がペンケース落として、みんなの視線がそっちに向いた瞬間がありました。その瞬間を使えば、不可能ではないかと」

 五嶋は真正面から、火狩を見据えた。


「つまりは……鯨井は誰かにハメられたってこと?」


 その言葉に、火狩はしっかりとうなずく。

 自分の胃が重たくなるのを、諏訪は感じていた。


「オレ……見たんです」

 火狩は重々しい口調で言った。


「富永先生に鯨井が問い詰められて、オレが振り返ったら……笑ってたんです」

 続けて火狩の口から語られた名前に、諏訪は息を呑んだ。


「……笑ってた?」

 聞き返した五嶋はさすがというか、落ち着き払っている。

「オレにはそう見えました。下を向いて、鯨井のほうは見ていなかったけど……口元だけが歪んでて、あれは絶対に笑ってた……」

 火狩の言ったことが本当なら、確かに何かしらの悪意を感じる。

「もちろん、その人がやったっていう確証はありません。動機もわからない……けど、その人なら、カンペ落とすことも可能だと思うんです」

「わかった。その件については参考までに聞いておくよ。確証がない以上、こっちとしても動きは取れないからな。お前も、この件については一旦忘れてくれ」

 五嶋の言葉に、火狩は一瞬不満そうな顔を見せたものの、おとなしく返事をして従う意思を見せた。


「ま、お前のおかげで、鯨井を呼ぶ手間が省けたわ。助かったよ」

「オレがここに来たってこと、あいつには内緒にしといてくださいね」

「お前もめんどくさいヤツだねぇ。わかってるよ」


 彼女を助けるために自分が動いたなどと知れることは、彼のプライドが許さないのだろう。それが微笑ましくもある。

 自分の仕事は終わったとばかりに火狩は五嶋に礼をして、踵を返した。

 ドアを開け、出て行こうとしたその時、火狩はこちらを振り返った。


「鯨井……五嶋先生のこと、『ちゃんと自分たちのことを考えてくれてる』って言ってましたよ」

 彼女がそんなことを……自分が思っている以上に、彼女はこちらのことをよく見ていたようだ。

 やはり五嶋が級長に指名しただけのことはある。諏訪は少しだけ、五嶋がうらやましいと思った。

「へー、あいつがそんなことをねえ」

「オレは今でも半信半疑ですけどね。でも、あいつの期待だけは裏切らないでくださいよ。じゃあ」


 ドアがパタンと閉められた。

 やれやれとばかりに五嶋が大きく息をつき、イスの背もたれに寄りかかる。


「オレもずいぶんと買いかぶられたもんだ」

「とか言って、顔がニヤけてますよ」

「そう? 気のせいじゃない?」

 いや、明らかにいつものニヒルな笑みとはちがう、照れを含んだ笑みだ。ひねくれ者の五嶋でも、教え子から頼られるのはそれなりにうれしいらしい。


「でも……なんで彼が……」

 火狩が名前を挙げた、その人物のことが気にかかる。

 もし彼が──彼女を陥れたとして、いったい何の得があるというのだろう? 特に大きなトラブルも聞かなかったし、彼女に恨みがある感じはしない。


「それは後回し。とりあえずは、鯨井の無実を証明してやらなきゃ」

「それもそうですね。で、勝算はあるんですか?」

 相手は神山教授と富永教授。二人ともこちらを目の敵にしている強敵だ。

 だが五嶋は諏訪を見上げ、いつものように唇の端を持ち上げてニヤリと笑った。


「オレにそれを聞くのは、ヤボじゃない?」


 この人の本気を前にして、勝てる人なんていないよな──つくづく、敵には回したくない。

 万が一正攻法がダメだったとしても、あらゆる手を尽くして事態をひっくり返してしまう恐ろしさ。二人の教授が地団駄を踏んで悔しがる様子が目に浮かぶようで、諏訪は内心で二人の教授に合掌した。




   ◇




 その日の夕方。

 寮の自室で、北都は机に向かっていた。

 明日に向けてテスト勉強をやろうと思ったのだが、どうにもペンが進まない。雑念ばかりが頭をよぎり、勉強の内容が頭に入らないのだ。

 それに、もしカンニングをしたと認められてしまったら、一週間の停学と全テスト〇点という処分が待っている。勉強してもムダになってしまうかもと考えると、やっぱり勉強する気になれない。

 机に向かうのをあきらめて、ベッドにゴロンと横になったその瞬間、携帯電話が鳴った。それは、五嶋からの呼び出しの電話であった。



 教官室に入ると、差し込む夕陽を背にして机に座った五嶋と、その横に諏訪も立っていた。

「お前の処分が決まったよ」

 心臓がズキリと痛む。やはりカンニングが認められてしまったのか。級長である自分が停学、そして留年の危機だなんて──悔しさを噛み潰すように、歯を食いしばる。


「あのカンニングペーパーはお前のものじゃなかった。そして、あのカンペを使ったとも認められなかった。よって、無罪放免」


 五嶋の言葉が信じられなくて、北都は鳩が豆鉄砲を食らったようなマヌケな顔を晒した。

「停学もナシだから、明日はちゃんとテスト受けてね」

「あ、あの……何がどうなったんですか?」

「説明しなきゃダメ? めんどくさいんだけど」

 こちらはマジメに聞きたいのに、めんどくさいとは何事だ。諏訪が苦笑しながら諌めてくれた。

「五嶋先生、面倒くさいってことはないでしょう」

 だが五嶋はさっそく手元の週刊誌を広げている。状況がつかめない北都に、諏訪が代わりに答えてくれた。


「あのカンペは君のモノじゃないって認定されたって事だよ。そもそも、カンニングは現行犯を押さえるのが基本で、証拠品が落ちてるだけじゃ、それが誰のものであるか、自白か明確な証拠でもない限り特定はできないんだ」


 確かに、誰の物ともわからないカンペが自分のイスの下に落ちていたからというだけで、カンニング認定されてしまっては、冤罪もいいところだ。


「今回の件は富永先生の早計だったってこと。カンペ確認させてもらったけど、お前の字とは全然ちがったってことが決定打だったな」


 五嶋は週刊誌から目を離さずに言った。

 あの場では、富永教授の剣幕に押されて何もいえなかったが、向こうもカンペを見つけて瞬間的に頭に血が上ってしまったということだろうか。

 めんどくさいと言っていたわりに、肝心なところの説明はちゃんとしてくれる。まったく、ひねくれ者の担任だが、ともあれ五嶋の働きかけのおかげで処分は免れたようだ。


「あ、あの……えと……ありがとう、ございます」

 ぎこちないながらも一応頭を下げると、五嶋の代わりに諏訪が笑顔で応えてくれた。諏訪も少しは尽力してくれたようだ。

「明日の勉強もあるんだし、もう寮に戻っていいよ」

「はい。じゃあ失礼します」

 くるりと踵を返して、一歩踏み出したその時。


「聞かないのか?」


 後ろからかけられる、五嶋の声。この男はいつもこうだ。人の不意を突くように言葉を投げかけてくる。

 北都は足を止め、ゆっくりと振り返った。


「何を……ですか?」

「カンペが誰の物か、だよ」


 北都はつばを飲み込んだ。

 自分のものではないのなら、いったい誰が──まったく考えなかったわけではないが、改めて聞かれると、言葉の重みをずしりと感じる。


「その口ぶりだと……先生は知ってるんですね」

「まあね」

 五嶋はあっけらかんと言った。知っているからこそ、こう聞くのだろう。


「じゃあ聞きません」

 北都はキッパリと言った。


「確かにあたしには迷惑でしたけど、こうやって無実が証明されたんだし、今更蒸し返したところで、また面倒なことになるだけでしょう?」

「そいつを咎めるつもりはないと?」

「全員無事進級させろって言ったのは、五嶋先生じゃないですか」

「別に不正を見逃せとまでいった覚えはないよ」

「見逃すつもりはないからこそ、名前聞いちゃったらできなくなるんですよ」


 もちろん、不正行為を働いたのだから、それ相応の罰を受けるべきだとは思う。

 だが、それを決めるのは自分ではないはずだ。五嶋はいつもの手でこちらに決めさせようと考えているのかもしれないが、もうその手は食わない。

 それ以上に、北都の胸にだんだんと重苦しい感情が広がりつつあった。


「ただ……」

「ただ?」

「その犯人にカンニングをさせてしまったのは、あたしの責任かもしれません。みんなを落第させないようにがんばってきたつもりですけど……その力が及ばなかったってことですから」


 のしかかる無力感。

 級長になって半年、少しずつ積み重ねてきた努力はムダだったのだろうか。自分ひとりが空回るばかりで、皆の心に響くものは何一つなかったのだろうか。


「めずらしく殊勝なこと言うじゃない」

 茶化す五嶋に、北都は大きなため息をついて見せた。

「処分ナシはうれしいですけど……全然スッキリしないですよ」


 なんだかすべてを投げ出したくなってきた。試験期間中じゃなかったら、ヤケ食いでもして不貞寝したい気分だ。

「鯨井さん……」

 諏訪が心配そうにこちらを見ている。

「今度こそ戻ります。ありがとうございました」

 北都は投げやりに一礼すると、のろのろとドアに向かい、ノブに手をかけた。

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