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こうせん!  作者: なつる
第1話  鯨井北都の受難
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 この学校には職員室というものはなく、教員は教官室と呼ばれる自分の個室を持つ。電気棟の二階は教官室が並ぶフロアで、そこに五嶋の部屋はあった。

 本当はドアを蹴破りたいくらいの気分だったが、一応のノックをして、返事を確認してからドアを開ける。


「失礼します…………うわっ」


 目の前に広がったのは、散乱する本、書類、ゴミの山。十畳ほどの部屋が、様々なもので埋め尽くされている。

 壁際には書庫、手前には応接セットがあり、奥の窓際に五嶋の座る大きな机があるが、そこにたどり着くまでに何かを踏まないではいられないほどに部屋は散らかっていた。

 キレイ好きの北都には地獄とも言える汚部屋だ。しかもひどくタバコくさい。

 その汚部屋の片隅になぜか諏訪がいた。せっせと本を集めて書庫にしまっている。なんでこの人が片付けてるんだ?

「あ、鯨井さんいらっしゃい」

 北都に気づいて、彼は顔を上げた。スーツの上着を脱いで、ベスト姿になっている。

「今朝は大変だったね。HR始めようとしたら君がいないから、探しに行ってたんだよ」

 なるほど。それであのタイミングでの登場だったというわけか。

「……ありがとうございました」

 礼を言ってなかったことに気づいて頭を下げる。

「いや、いいんだよ。でもあの彼、なんでわからなかったかなぁ」

「何が……ですか?」

「鯨井さんが、女の子だってことだよ」

 北都の頬がピクピクと引きつった。

 北都は【女の子】と呼ばれるのがキライだ。たとえ事実であっても、そんなガラではないのは自分が一番よくわかっている。よっぽど、男に間違われているほうが気楽なのだ。

 だが諏訪はそんな北都の辟易する気持ちなど気づかないのか、当てこすりのように続けてくる。

「女の子だって、見たらすぐわかるのになぁ」

 見たらすぐわかる? まさか……

「え……身上書を見たんじゃ……」

「そんなもの見てないよ」

 こともなげに言う諏訪に、北都は言葉を失った。

 幼少時ならいざ知らず、思春期を過ぎてからはほぼ一〇〇%の確率で男に間違われてきた北都としては、初対面一発で女と見抜かれたのは初めてだ。オカマに間違われることはあっても、女に見られることなんか一度もなかったのに……

 胸にモヤモヤムカムカしたものがこみ上げてくる。なんか……キモチワルイ。

 しかし今、この胸のムカつきをぶつけるべき相手は諏訪ではない。北都は五嶋に近づき、机をたたきつけた。

「先生!」

 五嶋は重厚なオフィスチェアに腰掛け、足を机の上に投げ出す格好で雑誌を読んでいた。しかもその雑誌は学会誌とかではなく、ただの週刊ゴシップ誌。机の上にポンと投げ出して見えたそのページは、美人のお姉さんが豊満な胸も露にポーズをとっている、いわゆるヌードグラビアだ。こんなものを学校の中で堂々と読んでいる教師がいたとは……呆れるよりも怒りがさらに募る。

 無気力、不真面目、不精者。ウワサには聞いていたが、この部屋といいこの態度といい、ウワサに違わないトンデモ教師だ。


「なんで自分を指名したのか──って聞きたいの?」


 北都の怒りなどどこ吹く風、悠然と腕を頭の後ろで組み、五嶋はこちらを見上げた。

「そらそうに決まってるでしょう!」

「理由かあ……そうだなぁ、お前がクラスで一番のイケメンだから、かな」

 五嶋は唇の端で笑っている。

「……なんですか、その理由!」

 聞いたこっちがバカだった……

 静かに怒りゲージを貯める北都の神経を、諏訪の天然無神経がさらに逆撫でする。

「ダメですよ五嶋先生、女の子にそんなこと言っちゃ」

 てめーはだまっとけよ……と内心で毒づく。

 五嶋は一枚の書類を取り出した。北都の身上書だ。


「鯨井北都、電気電子工学科五十期生唯一の女子。二年生までの成績は火狩、簗瀬に続く三番。寮生で所属する部活はなし。クラスで一番のイケメンで、泣かした女は数知れず。身長一八〇センチ、体重六〇キロ。ちなみに胸はAカップ」


「そんなことまで書いてあるんですか!」

「いや、これはオレの目測」

 ぐうの音も出ないほどのピタリ賞。

「こんの……エロオヤジが! 今すぐくたばりやがれ!」

 怒鳴りつつも、握り締めた拳を振り上げるのは何とかこらえた。相手は一応教師だ。ぐぬぬとやり場のない怒りに拳を震わせていると。

「五嶋先生! いいかげんにしてくださいよ」

 二人の間に立っていた諏訪が本気で怒っていた。

「女の子相手にそれはセクハラですよ。先生はそういうこと言う人じゃないでしょう」

 詰め寄ってたしなめるが、五嶋はただニヤニヤと笑うだけだ。

 諏訪は北都にも迫ってきた。まなじりをキッと吊り上げて、ほんのちょっと高いところからこちらを見下ろす。それだけでも腹立たしいというのに。

「鯨井さん。君もだよ。怒るのはわかるけど、もうちょっと女の子らしく……」


「あ、諏訪、それ禁句」

 五嶋の制止も空しく。


「え?」

 次の瞬間には、目の前にあった諏訪の両襟を掴み上げていた。息をのむ彼の整った鼻筋に、北都は自らの瞳孔開き気味の双眸を突きつける。


「──鯨井はな、一年生の時にお前と同じようなこと言った美術の非常勤講師を殴ってんのよ」


 硬直する諏訪は、引きつった顔で五嶋を見た。

「講師を……殴った?」

 五嶋は立ち上がり、北都の肩をなだめるようにポンポンと叩いた。

「キスシーンにはちょっと物騒だよ」

 そう言われて初めて諏訪の口唇が間近にあることに気づいて、北都は慌てて両手を離した。

 ずっとイライラしていたところにあの言葉を聞いてしまったものだから、つい怒りに我を忘れてしまった。

 バツの悪い顔を背けると、五嶋がまた椅子に座りながら諏訪に当時のことを説明してくれた。

「その非常勤講師ってのが、チビデブハゲって三拍子そろった性格の悪い男でさ、自分がモテない僻みを鯨井にぶつけてたのよ」


『女のクセに』『どこが女子なんだよ』『レズか? ホモか?』


 それがあの非常勤講師の口癖だった。

 女にあるまじき長身、しかも美男子と見紛うばかりのこの顔。女物の服は死ぬほど似合わないし、化粧は罰ゲームと言われるレベル。女っぽい言葉遣いや仕草をすればまず間違いなくオネエと言われるしで、言動が男っぽくなるのは必然だった。

 望んでこうなったわけではないし、親を恨んでも仕方ないのはわかっている。開き直る気持ちのその一方で、幼い頃から抱え続けたコンプレックスから逃れることはできなかった。

 女の子らしく──なりたくてもなれないのに。

 それをあの非常勤講師は一年かけて、ずっと心無い言葉で攻撃してきたのだ。


『お前みたいなのは人間の出来そこないなんだよ。男じゃないなら、女らしくしとけ』


 その言葉で北都はキレた。非常勤講師の顔に、右ストレート一発。講師は見事なまでに吹っ飛んだ。

「幸い、その講師の暴言の数々を他の学生も聞いててさ。鯨井は一旦は無期停学処分になりそうだったんだけど、暴言はセクハラの一種だと認められて、講師は解雇、鯨井は厳重注意ですんだってワケだ」

「そう……だったんですか」

 諏訪の憐れむような視線を頬に感じても、ここでは逃げ出すこともできない。

「ま、それはいいとしてさ」

 五嶋の言葉に救われて、北都は顔を上げた。

「鯨井、お前の級長就任は決定事項。覆せないよ」

「イヤです! なんで火狩じゃダメなんですか」

 勢いを取り戻して、思っていたことを正直に言った。だが五嶋は取り合ってくれなかった。

「こう言っちゃなんだが、火狩はあのクラスをまとめる級長には向いてない。その証拠に二年で十人もの留年・退学者を出してる。そら『史上最悪』とか言われちゃっても仕方ないよな」

 自分のクラスが陰でそう呼ばれていることは北都も知っている。

 理系でヲタク気質が多いこの学校。四学科の中でもそれが顕著な電気電子工学科にあって、北都たちのクラスは突然変異と言ってもいい荒れようだった。

 十人がいなくなったものの、今残っている三十人も小さい処分を受けたり、成績の非常に悪い者がゴロゴロいる。厳重注意とはいえ、かつて自分も処分を受けたことに、北都はちょっとした罪悪感を抱いていた。

「でもそれは火狩の責任じゃないでしょう。赤点とって留年とか、学校があわないとか、いなくなった原因なんて色々なんだし」

 五嶋は北都の眼を真っ直ぐに見た。


「鯨井……オレはね、それも級長の責任だと考えてんの。本来、級長とはクラス内をまとめる指導者的立場であり、クラス全体の奉仕者としてクラスの発展に貢献する役目を負うワケだ。ただ号令かけて、プリント集めるだけが級長の仕事じゃないんだよ」


 なんだよこのオッサン……ただのぐーたらかと思ってたら、フツーに真っ当なこと言いやがって。

「火狩は成績はいいが、指導者としては不適格だ。だから火狩は降格。その上で、もっとも適任なのがお前だと判断したわけだ」

「いやだからなんであたしが……」

 それ以上の言葉を遮るように、五嶋はギラリと光る厳しい視線を北都に向けた。


「鯨井──級長として、これ以上の退学者、留年者を出すな。これは至上命題だ」


 突然そんな命題を突きつけられて、北都はゴクリと息を呑む。

「え……いやそんなのムリ……」

「ムリじゃない。お前には『級長の適性』がある。級長としてクラスをまとめ、指導し、全員を無事進級させるんだ」

 五嶋の妙な迫力に飲まれて、北都は返す言葉を失っていた。

 たかが一学生の自分にそんなことができるはずがない。そんな力も人望も指導力もあいにく持ち合わせていないのだ。

「もうイヤだとは言わせないよ」

「でも……」

 五嶋は急にニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべ出した。


「さっき──諏訪に掴みかかってたよねぇ」

 今更何を言い出すのか──まさか?


「教師への暴力はいけないなぁ。しかも今回は諏訪にそれほどの落ち度があったとはいえないし。これが公になれば三日間の停学処分かなぁ」

 ようやく五嶋の言わんとしていることが理解できた。


「……脅すんですか」


 苦々しく言うが、それでも五嶋は余裕の笑みを浮かべて優位を崩さない。

「脅すだなんて人聞きの悪い。でもさ、オレは担任なわけよ。このクラスに対する全ての権限を持ってんの。お前が進学するにしろ就職するにしろ、オレの胸一つなわけ」

「やっぱ脅しじゃないですか!」

 ポンポンと肩を叩く手のひら。振り返ると、後ろで諏訪があきらめきった顔で首を横に振っていた。

「鯨井さん……この人だけは敵に回しちゃいけない。素直に言うこと聞いといたほうがいいよ」

 確かにそんな気はし始めている。狡猾な手口、有無を言わさぬ強引な手法、そして底の見えない不気味さ──それらを体感して、北都のカンはこの五嶋と言う男が非常に危険な人物だと警告を発している。

 どこかに逃げ口はないかと必死で考えたが、どのようなアプローチでも最終的にこの状況を打開するには唯一つ、級長職を受諾する以外にない、という答えにたどり着いてしまう。

「うう……」

 呻いても歯軋りをしても、もはや道は一つしかないのだ。

 苦渋の選択。北都はついに観念した。


「……わかり……ました」

「よし、決まりだな」


 正直に言うと、たった二年でクラスメイトが四分の三にまで減ってしまったことに、少なからず心を痛めていたことは事実だった。決して仲が良いとは言えないクラスだけれども、それでも同じクラスでスタートした仲間たちだ。一人二人といなくなっていく級友たちをただ見送るのは物悲しいものがある。

 今でも火狩に責任があるとは思わないが、五嶋が言う【級長の適性】というものが本当に自分にあるというのなら──ちょっとぐらい、みんなのためにがんばってみてもいいかもしれない。

「とりあえず一年、がんばってくれよ。できなかったときはどうなるか……わかってるよな」

 五嶋の胸一つ、ということなのだろう。まったく、この担任はどこまでもあくどい。

「あ、そうそう。言い忘れてたけど、オレのクラスの級長は、オレの秘書も兼任することになってるから」

「はあ?」

 初耳どころか寝耳に水。そんな級長の仕事聞いたことがない。

「とりあえず毎日、この部屋お掃除してね」

 この腐海のような汚部屋を……想像しただけで鳥肌が立ち、寒気が走る。しかも気配を感じて振り返ると。

「じゃ、鯨井さん、頼むね」

 諏訪がニコニコしながら、持っていた書類の束を北都に押し付けてきた。

「いやあ、これでやっと僕も自分の仕事に専念できるよ。三月に着任してからずっと毎日、こんなことばっかりやってたから、自分の仕事が進まなくてさ」

 この人が毎日片付けしててコレなのか……

 なんだか連携プレーでだまされた気がする。北都はわなわなと身体を震わせると。

「自分で片付けろ──っ!」

 書類の束を机に叩きつけた。

「横暴! 職権乱用! 独裁者!」

 デモさながらにシュプレヒコールを上げてみるものの、当然それくらいで動く五嶋ではない。そ知らぬ顔の五嶋と憤慨する北都の間を、諏訪がとりなした。

「まあまあ。級長は大変だけど、悪いことばかりじゃないよ」

「何知ったようなことを…………ん、あれ?」

 さっきからどうも引っかかっていた。五嶋を昔から知っているような言動……


「もしかして……諏訪先生」


 意を得たりと諏訪は微笑んだ。


「そう。僕も級長だったんだ」

「え、卒業生?」

「それも五嶋先生のクラス。つまり僕は君の先輩で先代というわけだ」


 先代の……級長?


「諏訪はうちの学校から初めてT大に編入した男だぞ」

 五嶋の言葉に、北都は初めて諏訪と言う男を見直した。

 T大といえば東京にある誰でも知ってる国立大学。日本の最高峰とも言われる大学だ。

 高専からの編入試験も大学入試と同じくらいレベルが高く、学校で一位でも合格は厳しいと聞いたことがある。

 そのT大に編入し、博士号まで取得したということは、少なくとも優秀な頭脳の持ち主であることは間違いない。天然な性格は少々難ありの様子だが……

「そういうことで、わからないことがあれば諏訪に聞くといい。諏訪も副担任としての修行の身だ。お互い勉強になるだろうよ」

「単なる丸投げだろ」

 北都はつぶやいたが、五嶋は聞かなかったことにしたらしい。

「僕も八年ぶりで、学校もかなり変わっちゃったからね。教えてもらうことも多いと思うけど、よろしくね」

「はあ……」

 なんだかドッと疲れが噴き出してきた。気のない返事を返すと、それでも諏訪は微笑んでくれた。常に笑顔が張り付いているような男だ。

「今日明日は新学期の準備とかもあるだろうから、明後日からでいいよ。お疲れさん」

「失礼します……」

 五嶋の言葉に逆らわず、北都は疲れきった身体を引きずって部屋を出た。午後から教科書を買いに街まで出る予定だったが、とてもそんな気分にはなれなかった。


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