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こうせん!  作者: なつる
Intermission  真夏の夜の悪夢(8月:夏休み編)
26/71

「ねーちゃん……北都ねーちゃんってば!」

 隣に座る東護の声も、今の北都の耳にはまったく入らない。宙を見つめたまま、ナイフとフォークを握った手をただ動かしている。

「全然肉刺さってねーよ!」


 ミディアムに焼かれたおいしそうなステーキは、未だ無傷のまま。北都はひたすら何もない空間にフォークを刺し続け、見えないステーキを切りつけているのである。

「食わねーんならくれよ」

 東護に横取りされそうになっても、まだ北都は茫然自失状態。何も言わず、死んだ魚のような目になっている北都に、東護は思わず肉を取るのをためらった。


「ねーちゃん……どしたの? 目が死んでるけど」

「さっきからヘンなの。突然魂が抜けちゃって」

 みなみが東護に説明した。

「いい男に一目ボレでもしたんじゃないの?」

 円卓の向かいに座る怜子が茶化してきたが、東護が笑い飛ばした。

「ないない。北都ねーちゃんがそんなことになるわけねーよ」

「あーでも、ラウンジの前で転びそうになったお姉ちゃんを助けてくれた男の人、すっごいイケメンだったんだけど、その人と会ってからなんかおかしいのよね……」

「えっ、ホントに一目ボレ? 誰? どこ?」

 怜子とみなみがそろって会場をキョロキョロし始める。


 突然──北都がフォークを肉に突きたてた。皿と金属がぶつかるその音に驚いて、円卓に座る家族や親戚が、いっせいに北都に注目する。


「一目ボレとか、そういうんじゃないから」


 完全に瞳孔が開いた、ブチギレの目。右手に持つナイフが剣呑な光を放つ。

 静かながら語気を強めて、それこそ殺気すら漂わせて言った北都に、怜子もみなみもあっけに取られた。二人が相手探しをやめたのを確認して、今度こそしっかりとステーキをナイフで切り分けた。肉を口に入れ、憎しみをこめて噛みつぶす。

 唯一の楽しみだった披露宴のフルコース料理も、こんな状態ではマトモに味わうことすらできない。

 それもこれも、全部あの諏訪のせいだ。北都は横目で遠くに座る諏訪をにらんだ。

 その当人は、久しぶりに会ったのであろう友人たちと、仲よさそうに談笑している。まったく、こちとら一生の不覚でヘコみまくっているというのに、暢気なものだ。


 披露宴は佳境に入り、二度目のお色直しと共にキャンドルサービスが始まった。照明が落とされ、新郎新婦の二人が仲睦まじくキャンドルを携えて、各テーブルを回り始める。

 誰もがそちらに注目する中、一人ケーキをむさぼるように食べていた北都。ようやくショックから立ち直ってきたものの、今度は諏訪の動きが不気味に思えてきた。

 まったく動こうとしないのだ。北都の姿を見て意味深に笑ったきり、こちらに近寄る素振りを見せない。諏訪の方をチラチラと何度か見てはいるが、女性に囲まれてテレ笑いを見せていたものの、こちらとは目も合わなかった。

 何も見なかったことにしてくれたのか、それとも……?

 単なる嘲笑ならまだしも、あの意味深な笑いが、何か腹に一物あるようで空恐ろしい。帯がキツくておなか一杯といって残した、母の分のケーキも食べた北都の胃が重かった。決して食べすぎなどではない。


 最後の新婦から両親にあてた手紙の朗読で、感涙に包まれた披露宴。半ば投げやり気味に拍手を送ったところで、披露宴もお開きとなった。

 一刻も早く着替えようと、北都は人波にまぎれて会場を出ようとしたが、新郎新婦への挨拶の行列に巻き込まれて、なかなか前に進めない。

 ようやく二人への挨拶を済ませて会場の外に出た頃には、ロビーは引き出物を抱えた招待客であふれかえっていた。

 諏訪の姿がないことを確認し、そのロビーを突っ切って親族控室に向かう。足の甲やかかとが痛くなってきているが、あともう少しとガマンして歩き続ける。


「ちょっと」


 突然肩をつかまれて、北都は心臓が跳ね上がった。まさか……

 ドキドキしながら振り返ると、そこにいたのは諏訪ではなく、まったく知らない男だった。思わず、ホッとしてしまう。

 男は招待客のようでスーツを着ていた。まあまあのイケメンだ。頬が少し赤いのは、ほろ酔い加減だからだろうか。

「イヤリング、落としたよ」

 笑顔でそういう彼の言葉に、自分が歩いてきた道を振り返ると、確かにパールのイヤリングが落ちていた。あまりにも耳たぶが痛すぎて、さっきネジを緩めたせいだろう。

「ありがとうございます」

 精一杯の笑みを浮かべて男に礼を言うと、北都は腰を折ってイヤリングを拾った。

 そしてまた歩き出した──が、男に今度は腕をつかまれる。北都は怪訝な顔をして見せた。


「あの……何か?」

「ねえねえ、君、背高くてキレイだねー。二次会まで、最上階のバーでオレと一緒に飲まない?」


 言葉の意味がとっさにはわからず、北都は口をポカンと開けて男の顔を凝視した。

 えーと……これは……あー、アレか。


「あの、これって、ナンパってやつですか?」


 今度は男がポカンとする番だった。

 あまりにストレートな物言いだったこと気づいて、気を悪くしたかなと肝を冷やしたが、意外にも男は大きな笑い声を上げた。


「そうそう、ナンパ。君、おもしろいね」

「すいません……」

「謝るくらいなら、付き合ってよ」


 女からナンパされたことは何度かあるが、北都が男からナンパされたのは当然ながら生まれて初めてだった。

 女が相手なら即断ることもできたが、何せ男相手は初めてなので、とっさに何て返せばいいのかわからない。「できるものならやってみろ」と言ったものの、実際されると困惑しきりだ。

 心の中はうれしいような恥ずかしいような、困ったようなむず痒いような、いろんな感情が渦巻いてなかなか言葉が出てこない。

 世の女性は、こういう時なんて返しているのだろう。


「彼女をナンパするのは、やめといたほうがいいと思いますよ」


 突然──割り込んできた声にムッとしたのと、後ろから両肩をがっしりとつかまれるのが同時だった。その聞き覚えのある声はもちろん。


「……諏訪先生」


 逃げ出そうとしたが、肩をつかまれていて逃げ出せない。これでは振り返ることもできなかった。

 急に現れた諏訪に獲物を横取りされると思ったのか、男は敵意をむき出しにして頬を歪めた。

「声かけたのはこっちが先なんだけど」

「彼女、十七歳ですよ」

「えっ」

 途端に男の顔が青ざめた。北都が未成年だとは思っていなかったらしい。だからこそバーに誘ってきたのか。

 だがさすがに未成年相手は犯罪だと思ったのだろう。男は愛想笑いを浮かべながら、その場を立ち去っていった。

 男の姿が見えなくなって、諏訪はようやく北都の肩をつかんでいた手を離した。

 向き直ると、諏訪は相変わらず腹の立つにこやかな笑みを浮かべて、引きつる北都の顔を見つめていた。


「鯨井さん、久しぶり」

「……どうも」


 北都は改めて諏訪をまじまじと見た。

 スーツはスーツでも学校で見るビジネス系の装いとはちがい、披露宴にふさわしい華やかさがある。見たことのない形のタイや同じ色のポケットチーフ、袖からチラリとのぞく銀のカフスと、小物づかいにセンスが現れている。

 諏訪を初めて見たみなみも「イケメン」と評していたが、見慣れないフォーマルの効果もあって、確かにカッコよく見える──のかもしれない。

 だが彼は突然腕組みをして、口角を下げた。どうやら怒っているらしい。


「あのねぇ……未成年がお酒飲む席に誘われて、どうしてすぐ断らないの。親御さんも一緒でしょ?」

 そういえばそうだ。断るちゃんとした理由があったのに、それに気づかなかったとは。

「君のことだから、そう簡単に知らない男についていくようなことはなかったと思うけどね。でも、男に声かけられたくらいで動揺するなんて、いつもの君らしくないな」

「はあ……すいません」


 その言い方にムカつきながらも、北都は一応頭を下げて見せた。夏休みに、こんなところまで来て教師に叱られるとは、まったくもってツイてない。

 しかも、ナンパの一部始終まで見られていたのは痛恨の極みだ。諏訪はイタズラっぽく笑うと、声をひそめてきた。


「もしかして……初めてのナンパで舞い上がっちゃってた?」

「別に。そんなことありませんよ」

 ぶっきらぼうに言ったのだが、図星であることがバレたようだ。

「そういうところ、やっぱり女の子だなぁ」

 今度こそカチンときて、北都は目をむいて諏訪を睨みつけた。だが、諏訪は北都の怒りなどどこ吹く風と、優位を崩そうとしない。


「そんな蟲惑的な格好で『女の子扱いされたくない』って顔されても、全然説得力ないんだけど」


 北都は頬がカッと熱くなるのを感じた。

 論破された悔しさと、こみ上げる恥ずかしさが一緒くたになって喉の奥につまり、言い返す言葉が出てこない。

 完全敗北──諏訪の笑顔の前に、北都はガックリとうなだれた。


「それにしても、名前見るまで鯨井さんだって気づかなかったよ。スゴイ変身振りだね」

 北都のドレス姿を上から下まで眺める諏訪。恥ずかしいからこっち見んなと言いたいが、それもまた相手も思うツボな気がしてならない。北都はため息をついた。

「こっちだってこんなところで先生に会うなんて、思いもしませんでしたよ……会うってわかってりゃ、こんなカッコ絶対にしなかったのに」

「そう? 学校のみんなにも見せたいくらいキレイだけど」

 どうして学生相手に臆面もなくそんなこと言えるかな……

 北都は胸焼けしつつも呆れたが、大事なところを押さえるのは忘れなかった。


「あの、先生……今日のことは……」

「君のことだから、内密にって言うんでしょ? 特に五嶋先生には」

「まあ……」


 そこまでわかってくれているのはありがたい──と思った瞬間、諏訪が内ポケットからデジタルカメラを取り出した。

 思わず身構える──だが諏訪はそんな自分を笑って、すぐにカメラをしまった。


「本当は写真の一枚でも撮って、みんなに見せつけたいところだけどね。いつもの仕事ぶりに免じて、君の艶姿は僕の胸の内だけにしまっておくことにするよ」


 吐き気がするほどの甘いセリフ。やはりケーキを食べ過ぎたのかもしれない。

 気を抜いた北都の肩に諏訪は片手を置くと、ずいと耳元に唇を近づけ、囁いてきた。


「一つ、貸しね」


 触れる吐息に耳が熱くなったが、吐かれたセリフに悪寒が走った。

 朗らかな笑顔を浮かべていても、そこはやはりあの五嶋の弟子。抜かりない男だ。諏訪にまで弱みを握られてしまったことに、北都の気も身体もドーンと重くなった。

 と、諏訪の肩越しに、近づいてくるみなみの姿が見えた。自分を探しているのか、あたりをキョロキョロしている。

 北都は青ざめた。諏訪と話しているところを見られたら、あとで何を言われるかたまったものじゃない。


「あ、あの、それじゃ!」

 挨拶もそこそこに、北都は踵を返した。

「じゃあまた九月に。もうナンパされても引っかからないようにね」

 逃げる背中に、諏訪の暢気な声がかけられる。北都は振り返らず、大急ぎで控室に逃げ込んだ。




    ◇




 北都のスラリとした背中が、親族控室に消えていく。それを見届けた諏訪の横を、ピンク色のワンピースを着た少女が通り抜けた。追い抜きざま、少女がこちらをチラリと見上げて「あっ」という顔で目を見開く。

 見覚えがあると思ったら、披露宴のあいだ北都の横に座っていた少女だ。転びそうになった北都を助けたときにもいた。

 あまり似ていないが、多分妹なのだろう。彼女は小さくペコリとお辞儀をすると、北都を追いかけるように親族控室に入っていった。北都のあわてぶりからして、自分と一緒にいるところを妹に見られたくなかったらしい。

 鯨井姉妹がいなくなったところで、諏訪は少し離れたところにいた友人たちの輪の中に戻った。披露宴が終わってここで談笑していたら、北都が知らない男につかまって困惑しているのが見えたので、わざわざ助け舟をだしたのだ。


「諏訪、さっきの美人、知り合い? ムチャクチャ背高かったけど」

 戻った途端、中学時代の悪友が興味津々に聞いてきた。北都には言わなかったが、モデル張りの美女に変身した彼女は、遠く離れた諏訪のテーブルからも男たちの視線を十分に集めていたのだ。

「今度紹介してよ」

 肘で小突かれ、諏訪は苦笑しながらも正直に答えた。


「僕のクラスの教え子だよ。ああ見えて十七歳だけど?」

「教え子? あのコが? お前確か高専の先生だったよな? 高専てヤローばっかりだろ? あの子めっちゃモテるんじゃね?」


 最後の問いには、諏訪は乾いた笑いを返すことしかできなかった。

 普段は男そのもの、男顔負けの迫力とイケメンぶりでクラスをまとめている彼女。

 めずらしく女の子らしい服を着たと思ったら、まったく恐ろしく妖艶に変身してくれたものだ。男を惑わすほどの魅力にあふれているのに、本人が無自覚というのが危なっかしくてしょうがない。


 意外と……肩細かったな。


 よろけた肩をつかんだ手に、驚きをともなって残った感触。

 学校では威圧的な存在感でとても大きく見えていたが、実際は思ったよりも細く、華奢な感覚だった。


 やっぱり……女の子なんだなぁ。


 大人っぽさの中に漂う輝くような若さは、明らかに少年とはちがう、少女のものだった。三十路も近くなってきた自分にはとても眩しく、うらやましいほどのエネルギーを感じた。

 自分が積み重ねてきた年齢の重みを、今になってひしひしと感じる。諏訪はため息を漏らしながらも、教え子の意外な一面を思い出し、一人笑みをこぼした。

夏休み編終了。

よく考えると、180センチの北都がヒールはいたら、とんでもなくデカくなりますね。


次は期末テスト編……ですが、リアルがバタバタしててまったく書きあがっていません(汗

ので、二週間ほどお時間くださいm(_ _)m

次回4月12日頃更新予定です。


ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

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