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ホテル内のチャペルで行われた挙式もつつがなく終わり、北都はみなみと共にラウンジでお茶を飲んでいた。この後夕方六時から披露宴の予定である。
従姉妹の真希は二十六歳。友人の紹介で知り合い、交際二年で幸せをつかんだらしい。お相手の男性は二十八歳と二つ年上。地元S市の小学校教師だと、親族連中が話しているのを聞いた。
チャペルで宣誓と指輪の交換をし、誓いのキスを交わす二人を、隣にいたみなみはうっとりと見つめていたが、北都はそれどころではなかった。
何せヒールのある靴など履いたことがなかったので、足をそろえているだけで一苦労なのだ。立って、しかも歩くとなったら、相当に気合を入れなければならなかった。
北都は早くも疲れた表情で、腰掛けるソファの背にもたれかかっていた。緊張感から開放されたせいか、テーブルの下の見えないところでは足がだらしないことになっている。
「お姉ちゃんさ、初めて見た瞬間は圧倒されちゃったけど、こうやってしみじみ見てると、やっぱ違和感があるのよね」
みなみは紅茶を飲みながら、北都の顔をじっと見つめていた。
「違和感?」
何となく言いたいことはわかるが、一応聞いてみた。
「すっごい美人なんだけど……そこはかとなく漂う女装感?」
みなみはかわいく小首を傾げるが、言うことはものすごい毒を含んでいる。
「やっぱ……そう思う?」
「だって、凹凸がないんだもん」
自分の身体が女性的な丸みに乏しいことは十分自覚していたが、実の妹に言われるとことさら堪える。みなみは取り繕うように続けた。
「でも、そこらの美人なんかよりはずっとずっとキレイなのは確かだよ。お姉ちゃんの同級生が見たら、どう思うかな?」
三Eの男どもや先生にこの姿を見られたら……と想像しかけて、北都は顔面蒼白になった。
「やめてくれ……あたしに死ねってか」
ヤツらにからかわれ、ドン引きされるだけならまだしも、五嶋にいたっては写真を撮られてことあるごとに脅しのネタに使われかねない。
「みんなお姉ちゃんのこと見直すと思うけどなぁ」
「んなわけねーだろ。気味悪がられるか、逆に気を遣われるか、そのどっちかだよ」
我ながら、微妙な存在だとつくづく思う。
男にも、女にもなりきれない、中途半端な存在。
周りが扱いに困るというのもわかる。約二年半、同じクラスでやってきた三Eの男子はさすがに慣れてきたのだろうが、他の学生や教師の中には未だに北都に対して身構える姿勢を見せる者もいる。男と見ればいいのか、女と見ればいいのか。ものすごく気を遣っているのが手に取るようにわかるのだ。
それがイヤで、中学生の一時期、自分のことを「オレ」と呼んでいたこともあったが、さすがに母に止められた。どんなに男っぽくても、娘は娘。中身がノーマルな分、言葉遣いは悪くても、自分を「オレ」と呼ぶのだけは許せなかったらしい。
自分を罵ったあの美術の講師のように、「人間の出来そこない」とは思いたくないけれど──神様ももうちょっと何とかしてくれたらいいのに、と思いたくもなる。
どうも疲れてくると、思考がネガティブになっていけない。
「そのカッコだったら、男にナンパされちゃったりして?」
「できるものならやってみろってんだ」
みなみの戯言を鼻で笑い飛ばし、北都はコーヒーを飲み干した。
「そろそろ披露宴会場開くんじゃね? 先行ってよーぜ」
披露宴の開始時間が近くなり、ラウンジ近辺にも招待客らしき礼服やフォーマルドレスに身を包んだ男女が集い始めている。
「もう……まちがいなく黙ってたら美人なんだから、その言葉づかいやめてよね」
「へいへいー」
妹の小言をあしらいながら、共に席を立つ。
会場に向けて歩き出したが、どうしてもフラフラヨロヨロ、おぼつかない足取りになってしまう。世の女性は、どうしてこんな歩きづらい靴でスタスタと歩けるのだろう。根本的な身体の構造がちがうとしか思えない。
しかしながら、北都は怜子から厳命されていた。
『歩く姿も美しく! まちがってもガニ股や大股で歩くんじゃないわよ! コケたらお小遣いはないものだと思いなさい! たかだか五センチのヒールよ!』
いつもスニーカーしか履かない北都にとっては、その五センチが生死を分けるほどの差になりえるということを、どうして叔母は理解しないのだろう。階段ですっ転んだら最後、死ぬかもしれないというのに……
挙式からここに至るまでに、既に数回コケそうになっている。それでも厳命を守り、背筋を伸ばして、少しでも美しくカッコよく見えるように一歩一歩を慎重に踏み出していた。
「お姉ちゃん大丈夫?」
人波を縫いながら、みなみが心配そうに見上げてくる。
なるべくすましたカオをして歩いてはいるが、内心は歪みそうなほどに必死だ。
「あんまり……大丈夫じゃないかも」
言ってるそばから足首がグキッといった。こらえようとするが、数度のひねりで負荷に耐えられなくなった足首は、もはや持ちこたえてはくれなかった。
歩行停止、姿勢制御不能。ヤバイ──
みっともなく転倒するのを覚悟した、その瞬間。
「おっと」
北都のむき出しの肩をつかむ、大きく熱い手のひら。
体重をその手に預けることで、かろうじて転倒は免れたようだ。
「大丈夫ですか」
優しく柔らかいテノールの声がかけられる。
どうやら北都がその横をすり抜けようとしていた男が、転ぶ寸前で抱きとめてくれたようだった。北都と同じくらいの背格好で、三つ揃いのブラックフォーマルにオシャレなタイをしているところを見ると、この人物も招待客らしい。
「あ、ありがとうございます」
お礼を言いつつ、その男の顔を見る。
げっ……
と、声に出さなかったのは我ながらよくこらえたと思うが、顔は思いっきり引きつっていただろう。北都の肩を抱きとめてくれた男。それはまぎれもなく。
す、諏訪先生……
喉まで出かかった名前を北都は慌てて飲み込んだ。いつもとはちがう雰囲気のスーツ姿だったのですぐには気づかなかったが、この顔はまちがいなく三Eの副担任・諏訪だ。
学校で見せているのと同じ朗らかな笑顔をこちらに向けて、無事を確認しているようだ。
だが驚きのあまり穴が開くほど諏訪を見つめている北都に対し、諏訪はニコニコとするだけで、特段驚いた様子も見せていない。北都ははたと気づいた。
先生……もしかしてわかってない?
こちらは実の妹も驚くほどの変身振りである。諏訪が気づいていなくてもムリはない。そうとわかった途端。
「し、失礼します!」
さっきまでのおぼつかない足取りはどこへやら、北都はみなみの手を引っ張りつつ、光の速さでその場を離脱した。
「お姉ちゃん、どうしたの?」
会場前まで逃げてきて、北都はようやくみなみの手を離し、荒い息を吐いた。
「な、なんでもない……」
腰が抜けるかと思った。ちょっと前まで危惧していたことが、今まさに現実になろうかとしていたのだから。しかし幸いなことに、向こうには気づかれずにすんだようだ。
「さっきの人、すごいイケメンだったねー」
みなみの目がキラキラしていたので、北都は反射的に言い返してしまった。
「はあ、何言っちゃってんの?」
北都の剣幕に驚いて、みなみは眉をひそめた。
「え、知り合い?」
「い……いやいやいや、知らない人!」
墓穴を掘る前に、諏訪のことはもう忘れることにしたほうがいい。ここではお互い知らない者同士だ。気を取り直して、北都は受付で席次表を受け取り、さっさと席に着いた。
百人規模のこの会場だが、既にかなりの客が席に着き始めている。北海道の披露宴は、会費制というのもあって、首都圏の披露宴よりも規模が大きくなる傾向にあると聞いたことがある。
少し落ち着いてきて、席次表をじっくりと眺めた。円卓が十二個も並んでいる。
招待客の名前とその関係が記載されている中、諏訪の名前はすぐに見つかった。新郎の中学時代の友人らしい。新婦側のこちらとはかなり離れているので、意識して近づかなければバレることもないだろう。北都は席次表をパタリと閉じた。
ふう、と息を吐く。フルコースの料理を待ち望む空腹感と戦いながら、続々と入ってくる客の波を見つめ────ん? 何か大事なことを忘れているような……
北都はもう一度、席次表を見た。
諏訪の名前が新郎友人席にあり、新婦親族側、今座っている場所に「新婦従姉妹 鯨井北都」と、自分の名前が当たり前だがしっかりと記されている。
「あっ」
何でこんな簡単なことに気づかなかったのか──あわてて席を立とうとしたが、時既に遅し。
友人たちと談笑しながら会場に入ってくる諏訪と、バッチリ目が合ってしまった。向こうも気づいてしまったのだ。席次表に北都の名前があることに。
まさかこんなところで教え子と再会するとは、夢にも思っていなかっただろう。だが、北都の座る席を確認した彼が見たものは、彼の知る北都ではなかった。
双方──フリーズ。
北都はイヤなものを見た顔で、そして諏訪は見てはいけないものを見てしまった顔で、お互いの姿をしげしげと眺める。これが初見だったのならまだしも、ついさっき、少女マンガも裸足で逃げ出すようなこっぱずかしい出会い方をしていたので……
先に動いたのは諏訪だった。苦笑気味に目を細めると、近寄りもせず、声もかけず、何もせずに自分の席に向かっていく。
北都を襲う、強い敗北感。全身に冷や水を浴びせられたように、急速に血の気が引いていく。身体の力が抜け、イスにぺたんと座り込むとテーブルの上に突っ伏した。
「死んだ……もう学校行けない」
冗談ではなく本気で、北都の目の前が真っ暗になった。
神様──あたしを今すぐ異世界に飛ばしてください。
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4章2部に挿絵追加してます。
十音馬鹿らびまる様からのいただき物です。
ぜひ見て下さい!




