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再び緞帳が上がり、第三部が始まった。
OBが加わり、舞台いっぱいに広がる大編成となったようだ。衣装もTシャツから、白いシャツに黒のボトムというフォーマルな服装に変わっている。
クラリネットの端の席に一つ、空席があった。そこが辰巳の席なのだろう。
一曲目は【テキーラ!】。
メキシコの酒というイメージが強いが、原曲は一九五〇年代から六〇年代に活躍した、アメリカのオールディーズバンドの名曲だ。ラテン調のノリのいい曲で、テレビやCMにもよく使われる。もちろん、吹奏楽でもメジャーな曲の一つだ。
イントロと共に、打ち鳴らされる手拍子。会場中を巻き込んで、拍手が広がっていく。
速いテンポにあわせて、奏者たちは楽器を上下左右に振り、コミカルでダンサブルなイメージを表現する。明るめの同じフレーズが何度も続く様は、酔っ払いながらも踊り続ける陽気なラテン人を想像させた。
ふと、前のほうからどよめきにも似た笑いが起こった。
頭には麦わらのメキシカンハット、派手な原色に彩られたぶかぶかのメキシカンルックに身を包み、両手に大きなマラカスを持った男が、ちょこちょことした横歩きで舞台の袖から出てきたのだ。
「おっ」
おもしろそうなキャラクターに、隣の五嶋が身を乗り出した。
「あれ、土屋くんですよ」
諏訪は小声で言った。
『テキーラ!』
曲間の掛け声に合わせて、舞台中央でポーズを取るラテン男こと土屋。北都は彼を【チャラ男】と言っていたが、陽気な彼のキャラクターにも良くあっている。前方でキャーキャー騒いでいた女子高生の集団は、彼の知り合いなのだろう。
「あいつ、楽しそうだねぇ」
五嶋の言うとおりだ。
曲が終わり、軽妙なダンスで会場中を沸かせたラテン男は、大きな拍手と共に舞台を去っていった。
「土屋くん、ああいうことはやらなそうに見えたんですけどね」
「あいつ、意外と頼まれると断れない性格なんだよな。頼りになる自分に酔っちゃうタイプ?」
そう言えば、実験中でも何かを頼まれて、イヤそうな顔をして見せるものの、結局動いている彼の姿をよく見る。面倒なことでも多少カッコ悪いことでも、自分からは言い出せないけれど、人に乞われることはうれしい、ちょっとひねくれた性格のようだ。
それにしても、五嶋が学生の性格まできちんと把握しているのには脱帽だ。一体いつ見ているのだろう。
そうこうしているうちに、二曲目が始まった。【歌劇トゥーランドット】。
プッチーニ作曲のオペラで有名なこのタイトルは、吹奏楽だけでなくフィギュアスケートでもよく使われている。
美しくも冷酷な姫トゥーランドットと、彼女に心奪われた亡国の王子カラフ。姫の出す難問をカラフが次々と解き明かしながら、凍りついた姫の心を溶かしていくという愛の物語である。
特別な演出はなかったが、楽器が増えた分、音に厚みが出て、一部二部とは比べ物にならない迫力だ。
吹奏楽部は本校の部活動の中では歴史が古く、部員数も多い。それだけにOBの数も他の部とは比較にならない。
今日集まったOBは、練習にも参加することができた、地元北陵市付近に在住する人が中心だ。中には、諏訪と学生時代の同期で顔見知りのOBもいた。
今は吹奏楽から離れてしまった者もいるかもしれない。それでも学生時代を思い出しながら、忙しい仕事の合間をぬって練習し、こうやって桧舞台に立てることの喜びを噛み締めて演奏している──OBは皆そんな顔に見える。
重厚かつ壮大なオペラの世界が終わり、奏者たちは楽器を置いた。
「さて、いよいよだな」
五嶋が座りなおしながら言った。舞台の上にも、心なしか緊張が走っているように思える。
三曲目、【ラプソディ・イン・ブルー】。
ジャズとクラシックが見事に融合した、アメリカを代表する一曲だ。
曲紹介の後、舞台袖から真顔の辰巳が出てきた。
部員たちに合わせて、白シャツに黒ボトムのいでたちだが──その真っ赤な坊主頭のインパクトに、会場中がどよめいた。緊張で顔がこわばっているせいで、なおさら怖い印象を与える。
『この曲ですが、部員の一人が急なケガで演奏できなくなったため、代役として三年生の辰巳博史くんがソロを演奏いたします。ご了承くださいませ』
そうアナウンスが流れたが、そう簡単に観客の動揺は収まらない。
ざわめきが続く中、辰巳は一人立ったままクラリネットを構え、指揮棒の動きに目をやった。舞台の照明が落とされ、ピンスポットライトが彼に当てられる。
静かに始まる、クラリネットのソロ。ざわめきが、一気に消え去った。
クラリネット奏者にとって、あこがれのソロであるのと同時に、即興性のセンスも問われる難しいイントロ。グリッサンドという流れるように音の階段を上っていく難しい技法で、奏者の腕が一番試されるところだ。
だが、辰巳は──
「ほう……」
クラシック音痴の五嶋でさえも唸らせる、圧倒的な技量。
辰巳の奏でる音は、観客を一気に引き込み、古きよきアメリカの世界にいざなった。
ジャズのテイストと、甘いシンフォニックな部分が入り混じる自由な構成。「ラプソディ」とは狂詩曲──民族音楽的な要素を指し示す言葉らしいが、このごった煮のようなところが実にアメリカっぽさを表現していると諏訪は思う。
「狂詩曲って、狂想曲、奇想曲と混同されやすいんだってな。でもこの曲調、オレは狂想曲のほうがあってると思うけどな」
五嶋が音楽の形式について語るなんて驚きだ。確かに、狂想曲はラプソディと訳されることが多いが、音楽的には形式に縛られない「気まぐれ」という意味合いで狂詩曲とは異なる。
「ウィキで調べてきたんだよ」
目を見張る諏訪に、五嶋はイタズラっぽく笑って見せた。
舞台の上の辰巳は、すっかり緊張も解けて、実に生き生きとした表情だった。いつも不機嫌そうに顔をしかめているイメージしかなかったが、吹奏楽を取り戻して、素の彼が出ているのだろう。
最後は主題を再現しつつ、壮大なミュージカルを見せられたようなエンディング。大団円を迎えて、楽しい時間が終わりを告げた。
余韻に震える静寂。だが心なしか長いような……
「ブラボ──ッ!」
不安を吹き飛ばすように、誰かが賞賛の声を上げた。今日初めてのことだ。鳴り止まない拍手は、明らかにソロを吹いた辰巳に対して贈られている。舞台の上でも、辰巳に拍手を送る部員がいた。
一度はあきらめかけたこの曲を、観客に披露できる喜び。部員もOBも、そして辰巳も、裏で歓喜しているであろう北都や土屋も、皆がその気持ちを共有して、舞台の上も会場中も全部が一つになったような感覚だ。
『ゲストクラリネットソロは、三年生の辰巳博史くんでした。皆様、盛大な拍手をお送りください』
吹き終えた辰巳の顔は、ここからでもハッキリとわかるほど晴れ晴れとしていた。笑顔さえ浮かべて、割れんばかりの拍手に沸く客席に向かって深々と一礼する。
「辰巳はさ、あんな大層なナリしてるけど、中身は悪いことのできない、純朴な少年なんだよ。その証拠に、成績も悪くないし、欠席だって病気くらいなもんだ」
拍手に送られ舞台を降りていく辰巳を見送って、五嶋がつぶやいた。
それは諏訪も感じていた。辰巳はレポートの期限もちゃんと守るし、中身も丁寧にまとめられている。しかも、あの外見からは想像もできないキレイな字を書く。
「あの赤い頭はさ、あいつなりの、吹奏楽との決別のつもりだったんじゃない?」
「決別……ですか」
「あんな格好してりゃ、まちがいなく吹奏楽部に誘われることはないからな。ただ、コワモテになりすぎちゃって、吹奏楽部どころか誰も近づけなくなっちゃったみたいだけど」
教室でも常に孤独で、他の誰かと話しているところなど、諏訪は見たことがなかった。ただ一人を除いて──
「辰巳にとっての土屋は、そんな自分を怖がらずにケンカ売ってきてくれる、親友みたいなものなんだよ。生きがいを失ってウチの学校にきちゃったあいつの、ある意味新しい生きがいだったのかもしれない。まあ、ちょっとやりすぎちゃうこともあったけど、あの年頃の男の子は、ケンカすることでしかわかりあえないこともあるんじゃない?」
若さとは、そういうものかもしれない。大人になり、社会人になってしまうと、そういうことも簡単にはできなくなる。
彼らの不器用な感情表現が、ちょっとだけうらやましくもあった。
「ホント、見てないようでちゃんと見てるんですねぇ」
「そりゃ、何年先生やってると思ってんの」
五嶋は少し偉そうに胸を張った。
次が最後の曲。【序曲一八一二年】だ。
この曲は準備に時間がかかる。舞台の上で数人が動き回り、裏からいくつかのものが出てきた。
一つはノートパソコンを載せた台。舞台最後方に置かれたこのパソコンを操作し、アンプを通して前方に置かれている大きなスピーカーから大砲音を出す。オペレーターは辰巳だ。そしてもう一つ、いや二つ。
「なんだ、あれ?」
五嶋がいぶかしむのも無理はない。舞台の両端、客席側にせり出した部分にそれぞれ運び込まれた、白い布をかけられた大きな物体。子どもの背丈くらいの、大きな箱状のものに見える。一台に一人ずつ、これまた部員たちと同じ服装の北都と土屋が操作するようだ。
「お前、知ってるんだろ?」
「まあ、見ててくださいよ」
この曲の演出には、諏訪も深く関わっている。何も知らない五嶋に対して優越感を抱きつつ、諏訪は笑顔ではぐらかした。
この曲はその名の通り、一八一二年、侵攻してきたナポレオン率いるフランス軍を帝政ロシアが迎え撃ち、これを退けた功績を表現したチャイコフスキーの曲である。
サックスが奏でる正教会の聖歌のメロディ。のどかなロシアの村に、突然忍び寄るフランス軍の不穏な足音。人々が逃げ惑う中、ロシア軍がマーチと共にやってくる。
そして戦闘開始。聖歌とフランス国歌の旋律が入り乱れ、激しい戦闘が繰り広げられる。敗走を繰り返しながらも、ロシア軍は徐々に攻勢に転じ、やがてフランス軍は撤退を余儀なくされる。
フランス軍の断末魔のように、打ち鳴らされる大砲──
「おおっ」
ホールを突き破るような大迫力の大砲音。腹の底まで響く重低音と共に、会場に発射されたのは。
「空気砲か」
舞台両脇の、白布に隠されていた物体──巨大なダンボールで作られた空気砲から、白い輪っか状の煙が客席に向かって打ち出されたのだ。
大砲の音と共に襲ってきた白煙に、観客は本物の大砲を見たかのように驚き、歓声を上げた。
「この空気砲を使った演出、僕が考えたんですよ」
今度は諏訪が胸を張る番だった。
北都に音の件を頼まれた際、もう一つ、高専らしい演出がないか悩んでいた彼女に、諏訪がアドバイスしたのだ。
大砲音と共に、空気砲を発射してみてはどうか、と。これなら火気厳禁のホールでもつかえるし、理系っぽさは満点だ。
激しく鐘が打ち鳴らされ、勝利の喜びに沸き立つロシア軍。帝国国歌の旋律と共に、凱旋するロシア軍を祝砲が迎える。幾度となく発射される祝砲を、両側から空気砲を交互に撃つことで表現した。
そして、華やかで力強いフィナーレ。
拍手と共に、次々と賞賛の声が送られる。舞台の上の全員が立ち上がり、笑顔でそれに応えた。諏訪と五嶋も、目いっぱいの拍手を送る。
部長としてみんなをまとめあげた甲斐、代役という試練を乗り越えた辰巳、持ち味を生かした土屋、そして裏方として奔走した北都。
この定期演奏会を成功に導いた最大の立役者は、きっとこの四人だ。身内のひいき目もあるだろうが、諏訪はそう信じている。
「なかなかおもしろかったな」
「そうですね」
音楽にあまり興味のない五嶋にこれだけ言わせたのだから、大したものだ。
その後、アンコールが二曲あり、五〇周年の記念演奏会は無事に幕を下ろした。
◇
「辰巳……お前やっぱすげぇよ」
演奏会が終わり、控室で皆が大成功の余韻にひたる中、鳶嶋は目の前に立つ辰巳に笑顔で言った。
「一夜漬けだから、少しは失敗するかと思ったんだけどな。あの完璧なソロで会場の空気が変わっちまった。オレも久々に鳥肌が立ったよ」
鳶嶋の顔や腕のあちこちには絆創膏が貼られ、右手は手首から親指にかけてガッチリとギプスがはめられている。
鳶嶋は無事な左手で、辰巳の胸を軽く小突いた。
「まったく、やりすぎだよ。オレの立つ瀬がねえじゃねーか」
「すんません……」
苦笑しつつも頭を下げる辰巳。そこへOBや関係者への挨拶回りに行っていた甲斐が戻ってきた。
「辰巳すごいよ! みんなお前のこと、驚いてた! あいつは何者だって。なんで部員じゃないんだって!」
頬を紅潮させ、ずいぶんと興奮しているように見える。
「辰巳、やっぱりウチの部に入ってくれよ」
甲斐がそう言うと、途端に辰巳の顔色が変わった。
「入らねーっつってんだろ! 今回は鳶嶋さんの頼みだから代役引き受けただけで、誰も入るなんて……」
「いいや。絶対に入ってもらうぞ。今度はあきらめないからな」
「イヤだっつってんだろ!」
人ごみの中に逃げていく辰巳を、執拗に追いかける甲斐。
「甲斐も案外しつこいねぇ」
ほほえましいその光景を離れたところで見つめながら、北都はつぶやいた。
「止めねえの?」
隣にいた土屋はそう言いながらも笑っている。北都は微笑みつつも首を横に振った。
「辰巳はブラバンに入るよ。ああやって逃げてるのは照れ隠しさ」
舞台の上でクラリネットを吹き終えたときの、辰巳のあの清々しい表情。スポットライトを浴びて、実に輝いていた。
あの顔を見ればわかる。もう吹奏楽から逃げ出すことはないだろう。
「なあ土屋……ずっと聞きたかったんだけどさ」
北都に突然問われて、土屋はキョトンとしている。
「お前と辰巳って、なんであんな仲悪かったの?」
気がついたときには、二人は既に犬猿の仲だった。今回吹奏楽部に首を突っ込むことになったのも、その仲の悪さが発端だ。二人の間に、一体何があったというのだろう?
土屋は頭をかきながら、しょうがないと言わんばかりにため息をついた。
「入学式の日にさ、辰巳と肩がぶつかったんだよ。オレもイラっとはきたけどさ、あの時のあいつは頭が黒くて、どちらかって言えば優等生風のおぼっちゃんって服装だったんだよ。だから何も言わずに行こうとしたんだけどさ」
チャラ男でも、ケンカを売る相手はわかっていたようだ。
「でもそしたら、向こうから『てめー、逃げんのか』ってケンカ売ってきて。でもなんか慣れてない感じがして、オレ、言ったんだよ。『優等生のお坊ちゃまが、ムリしていきがんなよ』って。そしたらあいつさ、数日後に頭坊主にして、真っ赤に染めてきやがったんだよな。それからだよ、あいつと仲悪いの。つか、あいつが一方的にケンカ売ってくるから、オレはそれを買ってるだけなんだけど」
これは土屋の言い分なので、すべてが真実ではないだろうが、だいたいこんなとこなのだろう。大した理由などないと思っていたが、まったく男という生き物はつまらないことでよくも三年もケンカができるものだ。
北都は一つ、気になったことがあった。
「……ってことはだ。辰巳があんな赤坊主になったのは、お前のせいってこと?」
「え、オレのせいなの?」
土屋には自覚がないらしい。目を丸くする土屋に、北都はあきれ返った。
辰巳がヤンキースタイルになった理由を、感傷的に考えていたのがアホらしくなってくる。
「まあでも、一人ぐらい、ブラバンにあんなヤンキーがいてもおもしろいのかも」
いまだ追いかけっこを続ける辰巳と甲斐。あの調子であれば、一時は三修すると言い出した甲斐も、そんなことは忘れてしまっているだろう。二人を眺めて、北都は一仕事やり終えた充実感に包まれていた。
忙しさに追われて、季節がいつの間にか真夏になっていたことにすら気づかなかった。
七月も中旬に入り、気づけば夏休みが目前。どうりでどこもかしこも暑いわけだ。
定演の打ち上げも終わったある日、北都、甲斐、辰巳、土屋の四人は諏訪の部屋に呼び出されていた。
「はい、ごほうび。みんな定演がんばったからね」
机の前に並んだ四人に、イスに腰掛けた諏訪はにこやかな笑顔で差し出した。
「ごほうびって……これ」
差し出された紙の束を受け取りながら、北都は顔を引きつらせる。
「実験レポートじゃん……」
土屋の言うとおり、これはどこからどう見ても、先日諏訪に提出したはずの実験レポートだ。辰巳と甲斐もげんなりしている。
「何でこれがごほうび……」
「うれしくもなんともないんだけど……」
「再提出期限延ばしてあげたんだよ。夏休み前まで。あと、いつもよりは甘めにしてあるよ」
そうは言うが、各々のレポートには相変わらずびっしりと付箋が貼られており、いったいどこが甘めの採点なのか理解不能だ。
「というわけで、がんばって直してきてね」
辟易するこちらの気持ちになどまったく気づいていない、ニコニコ顔の諏訪に北都は簡単にブチ切れた。
「諏訪先生KYってよく言われるでしょうそうですよねえええええええええええ」
「わああああああああ、鯨井!」
「先生外見はいいけど中身は残念な人ですよねえええええええええええ」
「鯨井! それ以上は言っちゃダメ!」
血走った目を見開いて諏訪に食って掛かろうとする北都を、必死で止める男三人。
しかしながら突き返されたレポートがどうにかなるはずもなく、四人は半泣きになりながら、夏休み前の宿題を必死でこなすハメになった。
そして迎えた夏休み前日。
今日は授業も午前で終わり。クラスメイトたちとはしばしの別れである。
「五嶋先生、頼みますからあまり散らかさないでくださいよ! 休み明け掃除するの大変なんですから」
教官室の掃除をあらかた終えた北都は、帰り際に部屋の主に言い渡した。だが相変わらず五嶋はイスにどっかりと座って、週刊誌を読みふけっている。北都の小言など右から左だ。
「じゃあ夏休みも掃除しに来てよ」
「誰が来るか!」
「そうだよね……来るわけないよね」
横で諏訪がガックリうなだれている。
実家に帰る北都に代わり、夏休み中はここの片付けは諏訪の仕事になる。また論文と仕事の進まない日々が始まることに、諏訪は今から肩を落としていた。
「当たり前です!」
北陵市内ならともかく、実家からここまで車で二時間、特急を使っても一時間半はかかる距離だ。そう簡単に来れてたまるものか。
「じゃあ帰ります」
ドアを開ける前に一礼。これから寮に戻って荷物をまとめ、夕方の特急で実家に帰ることになっている。久々のなつかしい我が家で、約四十日の夏休みをゆったりのんびり満喫するつもりだ。
「お疲れさーん」
「よい夏休みを」
二人の言葉に送られて、北都はひとまず忙しい日々に別れを告げた。
廊下の窓から差し込む強烈な夏の日差しが、むき出しの腕をじりじりと焼く。遠くに隆々と沸き立つ入道雲のように、この季節への期待感も今ようやく大きくなってきた。
真っ青な空に目を細めて、北都は軽い足取りで廊下を歩き出した。
第4話終了。
長かったですねー。
次はちょっと息抜き回。
夏休みの北都を襲った悪夢。
3/22頃の予定です。
お読みいただき、ありがとうございました。




