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こうせん!  作者: なつる
第4話  吹奏楽狂想曲(6・7月)
22/71

 翌日。


 夕方五時半を過ぎて、市民ホールの広いロビーには、北陵高専吹奏楽部の創部五〇周年記念定期演奏会を見に来た客が集まってきた。皆入り口で入場券を渡し、パンフレットを受け取っている。

 客層は様々だ。学生や教職員、OBや部員の家族、それ以外にも他校の制服を着た生徒も多い。どの客も額に汗を浮かべ、クーラーのきいた涼しいロビーに入った途端に、人心地ついたように表情を緩ませている。諏訪もあまりの暑さにジャケットを脱ぎ、今は半袖のドレスシャツ姿だ。

 少し早めに学校を出て市民ホールに到着した諏訪は、パンフレットを受け取るとすぐに大ホールの客席に着いた。一階席後方の通路脇だ。

 プロのミュージシャンのコンサートも行われるこの大ホールだが、開演まで三十分を切って、半数ぐらいの客席が埋まっている。さすがに五〇回の記念演奏会だけあって、かなりの人が見に来ているようだ。三Eの男子の姿もあちこちに見える。

 舞台は緞帳が下りていて、その向こうがどうなっているかまではわからない。だが、今頃バックヤードは上を下への大騒ぎだろう。

 ふかふかのシートに腰を下ろし、ペットボトルのお茶を飲んでいると、近づいてくる人物がいた。


「よお」

 五嶋だった。


「あれ、いらっしゃらないかと思ってましたよ」

 諏訪が学校を出たときには、五嶋の教官室の明かりは消えていたので、既に帰宅したものだと思っていた。

「来るつもりじゃなかったんだけどな」

 そう言いつつも、五嶋は諏訪の隣の席に腰を下ろした。

「なんだかおもしろいことになるって言うから、見に来てみたんだよ」

 まったくもって、この人らしい理由だ。


「で……辰巳は?」

「ソロ、やるみたいですね」


 学校を出る直前、北都から短いメールが来た。最後のリハの結果、辰巳が正式に代役として舞台に立つことに決まった、と。


「辰巳くん、徹夜で練習したそうですよ」

「今日の授業も全部休んだんだろ? 実験なくてよかったねぇ」

 昨夜から夜通しで、昼間もずっと練習していたらしい。ものすごい気力、そして集中力だ。授業に出ていた北都や甲斐も、どことなく落ち着かない様子を見せていた。



 

 そうこうしているうちに開演の時刻が近づき、会場内にアナウンスが流れた。ロビーにいた観客も続々と客席に着き、大ホールはざわざわとした雰囲気に包まれる。

 鳴り響くブザー音に、そのざわめきがピタリと止む。訪れた静寂の中、緞帳が静かに上がった。

 舞台の上ではそれぞれに楽器を持った吹奏楽部員たちが、おそろいの黒のTシャツに身を包んで、イスにじっと座っていた。最前列中央付近のフルートの席に、緊張気味の甲斐の姿が見える。


 舞台脇から、顧問で指揮の渋谷准教授が出てきて、会場から拍手が沸き起こった。渋谷は部員を立たせ、全員で一礼した後、壇上に上がった。

 指揮棒を構えると、部員たちも各々の楽器を構える。細く白い指揮棒の動き一つで、楽器に息が吹き込まれ、美しい音色の数々が大ホールを満たした。

 迫力ある生の音の波が、身体を震わせ、突き抜けていく。仕事柄、デジタル録音のようなスピーカーを通した音ばかり聞いている諏訪にとっては、荒々しくも繊細な、デジタル信号では表現しきれない生の楽器の音が非常に心地よく感じる。


 第一部はコンクールの課題曲や自由曲を中心とした、吹奏楽の定番クラシックばかりだ。途中、司会による曲紹介を挟みながら四曲演奏された。

「いいねぇ。睡眠薬にピッタリ」

 横で五嶋が大あくびを漏らしている。元々クラシックを聞くような人種ではないだろうが、こうもわかりやすく眠くなる人間というのも見たことがない。


 続けて第二部は、一般人にもなじみの深い、ポップスステージ。

 女性アイドルグループの名曲を集めたメドレーでは、女子学生有志による華麗かつ可愛らしいダンスが最前列で披露された。このメンバーは北都が女子寮の仲間を中心に、声をかけて集めたらしい。

 子どもにも人気のアニメメドレーでは、わかりやすいアニメキャラに扮した部員が立ち上がり、ソロパートを吹いた。着ぐるみや魔法少女、見るからに演奏しづらそうなロボがいたり、子どもだけでなくアニメ好きの多い今の学生にも大ウケのようだ。

 大ヒットした海賊映画のテーマ曲では、渋谷准教授自らがカリブの海賊に扮して指揮棒を振るった。

 これらの衣装や小道具は、三Eの三人が一生懸命に用意したものだ。これだけ会場が沸けば、作った甲斐も十分にあっただろう。

 第二部は盛況のうちに終わり、一旦幕が下ろされた。次の第三部までは十五分の休憩がある。五嶋がロビーにタバコを吸いに行ったので、諏訪は席に着いたまま、スマホでメールチェックを始めた。




    ◇




 その頃、舞台裏は目の回るような忙しさだった。

 部員たちは着替え、OBは自分たちのイスや楽器の搬入。北都もそれを手伝っていた。


 その途中、楽屋からクラリネットの音が聞こえるのでのぞくと、辰巳が一人楽譜を前に、一生懸命に練習していた。

 鳶嶋の代役として出ることは決まったが、それでもまだ自分で納得がいくまで練習したいのだろう。昨夜からほぼ吹き通しで、かなり疲れているはずなのだが……


「辰巳、もうストップ。これ以上は本番に支障出る」

 北都よりも先に甲斐が辰巳をとめた。さすがに辰巳もそれには逆らわなかった。少しやつれた顔で、黙ってイスに腰掛ける。

「大丈夫だよ。みんなが認めてくれたんだ。あとは本番まで休んでてくれ」


 結局、鳶嶋は病院に運ばれて検査した結果、右手親指の骨折のほかは、身体のあちこちに打撲はあるものの、頭や内臓などは無事だったそうだ。病院で一晩過ごした後、昼に退院し、今は客席に座っている。

 一時はどうなることかと思ったが、何とかGOサインが出て本当に良かった。あとは本番一発勝負──観客を納得、そして魅了させられるかどうか。


「鯨井」

 うなだれた辰巳に声をかけられて、北都は彼に近づいた。

「こんなキツイ思いすることになるなんて、てめーのせいだぞ」


 下からギロリとにらみ上げられる。減量で苦しんだ、試合前のボクサーみたいだ。

 よく見ると、クラリネットを持つ手が細かく震えていた。緊張も当然か。三年ぶりの復帰が、まさかこんな大舞台になるなんて、思いもしなかっただろう。

「一発殴るか?」

 おどけて返すと、辰巳は大きくため息をついて、うつむいた。


「……ありがとうよ」

 その小さなつぶやきに、北都は思わず甲斐と顔を見合わせてしまった。


「ずっと腐ってたオレに、立ち直るきっかけをくれて。お前がオレの気持ちを代弁してくれたから、あの頃の気持ちを思い出せたんだ。お前はそんなつもりなかったのかもしれないけどな」


 辰巳がそんな風に思っていたなんて、想像もしなかった。このコワモテに感謝されると、こっちが気恥ずかしくなってくる。

「甲斐を助けるつもりでお前ら連れてきたのにな。いつの間にかこんなことになってたよ」


 辰巳は甲斐を見上げた。

「甲斐も……悪かったな。怒鳴ったりして」

「いいよ。むしろこっちのほうが感謝してるくらいだ」

「感謝するかどうか、それは定演が終わってからだな」

 甲斐は薄く笑って返した。


「土屋には? 感謝の言葉はないの?」

 北都が言うと、辰巳はあからさまに顔をしかめ、声を荒らげた。

「あるわけねぇだろ。あのチャラ男、人のこと一晩中監視しやがって……」


 カラオケボックスで一晩中練習した辰巳だが、なんとそれに土屋が付き合ったというのだ。土屋本人は「辰巳が逃げ出さないよう見張るため」と言っていたが、辰巳を煽ったその責任を自ら果たそうと考えていたのかもしれない。

 そして辰巳も、悪態はつくものの、少なからず感謝しているフシは見て取れた。

「ま、お前らはそれでいいのかもね」

 素直にお互いを認められない二人に、北都は肩をすくめて見せた。


「五分前です」

 そんな声が聞こえてきて、甲斐は控室を出て行った。

「さて、あたしも土屋の様子見てくるか」

 土屋は第三部の最初から出番があるので、今は着替えの真っ最中のはずだ。


「辰巳……吹奏楽と、ヨリ戻せてよかったな」

 部屋を出て行こうとして、北都は辰巳を振り返った。

「なんだよ、その吹奏楽が元カノみたいな言い草」

「元カノみたいなものだろ?」

 そう言うと、辰巳は苦笑して見せた。慌てた諏訪とはちがい、辰巳にとっては本当にそれに近いものだったのかもしれない。


「もう、手放すなよ」

 北都もニヤリと笑って、仕事に戻っていった。


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