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こうせん!  作者: なつる
第4話  吹奏楽狂想曲(6・7月)
20/71

 定演まで一週間となった、ある日の放課後。


「あれ……諏訪先生いない」


 用事があって、北都は諏訪の部屋をノックしたのだが、返事がない。鍵もしまっているようだ。

「五嶋先生、諏訪先生どこに行ったか知りませんか?」

 仕事ついでに五嶋に聞いてみたが。

「さあ? ケータイの番号知ってるんだから、電話すりゃいいじゃん」

 と返されるのみだった。

 そういわれても、なんだか電話するのは気が引ける。仕方なく、行き先に心当たりがありそうなところを探すことにした。

 まずは実験室。閑散とした一階の第一実験室に向かうと、前の引き戸が開いていて、中に諏訪の立ち姿が見えた。


「あ、よかった。諏訪せん……」

「ちょっと、北都!」


 言葉をさえぎるように、物陰からかけられる小声。見ると、ロッカーの陰に希と多佳子がそろって隠れていた。

「……何やってるんすか」

「いいからいいから、こっち!」

 希に腕を引っ張られ、一緒にロッカーの陰に引きずりこまれる。


「今、いいとこなの!」

「いいとこって、何……」

「ついに猛者があらわれたのよ」

「猛者?」


 この場所からは、大きな木机の間に立つ諏訪の姿がよく見えた。そしてちょっと身体をずらすと、諏訪の前にもう一人、別の人物が立っているのが見える。

 大柄な諏訪とは対照的な、小柄な女子学生。ショートボブの髪型にミニスカート姿の彼女は、うつむき加減でもじもじとしている。実験室の中は二人だけのようだ。


「こ、これは……もしかして」

「そう、告白の現場よ」


 希がもっともらしく言った。

 つまり、たった今諏訪は、女子学生から愛の告白を受けているのだ。


「相手、誰?」

「二年化学の子。前々から諏訪先生にちょっかい出してたみたい。でも学校の中で、よくやるわよねぇ。しかも実験室って」


 多佳子はそういいつつも、視線を二人から外そうとしない。

 北都も一緒になってのぞき見していると、別に当事者でもないのに、こっちまでなぜかドキドキしてしまう。

「いつかは突撃する子が出てくるとは思ってたけど、意外に早かったわね」

 希も多佳子も、どうしてこうも人の告白現場を冷静に見られるのだろう。これが恋愛経験値のちがいなのだろうか。

 ここからでは話の内容までは聞こえない。だが、諏訪がどうにも困った様子なのだけはわかった。苦笑いを浮かべながら、頭をポリポリとかいている。

 諏訪が二言三言、口を開いた。

 次の瞬間、女子学生が突然、肩を震わせて泣き出した。そしてそのまま実験室を走って飛び出す。あの様子では……


「玉砕……ま、当然の結果よね」


 多佳子は冷淡に言った。北都も同感だ。

 同じ学校の教師と学生が付き合うなんて、誰がどう見てもタブーだ。マトモな神経をしていれば、そんなことが許されるはずがないことくらいわかるはず。

 だいたい、あの助教は相手が学生であろうと誰であろうと、見境なく甘い言葉を吐くからこういう事態になるのだ。自覚があればまだしも、無自覚なのでタチが悪い。

 だが多佳子と希は、北都とは別の視点でこの結果を見ていたようだ。


「諏訪先生、ああいう【小動物系】は好みじゃないみたいね。しかもあの爽やかなまでのフリ方……相当場数をこなしてると見える」

「当たり前よ。このあたしでさえ、まだ何もできないっていうのに、あんな小娘に先越されてたまるもんですか。諏訪先生を本気で落としたいなら、痺れ薬の一つでも調合してこいっつーの。化学科でしょ」

「希先輩、コワイっす……」


 建築科の希なら、諏訪の足元をコンクリで固めそうな勢いだ。

「まあ、いい見世物だったわ」

 解散ムードになって、北都が一歩踏み出したその時だった。


「鯨井さん?」


 その声にギクリとして実験室を見ると、諏訪がこちらを見てニコニコと微笑んでいた。多佳子と希は慌てて、ロッカーの陰にまた隠れる。

「え、あ……ああ、諏訪先生、ここにいたんですか」

 声が裏返りつつも、たった今来た風を装って中に入っていく。その隙に、後ろの二人はこっそり逃げて行ったようだ。


「どうかした?」

「えーと、あの、大砲音の調整のことなんですけど」


 昨日の市民ホールでのゲネプロで、諏訪にサンプリングして作ってもらった大砲音を、諏訪立会いの下、大ホールで実際に鳴らしてみたのだ。その結果を元に、アンプとの再調整を頼んでいた。


「今日中には終わるよ」

「それならいいんです。甲斐が明日のリハで使いたいって言ってたんで」

「終わったら音楽室に持っていくよ。それよりも例のモノ、ちゃんとできた?」

「なんとか。後はホールで本番前に最終調整しますよ」


 諏訪はここで実験用器材の整理をしていたようだ。そこへあの女子学生が突撃してきたのだろう。まったく、怖いもの知らずである。

 諏訪は計器の並ぶキャビネットの扉を閉めながら言った。


「しかし、君も思い切ったことをするね。あの二人を吹奏楽部に入れちゃうなんて。でも最近は教室でケンカすることもなくなったみたいだし、結果的にはよかったのかも」

「ホントによかったのかな……」

 北都の小さなつぶやきを、諏訪は聞き逃さなかった。


「聞いたよ。辰巳くん、元吹奏楽部だって?」

 地獄耳の五嶋から聞いたのだろう。学校の中でうかつなことが話せない、恐ろしいまでのデビルイヤーだ。


「辛い想いをしてやめたのに、あたしがまたそこにムリヤリ連れてっちゃって……」

「本当にイヤだったのなら、今までにいくらでも逃げ出せたと思うよ」

 扉をすべて閉め終わって、諏訪が振り返った。

「でも彼はちゃんと吹奏楽部の仕事をしてる。そうでしょ?」


 北都はうなずいた。最初は確かに嫌がっていたが、律儀に北都との約束を守り、そして元吹奏楽部であることがバレた後も、彼は何も言わず、仕事を黙々とこなしている。


「辰巳くんはさ、吹奏楽と仲直りできる機会をうかがってるんじゃないかな」

「仲直り?」

「カッとなってやめちゃったけど、やっぱり忘れられないんだと思う。昨日、舞台を見ている辰巳くんを見て、何となくそう思ったんだ」

「はあ……」


 昨日のゲネプロで、客席側から音を確認していた北都たち三人と諏訪。

 舞台をじっと見つめる辰巳の横顔は、北都も見ていた。自分には怒ったようにしか見えなかったが、諏訪には感傷的に映ったようだ。


「彼はそれを【未練】だとは認めないだろうけどね」

 諏訪はクスリと笑った。

「今はまだ素直になれないのかもしれないけど、打ち解けられる瞬間はきっと来るよ。君が彼を吹奏楽部に連れてったことは、まちがいじゃないと僕は思う」


 それは諏訪の希望的観測だろうと、北都は思った。

 だからといって、否定もできなかった。自分もそう思いたかったからだ。

 北都は一つため息をつくと、仕事を終えて自分の前に立った諏訪を上目遣いで見た。


「諏訪先生にかかると、元カノに未練がある男の話みたいになりますね」

「えっ、そ、そう?」


 このうろたえ方……過去に思い当たるフシでもあったのだろうか。

 普段だったらチクチクやりたいところだが、めずらしくいいことを言ったので、それに免じて追及しないでやることにした。


「と、とにかく、君があまり気に病む必要はないんじゃないかな。きっとなるようになるよ」

 諏訪に励まされた気がするのがちょっと癪にさわるが、今はそう思うことにしよう。

 実験室を出る諏訪に続いて北都も廊下に出た。引き戸に鍵を閉めるその背中に声をかける。


「定演、先生も見に来るんですよね?」

「行くよ。だって、チケット十枚も買わされたからね……」

 吹奏楽部の女子学生たちに集られて、それぞれから一枚ずつ買うハメになったのだそうだ。ちなみに北都は、体育祭で優勝できなかったのは諏訪を代役に立てた五嶋にも原因があると主張して、五嶋に五枚買わせることに成功している。


「本番、楽しみにしてるよ。演出監督さん」

「がんばります……」

 自室に戻る諏訪とはここで別れることにした。一礼して音楽室に向かう。


「あ、そうそう」

 呼び止められて、北都は振り返った。諏訪の笑顔が妙に怖い。

「のぞき見とは趣味が悪いよ。あの二人にもそう言っといて」


 何も言えず凍りつく北都を置いて、諏訪はスタスタと去っていった。

 




 

 甲斐たち部員の地道な努力や、土屋の営業活動のおかげか、定演のチケットは完売とは行かなかったものの、大ホールをそれなりに埋められるほどの売れ行きとなった。

 必要な衣装や小物もそろい、本番をいよいよ明日に控えて、放課後の音楽室では市民ホールへの楽器や器材の移動が始まっていた。明日は夕方十八時からの開演である。


 一階の玄関脇に横付けされた大きなトラックの荷台に、大型打楽器や金管楽器、譜面台、イス、録画機材や演出に必要なものなどを積んでいく。

 主立って動いているのは、もちろんマネージャーの辰巳と土屋だ。力仕事は任せたとばかりに、部員は次々と二人に重いものを運ばせている。北都は甲斐とともにリストをにらみながら二人を指示する係りだ。


「ティンパニ重っ! 見た目は軽そうなのに……」

「黙って運べよ」


 二人は口ゲンカしつつも、ティンパニを両側で支えて運んでいく。二階の音楽室から一階の玄関口まで、何度も往復しながら荷物をトラックに搬入した。

 大方の荷物を運び入れたところで一休み。今日は折しも今年一番の暑さを記録した一日で、日が傾き始めたこの時間になってもまだ熱気が残っている。Tシャツ姿の二人も汗だくだ。


「お疲れ」

 ドアが開かれたままの荷台に背を預け、休憩していた辰巳に、北都はペットボトルのジュースを手渡した。甲斐はトラックの運転手と話しこんでいて、土屋は離れた場所に座って、スマホをいじっている。


「サンキュ」

「イスも積み込んだから、あとは……譜面台だけか?」

「そうみたいだな」

 互いにキャップを開け、ジュースを喉に流し込む。一仕事して、汗をかいた身体に沁みこむようだ。


「辰巳……お前さ」

 茜色に染まりつつある夕空を見上げながら、北都はたずねた。

「なんでバックレなかったの?」


 辰巳は眉間にシワを寄せて、北都をにらみつけた。

「てめーが停学とか脅したからだろーが」

「でも、お前にああいう事情があるって知ってたら、もっと別の罰を考えたよ」


 今度は苦虫を噛み潰した顔で、辰巳は黙り込んだ。

 辰巳はその逃げ道を、わかってて使わなかった。それほどまでに、元吹奏楽部だったことを知られたくなかったのかもしれないが、バレた後の働き振りを見ても、諏訪の言うとおり、それだけではない気がする。


「お前……本当は」

 いや、やっぱり言わないほうがいいか。

 思い直して、北都はその後の言葉を飲み込んだのだが。


「──吹奏楽、もう一回やりたいんじゃないのか?」


 飲み込んだと思った言葉が、別の場所から聞こえてくる。驚いて横に目をやると、その声の主は鳶嶋だった。

 辰巳はあざ笑うかのように顔をゆがめ、吐き捨てた。


「はあ? 何言ってるんすか。オレは吹奏楽なんか……」

「指、動いてたよな」

「指?」

 鳶嶋の言葉の意味がわからず、北都は首をかしげる。


「オレたちが練習してるとき、お前の指、メロディに合わせて動いてたよ。あれはクラリネットの指使いだったんだよな?」


 北都は思い出した。

 音楽室での作業中、辰巳が時々見せていた、机を指で叩く仕草。あれは単にイラ立ちを表現したものだと思っていたが……

 そういえばメロディにあっていた気もする。あれは旋律にあわせて、クラリネットのキーを押す仕草だったのだ。

「そんな赤い頭になって悪ぶっててもさ、本質なんてそう簡単には変わらないよ。お前はクラリネットが、吹奏楽が、音楽が好きなんだよな。中学の吹奏楽部で、一心不乱にクラ吹いてたあの頃のままなんだよな」


「ちがう!」

 辰巳は叫んだ。だがうつむいたまま、誰とも目を合わせられない。


「ちがう……オレはそんな……」

「吹奏楽から逃げ出した自分をそんなに責めるなよ。もういいだろ……オレはまたお前の演奏を聞きたいよ。ちょっと吹けるからって天狗になってたオレを、完膚なきまでに叩きのめした、あの鳥肌モノの演奏をさ」


 辰巳が顔を上げ、鳶嶋を見つめた──その時だった。

 北都の視界の中で、何かが動いた。

 それは、トラックの荷台に重ね積み上げられたイスの山──ぐらり、と弓なりにしなって。


「……辰巳、危ない!」


 北都が叫ぶよりも、辰巳が振り返るよりも早く、崩れたイスが彼の上に降り注いだ。

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