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北都はちょっと心配だったが、辰巳は次の日も自分から吹奏楽部の部室にやってきた。思いのほか、几帳面なところもあるらしい。
地味な作業の連続で、指をカタカタと動かしてイラつきを表現しているかと思えば、足でリズムをとったりして、吹奏楽に慣れてきた様子も見せている。
土屋はといえば、女子の多い雰囲気が気に入ったのか、こちらも率先して部室にやってきた。休憩時間には女子に声をかける余裕さえ見せている。
こうして三人でちまちまと作業すること五日。やっとパンフレットにチラシを挟む作業が終わりを告げた。
「終わっ……た」
「もうこのパンフレット見たくねー」
「指紋なくなったぞ……」
テーブルに突っ伏してグッタリとなる北都たちのもとに、甲斐が満面の笑みを浮かべてやってきた。
「ありがとう。三人が手伝ってくれたおかげで、みんなが練習に集中することができたよ」
今日の全体練習が終わり、これからパートごとの個別練習に入るタイミングのようだ。定演まで一ヶ月を切り、部員たちの練習にも気合が入っている。
「そりゃよかったね……」
「じゃあ、次の仕事をお願いしようかな」
同じ吹奏楽部員には遠慮してお願いできないことも、音楽は管轄外という北都たちなら気兼ねなく雑用を頼める──今ではそんな心理が甲斐に働いているようだ。
一人で何もかも背負い込もうとしていた彼としては、これはいい傾向なのかもしれない。辰巳と土屋はげんなりとした顔になったが、北都はまた一つ気合を入れた。
甲斐もイスに腰掛け、テーブルの中央に一枚の紙を差し出した。
「その前に、定演の構成について説明させてもらうよ。定演は大まかに分けて三部構成。一部はコンクールでやった課題曲と自由曲、二部はアニメやテレビ映画音楽を中心とした、吹奏楽を知らない人にも馴染みのある音楽。そして三部はOBも合流しての、吹奏楽の中でも盛り上がる曲をメインにやるつもりなんだ」
北都は身を乗り出し、土屋はスマホをいじりながら、辰巳は腕を組み足を組みイスにふんぞり返って、それぞれ甲斐の話を聞いていた。
「三人には、ステージでの演出を考えてもらいたい」
「演出……って?」
「簡単に言えば、どうやったら会場が盛り上がるかってこと。凝っている学校だと、演奏しながらダンスしたり、衣装からスゴイの作ってたりするよ」
まだしっくりこない北都のために、甲斐は数ある楽譜の中から一つの楽譜を取り出した。
「たとえば、三部でやるこの【テキーラ!】って曲。吹奏楽ではわりとポピュラーなラテン音楽なんだけどさ、曲の途中で『テキーラ!』って掛け声があるんだ」
甲斐は持ってきたノートパソコンを操作して、他校がこの曲を演奏しているネット動画を流してくれた。
「確かに明るいラテンのノリだな」
どこかで聞いたことがあるような曲だ。元はアメリカのラテンバンドの曲らしい。
「これだけでもいいかなとも思うんだけど、吹奏楽を知らない三人の目から見て、もっとおもしろい演出があるかもしれないと思ってさ」
「……これってさ、吹奏楽部員以外の人間がステージに出てっても大丈夫?」
スマホに夢中で聞いていなかったように思えた土屋が、急に口を出してきた。
「演奏のジャマにならなければ大丈夫だけど……」
「じゃあ、原色で袖ヒラヒラのラテン衣装着て、大きな帽子かぶったチョビヒゲの男が、マラカス持って踊り狂っててもOKってこと?」
「何それ」
甲斐はおかしそうに吹き出した。
「ラテンっていうと、そんなイメージだからさ」
「土屋、発想が貧困だな」
「うっせーな」
北都のバカにした物言いに悪態をつく。だが、実際北都も似たようなイメージを持ったのも事実だ。
甲斐も意外とノリ気のようだ。
「それ、おもしろいかも。掛け声に合わせて、ラテン男がステージの中央でポーズ取るといいね。問題は誰にやってもらうかだな」
「土屋、お前やれよ」
北都の思いがけない言葉に、土屋は泡食った。
「ええっ、オレ?」
「お前が思いついた案なんだし、言いだしっぺがやるのが当然」
「そうだな」
ずっと黙っていた辰巳も、ここぞとばかりに賛同してくる。
「他に頼めそうな人もいないし……頼むよ、土屋」
甲斐の、小動物のような円らな瞳に見つめられ──たからかどうかはわからないが、土屋はボリボリと頭をかいて。
「しゃーねーなぁ。いっちょやったるか」
イヤイヤという雰囲気を醸しつつも、あっさり引き受けたあたり、目立つことが好きという元来の性格がうかがわれる土屋であった。
「ええっと、他は……」
他にどんな曲があるのか見ようと曲順表を探すと、それはいつの間にか辰巳の手に握られていた。神妙な顔つきで、曲順表をにらむように見つめている。
「なんか知ってるの、あったか?」
「ねぇよ」
辰巳はプリントをテーブルに投げ出した。
練習していた曲の中には、テレビでよく聞くような曲もいくつかあった。何もないというのは少し不自然だが……
そこまで吹奏楽を嫌う理由は何だろう。吹奏楽部員とひと悶着でも起こしたのだろうか。
絶対音感を持つがゆえに、少しの音のズレが気になってイライラするのかもしれないが、怒鳴ったのはあれっきりだ。部員たちも、相当気をつかってチューニングしているのだろう。
ポケットに手を突っ込み、足を大きく投げ出して、一人興味なさそうに目を閉じた辰巳をいぶかしみながらも、北都は曲順表をつかんでじっくりと目を通した。
「一部は……全然聞いたことないのばかりだな。二部が【JPOPメドレー】【アニメメドレー】【パイレーツ・オブ・カリビアン】で、三部が【テキーラ!】【トゥーランドット】【ラプソディ・イン・ブルー】【序曲一八一二年】」
「もちろん、全部の曲に演出が必要なわけじゃないよ。第一部はコンクールでの曲だから、普通に演奏するつもりだし。三人には二部と三部の曲目のうち、『これやったらおもしろそう』って演出を考えてほしいんだ」
基本的な演出と部員の衣装は、既に決まっているそうだ。確かに定演まで残り約三週間、部員を動かすような演出を考えるには、今からでは遅すぎる。
自分たちに求められたのは、後付可能な、付加価値的な演出だ。
甲斐から注意点や曲の内容、簡単な解釈などを聞き、ネットで資料を集めながら四人で演出案をひねり出すことにした。
「アニメメドレーは……四曲? 一部の人に仮装してもらうってのは?」
「二部までは基本Tシャツだし、その上から着られるものだったらいいかな」
「衣装はどうすんだよ」
「買ったりレンタルできるものはして、できないものは作るしかないだろ」
「パイカリは?」
「辰巳と土屋で、前でチャンバラやれば?」
「そういう動きの激しいものはダメだって言ったろ。いっそ、指揮の先生に海賊のコスプレしてもらうか」
四人で様々な案を出し合い、議論を戦わせる。
最初は互いを批判することしかできなかった辰巳と土屋も、討論を重ねるうちにだんだんと落ち着いてきたようだ。相変わらず言葉にトゲはあるが、相手の意見を認める余裕も出てきている。
開始から一時間。議論にちょっと行き詰って、北都はネットで演目の曲について調べ出した。
「へー、【序曲一八一二年】って、原曲は大砲使ってんのか」
「さすがに大砲はムリだからね。実際はバスドラで代用してるとこが多いけど」
甲斐の説明を聞きながら、北都にはずっと考えていたことがあった。
「なーんかさ、ウチの学校らしいモノがほしいよな」
今まで出してきた演出案は、どの学校でもできそうなことだ。
だが自分たちは「高専」という特殊な学校なのだから、その特色を生かした演出があってもいいのではないだろうか──と北都は考えたのである。
甲斐も同じことを思っていたようだ。彼も大きくうなずいた。
「それはオレも思うんだ。でもいいものが思いつかなくてね」
学校ではなく、市民ホールで行う定期演奏会となれば、様々な制約がついてくる。工業高専らしさを出すには厳しい条件だ。
「まさか演奏してる横で、化学実験や構造計算や旋盤加工やるわけにいかないしな……」
「電子的……って意味でいいなら、一八一二の大砲音、パソコンで何とかして作ったらどうだ?」
辰巳の思いがけないセリフに、甲斐がハッとして顔を上げた。
「それならできるかも……」
「多少だけど、理系っぽさが出るだろ」
「でも、作るにしろサンプリングするにしろ、どうやって……」
「あ、諏訪先生なら何とかなるかも」
聞き覚えのある単語に、北都はひらめいて声を上げた。
「諏訪先生?」
「あの先生、専門は音声信号処理で、音響工学もかじってるって言ってた」
一口に電気科の教員といっても、専門の研究分野は各々ちがう。専門分野について、北都は諏訪から直接聞いたことがあったのだ。
「よし、じゃあ頼んでみよう」
甲斐はホッとして笑顔を見せた。
だが、北都はまだもやもやと不完全燃焼気味である。
「それもいいんだけどさ、もう一つ、インパクトのある何かがほしいよなぁ」
「それは早めに考えるとして、今日はこれで切り上げよう」
甲斐の言葉に周りを見ると、ほかの部員たちは既に帰り、音楽室に残っているのは北都たち四人だけだった。時間は既に八時を過ぎ、真っ暗な空には月が浮かんでいる。それだけ議論に熱中していたということだろう。
出た意見について、まずは部員やOBたちに聞いてもらい、そこで承認が得られ次第作業を始めることになるそうだ。
「来週からは本格的に忙しくなるけど、またよろしくお願いします」
部長の丁重なお願いには、辰巳も土屋も半ばあきらめ気味にうなずくしかなかった。ここまできたら、もう最後まで付き合うしかない──そんな覚悟を決めたようだ。
「ついでと言っちゃなんだけどさ、知り合いで定演のチケット買ってくれそうな人いない?」
「そういうのは土屋だろ。得意そうじゃん」
「さすがのオレも、吹奏楽のチケットさばいたことはないけどな。ま、声かけまくってみるよ」
土屋は苦笑しつつも、チケットの束を受け取った。土屋のことだから、女子高生あたりが大挙して定演に来ることになりそうだ。
ふと訪れた静寂に、開いた窓からカエルの鳴き声が聞こえてきた。北海道の短い夏も、すぐそこまで来ている。
「なんか、みんなでワイワイやるのって楽しいな。今までは全部自分ひとりでやらなきゃって気になってたけどさ。鯨井が二人を連れてきてくれて、ホント助かったよ」
窓を閉めながら、甲斐は穏やかに微笑んだ。
改めてそう感謝されると、罪悪感みたいなものを覚えてしまう。本当は二人への罰として連れてきただけなのに。辰巳と土屋も、照れくさそうにうつむいている。
また訪れた静寂に気恥ずかしくなって、北都は何か言わなければと焦ってしまった。
「……あっ、実験レポート書かなきゃ!」
和やかな雰囲気が一転、その一言は他の三人を絶望の底へと突き落とした。
「鯨井……」
北都たちの考えた演出案が無事承認されて、三人はその準備に取り掛かることになった。
衣装は発注できるものはして、できないものや小物は自分たちで作成。あちこち走り回り、腕をふるって、また走り回るというバタバタの日々が始まった。
こうも忙しいと、さすがに辰巳も土屋もケンカなどしているヒマがない。時に怒鳴りあいながらも、協力して作業を進めているようだ。
この他にも、演出にあわせた司会の台本や照明の当て方をも考える必要性が出てきたり、休日に行われたゲネプロに参加もして、甲斐も含めて四人は目の回るような忙しさだった。
定演まで二週間を切り、作業も佳境に差し掛かった今日この頃。
北都たち三人は今日も今日とて音楽室の片隅で、作業の真っ最中だった。三人が常駐するようになったテーブルの上は、私物のノートパソコンのほかにダンボールや文房具、借りてきたミシンや裁縫道具など、様々なものが乱雑に散らばっている。
「辰巳、ちょっと表のコンビニに行ってさ、ガムテープとマジックペン買ってきて」
ダンボールを切っていた北都は、足りないものがあったことに気づき、辰巳に声をかけた。
北陵高専の正門の向かいにはコンビニがある。昔は個人商店だったらしいが、数年前、某コンビニチェーン店にフルモデルチェンジしたのだそうだ。学校内に安く買える売店もあるが、品ぞろえは圧倒的にコンビニのほうがいい。
面倒くさそうに立ち上がった辰巳に、土屋が声をかける。
「あ、オレ、ジャンプ」
「ついでにコーラも」
「オレはパシリじゃねえ!」
次々と出される要求をはねのけながら、辰巳は音楽室を出て行った。
部員たちも休憩に入ったようだ。音楽が止み、ガヤガヤと雑然とした雰囲気に包まれる。
ふと目をやると、鳶嶋が近づいてくるのが見えた。彼が辰巳に話しかけたあの後、甲斐に聞いたのだが、彼はクラリネット担当の四年生だそうだ。
あれから、鳶嶋がこちらに話しかけてくることはなかったのだが。
「お前ら、辰巳と同じクラスなんだよな?」
鳶嶋はテーブルの横で立ったまま、北都たちを見下ろしてきた。
「ええ、そうですけど……」
「あいつ、なんか部活入ってるのか?」
「いえ、入学当初は知らないですけど、少なくとも今は帰宅部のはずです」
答えた北都が、土屋とたまたまそばにいた甲斐に目配せして確認すると、二人ともうなずいてきた。
「やっぱり……」
鳶嶋は眉根を寄せて唸っていた。
「どうか……したんすか? あ、もしかして、あいつ昔なんかやらかしたんですか?」
「いや、そうじゃないよ」
鳶嶋は苦笑したが、すぐに真面目な顔に変わった。
「あいつ──中学まで吹奏楽部だったんだ」
「…………はい?」
その言葉に、北都は思わず首をかしげた。