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こうせん!  作者: なつる
第3話  人はそれを本気とよぶ(5月:体育祭編)
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 五月。


 学校全体が浮き足立つような四月の空気も、ゴールデンウィークを挟んで五月になると、急に落ち着いた雰囲気に変わる。連休が一つのターニングポイントだ。

 連休中に散った桜の花に代わり、青々と茂る緑の若葉が眩しい太陽の光を反射して、季節が一気に進んだような気がする。


 五嶋の教官室から覗く中庭の葉桜の木を見ながら、北都はふとそんな感傷に浸ってしまった。

 振り返れば、そこに広がるのは本や書類が散らかった汚い部屋。この光景を前にしては、目を背けて現実逃避もしたくなるというものだ。


「鯨井、コーヒー」

 部屋の主は今日も自分の椅子にどっかりと座り、口先一つで人をあれこれこき使っている。今日は競馬新聞を広げながら、耳にはラジオのイヤホン。校内でこれだけ堂々とギャンブルをやれるその神経が素晴らしい。

「はいはい」

 北都は片付ける手を止めて、飲み物一式が置いてある棚に向かった。

 教官室には簡単な流し台とポットが完備されていて、ここでお茶やコーヒーを入れて出すことができる。さらには冷蔵庫まで置いてある。

 この部屋で秘書業に勤しむその見返りとして、飲み物に関しては自分の好きなものを揃えられ、かつ自分も飲み放題なのはありがたかった。

 ただ一つ、納得の行かないことがある。


「あ、僕にも」


 なぜ諏訪がソファに座って、自分のノートパソコンを持ち込んできてまでここで論文を書いているのか。

「……自分の部屋で、自分で入れて飲んでくださいよ」

「だって、ここなら鯨井さんが出してくれるから」

「あたしは諏訪先生の秘書じゃないです!」

「……この間のこと、まだ怒ってる?」


 この間のこと──それは橘兄弟のテストの一件のとき。

 火狩に口添えしてくれたことについて、北都は諏訪に礼を言ったのだが、その時に諏訪がもらした本音にイラッときたのだ。


『君が早く秘書業に戻ってくれないと、僕の論文が進まないからね』


 結局のところ、自分のためなんじゃねーか──

 それ以来、北都は諏訪にキツく当たっている。

「怒ってるんじゃなくて、呆れてるんです」

「コーヒーぐらい入れてやれよ。減るもんじゃないし」

 五嶋が暢気に言った。

 諸悪の根源であるあんたが言うな──とは口に出せず、北都は仕方なく三人分のコーヒーを作った。


「はい、どうぞ」

 声からして嫌々オーラを醸し出しながら、テーブルの上にドンとカップを置く。

「ありがとう」

 それでも満面の笑顔で答えるのだから、この男はタチが悪い。


 この新任の助教は、その甘ったるい童顔と柔らかい物腰、そして筋金入りのフェミニストぶりで女子学生からの人気を着実に集め、いまや男子学生を差し置いて【学内一のイケメン】の称号を得るまでになった。

 女子寮の中でも、諏訪のことが話題に上らない日はない。やれ「物を拾ってもらった」だの「図書館のドアを開けてくれた」だの、ささいなことでキャーキャー騒ぎ立てる女子の感覚は相変わらずよくわからない。

 そんなもの、そこらへんの男子学生だってやってる気もするのだが、あの華のある笑顔とスマートな振る舞いが特別なものに思えるらしい。

 みんな……見てくれにダマされちゃダメだ。こういうヤツに限って、中身はものすごい性悪に決まってる。


 差し向かいに座って自分のコーヒーをすすりながら、北都はこっそりと諏訪を睨んだ。

 諏訪は最近ではジャケットの代わりに白衣を着用することが多くなった。電気科なので白衣なんて着る機会などないのだが、本人曰く「少しでも教師らしく」見えるようにと考えての着用らしい。一応童顔であることは気にしているようだ。


「そう言えば、お前、何でそんなカッコなの?」

 五嶋がこちらを見て言った。

 今日の北都の服装。上は半袖Tシャツに、下は黒のトレーニングパンツ。

「五、六時間目が体育だったんですよ。着替えるのが面倒だったんです」

 学校指定のジャージもあるが、三年生くらいになると皆部活ごとのジャージを着たりで、比較的自由な服装だ。北都も指定とは別に、体育用のトレーニングウェアを揃えている。


「そんなの着てたらますますイケメンだなぁ」

「そりゃどうも」

 五嶋の嫌味のような褒め言葉も、さらりと受け流せるようになってきた。

「体育、何やってんの?」

「今はバスケです」

「お前、得意そうだね」

「ええ、まあ。中学まではバスケ部でしたから」


 体育の授業は当然ながら北都も男子と一緒にやるわけだが、バスケならそこらへんの男子には負けない自信がある。今日の授業でも、北都を止められたのは現役バスケ部キャプテンで、身長一九〇センチの船橋ふなはしくらいなものだ。

「あ、やっぱり?」

 論文に集中していて聞いてないと思ったが、諏訪が口を挟んできた。


「女子でそれだけ身長あったら、いろんな高校からスカウトあったんじゃない?」

「実際ありましたよ。Y高校とかD学園とか」

「結構な強豪じゃない。なんで行かなかったの?」

「なんでって……飽きたんですよ。スポ根のノリに」


 中学時代の、あの辛く苦しい練習が思い出される。毎日何キロも走りこみ、筋トレやシュート、ドリブル、パス練習に明け暮れた。コーチに怒鳴られながらも、汗水たらしてコートを必死で駆け抜けた日々。だが……

「自分を極限までイジメ抜いた先に勝利があるとか言われても、そこまでMじゃないんで」

 ケガも絶えなかったし、これ以上辛い想いをしてまでバスケを続けたいとは思わなかったのだ。強豪校の誘いをあっさり蹴ったどころか、バスケ自体をやめてしまった北都に、いまだに「もったいない」と言ってくる者もいるが、自分はもう未練も後悔もない。


「バスケをやめた理由はわかったけど、じゃあなんでウチの学校に来たの?」

 諏訪の探るような視線が癇に障る。

「元々理系は好きでしたし、ここなら男ばっかりだから、目立たないですむかなと思って。間違っても制服のある高校なんて行きたくなかったですしね」


 中学のセーラー服ですらイヤでイヤでしょうがなかったのだ。あのプリーツスカートはもはやトラウマレベルだ。

「制服のない高校だってあったでしょ?」

 諏訪の執拗な質問にイラ立って、北都は逆に聞き返してやった。


「じゃあ聞きますけど、諏訪先生はどうしてこの学校を選んだんですか?」

 諏訪は怯むことなく、少し考えただけで真面目に答えた。

「そうだなぁ……高校と大学の中間みたいな自由な校風に惹かれたのと、あとはやっぱり進学率かな」


 高専を卒業後、四年制大学の工学部に編入する学生は多い。特に文系科目が苦手な人間にとっては、センター試験を受けずに理系科目だけの試験で大学に入れるのは魅力的なのだろう。火狩のように、最初から難関大学への編入を狙ってくる者もいるくらいだ。


「そういうことですよ。高専なんてどマイナーな学校に入る学生なんて、そんなところなんですよ」

「つけ加えるとするならば、高専に入る女子は変わり者が多いよな」

 五嶋の冷やかしにも、北都は冷静に答えた。

「それについては否定しません。逆に普通だったらこんなとこ選びませんよ」

「そりゃそうだな」


 他の女子学生が聞いていたら怒られそうだが、その変わり者の筆頭である北都から見ても変わった女子が多いと思うので、間違いではないだろう。

 コーヒーを飲み終えて、北都は立ち上がった。


「諏訪先生、飲み終わったら自分の部屋に戻ってくださいよ。ここ片付かないでしょう」

 両手でシッシッと追いやる。諏訪は仕方ないと言わんばかりに頭をかいた。

「もう少しなんだけど……しょうがないなぁ。はあ、僕も秘書がほしいですよ」

「美人秘書でも何でも雇えばいいじゃないですか。諏訪先生ならよりどりみどりでしょ」


 この学校で個人的な秘書がいる教員など、五嶋以外には見たことも聞いたこともない。だが諏訪の秘書をやりたいという女子学生はいくらでもいるだろう。

「准教授になって、担任持つようになったら考えるよ」

 諏訪は苦笑いを浮かべた。

 それが妥当なところだろう。助教の分際で秘書を持つなど十年早い。ノートパソコンを畳んで立ち上がった諏訪に、五嶋は声をかけた。


「コーヒーぐらい、内線一本で出前してやるよ。一回五百円な」

「ぼったくり! どうせあたしにやらせるつもりでしょう」

「当たり前だろ」

「あはは。鯨井さんの淹れてくれるコーヒーが飲みたくなったら、ここに来ますよ」

 仕事が増えるからくんな──とハッキリ口に出せないあたり、自分も案外小心者だなと思う。諏訪はパソコンを抱えて、ドアのノブに手をかけた。


「鯨井さん──おいしいコーヒーをごちそうさま」

 置き土産に、砂を吐くようなセリフと、ヘドが出そうなくらい眩しい笑顔。


 ドアを開け、自分の部屋に帰っていた諏訪の背中を呆然と見送る。時間差で襲ってきた寒気と鳥肌に、北都は思わず自分の身体を抱きしめて震えた。


「諏訪先生……恐ろしい子!」

 あの顔であのセリフは、もはや対女性専用兵器だ。女子が騒ぐのも無理はないが、北都にとっては違う意味で戦慄モノだ。

「諏訪先生って、昔からあんなんだったんですか?」

「ああいうところは、昔から変わらないねぇ、あいつも」

 競馬新聞の上から、五嶋のどこか楽しそうな目がのぞく。


「諏訪の昔話、聞きたい?」

「いえ、結構です」

 即答して、北都はまた片付けに戻った。






 新学期が始まって一ヶ月が経った三年電気。

 クラスの雰囲気はと言えば、あいも変わらずといったところだが、四月の橘兄弟の一件から、少しずつではあるが空気が変わってきたようにも感じる。


 あれ以来、特に大きな問題は起きていないので、北都としても頑張りようがないのだが……このまま何事も起こらずに終わってくれればいいと思うのだが、そうは簡単に問屋がおろさないだろう。

 三年生になると、授業の内容は二年生までとは大きく様変わりしてくる。

 国語や歴史のような人文系の科目がほぼなくなり、代わりに専門の科目が一気に増える。数学や物理などの工学の基礎科目をおろそかにしてきた者にとっては、三年生が一つの正念場──とは五嶋の弁だ。


 高専には【三年修了退学(三修)】という制度がある。

 簡単に言ってしまえば、三年生を無事に終えて退学すると、高校卒業と同等とみなされるという制度だ。高専があわないと思う学生は、三修して別の進路を歩むこともできるので、三年から四年にあがるときに一気にクラスメイトが減るということもままある。

 既に入学当時の四十人から十人も減ってしまった今の三Eでは、これ以上減ることはクラスの存亡に関わる。

 不祥事による処分者だけでなく、成績不振による留年や自主退学者も出さないよう気を配らなければならない。

 そのためにはもっとクラス内の風通しをよくする必要がある。空気が変わってきた今この時がチャンスの気もするが……

 やっぱりそうは簡単に問屋がおろさないのである。



「わーっ! 鯨井! 電圧上げすぎ!」

「え?」


 考え事に夢中で、今が実験中であることをすっかり忘れていた。同じ班の甲斐に注意されて、自分が電圧のつまみをひねっていたことを思い出す。

「あっ、ゴメン!」

 慌てて電圧を落とす。危なく変圧器が煙を吹くところだった。

「ボーっとするなよ」

 同じく班が一緒の火狩に咎められ、落ち込む北都。

 それでも何とかデータを取り終わり、今日の実験【変圧器の特性試験】は終了した。あとはレポートを作成するだけだ。

 一旦寮に帰ろうと、実験室から玄関までの道のりを火狩と歩いた。火狩は北陵市内から通う通学生で、学校までは自転車で通っている。


「そういやこの間、周防すおうに驚かれたよ」

 火狩の言った名前に、北都は聞き覚えがあった。

「周防って……機械の?」

「三年機械(三M)の級長の周防崇すおうたかし。今年はオレが級長じゃないって言ったら、驚いてた」


 この学校では生徒会に相当する「学生会」という制度はあるが、各クラスの級長がそこに参加することはない。よって、他のクラスの級長が誰かなんて興味を持たなければ知ることもないのだ。


「お前、周防と仲いいの?」

「中学の同級生なんだよ」

 北都のいぶかしむ目に、火狩は言い訳がましく答えた。

「体育祭、今年も機械の勝ちだなってケンカ売られたぞ」

「あぁん? なんだとう」


 とたんに北都の闘争心に火がついた。








 体育祭。


 この学校においては、それはクラス同士のプライドのぶつかり合いを意味する。一年から五年まで、四学科全二十クラスが、己の闘志を燃やして戦い、頂点を目指すのだ。

 学年や男女比によるハンデは一切なし。五月下旬の二日間にわたって、玉入れ、綱引き、フットサル、バスケ、駅伝を行い、総合得点の上位六クラスが決勝戦であるメドレーリレーで雌雄を決する。

 五嶋の部屋でも、そのことが話題に上った。


「去年は何位だったんだ?」

「総合で五位でした」

「二年生で決勝に残ったのか。意外と強いな」

「なんだかんだいってウチのクラス、運動部の主将やエースがゴロゴロしてますからね」

 団結力はないが、個々の身体能力は高いのが三Eの特徴だ。

「で、今年は?」

「もちろん優勝……っていいたいところですけど、やる気にムラがあるんですよね」

「ムラ?」

「こういうのにはすごい張り切る体育会系のヤツと、絶好のサボリタイムって最初から出る気のないヤツと。両極端に分かれるんですよ」


 昨年も、主に運動部所属の体育会系がこのときだけ団結して、五位にまでなったのだ。その他の連中は参加すらしていなかった。

 北都はというと、一応その場にはいたものの、体育会系が張り切っている中をジャマするのも何だかなと、応援するだけに終わっていた。

「今年は少なくとも、機械の奴らには勝ちたいですよ」

 北都がつぶやくと、諏訪が小さく吹き出した。この人がなぜこの部屋にいるのか、もうツッコまないことにしている。


「相変わらず、機械とは仲悪いんだね」

 機械システム工学科と電気電子工学科──名称こそ変われど、学校の創立当時からあるこの二つの科は、伝統的に仲が悪いと言われている。お互いをライバル視する風潮にあり、体育祭にはそれが顕著に現れる。まったく女子のいなかった機械に対し、少数ながらも女子がいた電気に機械が嫉妬したというのが始まりだという説もあるが、定かではない。

 北都どころか諏訪や五嶋が生まれる前からの因縁が、まさか遺伝子に刻み込まれているわけでもないのに、この学校で電気と機械に別れると、それだけでいがみ合ってしまうのだから不思議だ。

 偏差値では電気が上だが、体育祭では機械が圧倒的に強い。これがまた二つの科の対立を強くしている。


「去年はちょっとの差で機械に負けたんですよ。あの時の周防の勝ち誇った顔は絶対忘れねぇ」

 三Mは三Eに負けず劣らず荒くれ者揃いでありながら、周防はそのクラスをまとめあげている気概のある男だ。そんな男からケンカを売られて、級長としては黙っていられない。今年こそは何としてでも三Mより上の順位を、できれば優勝を狙いたいのだが……


「去年のファイナリストのうち三クラスが四年生……ってことは、今年は優勝戦線からは離脱だな」

 五年生はこの時期、就職活動や受験勉強で体育祭どころではない。そんなわけで、毎年優勝候補は二年生から四年生に絞られてくる。

 そんなことよりも、北都は五嶋が優勝戦線に興味を持ったことが気になった。宙を見上げて、何やら考え込んでいる。

「五嶋先生……何考えてるんですか」

「別に。何も」

 いや、絶対その顔は悪だくみをしている顔だ。だが五嶋は北都の追及を逃れるように、話をそらし始めた。


「クラス全員にやる気を出させる方法ねぇ……」

 なんだか追求するのもめんどくさくなってきた。

「なんかいいアイデア、ないですかねぇ」

 北都としては軽い気持ちでつぶやいただけだったのだが、意外なことに五嶋は真面目に考えてくれたようだ。


「しょうがない、ちょっと手を貸してやるか」

 目を丸くする北都をみて、五嶋は片頬をゆがめて笑った。


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