If story 引きつける力
登場人物には上がっていない誰かが、校舎の隅で泣いていたちいを見て恋をして遠くから見ているという設定です。名前は出しませんので、ご自由に変換して下さい。時間列的には、中学2年位でどうぞ。
「俺、そういうつもりないから…悪い」
夏休み前の校舎の片隅。俺はいつものように告白されたが、断っていた。
相手に好きと言われて、ホイホイついていく軽い奴ではない。
簡単に惚れる事が出来る奴が羨ましいと思っていた。
「男と女って根本は違うんだろうな」
俺はポツリと呟いてから渡り廊下を歩いている。
グランドもテニスコートも体育館も至るところから声が響いている。
部活をやっていない俺はこんな時間に校内にいることはあまりない。
ようやく自分の校舎に入れろうとしたら、プールの奥で人が泣いている声がする。
いつもなら、そんなことは気にしない俺なのに、なぜかその時は気になった。
音を立てずに泣き声に近づく。そこにいたのは、水泳部の佐倉だった。
バスタオルをかけ、濡れた髪で小さくうずくまっている。
ちびっ子だが、プールで彼女に勝てる奴なんて男でもいない。
全国大会常連の女子ソフトボール部の次に上位の成績が取れるってことで有名だった。
こいつ、去年の総体で県大会ベスト16だったよな…スランプか?大変だなとその光景をぼんやりと俺は眺めていた。
その時、プールサイドからはしゃぐ声が聞こえた。
「ちょっと、ちいがいないわよ」
「ちいは自分で練習組んで勝手にやるんだからほっておきなよ」
「私達はちいのお飾りにしか過ぎないんだから」
「そうそう、私達の成績なんて誰も興味ないんだから」
皆があんなだと、一人でちゃんと練習なんてやってらんないんだろうな。まだうずくまっている佐倉に俺は少しばかり同情した。
「もう…辞めたい。全部なかったことにしたい」
佐倉がポツリと漏らした。体躯はともかく、記録を残して恵まれる奴の口から出たのは意外な本音だった。
「佐倉、タオルが汚れるぜ」
俺は彼女に呼びかけてみた。
「今の、聞いたの?」
「あぁ、悪いけどな」
佐倉はバツの悪い顔をしてから、そっかと呟いた。
「お願いだから、今の事誰にも言わないで」
「あぁ。分かった。意外だな。お前が辞めたいだなんて」
「そんなことないよ。自分の限界以上の事を続けるのに疲れたのよ」
佐倉は涙で濡れた顔をタオルで拭ってから空を見ていた。
「自分の限界って自分で決めるものなのか?違うだろ?」
「普通はね。でも、体力のない私がここまでやれるのが奇跡みたいなもので、うちの市のレベルが低いから県大会に出られただけ。レベルが高い市にいたら県大会なんて絶対に無理だもの」
俺は淡々と説明する佐倉を見ていた。県大会に行ったことを喜んでいた訳じゃないんだ。
むしろ、それが当然みたいなものの言い方。俺は泳げないから競泳の世界は分からないからなんとも言えない。
「競技の世界にもう8年もいるからね。大抵の試合で皆会うんだよ。だから自分のレベルなんて嫌でも分かってる。これ以上のびしろのない私がいられる場所なんてないのも分かってる」
「そうなんだ。だから県大会に出ても喜ばなかった訳か。いつも通りだから」
「そうだね。所詮、県大会レベルなの。どんなに頑張っても関東大会には行かれない。これ以上練習を増やしたら、体を壊すことも分かってるから。今のレベルに満足なんてしていない。やるからには上の結果を出したいから。肉体的にも、精神的にも限界。モチベーションすら保てない。かと言って楽しんで泳ぐなんて今からは出来ない。皆にしてみたら贅沢かもしれないけどね」
「俺、そんな事知らなかった。なんか勘違いしていたかもしれないな」
「そう?それならいいんだ。でも、そろそろ帰らないと。引退しようかな」
「それでいいのか?」
「うん、本当は小学校で辞めるつもりだったから。今は余命みたいなものだから」
そんな事を言っている佐倉は晴れ晴れとした顔になった。
ドキン。俺の心臓が大きく跳ねる。なんだ?これ?
「本当にこの事は言わないでね。私の本音、初めて言ったんだから」
そう言うと佐倉は小指を出してきた。
「何?」
「指きり。夏が終わるまで…黙っててね」
「分かったよ」
俺と佐倉は指切りをした。俺の前に立つ彼女は俺の方よりも低くて、出された小指も細くて小さくて
折れてしまいそうな錯覚を起こす。
「…指切った。さてと、学校が納得する結果でも出しときますか」
「なんだ?それ?」
「せめて去年並みにしないとまずいでしょう?練習に戻るね」
そういうと彼女はプールに戻って行った。
精神的に強くないって言っていたけど、結果を出すのを当然とされていて結果を残しているんだから相当強いと思う。
それとも、目標にしている誰かを必死に追いかけているのだろうか?
限界の先…そんな事も俺は考えたことがなかった。
皆がちびっ子ってからかっていた女の子は本当は誰よりも強いのに、本当は弱い子だったと知った。
あんなに強がらなくってもいいのに、周りがそれを許さないのを分かっているからそれを受け入れてるんだろうな。
そんな彼女を少しだけ同情した。そして彼女を見ていたいと思った。
あれから早いもので1年以上が過ぎた。佐倉は夏の総体で去年よりも成績を上げた後に体調を崩して入院。その後部活を止めた。辞める時はもう、これ以上は泳げないとしか言わなかったらしい。
冬でも黙々と自主トレをしていた佐倉は、放課後に図書室にいたり、先生と一緒に花壇の手入れをしていた。
そんな彼女を視界に入れつつ俺は彼女の側を通り過ぎた。
「よお。久し振り。面談待ちか?」
「うん、君も?」
「あぁ。志望校決めたのか?」
「うん。それなりの所かな?」
久し振りに廊下で二人きりで会う。あの渡り廊下以来だ。
泳いでいた時はショートヘアーだった彼女の髪は肩の下で切り揃えられていた。
「髪の毛が長いだけでも大分印象が変わるんだな」
「それは女の子に見えるってことかな」
彼女はかすかに笑う。
「そうだな。制服じゃなければ、ランドセルもおかしくないな」
「酷いわね。さり気なく気にしているのに。君も背が伸びたね。いいな」
そういうと彼女は頬を膨らませて拗ねた。
「小さいのも、小動物みたいでかわいいぞ」
「それ、慰めにもなってないし」
俺達は面接の時間まで取りとめのない話をした。
3学期になって、試験モードに突入した俺達はあまり話すことはなかったが会えば会話を交わす程度ではあった。
学年集会とかで彼女を一緒になる時は自然と彼女を探している自分に気がつく。
彼女のことは…好きだ。それが、好意なのか恋愛感情としてなのか分からない。
だから、彼女を見ていた。俺といるときと違って、表情がほとんど変わらない。
普段は感情を出さないで淡々と過ごしている。見ているこっちが怖い位に。
そんな彼女の表情が3学期になってから変わった。どことなく柔らかい。
俺もそうだが、彼女も誰かに好意を抱いているんだろうか?
3月。俺は親の転勤で地方に引っ越すことが決まった。転勤先に行ってからの高校探しになるから皆見たく浮かれてはいられない。自然と図書室で勉強する日が増えた。
佐倉も進学校と言われるS高に進学するらしい。
プールが敷地にないと言われているから、本気でプールとの決別を決めたのだろう。
有言実行の彼女ならではだなと俺は納得していた。
そんなある日の放課後、俺は彼女と久し振りに一緒になった。
「久し振り。引っ越すんだって?大変ね」
「そうだな。お陰で受験生だぜ。佐倉は?」
「私は、家に鍵を忘れたから、祖母たちが家に戻るまでここで勉強。私もクラス分け試験が24日にあるんだって。自分が選んだのだから文句言えないんだけども」
彼女はうんざりした表情を浮かべて机に座って、問題集を広げる。
「俺も隣でやってもいいか?佐倉の方が勉強できるからな」
「そんなことないよ。私はコツコツやってるだけだもの」
「そこが皆できないんだから、自信を持てよ。そこは変わらないなお前」
俺がそう言うと彼女は微笑んでいた。彼女の表情を見ていた俺は気がついた。
ほほ笑んではいるけれども、心の底から笑っていない。
心に厚い壁がある。3学期の初めに見たあの柔らかい表情はどこにもなかった。
かわりにかすかにしか感情が見えないクールな表情。
この短い期間で、俺の知らない所で何かが起こったのだと実感した。
「何かあったのか?」
「何かって?」
「お前、心の底から笑えてないだろう?」
「そうだね。君には隠せないか。いろいろあってね」
彼女はそう言うと、遠くを見始めた。何を思い出しているんだろう?
「いろいろか。もう終わったのか?」
「うん。二度と元には戻せない位にね。それでも前に進まないとね」
「やっぱり、お前は強いな。俺も見習わないといけないな」
「いっつも…君はそう言うね。でもね、もう頑張るのは疲れた。高校ではのんびりとしたい」
「プールがないんだから大丈夫だろう?」
「そうね。でも私の意思に関係ない所で勝手に仕組まれることもあるから…」
そう言って、佐倉は言葉を濁した。何かに巻き込まれて大切な物を失ったようだ。
「そうか。今のお前には時間が必要だな。ゆっくり過ごせよ」
俺は無意識に彼女の頭を撫でていた。
俺は一人で考える。何が彼女に起こったのか知らない。けど、笑えないほど傷ついた彼女を
頑張れなんて無責任な言葉で励ませなかった。
「遠くに離れても、お前を見ていてもいいか?」
「遠くって言っても、国内じゃない。北陸だけっけ?簡単には会えないけど手紙だって電話もあるよ。いつも私が愚痴ばっかり言ってたね。聞いてくれてありがとうね。今度は私が聞く番だよね」
「そっか。そうだよな。やっぱりお前って凄いや」
俺は声をあげて笑いだした。そういえばここは図書室だ。
「大丈夫。私達しかいないから。君も努力家さんだから大丈夫」
不安で棘だらけだった俺の心から棘が抜けていく。どうしてそんなパワーがあるんだ?
思ってみたら、あの夏の日から俺は彼女に引きつけられていたのかもしれない。
彼女という引力に引きつけられた俺。そんな俺が彼女に恋をするのは必然だったのかもしれない。
今、ここで重いと伝えたらどうなるだろう?遠距離恋愛になることだけは分かり切っていた。
そんな状態を彼女は受け入れてくれるのだろうか?聞いてみてもいいかもしれない。
「佐倉、好きだ」
「ごめんなさい。今の私は誰も好きになれないの。でも、君はいい人だから転校先でも私以上に素敵な人が現れるわ。本当にごめんなさい」
彼女の瞳が不安定に揺れる。俺が彼女を見ていた時、彼女も誰かを見ていた事は分かった。
そして、その相手とはもうどうにもならないことも。
「でも、友達だよな」
「うん、私はそのつもりだよ。これからもずっとね。離れてても友達だよ」
笑えない彼女がかすかにほほ笑むのを見て俺は嬉しいと思う。
俺を不安にさせないように気遣える彼女の優しさを感じたから。
「振られたけど、いいか。俺が恋した女はタフな女だったって転校先で言うからな」
「やめてよ。私タフでもなんでもないわ」
「言わせてくれよ…頼むからさ」
「しょうがないな。好きにしたら」
彼女は諦めて、両手をあげた。この位…俺の好きにさせて欲しい。
俺の我ままを聞いてくれたありがとな。
「なぁ、謝恩会で何をするんだ?」
「今の私は歌しかないから、静香達と歌うの。あんまり上手じゃないけど」
「俺、予選会のソロの時のお前ってすげぇって思った。こんなちっちゃい体にあんだけのパワーがあるんだよって思ったぜ」
「あら?それは褒め言葉かしら。だったら嬉しいわ」
「そう取ってくれよ。今度は何を歌うんだ?」
「それは…内緒。先生に怒られてばかりだから。私、今日もこれからなんだ。私音楽室に行くね。お互いに頑張ろうね」
そう言うと、彼女は鞄に荷物を入れて音楽室に向かって行く。俺は一人残されて勉強をしていた。
遠く音楽室から彼女の発声練習をしているのが分かった。透きとおり、心を癒されるような声。
彼女の歌は感情がそのまま歌に現れるからどんな曲を歌うのか楽しみだった。
暫くして、ある曲が流れた。そこから聞こえた声は、あまりにも切ないものだった。
幸せでその幸せを願う意味合いの歌のはずなのに、遠くからかすかに聞こえてくるその歌声は
あまりにも切なくて、心が締め付けられるものだった。
気が付いたら、俺は涙をこぼしてノートに染みを作っていた。
「やっぱり、あいつには敵わない。けど、あんなに切なく歌を歌わせる相手って誰なんだ?」
涙を拭って俺はポツリも呟く。何度となく歌い直しているけど、その歌声はどんどん切なく更に悲しみを帯びていく。今の彼女にとって、歌う事は一番残酷なことなのかもしれない。
「この歌が、謝恩会当日にはどう変化するんだろう。それは楽しみだな」
俺は図書カウンターに置いてある鍵を掴んで図書室を出た。
村下孝蔵の初恋のフレーズが頭を過った。初恋…か。だったらこれは俺にとっての初恋だろう。
今度の恋は、二番目の恋は、自分が素直にならないといけないなって俺は思った。
さよなら、大好きな人。せめて遠くなっても君に引きつけられたままな俺を許してほしい。
小説の時間列とほぼ同じです(数週間先行なんですが)
人に対して比較的に無関心なちいは彼の事を静香に言えたかな?
…多分、言わないな(笑)
友情エンドなのである意味ではバッドエンドです。
こういうオチは普段書かないんですが、どうだったでしょう?