水乞い地蔵
関西出身の知人Wから聞いた、とある地方のお話。
WはA村という村で生まれ育った。
A村とは隣接するB村という村があり、お互いの村は仲が悪かったという。
例えば、A村の者がB村に行くことは、子供の頃から戒められていた。
その逆もそうだったらしい。
どちらかの村が被差別部落で差別があったから…というわけでもなく、表だって激しい争いは無かったものの、陰口や悪い噂を言いあったりしていた。
Wは両村の対立の理由を自分の祖父に聞いてみたが、祖父自身もその理由はハッキリとしなかったそうだ。
それでいて、祖父自身も幼少の頃から言い聞かされていたせいなのか、B村のことはよく思っておらず、今も結婚の際には両村出身者での婚礼は避けられているという。
そして、少しオカルトめいた話もある。
例えば、A村出身者がB村に出掛けると、結構な確率で事故に遭うという。
しかも、それは村境に立つ石仏「水乞い地蔵」による呪いだというのである。
実際、その地蔵は存在し、村の境となる山道にひっそりと立っていたそうだ。
建てられた経緯や年代は定かではないようだが、結構昔から存在するらしい。
しかし、外見は苔むした古い十体のお地蔵さまでしかなく、首が無かったり、顔が割れていたりという奇妙な点も無かったという。
ある日、Wは夏休みに近所の子供達と連れ立って村境に近い川へ遊びに行った。
その川はA村とB村に跨る山を水源とし、村境の途中で二股に別れ、両村へ流れていた。
水は清く、量もそこそこなので、魚を獲ったり泳いだりも出来たらしい。
村境とはいえ、一歩進めばB村である。
B村を嫌う大人達が見たら、注意されそうな場所ではあった。
しかし、理由も定かではない昔から因縁など気にしているのは大人達だけで、子供達にとっては関係ない問題だ。
しかも、人も車もそれほど通らない場所でもある。
W達はためらいなく川遊びを始めた。
そうして遊んでいると、一人の子が突然皆に言った。
「そろそろ帰ろう」
それを聞いたW達は、突然の切り上げに反対した。
何故なら川遊びはいまが最高潮。
石を使ったダムを作り、後は魚をその中に追い込もうという寸前までいったいたからだ。
日も高いし、まだまだ遊べる時間なのに帰るなんて勿体ない。
そんな反対の声もあったが、最年長でもあったその子は強引に撤収を宣言。
さっきまでは自分自身も大いに川遊びを堪能していたのに、一転、皆が着替える間も惜しむかのように追い立てて、その場から立ち去った。
そしてその後、全員で近くの神社へ。
途中で買ったお菓子や飲み物を手に、境内に集合した。
そこで、さっきの年長の子の全員撤収に話題が集中したんだそうだ。
年長の子はそれに、
「見えたんだよ」
真剣なその様子に一同が黙る。
彼は聞き耳を気にするように、声を潜めて続けた。
「川遊びの最中、川下(方向的にはB村の方角)から、じぃっとこっちを見てる黒い人型の塊がさ」
その言葉に全員が黙る。
何故なら、その子はいわゆる霊感のある「見える」子として仲間内では有名だったからだ。
「そいつら、少しずつこっちに近付いて来てたんだけどさ…何か、全員俺達に怒ってるみたいだったんだよな」
そのだいぶ後、Wは両村の間にあった不和の原因を偶然知る機会に恵まれた。
何でも、大学生の時、たまたま課題で触れた郷土史について、県の文書館に所蔵されていた資料の存在を知ったらしい。
それによると、こういう内容だった。
室町時代後期までA村もB村も対立は無く、普通に交流していたという。
しかしある時、干ばつが起こり、乏しい水を巡って両村は対立。
ついには刃傷沙汰に発展した。
戦国時代へと突入しようというこの頃、農民といってもただ農作業を行うだけのか弱く大人しい存在では無い。
豊臣秀吉が行った刀狩りまで、彼らは戦があればすぐに武装し、略奪や強盗、人さらいまで何でもやっていたという。
加えて、機械も無い時代、田んぼや畑にやる水の確保は、彼らにとっては命を左右するほどの問題だった。
加えて、人間の手ではどうこうできない天候が原因である。
下手をしたら、村全体が飢えと渇きで滅亡するかも知れない。
そんな苛烈な状況下で、武装した農民同士がぶつかったわけである。
結果、死人も出て、A村側が勝利し、水利権を得たらしい。
敗北したB村はA村の言いなりになるしかなかった。
そして、B村ではこの争いの中、庄屋やその家族を含め、村民10人が犠牲になったという。
そして、彼らの霊を慰めるため、水乞い地蔵が建てられたらしい。
さて、ここからは推測を絡めての考察である。
両村の確執は水が原因であり、当時の凄絶な時代背景があったことが分かった。
しかし何故、慰霊に建てられた地蔵が「水乞い地蔵」という名前になったのか?
普通なら、干ばつによる被害や争いが再発しないよう「雨乞い地蔵」という名前になりそうなものだ。
それにW達が幼少期に出会った黒い影は何だったのか?
おそらくだが、水利の争いの際、犠牲になったB村の10人はA村の連中に捕まってしまったのだろう。
そして、干ばつの暑い中、水も乏しく、一切与えられずに監禁されたのではないだろうか。
そんな中、彼らは喉の渇きに消耗しながら「水をくれ」と懇願した。
だが、そんな悲痛な願いも無視され、彼らは耐え難い乾きの中、命を落としたのではないか。
そうして無残な最期を遂げた10人の浮かばれない魂は、慰霊のために建てられたお地蔵様の効果もむなしく、川辺を彷徨い続け、非道な仕打ちをしたA村の人々に憎しみを向けているのではないだろうか。
乾きに苛まれ「水をくれ」と乞いながら…
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