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プロローグ

 大正九年 

 

 この年の日本は、国中がそこはかとない暗さに包まれていた。空に薄く広がる暗雲が太陽を少しずつ覆っていくように、漠然とした不安と僅かな憂いを含んだ空気が、人々の生活の中に影を落とし始めていた頃だった。

 

 空前の好景気を生み出した第一次世界大戦は一昨年に終結し、勝利に湧いたのも束の間、工業や貿易を中心とした特需は徐々に終わりを迎えようとしていた。


 日本は参戦国でありながら、本土が主戦場の圏外であったために直接の被害を受けることがなかった。おかげで海外需要の急増に伴う輸出が増加し、海運や造船を中心に莫大な利益が生まれたのだ。いわゆる大戦景気と言われるこの好景気は大正八年にピークを迎え、海運業に限って言えば世界第三位まで登り詰めるほどの急成長を遂げていた。

 一方で、インフレーションが急激に加速し、物価の上昇に賃金の上昇が追いつかない事態となっていた。莫大な富を得る者がいる一方で労働者達は苦しい生活を強いられ、都市部にはスラム街が出現し幼い子供たちも家計のために働かざるを得なかった。このころ各地で勃発した米騒動の背景には、こうしたインフレによる生活難があったのである。

 

 もう一つ、同じ時期に人々の不安を煽る出来事があった。大正七年の八月頃から国内でも流行し始めたスペイン風邪だ。

 戦争という世界規模の人の動きによって世界中で爆発的に広がったこの病は、特に若年成人の死亡率が高く、第一次大戦の参戦国にも多大な影響を及ぼしていた。しかしながら、この時代の研究機材では原因を特定することができず、有効なワクチンを作ることは不可能で感染拡大に歯止めをかけることは困難であった。

 国内における感染の第一波ではおよそ二十五万人以上の死者を出しており、村落では医者も薬も不足して人々の不安は高まる一方だった。

 

 そんな不穏な空気が満ちた帝都東京で、一人の青年がその運命を変える大きな波に今まさに呑み込まれようとしていた。

 

 一之瀬 馨

 

 彼もまた病に人生を狂わされ、数奇な道を辿らざるを得なかった、この時代の被害者なのかも知れない──

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