ひねくれの魔女
魔女、狼、氷塊となった飛竜。
「…それで、湖畔までは追いかけたのだけど、見えなくなってしまった。寒くて、動けなくて。ああ、ここで死ぬんだなと思ってたら、セテが来てくれたの。」
数拍の沈黙を経て、イルアンが言った。
「光の糸は、きっと飛竜の本体につながっているに違いない。きっと、その魔女の元へ導いてくれるだろう。だが、銀髪で子供の姿をしていて、頼みを聞いてくれない、ときたか。まいったな。」
視線を送られたセテが、頷いて後を継ぐ。
「湖の『ひねくれの魔女』伝説ね。この診療所の先代も、子供のときに会ったことがあると言っていたけれど、本当かしら。軽く五十年は昔の話よ。」
「昨日からいわゆる伝説ばかりを並べられて、だんだん頭がぼうっとしてきたなぁ。ぼうっ、と。」
人を乗せて大陸間を行き来する飛竜などという話に至っては、聞いたことも無い。その意味では伝説よりも珍しい事象であるのだが、二人は耳にした全てを深堀りする気力を既に失っていた。
重なった二人の溜息に、リアネスは、いまこそと口を開いた。
「あの、さっき、第十二大陸に戻るって話をしていたでしょう。実は私も海を渡りたくって。一緒に行っても良いかしら。もしエマーヴァの力が必要なら、協力してもらえるように頼んであげる。」
自らの黒い髪をいじっていたイルアンの手が止まり、じろりとリアネスに目をやった。リアネスは突然の鋭い目線に気圧されつつも、意識して、何とか目を逸らさない。
水晶工の薄い瞳の奥が、爛と光った。
「…俺には、今聞いたことが真実なのか確かめる術がない。人を乗せられる飛竜なんて想像もつかないけど、翼だけでも人よりも遥かに大きいんじゃないかな。それがこの球に縮んでしまったというのも、ちょっと無理がある気がする。素直に考えれば、大きな町で迷子の家族を一緒に探す、というのが、俺たちの次にやるべきことだ。」
「なっ、信じてくれないの!?私の家族はこの大陸には居ないわよ!それに、しょうがないじゃない、本当にエマーヴァの翼が、こう、ぐーんと小さくなって、この青い石になっちゃったんだから!」
激昂するリアネスを片手で制して、イルアンが口調を強くする。
「リアネス、それは全部君の外側の話で、肝心なところは何も語ってくれていないじゃないか。なぜ大陸を渡りたいのか、どうして飛竜に乗っていたのか。それを知らないまま協力してくれと言われても、できないよ。俺たちが知っているのは、君が起きて最初にやったことが盗み聞きということくらいだ。もう少し俺たちを信用してくれないと。」
「それは…」
少女が黙って涙を浮かべ始めたのを見て、セテが後ろから頭を撫でてやる。イルアンは、時々怖いのよね。
「言い過ぎよ、イルアン。初めての土地で、知らない人に助けられて、全部さらけ出せなくて当然じゃない。幸い私たちは食い扶持には困っていないし、ゆっくり、色々話をしてもらえれば良いわ。」
セテの言葉に、しかし青年はゆっくりと首を横に振った。
「次の連絡船が出るのは、三十日後だ。それを逃して、一年待つのはごめんだよ。目の前に希望があるんだから。」
はっとして、柔らかな茶髪を撫でていたセテの手が止まった。
希望。故郷に帰る、希望。
イルアンは幼い少女に向き直って、改めて問い掛けた。
「どうして第十二大陸へ行きたいんだ?」
全てを、さらけ出してしまいたい。
リアネスは左右に揺れる視線を、ぎゅっと目をつぶって隠した。
「い、言えないわ、だけど、絶対に行かなきゃ。た、助けて、なんて、厚かましいのは、判っているけど、でも。」
どうしたら良いか判らなくなったリアネスは、遂にしゃくり上げて涙をこぼし始めた。イルアンはそれをじっと見つめていたが、やがて視線を天井に移して深く息を吐いた。
「…それでも、か。」
「へ?」
「その気になるまで、何も言わなくて良い。しばらく一緒に行動してみよう。」
呆然と、丸い目がイルアンを見る。
「良いの?」
「良いとか悪いとかではなくて、そうすることに決めたんだ。」
そう言って、イルアンはリアネスの頭に置いた手をぽんぽんと鳴らした。
「…連絡船での渡りは、危険な旅になるわ。子供が一緒で、海を超えられるかどうか。」
セテは、少しだけ後ろ向きなことを言ってみた。目の前の少女は悪人でないにしても、得体のしれない存在ではある。
「俺たちがこの大陸に渡ってきたときは、今のリアネスより幼かったよ。それに。」
イルアンは、呆然としたままのリアネスに向き直って目を合わせた。
「助けるべき理由を並べてくる奴より、ただ泣きついてくる奴の方が、よほど信用できる。試しに同行してもらう程度には、ね。」
少女の目的や素性が不明確であっても、この機を逃すという選択肢は無い。イルアンの言葉に潜む決意に、セテもまた重く頷いた。
連絡船の出航まで、あと三十日。




