大陸一の船大工
初めて会ったときは生意気な子供だと思った。
が、よくよく聞けば、二十歳を少し過ぎたくらいの自分などよりも、いや、他のどんな人間よりも、よほど長く生きているのだという。
「その私が言うんだから、信じて良いのよ。あなたは、今に大陸一の船大工になる。だから、こんなところでため息を吐いているのは似合わないわ。」
クーガが世話を引き受けてから間もなく、リィザーレイは職場に付いてくるようになった。人間離れした美しい水色の髪と瞳は瞬く間に衆目を集めたが、「だいぶ昔に決めてしまった色だから、今となっては変えようと思っても変えられない」とのことで、落ち着いて船と向き合いたいクーガにとっては、むしろ災難を象徴する色に見えた。
「なぜ、そのようなことが言えるのですか。私の出す新しい構造案はことごとく却下され続け、親方衆たちからも見放されつつある。リィザーレイ、あなたは私を買いかぶり過ぎですよ。私には、今の扱いがお似合いなのです。」
「いいえ、クーガ。あなたは誰よりも船に対して真っすぐに向き合っている。あなたの出す案は鯨の目から見ても合理的で、水上を走るのが目に浮かぶものばかり。いつか、あなたも自分の使命に気づくときがくるでしょう。」
二人きりになると、決まってリィザーレイはクーガの神経を逆なでるようなことを言ってくる。父の後を継いでデーフィの町で一番大きな船大工衆の末席に加わったものの、いつまでたっても駆け出し扱いで、糊口を凌ぐのが精いっぱい。そんなクーガに、自分の使命を考えている余裕など無かった。
(さて、これからどうしたものでしょう。ずっと共に暮らす訳にも行きませんし。)
珍しい木材で組まれた舟が入港したのを見つけて、全力で駆けつけたのが縁の始まりだった。船大工にとって神聖とされる川狸、しかも意思疎通ができる尊い御仁の頼みでなければ、とうに放り出していたに違いない。
快活で可憐な少女は、瞬く間に町の人気者になった。そのこともまた、人間関係が得意ではないクーガの苛立ちに拍車を掛けていた。
事件が起こったのは、そんな共同生活を数十日も送ったころだ。
日の出と共に予定外の来船を告げる鐘が響き、町中が叩き起こされたのだ。避けられがちな潮風の入る安い部屋で暮らしていたクーガは、鐘の二撞き目を待たず、水平線上に現れた巨大船を視認した。
(傑作だ…!)
かつてメイザスで『この大陸最大の船』とやらを見たことがあるが、それと張り合うほど大きい見事な船だった。しかし、その船体は傾き、遠目にも修理を要していると判る。クーガは着衣も整えないままに騒々しい町へと飛び出すと、石畳を疾走し、その勢いのまま造船所内を走り回って資材をかき集めた。四半刻ほどで準備が整うと、遅れて集まってきた親方衆に資材の持ち出しを掛け合う。
「すぐに駆けつけましょう。あのままでは、港に着いたとしても長くは持ちません。乗組員を退避させたら、最低限の修繕を施してから造船所へ曳航を。あの傾き方、おそらくは側面から浸水が始まっています。まずは穴の周りを整えて、板を張りつつ、水の汲みだしをする必要があります。三十人もいれば、なんとか救えるでしょう。我々が先陣を切れば、他の船大工衆も駆けつけてくれるはずです。」
そう意気込んだクーガに、親方衆の一人が鬱陶しそうに眉根を寄せた。
「待て待て。他の船大工衆や町長との話し合いが先だ。俺たちが単独で動いて、あの船を潰してしまったらどうする。あれは、このデーフィ総出で取り掛かる大仕事だぞ。」
クーガは、彼が何を言っているのか判らなかった。その船は今、一刻の猶予もなく沈もうとしているのだ。
「では、せめて板張りの応急処置だけでも。あのままでは、話を付けている間に沈んでしまいますよ。」
親方は再び眉をひそめると、あっちへ行けと手を振った。
「クーガ、お前はいつもそうだ。目の前にある船しか頭にない。そんなだから、いつまで経っても下働きなんだぞ。」
そう言うと、親方衆はまるでクーガを締め出すように背を向けて、彼らだけで打ち合わせを始めてしまった。何とか議論に加わろうと耳をそばだてると、やれ支払いは確かに為されるのかだの、やれ失敗したら評判に傷が付くだのという声が飛び交っている。クーガは軽くめまいを覚えつつも、まだ何とか話に割って入る機会を伺っていた。が、
「仮に俺達が何もせずあの船が沈んでしまったとしても、俺たちの責にはなるまい。」
その言葉が聞こえたとき。頭の中で、何かが切れた音がした。
あの傑作を見殺しにして、何が船大工か。
放心したようにふらふらと後退り、倒れ込みそうになる。寸前で腰のあたりをぐっと支える手が現れなければ、本当にへたり込んでしまっていただろう。視線は前に向けたままだったから、彼女の水色の髪を見たわけでは無い。それでも、クーガは不思議とそこに居るのが誰であるか確信していた。
「そりゃあ、私だって、かつては大陸一の船大工になりたいと願っていたのです。その船大工というのは、彼らのように親方になり、多くの船大工を育て、周囲の誰からも認められる棟梁、のような存在でした。ですが、船大工衆の一員としての日々を重ねるにつれ、大陸一の船大工というものが何なのか、私には判らなくなってしまった。最初に描いていた理想も、とっくにぼやけてしまいました。棟梁も、親方も、ただの肩書に過ぎないと気づいたからです。」
こくりと、背中に押し付けられた頭が頷く気配がした。
「リィザーレイ、あなたは正しかった。私は、棟梁にも、親方にも、なれません。しかし、大陸一の船大工になら、なれるかもしれない。いや、私はそれに、ならねば。そうでなければ、あまりに船たちが哀れです。」
リィザーレイはクーガの腰に回していた手を離すと、船大工の前へと回り込んだ。クーガが目線を合わせるように膝を付くと、親方たちの姿と声が、すっと遠ざかっていく気がした。
「行きましょう。大陸一の船大工になろうというなら、ここはあなたの居るべき場所では無い。」
クーガは強く頷くと、部屋の隅に纏めてあった資材と工具のうち、応急処置に必要なものを手早く背負い込んだ。彼は正面の大扉から造船所を後にしたが、親方衆は議論に夢中で、誰一人としてそのことに気づかなかった。




