拾いもの
暁光で足元が見えるようになると、二人は手に下げていた光水晶をしまった。
魔水晶に蓄えられた力には限りがあるから、使わないときは黒布に包んで活性状態を解除してやるのだ。採暖用の火水晶には、引き続き懐で熱を供給させておく。
「気を付けて」
林道を抜けたところで、イルアンとセテはほぼ同時に歩調を緩めた。第一大陸で最大の湖、霧の母のほとりに、人影が見えたのだ。
極寒の中、ほぼ全裸であぐらをかいて湖面を見つめている、茶髪の人影。
その異様な光景は、イルアン達が探しに来た非常識な魔力と関連付けるのに十分な非日常性を持っていて、何も異変が無いよりは余程納得のいくものであった。
「死んでいるのかな?」
「わからないわね。少し、揺れているように見えるけれども。」
距離を詰めるに従い、人影の輪郭が克明になってくる。
若い、いや、幼いと言っても差し支えない年頃の女。その体が横倒しに地に折れたのを見て、二人は目を見合わせた。
「…あんまり、じろじろ見るんじゃないわよ?」
「氷上の裸体なんざ、こっちまで寒くなりそうだ。見たくも無いよ。」
抑えていた足音を解き、一気に駆けだした。セテが先行し、周囲を警戒しながらイルアンが後を追う。
(この状況自体、狡猾な獣の仕掛けた罠かも知れない)
慎重なイルアンが取り越し苦労と共に辿り着くと、既に薬師は少女の脇に手を入れて、熱と心音を確かめている。
と、少女が苦しそうに目を開けて、何か伝えようと口を動かした。
「何?わからないわ、もう一回言って。」
第一大陸言語で促す。すると、目の前の少女は大きく目を見開いて、ゆっくりと言葉を押し出した。
「寒い。死ぬ。助けて。」
どうやら、好んで極寒に肌を晒しているわけでは無いらしい。
既に予備の火水晶を活性化させていたイルアンが、それを少女に握らせ、腹に抱かせる。さらに、道中で雨避けに使っていた毛皮を被せてやり、地面と体の間にもセテが使っていた毛皮を敷いて熱の逃げ場を塞ぐ。
やがて震えが止まったのを心配して少女を覗き込んだセテが、小さく息をついた。
「眠ったみたいね。」
荷を枕代わりに敷いてやり、セテはゆっくりと少女から身を離した。
「どこの子かしら。とりあえず、連れて帰るしかないけれど。」
二人の住む村の者で無いのは確かだった。小さな村だから、この年頃の少女は多少年齢を前後させても三十人ほどしかおらず、いずれもイルアン達とは知己である。
「セテ、あれを見て。」
イルアンがそう言って、少し離れた地面を指し示す。何か大きなものでも引きずったのだろうか、湖畔から森の方へと、不自然に平坦な窪みが続いていた。
少女の護りをセテに託し、イルアンは窪みを辿った。
窪みは森に入ってすぐのところで終わっており、始点となっていた木陰には、少女の旅装と思しき荷物が散乱している。
イルアンが眉根を寄せたのは、荷の間に落ちている魔水晶の様子だ。それらはいずれも濁りを帯びており、既に使い物にならない。
「全部、力を使い果たしているな。無理やりに引きだされたか、あるいは…」
比較的大きめの鞄が二つ落ちていたから、イルアンは小物を一つずつ拾いあげてそれに詰め込んでいく。と、
「これは、魔水晶じゃないぞ。」
窪みの始点から二歩の位置に落ちていたのは、真球に見えるほど形の整った青い物体である。試しに透明水晶を近づけてみるが、活性化するどころか、逆に透明水晶の方が発熱してしまった。
秘めている魔力の量が、大きすぎるのだ。
イルアンは大きく息を吸い込むと、身を固めながら水晶を軽く触れさせてみた。コン、と乾いた音が鳴る。
青の球には、何の変化も生じない。
(怖がり過ぎ、か。)
ふっと息を吐いて水晶を球から離した、その時だった。
空。高く、どこまでも続く青。眼下には、白い雲が浮かび、太陽は自らの影をその上に焼き付ける。
脳裏に突然入り込んだ情景に、イルアンはとっさに水晶を手放して後ずさりした。首を左右に振って確かめれば、透明だったはずの水晶の内部の一部、先ほど謎の球に触れさせていた箇所が、薄青く染まっている。
なんだ、今のは。
あの、雲に映った禍々しい影。なぜかそれが自分のものだということは克明に判ったが、とても人間のものとは思えなかった。散らばっていた他の荷物を鞄に詰め終え、最後に最高級の魔水晶を扱うようにして布越しに球を拾い上げる。
こいつに相対するには、工房に戻り、腰を据えて掛からねばなるまい。
どこからか聞こえてきた狼の遠吠えに、イルアンは湖畔で待つ二人の元へと足を速めた。




